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筑紫書体の魅力は、普通じゃないところ。書体デザイナー藤田重信インタビュー

筑紫書体の魅力は、普通じゃないところ。書体デザイナー藤田重信インタビュー

新聞、書籍、インターネット、テレビ、商品パッケージなど、生活の中で印字された文字を目にしない日はありません。目を捉え、情報を伝え、感情や空気や温度をも伝える文字を見やすく、美しくデザインするのが書体(フォント)デザイナーです。

藤田重信さんは2004年の「筑紫明朝」を皮切りに、フォントワークス株式会社で多くの書体を開発してきました。「筑紫明朝」「筑紫オールド明朝」「筑紫丸ゴシック」など、ブックデザイナーやグラフィックデザイナーに愛される書体がたくさんあります。

筆者は筑紫書体シリーズから人間くさい情感や生き物っぽい躍動感を受け取りますが、2016年に藤田さんを取り上げたNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』のサイトには《藤田の文字は美しくも独特な “異端の文字” と評される》とあります。その “異端の文字” はいかにして生まれたのか。今年1月に刊行された『筑紫書体と藤田重信』(パイ・インターナショナル)を読み込み、福岡におられる藤田さんにリモートでお話を聞きました。

profile
藤田重信(フジタシゲノブ)
1957年福岡県生まれ。筑陽学園高校デザイン科卒。1975年、写真植字機の株式会社写研文字デザイン部門に入社。1998年、フォントワークス株式会社に入社し、筑紫書体ほか数多くの書体開発をする。「筑紫オールド明朝」「筑紫丸ゴシック」で2010東京TDC賞を受賞。2016年、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演。
また 「フォントワークスUDフォント」が、IAUDアウォード2016 銀賞を受賞。筑紫書体シリーズが、2017年グッドデザイン賞を受賞。著書に『文字のデザイン・書体のフシギ』(2008年刊、左右社)。「筑紫オールドゴシック-B」「筑紫アンティークゴシック-B」「筑紫アンティーク明朝-L」「筑紫Q明朝-L」「筑紫Aヴィンテージ明朝-R」「筑紫Bヴィンテージ明朝-R」で、2018東京TDC賞 タイプデザイン賞を受賞。
https://fontworks.co.jp/company/designer/fujita/
https://twitter.com/Tsukushi55

書体デザインが出来るまで

『筑紫書体と藤田重信』刊行記念トークイベント
※『筑紫書体と藤田重信』刊行記念トークイベントレポート
2024年2月13日(火)青山ブックセンター本店
登壇:藤田重信/川名潤/松村大輔(パイ インターナショナル)

素人丸出しの質問で恐縮ですが、書体のデザインというのは具体的にどんなふうに進んでいくのでしょうか。

私は株式会社写研からフォントワークスに移ったんですけど、その間にアナログからデジタルへの転換がありました。写研時代の前半は紙やフィルムに原字というのを手で1文字1文字書いていくんです。本文用だと48ミリ、見出し用の太い書体だと80ミリ原字。標準的な搭載字数は5~6千文字ぐらいかな。6人ほどのグループで作っていたんです。1998年にフォントワークスに移ったときは、PCでデザインする時代になっていましたが、業界全体では、まだ下書きはアナログでしたね。それをスキャニングして画像にし、フォントグラファーというPCソフトのバックレイヤーに画像を置き、マウスでパス引いていきながら文字を作成していました。

仮名は五十音というぐらいなんで大した数じゃないんですけど、漢字はStdでも6〜7千字ありますから、手分けして作ります。初めに私の方で色んな「偏」や「旁」が入っている漢字300文字を制作するんですが、かける期間は1〜2カ月ほど。ここでしっかりデザインを固めます。この期間はデザインに試行錯誤しながら時間をかけて作る感じですね。300文字というのは筑紫書体を作るときの外注者との関係で決めた文字数で、特に業界の標準でもなんでもありません、他社さんは500文字ほど作られているところもあるようです。

たくさんある漢字のどこまで直接手がけられるのかが知りたかったんですが、300字が基本なんですね。

はい、300文字です。この300文字を元に、残りの6〜7千文字を漢字担当の外注者が1年ほどで制作し、その間に私はひらがなとカタカナ、英数字を作ります。出来上がったら今度は、それを元に外注者に記号を作ってもらいます。文字コレクションによって必要な文字の数が違いますが、Std範囲の記号で、1カ月ぐらいでこちらに上がってきます。

1年後に漢字が上がってきたら、私は1文字1文字、全ての文字を「仕上げ」と言う検査・修正をしていきます。書体見本として300文字があっても、作る人が変わると(自分でない)その人の性格や特徴、また微妙な解釈の違いが表れます。そういった箇所を検査しながらここは違うな、ここはもうちょっと、とか修正していくんですよ。また自分自身も1年経っていると「やっぱりここはこうしたほうがいいな」と考えが変わる場合もあるんです。通常3〜4カ月で完了させるのですが、大きなデザインの変更を加えた場合は丸2書体分を作れるほどの時間がかかることもありましたね。すべてが順調なら、筑紫書体はだいたいStd範囲であれば1年半で1書体できます。

開発中の書体のサンプルをXでシェアされていますが、同時進行でいくつか作っていらっしゃるんですね。

いまはむちゃくちゃ同時進行していますね(笑)。以前はこんなになかったんですけど、結果としてそうなっちゃっています。

その場合はできたものからリリースしていくみたいな感じですね。

私がほぼ手を入れないところもあります。例えば書籍用には、約2万文字必要なんですよ。JISコードでいうと第1水準、ここは使用頻度が高いんでしっかり検査・修正をします。第2水準もそれなりに見ます。それ以外の文字は、作ってくれた漢字担当の外注者もその道のベテラン揃いなんで、もうお任せするんですよ。文字の使用頻度も考慮し改めてデザインの検査をしない文字もあります。

文字コレクション、文字セットに関しては、日本にはJIS規格がありますけど、アドビさんがまとめてこられたんですよ。書籍を組もうとすると文字が足りないから、出版社から足りない文字の情報を得て、「これだけの文字があれば出版に使えますね。じゃ、ここをPro5とします」という感じで想像します。新聞社だと「もうちょっと入れないと足りない」ということで、「じゃあPro6は23,058字にしよう」と、どんどんふくらんできたんだと思います。それでも100%網羅することは難しいでしょうね。写真植字の時代は印刷会社の担当者やデザイナーが無い漢字を作字していた、なんて聞きますよ。いまはどうされているのかわかりませんけど。

「明朝体ってトラッドじゃん」

藤田重信

少年時代から活字や写植に関心があって「俺の書体を作る!」と大志を抱いて写研に入社されたのかと勝手に思い込んでいたんですが、ご本を読むとそんなわけではなかったそうで、意外でした。

人より少し長けていることが絵を描くぐらいしかなかったんで、高校進学のときに家の2駅先にあった学校のデザイン科に進んだんです。レタリングが得意だったんですけど、先生たちはちゃんと見てくれていたんですね。ある日、ホームルームの授業中にデザイン科の先生が入ってきて、写真植字機研究所(のちの株式会社写研)から求人が来ていたらしく「藤田、行かないか?」って言われたんですよ。「どこにあるんですか?」「東京」「地元を出る気はないです」って断ったんだけど、1カ月後ぐらいに担任の先生からまた同じことを言われましてね。

私は地元を出る気はなかったんですけど、クラスメイトに聞いたら、ほとんどが東京や大阪に大学や就職で試験を受けに行くって言うんですよ。なんだ、ここに残っていても面白くないし、「じゃあ出るか、俺も」って思って、写真植字機研究所の入社試験を受けてみたら採用されたんです。

入ったら朝から晩まで、とにかく文字のデザイン。これが面白いんですよ。あっという間に時間が過ぎて、「え、もうお昼?」「もう夕方?」みたいな。そういう意味で、いい仕事についたなと実感していました。

ところが、私の後の代から写研は美大から人を採るようになったんです。それまで文字デザインは職人の仕事という雰囲気だったけど、コンピューターが入ってくる時代で、そっちにも強い人がいいということになってね。ご存じだと思いますけど、今田欣一さんとか鳥海修さんとか。彼らは自分の書体を考案して世に出したいという野望みたいな熱意があって入社されたのですよ。自分は学校の先生に「レタリングがうまいから」って薦められて入ってきて、なんかよくわからんけど熱中できるいい仕事だ、っていうだけだったから。

写研には「石井賞創作タイプフェイスコンテスト」というコンペがあって、社内の人も勤務時間外にやれば自由に出品できたので、みんな毎回出すわけですよ。人によっては複数の作品を出してたんじゃないかな。私は私は周りの目が、課長の目が……周りの同調圧力みたいなもので3回に1回くらい出品するぐらいでした(笑)。それより頭の中は洋服のことでいっぱい。トラッドファッションに夢中で、服飾雑誌を端から端までなめるように読んでいました。

20代は会社の仕事とファッションに明け暮れていたわけですね。

文字にまったく興味がなかったわけではないんですけどね。入社した1975年がちょうど本蘭明朝-Lがリリースされた年でした、しかし最初にマスターしなさいって言われたのが石井明朝だったんですよ。先代の社長の石井茂吉が作り上げたもので、石井明朝イコール写研という感じです。そのお弟子さんの橋本和夫さんが作ったのが本蘭明朝-Lでした。

本蘭明朝はウェイトL(ライト)が主体なんですよ。石井明朝の主力はM(ミディアム)、もうちょっと太いウェイトだった。本蘭のLは縦画と横画の太さがあんまり変わらなくて、いい意味で軽さがあったんですよ。石井明朝は横画が細くて、縦画はMだとしっかり太いんで、重量感があって。細ゴシックに明朝の鱗がついたみたいな本蘭明朝は、石井の仮名にはある情感があんまりなくてクールなんだけど、フトコロが広いから明るいんです。これが当時、若い僕らが求めたものに合っていた。石井の情感がこもった仮名は「ちょっと時代に合わないな」と思ったんですよ。

ところが、入社10年目のある日、1955年に生まれた石井明朝のオールドスタイル、MM-OKLのひらがなの「み」を見たときに、筆さばきの軽やかさと巧みさが私の琴線に響いたんですよ、それに骨格の無比な美しさに気づいたんです。30cm眼前の美女の衝撃とでもいいましょうか、ただただ美しく見入ってしまうんですよ。その後それまでいいと思っていた本蘭明朝のLの「み」を見たら、固いんですよ。筆がひゅんひゅんと動いている感じじゃない。本蘭明朝をLで組むと、テキスト面が薄い美しいグレートーンになるんですが、MM-OKLで組むとデコボコして濃度ムラがあっちこっちに出てくる。いわば本蘭明朝は、面で見せる爽やか清潔な「美」。石井明朝はただハマっていく美しさで、全然違うんだと感じたんですよ。

で、なんでもそうだけど、人間ってハマるほうが強いんです。そこで「本蘭はもういいや」みたいになっちゃった。本蘭の美しさはわかるけど、表面的で深みがないんで、そこで終わっちゃうんですよ。でも石井は、面としての均質な美しさはないけど、文字に視線が触れるたびに、心の琴線に触れるわけですよ。見るほどに深まっていく、ハマっていくという。

ハマっていく美しさ。示唆的な言葉です。

もうひとつ、そのときに気づいたことがありましてね。さっき話した通りトラッドファッションに夢中だったんで「伝統」っていう言葉が好きだったんですけど、「明朝体ってトラッドじゃん」って思ったんです。明朝体ってたどっていくと500年、金属活字から数えると150年の歴史があるから、よけいに自分にピタッと来た感覚がありました。30歳ぐらいのときですね。

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