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傷つく覚悟を持って生きる。大田ステファニー歓人『みどりいせき』インタビュー

大田ステファニー歓人 FREENANCE MAG

不登校寸前の高校生・翠が小学生のころバッテリーを組んでいたひとつ下の春と再会し、あれよあれよの間に怪しいビジネスに巻き込まれていく──大田ステファニー歓人さんのみどりいせきは、そんな物語を《ギャルピ》《バビ公》《チキる》などのスラングや若者言葉を満載した独白体と圧倒的なグルーヴ感で一気に読ませます。

第47回すばる文学賞(受賞者いわく《スーパーすばるちゃん人形》)を受賞した『みどりいせき』ですが、公式サイト(※)で読める「受賞のことば」や贈賞式でのスピーチ、すでに世に出ているインタビュー記事に触れると、作者の人となりにも大いに興味が湧いてきます。

みどりいせき | 集英社 文芸ステーション

『みどりいせき』

選考委員の金原ひとみさんをして《私の中にある「小説」のイメージや定義を覆してくれた》と言わしめた『みどりいせき』を、若き作家はいかにして生み出したのか。また、執筆のかたわらゴミ清掃員としても働いているという彼にとって、ダブルワークにはどんな意義があるのか。FREENANCE MAGならではのテーマを携え、5月には父親になる(おめでとうございます!)というステファニーさんに会ってきました。

profile
大田ステファニー歓人(オオタステファニーカント)
1995年東京都生まれ。2023年、『みどりいせき』で第47回すばる文学賞受賞。
https://twitter.com/ill_big_donuts
https://www.instagram.com/illbigdonuts

いかに自分のイメージ通りの文章を書くか

大田ステファニー歓人

どうしてこの文体を選ばれたのか、とにかく興味が尽きません。

先に話を考えて、直す作業のときに文体をより過剰にしていったんすけど、文体と物語って緊密に関係し合ってるじゃないすか。話を作ってる段階で、書きながら生まれてきたイメージとか印象を伝えるために、語りを主人公の一人称にしていった感じですね。『みどりいせき』に要請を受けて文体がこうなったっていうか。

金原ひとみさんとの対談(※)で《自分の心の書くことをすくい取って、三人称に直さずに出している》とおっしゃっていましたが、物語が一人称で浮かんでくるんでしょうか? それとも物語の登場人物の中から主人公を選んで一人称で書いていく感じ?

すばる文学賞受賞作『みどりいせき』刊行記念対談 金原ひとみ×大田ステファニー歓人「ひとみ姉さんの本みたいに人の支えになるものを俺も書きたいっす」 | 集英社 文芸ステーション

一人称だとやっぱ人物への踏み込み方が変わってくる。そいつの目を通して物語の世界を見渡すんで。だから、主人公を表象したいっていうよりかは、自分の焦点は全体に当たってて、それを一人称のフィルターを通して眺めたい欲望がある。翠は右も左もわかんないとこからまったく知らない世界にぶち込まれて、戸惑いがある。それを三人称でやるよりかは一人称でやったほうが臨場感のある戸惑いになるんじゃないかっていう。下組みみたいのが出来上がってから、そこまで悩まずに語りは一人称になりました。

そうするとけっこう時間と手間がかかったんじゃないかという気がしますが……。

書いたのは3カ月くらいです。下組みを作るのは大変ですけど、あんままとめずにバーッて吐き出す感じで、削って形にしていくほうが時間かかったっすね。下組みに1カ月、直しに2カ月ぐらいの割合です。三つのセンテンスをひとつのセンテンスにしたりするときに、文章自体の中でうねりみたいのが生まれたりするんで、直しの段階で文体はある程度できました。

例えば「してた」と「していた」みたいな、とても繊細な言葉の調整が印象的でした。

調整っていうほどかしこまった感じじゃないですけど、いかに自分のイメージ通りの文章を書くかとか、読んだときの感覚をいかに自分の思い通りにするかっていうところへのこだわりが、たぶん「していた」とか「してた」になってますね。視点も語りも主人公だから、高校生が内省するときに「していた」とはならないけど、誰かの動きを観察したりすると「彼は何をしていた」とはなるな、みたいな。「してた」とか、文章のセオリー的には子どもっぽいから他の人はやらないと思うんですけど、子どもの話なんで(笑)。

それがリアルでよかったんですよ。勢いを感じる文章で、意識の流れに任せて書いちゃったようにも見えますが、とても精緻に構築された感じもします。ご自身としてはどちらの意識が強いですか?

組み立てるのは後からやってるんで冷静なんですけど、流れも組み立てるときにできるもので、流れにぶち込まれたときにどうなるかを、人間の生理的な気持ちの動きとして書こうっていう。あんま飛躍すると「こいつ、なんでこんなことしてんだろ?」ってなっちゃうんで、いちいち自分の集中力のために流れを作ってる感じですかね。淀まないように、みたいな意識はありました。

序盤は文体の勢いで読まされるような感じで、途中から物語が前面に立ち上がってくる印象を受けたんですが、これは狙い通り?

というよりかは、物語の構造的な要請ですね。最初は主人公が孤立してるんですよ。で、わちゃわちゃしてるところに入り込む。孤立してるときはひとりだから単純に内省が多くなる。でも人といると人の様子を見たり、会話があったりするから、より明確な流れが伝わりやすくなるっていう。小説のドラマは人間模様も大事なんで。

「人に傷つくこと」を前提に

大田ステファニー歓人

小説のインスピレーションになったものは何かありますか?

恋愛じゃなく人間同士として絆を育んでく、もしくは取り戻す過程を描きたいっていうのも、出発点の要素のうちの一個でした。恋愛感情とか性欲のせいで友達がいなくなっちゃったりって、もったいないな、って。

男女の恋愛じゃない絆を描いた物語は、最近少しずつ増えている感じがします。昔は男女のペアが出てくると必ず……。

キスしたり。今は男女関係ない恋愛の形も描かれるけど、人間関係に必ず必要なものじゃない。

そうそう。

単純に人生の中でそこまで恋愛や性欲が割合を占めてなかったというか、熱量がなかったのかもしんないですね(笑)。書きたくないっていう気持ちもあったと思います。

それも物語上の要請ですね。その話とちょっと関連するんですが、途中まで春が女の子であることがわからなかったんですよ。

それはたぶん作者の表現力の問題なんじゃないかなっていう気が(笑)。

いやいや、逆にそれを狙ったのかな?と思いまして。

一応、スカートがふわってなったりとかするけどそんなん誰が履いても別にいいし。

野球のピッチャーで、翠が「にょーぼ役」(キャッチャー)ですし。

春にピッチャーやらせたかったかもしんないです。もし男と同じ熱量で野球好きで「ずっとやりたい」と思っても、環境的に終わりが来るのは比較的に早い。春が、女だから野球を辞めた、のかどうかは想像に任せるけど、男に適した社会作りがされてる中で、男のためのサインに首振るやつが出てきてもいいだろみたいな(笑)。

大田ステファニー歓人

取材とか感想でも、恋愛がないことや性的な認識を曖昧にしてることをけっこう扱ってもらえますけど、でも書くときはそこまでそこに意識を割いてはいなかったですね。そもそも下組みの段階でそういう要素が盛り込まれてなかったから、いらないって思ってた部分なのかな。

単に僕がエンタメの恋愛要素に辟易しているから強く反応しただけなのかもしれません。

取材で答えてくうちに、自分もその気持ちが強くなってるかもしんないっすね。書いてるときにはあんま意識に上ってこなかったけど、絶対にあったと思います。

学校という体制の外に世界を持っている子どもたちが主人公ですよね。ステファニーさんご自身も学校に馴染めない子どもだったそうですが、ご自分の青春に決着をつけるみたいな意識もありましたか?

当時は人付き合いにあんま誠意を持ってなくて、自分に都合悪い人には近寄りたくなかったし、損得で人を見てたし、単純に学校行くのめんどくさかったし。傷つくのもイヤだし。

人と関わんなきゃ傷も生まれない。けど、人生のドラマも生まれないんですよね。他人を通して自分を知るわけだし。だから、傷つく覚悟を持って生きると、傷つくのを避ける人生より、いろんなことが経験できんじゃないかな、って。主人公がその覚悟を持ってるかは判断委ねるけど、変な状況に巻き込まれてはいるじゃないですか。もし自分の過去が影響してるなら、もっと傷だらけになってもいいんじゃない?みたいな気持ちはあるっす。

ひとりでいると傷つかないけれど、何も起こらない一方で……。

人といると疲れるけど、相手もそう。でも何かしらつながりが生まれる。出会う人みんなと仲よくしたほうがいいとかは思わないすけど、自分ひとりで生きれるわけじゃないじゃないですか。人間関係に限らず、傷つかずに生きるのってもしかしたら不可能なんじゃないかなって思う。どうせ傷つくから、あんま気にしない。人は裏切るし、自分も約束破るし。だから信用することに意味が生まれる。

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