広告、アパレル、アーティストのツアーグッズまで、あちこちで目に飛び込んでくる印象的なタイポグラフィ。北山雅和さんのお名前を知らなくても、ひと目見れば「あれをデザインした人か!」と思い当たるはずです。
北山さんは「渋谷系」アーティストの音楽をヴィジュアルに拡張した信藤三雄さん率いるコンテムポラリー・プロダクションを経て、独立後もCornelius、cero、OKAMOTO’S、秦基博、GEZANなど数多くのCDジャケットを手がけ、主に音楽をホームとして活躍してきました。
圧倒的なインパクトと存在感を誇りつつ、同時にメッセージやミュージシャンの作品世界に寄り添う「TYPOGRAFFITI(タイポグラフィティ)」。2015年から展開する本シリーズはいかにして生まれ、育ってきたのかをうかがいました。
グラフィックデザイナー。Cornelius、青葉市子、GEZAN、OKAMOTO’S、cero、中納良恵など、音楽のジャケットアートワークを中心に、NHK連続テレビ小説『カーネーション』タイトルロゴ、21_21 DESIGN SIGHT “AUDIO ARCHITECTURE” 展のグラフィックなどを手がける。
2015年より‘TYPOGRAFFITI’と題した作品を展開。SEALDs、Perfume、METAFIVE、C.R.A.C.、河村康輔、adidas、UNDERCOVER MAD STORE、KEBOZ、岡村靖幸と多様なコラボレーションを重ねながら制作を続けている。
https://www.instagram.com/ktymmasakazu/
https://twitter.com/KTYMmasakazu
https://www.instagram.com/masakazukitayama_works/
https://whatishelp.com/
そっと置いていったものが、つながっていく
キャリアの前半はMdNのインタビューや書籍『LiGHT STUFf help! 北山雅和のデザイン 1993~2007』(P-Vine Books)に譲って、近年のお話をうかがってまいります。「TYPOGRAFFITI」誕生のきっかけはデモのプラカードだったそうですね。
はい。2015年に起こった安保法案の強行採決に反対するデモにすごく心を動かされたんですよね。たまたま同じころに、ギャラリーをやってる知り合いから「11月が空いてるんだけど、展示やらない?」って声をかけられたんです。
声をかけてくれたのは、もともとピチカート・ファイヴのマネージャーをやってた川崎あゆみさんっていう人で、僕がいたコンテムポラリーとピチカートの関係もあって、長い付き合いだったんですね。TOKYO ART BOOK FAIRをまだ外苑でやってたころで、中庭で友達と飲んでたらひゅっと現れて「北やん、展示やんない?」って。そうして、プラカードからの着想を落とし込んだ展示が、「TYPOGRAFFITI 1 – INVISIBLE – 」でした。
デモに行く人たちはプラカードを掲げるために使うわけですけど、作品化することで、まったく関心がない人も振り向かせられるかもしれない。だから、展示をやるたびにステイトメントを出したりとか、デザインから興味を持ってくれた人が、いつの間にか気がつくと社会や環境が気になっていたり、まずはなんだこれ?と手に取ってもらえるようなものを作れるといいなと思って続けています。
グラフィックとかデザインとかアートって、「次は何が来るんだろう?」「次は何が流行するんだろう?」ってどんどん期待されて、それに答えを出していくという側面もあると思うんですけど、僕はそれよりも、そっと置いていったものが結果的につながっていくようなやり方をしたいんです。例えば、僕がデザインしたPerfumeのアクリルキーホルダーを知っている人が僕のTYPOGRAFFITIを見たら、少なからず親近感が湧くんじゃないかな。結果オーライですけど、これは面白いと思っています。
サブリミナルにね。
そうそう。知覚の端っこをちょっとお借りするというか。「かわいいよね」と買ったり持ったりしてるうちに。
それがデザインの力ですもんね。
「力」って言うとちょっと難しくて、持ってしまうと持たざるものとの間に上下関係ができるじゃないですか。デザインでも大御所は偉そうになるし。そういうことじゃなくて、いつも隣にいるというか、生活のなかに入り込むイメージなんです。だから僕は誰よりも偉くないし、デザインができる人だから作ったものを置いとくけど、「好きだったら持ってって」っていう感じの関係でいられればいいなって思ってるんですよ。いま「力」っていう単語に反応しちゃいましたけど、常にそういうところに敏感でいたいんです。
そうした機能や働きをデザインの「何か」と定義するとしたら?
んー、役割みたいなことですかね。「係」というか(笑)。言葉をわかりやすく伝えるための翻訳みたいな。クラスに委員長がいて、議長がいて、書記がいたとしたら、僕らは広報係、デザイン係みたいなもんだと思ってます。僕はデザインができるけど、できない人より偉いわけではまったくないし、単に音楽が好きだから音楽に関わる仕事がしたくて、何かできるとしたらデザインか……っていう感じなんですよ。例えば、ミュージシャンにとっても僕はデザイン係です。作品はミュージシャンのものだから。
こだわるわけではないんですが、これだけアイコニックなデザインを生み出されると、どうしても伴ってくるものがありますよね。ブランドというか。そういうものにはどう対処されていますか。
そこは難しいな。対処できてるかどうかはわからないです。とはいえ冷静に判断というか検証すると、バズったりハイプ化してるわけではないから。例えば僕の作品が投資的に買われたりするようなことはまだ全然起こってないので、そういう意味では、全然ブランド的なものではないと認識してます。ただ、ある程度、「あ、あれいいよね」っていうものになったとすると、僕の規模感であれば、言葉が届きやすいようにするということに力を注ぎたいですね。ただ、 僕のスタイルを真似た「のようなもの」をやる人も少ないけどいるにはいて、そこも含めてどうしようかなっていうのはちょっと考えています。
愛をもって翻訳すること
最近はCDのデザインよりもタイポグラフィのお仕事のほうが多いですか?
展示は期日を決めてやるので、イメージとしては1年の3分の1ぐらいですかね、動いてる期間は。半分はやってないと思います。CDの仕事ははっきりと減ってきてますね。レコード会社もお金をかけなくなったし、若いアーティストは若いデザイナーとやったほうがいいし。クライアントワークと作品制作の比率は、半々よりもクライアントワークのほうがちょっと多いかな。デザイン仕事で生活費を得て、作品制作はトントンで続けていけるように、と考えています。本当にギリギリの自転車操業ですけどね。
90年代の信藤さんとコンテムポラリーのデザインって、さっきの北山さんのお話と通じるものがある気がするんです。すごく特徴的で、ひと目見て「信藤さんだ」とわかるんだけど、「俺の美学」を押しつけている感じじゃなく、クライアントワークとして成立している。絶妙なさじ加減がありました。そこで学んだものもあるんでしょうか。
すごくあると思います。信藤さんもそうですけど、中嶋佐和子さんのフリッパーズ・ギターのデザインとか、鈴木直之さんのピチカート・ファイヴの『ベリッシマ』のデザインにもすごく感化されていたので、とにかくあの会社に入りたいと思って、なんとか潜り込んだんですね、僕。だからそういう感覚はたぶん染みついてるというか、意識しなくても勝手にそうしちゃってるんだと思います。アイキャッチ的なものって言うとあざといけど、そういうものでありたいなとは思ってるというか。
信藤さんは、大衆との接点を見つけた人っていうのかな。音楽をヴィジュアルに翻訳というか、親しみやすいように手伝うというか。「俺が、俺が」っていうんじゃなくてね。僕は俺節があんまり好きじゃなくて、やっぱり作品が魅力的になるように、愛をもって翻訳することがいちばん必要だって思っているんです。音楽の文章も愛があると読んでて楽しいじゃないですか。「あぁ、こいつわかってんな」みたいな。そういうのが信藤さんにはあった気がします。すっごく音楽好きだったから。そこにいちばん影響を受けたかもしれない。
デザインってコミュニケーションだから、視覚伝達じゃないですか。「どう伝えるか」に意識的かそうじゃないかでだいぶ変わりますよね。主観として「こういうものをやりたいんだ」っていう一方的なデザインよりも、客観性と愛を込めて「こう見えたらかっこいいでしょ?」って届けたほうが、絶対にかっこいいものになるはずなので。
我々ライターの仕事に置き換えると、文体をどう調整するか、みたいなところに近いかもしれません。
ですよね。届け方のディテールは大事なはずなんですよ。だから僕は、パッと見の第一印象と、(パッケージを)触るとき、開けるときの展開とか質感、触感にも意識的に取り組んでいるつもりです。そのために余計なものはなるべく目立たないように整理することには、すごく気をつけていますね。情報を引き算して、ポンと主題が浮き上がってくるような見せ方をしたいっていう。
ご覧になる場合もそういうものがお好きですか?
いや、見る方は好奇心がくすぐられるものなら何でも大好きです。でも、確かに間(ま)があるものは好きですね。「よくこの空間でこの位置に置いたな」みたいなことに感動させられることはけっこうあります。質感に徹底的にこだわってるものとか。紙に限らず、工業製品でも建築でも映画でもね。
いまそれを聞いたのは、「俺が、俺が」をしたくないということには、もともとの性格も関係しているのかなとちょっと思ったからなんです。自己主張が強いタイプではないのかな、とか。
どうなんだろう。エゴがなかったら作品制作してないと思いますよ。「俺はこれが問いたいんだ」っていうところは、だいぶ時間はかかりましたけど、ちょっとわかった気がしてます。でも、やっぱりそこでも整理してる感じはありますね、頭の中で。偉そうな人がそれを語るとアートディレクションになるんでしょうけど、それは役割であって、できる人がやればいい話でしかないから。だからあんまりアートディレクションっていう言い方が僕は好きじゃなくて、とくにアートディレクターっていう言い方が好きじゃないんですよ。グラフィックデザイナーっていう言い方が好きかって聞かれるとそこも微妙なんですけど(笑)、デザインはやっぱ、ライターと一緒で「やる」ものだから。
いまのお話をうかがって思い出したのが、北山さんがかつて豆腐職人に憧れていたという逸話です(笑)。手作業をする、自分の手でものを作る人への敬意というか憧れというか……。
尊敬してます、すごく。ものを作ることって純粋に感じるんですよ。「どうやって儲けるか」みたいなよこしまな気持ちや、「これしかできない」というやむにやまれぬ理由もあるんでしょうけど、作ってる姿はすごく純粋に見える。学校を出て最初に入ったデザイン事務所で、広告の仕事をしていて、クライアントの意向やパワーゲームに振り回されるみたいなことに辟易していたので、たまたまテレビで見た豆腐職人さんがすごくきれいに見えたんです。信藤さんと最初会ったときにその話をして、「豆腐屋になるか、あなたのところに入れてもらうか、どっちかにします」「うちに入れなかったらどうすんの?」「豆腐屋になります」って(笑)。半ば本気でした。
デザインでもイラストでも農作業でも料理でも写真撮影でもそうですけれど、手を動かして仕事に打ち込んでいる姿って、人間がもっとも尊く、美しく見える瞬間ですよね。
そうそう。集中して打ち込んでる……何の話をしてるんだって感じになってきましたけど(笑)、そういうものは本当に好きです。だから、外からのいろんな力でそれを汚されたくないっていう気持ちがすごくある。僕らは僕らでそういうものを大事にしながら生きているんだから、っていう。それがいちばんの根っこですね。
知らないでいることをやめる
展示といえば、毎回新しい素材が入ってくるのが面白いですね。最初は透明アクリルで、次はミラー、3回めではアルミニウム。素材選びにもメッセージがあるんだと思います。
透明アクリルは単純に素材としてすごく魅力的なんですよ。自分がどういうスタイルで行くかっていうところに最初に合致したのがそれで。僕らの世代って透明なものに弱くないですか?
弱いですね(笑)。最初のiMacとか。
子どものころからプラスチックにすごく感化されてきたんですよ。プラモデルとかミクロマンとかサイボーグ1号とか、みなさん調べてもらえばわかりますけど、魅力的なおもちゃがいっぱいあって。そこに育てられたから、やっぱり「もの」が好きなんですよ。2次元から出て、ものに近づきたいっていう動機でアクリルは選んでます。
ミラーの魅力は単純に「映る」ということですね。作品を見ると自分が映っちゃうじゃないですか。言葉を見ているはずが、気がつくと自分の顔を見ている状況を作れるって、すごく面白い素材だと思うんですよ。ガラスに銀を貼ったものだと割れやすいから、アクリル製のミラーですけど。
アルミニウムは友人たちと話しているうちに、サステイナビリティという問題にぶち当たった結果として選びました。政治的なメッセージも出してるような人間が環境の問題に無頓着ではいられないというのもあるし、100%は難しいけど、何か少しでもましにできるものはないかなっていうところで出会ったのがリサイクル率94%のアルミニウムでした。作品としての機能を終えた後も、94%は生き返らせられるというのがいいなって。なるべくその比率を上げていきたいので、アクリル作品は今後減っていくと思います。
素材のこともステイトメントに書いたりしてるんですけど、そこでちょっと意識が変わる……とは言わなくても、「アクリル、プラスチックだよね」みたいに、どこか心の隅に置いといてもらえればいいかなって。
なるほど。それぞれ明快な理由があるんですね。
あと、妻の実家が葛飾で板金加工をやってて、義理のお兄さんに「アルミでこういうの作りたいんだけど」って相談して「あ、できるよ」みたいなことから始まってもいるんで、家内制手工業もテーマになっているという。下町にお金を回すっていうことも考えて、塗装も近所の業者さんに頼んでもらったりしてるので、妻の実家に帰ると作品ができるみたいな(笑)。そういうのも面白いなって考えてます。
ご自分ひとりで完結するんじゃなく、まわりの人たちとの対話を通して作品の質が変わっていくのがいいですね。
7割わからなくても、3割惹かれるところがあれば、その3割を聞きに行くんですね、僕は。そこから得るものがあれば、自分が何か表現する際の力になるというか。関係を絶やさずに、持ってるものを互いに共有し合うという感覚をみんなに持っています。まわりにスペシャリストがけっこういるので、知らないでいることをやめようっていうか、興味を持ったら知って、知ったことは次から改善すればいいと。それをみんなでできれば、全体としてのポテンシャルはどんどん上がっていくはずなので。
人とコミュニケーションすることに抵抗感がある人もいますけど、北山さんはそういうタイプではないんですね。人嫌いではない。
むしろ小さいころのこととか思い返すと、たぶん僕はすごく人が好きなんですよ。大好きで、じゃれ合いたいんです(笑)。でも成長するなかでいろいろ傷つく経験もして、信用できなくなりますよね。構えちゃうというか、壁を作っちゃう。そのせいで大人になったときコミュニケーションに障害が出るんですけど、本来の自分はじゃれ合いたいので(笑)、学習の成果を活かして、大丈夫そうな人とはなるべくじゃれ合うようにしたい。
もちろん大人になっても傷つくことはあります。僕もここ何年かでいろいろあって、ちょっと苦手になったこともありますけど、それを超えてくるやつが何人かいて、そういう人に支えられてるっていうか、「あ、まだ捨てたもんじゃないな」って思える「こういうやつがいるんだったら、まだ信じてもいいかな」みたいな、手綱というか蜘蛛の糸みたいなものをより集めて、風船が1個だったら飛べないけど、10個あったらちょっと足が浮くみたいな感じで、生かしてもらってる感じもありますね。自分ひとりじゃ抗えないですから。
わかります。信じたいですよね、人を。
うん、すっごく信じたいです。とにかく信じさせてくれって思ってます。
最後になりますが、12月からまた展示があるんですよね。
いま新作をつくっています。11月18日から12月4日まで鹿児島でアーカイブ展「MASAKAZU KITAYAMA TYPOGRAFFITI 1-4」があって、それは2015年からやってきたのをコンパクトに俯瞰する内容です。12月8日からは東京・代官山のALで「TYPOGRAFFITI 4」をやります。もしご興味を持たれたら、見に来てもらえるとうれしいですね。
撮影/中野賢太(@_kentanakano)
インタビュー/高岡洋詞、文責/星隆行(FREENANCE MAG)
ピンチにも、チャンスにも。ファクタリングサービス
「FREENANCE即日払い」
https://freenance.net/sokujitsu
▼あわせて読みたい!▼