高校卒業後に19歳で単身渡韓し、現在はダンサー・振付師として活躍するRENANさん。「Armageddon」や「Whiplash」といったaespaの代表曲をはじめ、ILLIT「Magnetic」、G-DRAGON「TOO BAD」、SEULGI(Redvelvet)「Baby, Not Baby」などの振り付けにも参加しており、昨年は韓国の『CHOREO AWARDS』も受賞されました。
日本でキャリアを積むビジョンも見えていながら、あえて渡韓した理由とは? 当初はアーティストを目指しながらも、ダンサーに転向した経緯とは? そして異国の地で成功を摑むために必要な“諦めない心”について、たっぷりとお話をうかがいました。
ダンサー/振付師。高校卒業後に単身で韓国へ渡り、ダンスパフォーマンスを学ぶ。韓国のダンススタジオ「Just Jerk Dance Academy」「1 Million Dance Studio」でインストラクターを務めるほか、ダンサーとしてMV等に出演。近年では振付師としても注目され、aespa、G-DRAGON、SEULGI(Redvelvet)、INI、STAYC、Redvelvet、kep1er、XGなど多くのグループ/アーティストの振り付けに参加している。
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https://www.instagram.com/renan0115/
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“自分のもの”を見つけよう 単身で韓国へ
現在はソウルを拠点に活動されていますが、日本に帰っていらっしゃることもあるんですよね?
そうですね。年末にも休みを取って帰りましたし、仕事があるたびに行ってはいます。去年はaespaが『2024 MAMA AWARDS』に出演したり、日本でのツアーもあったので、結構日本に行ってましたね。
そもそも、RENANさんが韓国に渡られたのはなぜだったんでしょう?
もともとK-POPは好きで、初めてKARAさんや少女時代さんを見たときに「こんなに可愛くて踊れて歌える人がいるんだ!」という衝撃を受けたんですね。そこからSMエンターテインメントとYGエンターテインメントのアーティストをチェックするようになって、『SMTOWN LIVE』だったり東方神起さん、BIGBANGさんとかのコンサートにも行くようになったんです。それで高校を卒業するとなったとき、普通に大学行くのも嫌だったし、人間関係でも悩んでいた時期だったので、じゃあ、新しい場所に行ってしまおうと。

これは初めて話すことなんですけど……一応エイベックスのスクールに通っていて、特待生オーディションにも受かっていたんですね。ただ、同世代の仲間って良いときもあるけれど、ライバルとしてお互い敵対視するときもあるというのが、自分的にすごく辛かったんです。だったら、そういった人間関係も全部バッサリ切って、韓国に行って頑張ろうかなって。だから、勢いで行ったというのが一番正しいかもしれないですね。
なるほど。高校卒業後にいきなり渡韓とは、ずいぶん思い切ったことを……と思ったのですが、そんな理由があったんですね。
頑張ればダンスのトレーナーになれる将来というのは、もう、見えていたんですよ。でも、見えていることをやるより、どうなるかわからないことを頑張ってみたほうが、自分の人生もっと楽しいだろうなと感じたんですね。
当時の韓国には日本人なんてほぼいなかったですし、K-POP自体が日本でまだそこまでメジャーじゃなくて、むしろ一部の人だけが好きなジャンルというイメージだったんです。なので「韓国に行く」って言ったら、周りの子にも結構「なんで?」って驚かれましたけど、私はK-POPが好きだったから、1人でも頑張ってみようと。
もともと安定志向ではなかったということでしょうか?
「みんなと同じ方向には行きたくない」というのは昔からありました。例えば100人がコッチに行っても、自分はアッチに行ってみようとか。あと、たぶん完璧主義なんですよ。例えば、ひとつのスタジオだけでダンスを習っていると視野が狭くなるかもしれないからと、いろんなスタジオに通いまくったり。とにかく全部を見て、経験して、何か自分のものを見つけようと必死だったんです。
とはいえ、何のツテもなく渡韓してゼロから生活の基盤を作っていったというのは、すごいバイタリティですよね。
もう、一つひとつ……でしたね。まず家を探して、語学学校に入って、当時はアーティストを目指していたから、ダンスと歌と両方のスクールを探して。1人だけ韓国に友達がいて、その子が通っているスクールに私も行っていたから、それで少し寂しさが軽減されたところもありました。
あとは、現地での日本人同士の集まりだけでなく、語学学校にいるアメリカ人とか中国人とかのコミュニティからも人間関係を広げていきましたね。最初はフランス人とか中国人とかの子と、お互いにカタコトの韓国語で話すところから始まって、少しずつ韓国人の友達とかも増やしていった感じです。せっかく韓国にいるんだから日本人とばかり一緒にいるのも良くないと、日本人の友達とは本当にしんどくなったとき以外は会わないようにしていた時期もありましたね。
火が点いた韓国ダンスシーンへの期待感

当初はアーティスト志望だったのが、なぜダンサー1本に転向したんでしょう?
アーティストを目指していたとき、もちろん歌やダンスの実力も大切なんですけど、それよりも運が必要だなって実感したんです。だけど私には、全然運がついてこなかったんですね。オーディションを受けてもなかなか通過しなかったり、頑張ってデビューの寸前まで来たら、なんかピンとこなかったり。
ピンとこない、とは?
韓国ってメンバー全員で一緒に暮らすじゃないですか。仲間意識が強くて。でも、私は団体行動がすごく苦手で、デビューできる嬉しさよりも、これから始まる団体生活に対して不安になってしまった。
あと、デビューのための資金やミュージックビデオの制作費もネックでした。活動が始まっても最初はお給料が発生せず、まずはそれを事務所に返すための活動になって、返せない場合は自分たちで出すという形になるんです。
とはいえ、アーティストへの道を閉ざしてしまうと、絶対に未練が残ると思ったので、まずはダンサーとアーティストを並行して目指していくうちに、だんだん未練がなくなっていった感じですね。
未練がなくなったのは、なぜだったんでしょう?
ダンサーとして活動したときに、楽しさと幸せな気持ちがあって、やっぱり私はダンスの方が向いてるんだって実感したんです。それでダンサーのほうで頑張ろうと決めたら、アーティストを目指していたときとは比べものにならないくらい上手くいきだしたんですよね。そうなると、より楽しくなるしモチベーションにも繋がっていって“ダンサーとして頑張ろう”という気持ちが、どんどん強くなっていったんです。
あと、当時の韓国のダンサーシーンって、正直“まだまだ”ではあったものの、みんなすごく頑張っていたんですよ。私も日本にいたときは、周りに「すごく努力してるね、頑張ってるね」と言われていたけれど、そのレベルのことを韓国の人たちは当たり前にやっていたんです。
この調子なら、何年か後の韓国のダンスシーンはすごいことになるだろうな!という確信を持てたからこそ、韓国でダンサーとして頑張ろうって決められたんですね。それプラス、日本人が誰もいなかったことで“まだ誰もやっていないことをやってみよう”精神に火が点いたんです。
アーティストとして運がなかったのではなく、逆に、ダンサーの道に導かれたのかもしれませんね。ただ、最初から振り付けをされていたわけではなかったとか。
そうです。最初は韓国のダンススクールに通っていて、メチャメチャ頑張って毎日練習している姿を見せていたら、そこの上の方が「レッスンを担当してみないか?」と言ってくれたんですね。当時、外国人がレッスンを受け持つという観念自体、韓国にはなかったのに。それで、ソウルから往復6時間くらいかかるところまで週1でレッスンをしに通ってました。すごくハードではあるけれど、ティーチングの機会をもらえるだけでありがたかったんですよ。
とはいえ、ソウルには自分の生徒がいないので、そこからさらに頑張って。Just Jerk Dance Academyというスタジオでレッスン始めてから、やっと自分の名前を知ってもらえるようになった感じです。だから私、かなり下積みが長いんですよ。振り付けの仕事自体は始めてから2年くらいしか経ってないので、急に出てきたみたいに見えるかもですが。

その長い下積みに、しかも異国の地で耐えられた理由って何だったんでしょう?
私の夢に対する意識が、他の人より強いからでしょうね。私よりダンスが上手い子なんてたくさんいるけれど、やっぱり途中で辞めたりした子もたくさんいるんですよ。だけど私は、夢に対する思いが人一倍強かったので、自分をアピールするためのサーチングを欠かさなかったんです。
例えばレッスン一つにしたって、自分が知られていなければ声がかからないのは当たり前じゃないですか。だけど、知られていないことを考えに入れずに「なんで仕事が入ってこないんだ」とか「なんで全然上手くいかないんだろう」とかって心が折れる人を、たくさん見てきたんですね。要は“人脈”ってことなんですけど、人脈って待ってるだけじゃ絶対に作れない。だから、どんどん履歴書を送って「こういう経歴なのでレッスンさせてもらえませんか?」とオファーして、自分から連絡していったんです。
もちろんダメだと言われることも多いけれど、OKをくれたところを中心にレッスンをして、そこでティーチング力を上げて。そうやって頑張っていると、見てくれてる人はいるもので、少しずつステップアップしていけることが、自分の小さな楽しみに繋がっていったんです。そこで生まれる達成感が、私にとっては大きなモチベーションになっていたんじゃないかな。
小さくても、ほんの少しでも、階段を上がれていることの実感が得られていたというわけですね。
例えば、明日は英語の単語を10個覚えて完璧にしようとか、そういうちっちゃな達成感がすごく好きなタイプなんですね。それは今でも変わってないです。
ただ、今は逆に休むことを大切にしてるかもしれません。私、振り付けの出来不出来が自分のモチベーションによって左右されることが多いんですね。なので、仕事を頑張りすぎて疲れちゃうと、振り付けも上手くいかなくなってしまうんですよ。それが去年の12月に起きて、これはもう休まないとダメだと年末から日本に行ったんですけど、結局その休み中にまた振り付けを3つも作ったりもして(笑)。
そんな! せっかく休みに行ったのに。
私、休むことに罪悪感を持ってしまっていたんですよ。今まで、ずっと“休む=頑張ってない”という考えで、だから休まずに頑張ってきたんですけど、やっぱり余裕がないと人間って上手くやれないんですよね。それを痛感した2024年だったので、今は休む時間を確保することにより、どう自分のコンディションやモチベーションをコントロールしていくか?というところを、ずっと試行錯誤しています。
加えて、最近はインタビューとか動画出演だとか、番組系のお仕事をいただくことも増えてきたので、今年はダンス以外のところでも頑張っていきたいというのも1つの目標ですね。韓国で自分のスタジオを作る準備もしていますし、純粋にダンス以外のところでステップを踏んでいくのが今の楽しみになっているかもしれないです。
aespaからの依頼が大きな転機に

メンタルコンディションをいかにコントロールするのか?というのは、自分で自分をマネジメントするフリーランスの人間にとっては非常に重要ですよね。ちなみに振り付けのお仕事はここ2年くらいとのことですが、中でも大きなきっかけがaespaからの振り付け依頼だったとか。
そうなんです。本当に急に依頼が来たので、メチャメチャびっくりしました! 私、もともと「aespaの振り付けをやりたい」って言ってたんですよ。そしたら、まずインスタに“いいね”が来て、そこから『2023 Melon Music Awards(MMA)』のステージを任せていただけたので、もう死に物狂いで頑張りましたね。
今、見返してみたら、そこまで振り付けの量は多くないのに、なんであんなにしんどかったんだろう?って不思議ですけど(笑)、授賞式のステージ自体が初めてで、しかもそれがaespaということでプレッシャーを感じていたんです。これは絶対に上手くやらないと次に繋がらない!という状況だったので、試行錯誤しながら頑張ってやってみたら好評で。

以降はaespaの新曲の振り付けも担当するようになり、昨年には韓国の『CHOREO AWARDS』も受賞されましたよね。
当初、私の名前はノミネートの中になかったから、授賞式の日には日本に行こうとしていたんですよ。だけど、ある方から「受賞候補にあがってたよ」と言われて、急遽会場に向かったという(笑)。
ただ、この『CHOREO AWARDS』自体も今回が初開催で、そもそも振り付けに対するアワードというのが恐らく世界で初めてなんですね。ちょうどaespaでいろいろやらせていただいたタイミングに、それが始まったというのも、正直、運だと思うんですよ。例えば、これが1年前だったり1年後だったりしたら受賞できてなかったでしょうし。しかも、日本へ向かう飛行機のチケットを取る前だったから、すぐに計画変更できたんです。
つまり韓国においても、コレオグラファーに注目が集まったのは、ごく最近であるという印象ですか?
そうですね。今、韓国では振り付けにも著作権を設けようと上の方々が頑張ってくれていて、そこから派生してのアワード開催でもあるんですよ。あとは『STREET WOMAN FIGHTER』、『STREET MAN FIGHTER』という番組があって、そこでダンサーの認知度が上がったというのも一因です。
やっぱりダンサーって着ている服もオシャレだし、舞台に立つのでメイクアップも自分たちでやるじゃないですか。会社に属しているわけでもないから、自分をアピールするためのセルフプロデュース力にも長けていて、世に出たら輝く人が多いんですよね。特に韓国はK-POPが世界から注目されているので、外国から連絡が来ることも多かったりしますよ。
日本でもメディアに出てくるダンサーや振付師は増えていますし、例えばアーティストにインタビューをすると「今回のコレオは××さんにお願いしました」という会話が普通に出てくるんですよ。コレオグラファーに注目が集まっている実情というのは、日本も同じだと思います。
振り付けで音楽が売れる時代になっているので、やっぱり注目度は高まっていますよね。振り付けのおかげでランキング1位になったなんてことも多いし、今や作詞や作曲と同じレベルで大事な要素になってきているんじゃないかなと。きっと何年か後には、もっと価値が上がっていくんだろうなと思います。
2倍がんばる、全力で尽くそう

今や最初からダンサーを目指す子どもも増えてますからね。子ども向けのダンススクールも無数にありますし。
そのぶんライバルも多いから、今から始める子たちは大変ですよ。たまに大学とかにレッスンしに行くと、これから頑張ろうとしているダンサーがこんなに多いんだ!って衝撃を受けますし、でも、その中で名前が売れるダンサーって本当にごくわずかなんですよね。そこがダンサーの難しいところで、名前が知られれば確かに夢のある仕事ではありますけど、その“ごくわずか”にならない限りは収入がない。
競争がどんどん激化していっていると。では、その中でRENANさんが生き残っていられる秘訣であったり、1番のアピールポイントや武器って何なんでしょう?
私は「頂いたギャランティの2倍は頑張る」という信念があるんですよ。頂いた金額のぶん頑張るんじゃなくて、その2倍は絶対に頑張ろうって。そういう考えの子が韓国にはあまりいないからこそ、自分は2倍頑張って相手の方が「また、お願いしよう」と思ってくださるように全力で尽くそう!っていうことを一番に考えてます。
あとは私、返事をするのが結構早いんですね。やっぱり早いほうが印象は良いじゃないですか。「この人は返事が早いから、連絡してもすぐ返ってくるな」と認識してもらえれば依頼も来やすくなるだろうし、そのへんも気を付けている部分ではあります。代わりにプライベートでは、返事メッチャ遅いんですけど(笑)。
なるほど……! 些細なことかもしれないですが、相手方の印象は変わってきますよね。
そう。あと、振り付けを考えるときは、すぐに覚えられて記憶に残るような振りをワンポイント入れるようにしています。そういう振りを作るのが私自身、得意なんですよね。「他の人と同じ道は行きたくない」という自分の性格が、振り付けにも良い形で出ているんだと思います。
事務所に依頼されて楽曲の振り付けを担当するとなると、やっぱり大衆性が必要になってくるので、他と似たような振り付けでは価値がないんですよね。10人が見たら10人全員がカッコいいと思える振り付けじゃないと会社の方も満足しないでしょうし、そういう意味でもリズムだったり動きだったり、何かしら特殊な振り付けを作ろうとは考えています。だから「わ、なにコレ!」となって、依頼の連絡をしてくださるのかなって。
確かに、今はTikTokでバズることが重要視されているので、すぐに真似できる振り付けを意識しているアーティストさんも多いですが、大衆性があってすぐに覚えられて、なおかつ他と違う振りを作るって、非常に難しいと思うんですよ。それを叶えるためには外部からのインプットも必要じゃありません?
でも、実は何かを無理にインプットするより、休んだときにこそ新鮮なものが出てくるんですよね。逆に休むことが少なすぎると、もう、頭が痛くなっちゃって! それが自分の正直な心なんだなって、最近すごく感じてます。
やっぱり自分の心がいっぱいいっぱいになっちゃうと良い振り付けは浮かんでこないし、今までヒットした振り付けも全部パッと思い浮かんだものばかりで、考え抜いた結果出てきたものは1つもないんですよ。だから私は考えすぎないほうが、良い振り付けが出てくるみたいです。
ただ、動画はよく見てますよ。例えば、同じような動画なのに“いいね”の数が倍も違っていたとしたら、どこに差があるんだろう?って分析するんです。バズっている動画には、絶対に理由があるので。でも、それもインプットのために無理に見ているわけではなく、単に私がSNS自体を好きだからなんですよ。だからSNSが嫌いな子よりは好きな子のほうが、トレンドは掴みやすいでしょうね。流行りに乗り遅れていたら、振り付けにも影響が出てしまいますし。

やりたくなくても頑張ること、そのためのメンタルケア
動画を見るのも義務としてではなく、楽しみながらやれているということですよね。あくまでも自分の心が疲れないようにお仕事を進めていくことが大事なのかなと、今日お話をうかがっていて感じました。
疲れていても死ぬほど頑張ることが必要な時期も、確かにあるとは思います。ただ、やっぱり何かを作り出す作業って、本人の“心”が一番大切なんですよ。なので、これからダンサーを目指す人であれば、何かをクリエイトする立場になったら休みながらやったほうがいい。
クリエイティブに関わる仕事は、良い作品を出せるかどうか?という結果しか見られていないので。自分が何を目指しているのかを把握しておくことが大切かなと。
ちなみにフリーランスで、なおかつ海外で身を立てたいという人には、どんなアドバイスをいただけますか?
海外でフリーランスが、たぶん一番難しいですね。仕事が上手くいったとしても、税金だったり保険だったり年金だったり、それ以外のことが大変なんですよ。海外に住んでいると日本にいるときの倍の苦労をして、倍のお金を出さなきゃいけないことも多いので、ただ、やりたいことだけをやるというスタンスではダメですね。
「日本は息が詰まるから海外に行きたい」って言う子も多いんですけど、自由であるためには頑張らなきゃいけないことが多いんですよ。自由に憧れるのなら、自由にやれるように何かを犠牲にしなければいけない。まずは語学を本当に頑張らないといけないですし、そのためには自由時間と睡眠時間を犠牲にすることが必要ですよね。
つまり、やりたくないことはやらないのではなく、むしろ、やりたくなくても頑張ることがすごく大切なんです。そうやって自分を痛めつけることができないと、なかなか海外では生きていけないので、そのためにもメンタルをちゃんとケアすることは重要ですね。いかに“諦めない心”を持って、どこまで自分からアピールできるのか? 自分で何か事を起こす努力ができるか否かが本当に大事だと思います。
やっぱり一番大事なのは“心”なんですね。
なので、今、日本にいて、ゆくゆくは韓国だったり海外で頑張りたいと考えている方々に、少しでもお役に立てたらいいなという気持ちもあるんです。それも含めて今年は日本での活動も増やしていきたいなと考えています。例えば日本でのレッスンだったり、番組出演だったり。今までよりも頻繁に行き来しながら、日本での活動も頑張っていこうかなと。
やはり、自分の経験や得てきたものを後進に伝えたいという気持ちもおありなんですね。
そうですね。今、韓国で振付師として仕事して、ダンサー/インストラクターとしてレギュラークラスも受け持っているような日本人って、私を含めても2人くらいしかいないんですよ。要するにモデルケースがほとんどないから、韓国で頑張ってみたいけれど、どうすればいいのかわからないっていう人も多いんですよね。
私もアーティストを目指していた時代、どの曲を歌えばいいのか、どうすれば自分の声に合っている曲を見つけられるのかわからなくて、結構先生任せだったりしたんです。でも、そういう時代があったからこそ、アーティストを目指している子にも今、アドバイスできることがあるでしょうし。
やっぱり経験ってお金で買えないものなので、現地での経験を積んできた自分だからこそ教えてあげられることもたくさんあると思うんですね。とはいえ、誰でも彼も教えてあげるのではなく、自分が育てていきたい子たちを固めてチームにして、その子たちをプッシュアップしてあげたいという気持ちが強いです。
そこは韓国に行って変わられたところかもしれませんね。渡韓当時は、むしろ一匹狼的な考え方だったのに。
そうなんです。やっぱり積み重ねが一番大切なので、そのためには一緒にやってくれる仲間でないと難しいなというのを最近感じているんですね。単発で1回教えただけで終わってしまっては、逆に責任感がないような気がするので、ちゃんと“自分の生徒”という形で継続的に教えてあげたいなと。
それとは別に、もう少し歩みを進めていて私と一緒に頑張ってくれる人たちを集めて育ててみるとか。そうやって2本柱でグループをやっていけたらいいですよね。
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