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これからのフリーランスに必要なのは「売る力」と「AIスキル」。木内翔大(SHIFT AI)インタビュー

これからのフリーランスに必要なのは「売る力」と「AIスキル」。木内翔大(SHIFT AI)インタビュー

幼少期からプログラミングに触れ、学生時代にフリーランスエンジニアとしてキャリアをスタートさせながら、日本初のマンツーマンプログラミングスクールを創業し、現在はAI(人工知能)のビジネス活用を学ぶことができるコミュニティ「SHIFT AI」を運営する木内翔大さん。

大作ゲームの監督になることが夢だった生粋のゲーム少年が、いかにして「日本をAI先進国に」というテーマのもと、AI普及に尽力するようになったのか? その根源にある未来へのビジョンと来るべき「シンギュラリティ」、そしてAIの可能性と社会にもたらす影響について、お話をうかがいました。

profile
木内翔大(キウチショウタ)
大学時代からフリーランスのWEB・AIエンジニアとして3年ほど活動。その後、2013年に日本初のマンツーマン專門のプログラミングスクール 「SAMURAI ENGINEER」を創業し、累計4万人にIT教育を行った。2022年3月に株式会社10Xを設立し、「日本をAI先進国に」を掲げAIのビジネス活用を学べるメディア・コミュニティ「SHIFT AI」を運営。
https://twitter.com/shota7180
https://lp.shift-ai.co.jp/

エンジニアとしての目覚めは『ストII』

木内翔大(SHIFT AI)

プロフィールを拝見させていただいたところ、なんと10歳のときからゲームプログラミングをされていたそうですね。

もともと内気な子どもで、学校から家に帰ったらゲームをするのが大好きだったんです。ファミコンとかスーパーファミコンとかで、『ストリートファイターII』とか『スーパードンキーコング』とか、当時ヒットした作品をやってました。

どのへんのジャンルがお好きだったんですか?

アクションゲームが好きでしたね。RPGは僕には難しすぎたので(笑)。で、小学校4年生のときに父親が古いパソコンを――確か最初はWindows95だったかな。それを譲ってくれて、パソコンでもタイピングゲームとかで遊ぶようになったんです。出てくるゾンビをタイピングで倒していくようなゲームで、それでタイピングスキルとか、ローマ字入力とかの基本的なパソコンの操作方法を学んで。

そしたら5年生のときの担任が、パソコンの授業の先生でもあったので「ゲームが好きでパソコンも触れるんだったら、ゲームを作ったらどうだ」って言ってくれたんです。それを聞いて「ゲームって自分で作れるんだ!」ってビックリして、じゃあ、やってみようかと思ったけれど、教えてくれる人が全然いなかったんですよ。先生にも「俺もプログラミングはできないから、教えられない」って言われたんで、図書室に行って本を読んで、完全に独学で勉強していったんです。

すごい。最初に作ったゲームって、どんなものだったか覚えてます?

ゲームを作るツールを使っての、いわゆるアクションゲーム、シューティングゲームとかかな。ただ、ツールのサンプルを編集しただけだとスピードが出ないので、調べてみると、自分でプログラミングすれば速度が出るということがわかったんです。でも、プログラミングするためにはプログラミング言語を知らないといけない。それで、まずはBASIC、BASIC系列の他の言語と学んでいって、速度を求めていくうちにC言語とかC++も小6とかでやってましたね。言語の難易度が上がると、パフォーマンスも上がるので。

そうして小学生、中学生時代はゲーム作りに熱中していったんですね。

はい。当時は終業のチャイムが鳴ったら速攻で家に帰って、もう寝るまでプログラミングやってましたね。トイレもなるべく我慢して、ご飯も食べなかったんで体脂肪が3%ぐらいまで減ったり、膀胱炎になったりしてました。そこは脳の性質というか、ADHDなんで過集中の症状が出たんだと思います。トイレ行くときは、もうタイムアタックなんで、コーナーを回るときに壁とかにぶつかりながらダッシュしてました(笑)。

中学生男子でゲーム好きだったら、それこそゲームセンターに行って、友達とワイワイ遊ぶようなイメージですけど……。

それは陽キャの発想ですよ(笑)。ゲームは一人でやった方が楽しいし、一人で作った方が楽しいし、要はPDCAなんですよね。僕が今でも好きなジャンルが「死にゲー」って言って、一面クリアするのに100回ぐらい死んじゃうようなゲームなんです。つまり、自分のプレイヤースキルが伸びていかないとクリアできないから、PLAN(計画)して、DO(実行)して、CHECK(分析)して、ACT(改善)するPDCAのサイクルを繰り返していくしかない。その結果、自分のプレイヤースキルが伸びる=自己成長を楽しめるんです。当時はインターネットでゲームを公開できる場もそんなに無かったので、パソコンにインストールして友達に遊ばせてたくらいでしたけど、基本的に自己満足なんで。自分で自分の世界を作れることが、何より楽しかったんです。

「ゲームを作る人」から「ITサービスを作る人」へ

木内翔大(SHIFT AI)

なるほど。そして14、15歳のころには、ゲームのAI開発まで始められたとか。

最初は2Dのシューティングゲームを作っていたのが、ゲームのトレンドが3Dに移行したのに伴って、自分も3Dのゲーム開発をするようになったんです。3Dになると難易度が跳ね上がるんで、高校数学を頑張って覚えて。さらに3Dのアクションゲームを作ろうとしたんですけど、プレイヤーが自分一人しかいない場合、敵をパソコンの側で動かさないといけないですよね。その敵を動かすプログラミングが、ゲームAIプログラミングなんです。

そこまで追求していたら、当然、将来の夢は「ゲームを作る人」になりますよね。そのために、まずはゲームメーカーへの就職を目指しそうなものですが。

実際、6年生のときから夢は「ゲームの監督になること」で、総予算数十億円とかで何十人、何百人のクリエイターを指揮しながら大作を作りたいという目標がありました。人を感動させるようなゲームを作って、人の考え方や人生を変えて、より幸せにしたいなって。それは18歳まで続いていたんですけど、トイレに入ってるときに「これからのゲーム業界って、ソシャゲのほうに行くな」って、ふと思ったんです。

いわゆる課金をするタイプのオンラインゲームですね。

家庭用ゲーム機で遊ぶコンシューマーゲームが最初に数千円のソフト代金を払うのに対し、スマホやパソコンでやるソーシャルゲームは無料で始められる代わりに後から課金するシステムなんで、どのタイミングでお金を払うかというだけの違いなんですけどね。ただ、今後はコンシューマーゲームではなく、人間の射幸心を煽るようなソシャゲのほうの開発に軸足が移るだろうから、そうなると数十億かけて人を感動させるような超メガタイトルの監督になれるチャンスは、限りなく小さくなる。既存のコンシューマーゲームのメーカーには、既に名監督が何人もいるし、市場がこれ以上大きくならない中で、きっと彼らには追いつけないだろうなと。

とはいえ、人に感動を与えて人を幸せにしたいという目的を考えると、じゃあ、ソシャゲの方に進もうとはならなかったと。

そうです。じゃあ、業界を変えて、その目的を達成できるもの他にないか?と考えたときに、ITサービスの提供に行きついたんです。ゲーム監督だったら就職して、出世して……という手順が必要ですけど、ITサービスを作るんだったら、自分で起業すればいいだけなんでシンプルですし。そこから情報系の大学に進んで本屋に通い、IT業界だとかビジネスや経営者の方とかの本を読んで、知識をつけていきました。

特に、イーロン・マスクの本には感銘を受けて、彼の「人類に貢献するサービスを作る」という考え方に、こんなヒーローみたいな経営者がいるんだ! こういう人になりたい!って思ったんですよね。もともとテクノロジーで戦争をなくすとか、テクノロジーで人類の危機を救うみたいなことに憧れがあって、というのも8歳くらいのとき、父親に「なんで人間って未だに戦争するの? ばかげてない?」って聞いたことがあったんです。そしたら「そこにはエネルギー利権が絡んでいて、核融合エネルギーが実現すれば解消するんだ。それが2050年か60年か……」と言われて、「じゃあ、僕、核融合エネルギーやる!」って即答するような小学生だったんですよ(笑)。

お父様もすごいですね!

ちょっと変わり者というか、ニートだったんです。別に意識高い系とかじゃなく、資本主義からドロップアウトして、いろいろ世の中のことを調べてる思想家みたいな人。その流れもあって、ゲームというエンタメを作って人に感動を与えるというベクトルから、役に立つサービスを作って人類に貢献するという方向に、憧れがシフトしたんですね。もう一つ、18歳のころに大きな出会いがあって、それが「シンギュラリティ」なんです。

シンギュラリティとは?

レイ・カーツワイルが2006年に発表した『ポストヒューマン誕生』で提唱した概念で、具体的に言うとAIの知能が二次関数的に高まっていき、人類を超える「技術的特異点」のことですね。シンギュラリティが来ると、AIがAIを開発していくようになって進化のスピードが急加速するから、お金の価値が薄まってくるんですよ。エネルギーとか食料とかのコストも下がり、働かなくてもお金が手に入るようになるんで、みんながハッピーになる。労働からも戦争からも解放されるユートピアが訪れるという説ですね。それが2045年に来ると言われていたんですけど、僕自身15、16歳のころに今の生成AI技術の手前にあるディープラーニング、その前身になるようなニューラルネットワークという基礎技術に触れていたんで、その説も腑に落ちたんです。その発展を助ける事業ができれば、人類に貢献できるんだろうなと思ったんですよね。

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