己との向き合い
天真「これから自分は……どうしていきたいのだろうか」
タカラヅカを卒業してから激動の約1年半だった。
サラリーマンになったと思えば脱サラしてフリーランスに。在団中より忙しく過ぎ去る毎日。その間に関わらせて頂いたひとつひとつの案件について思い返していった。
「出演すること」
人生の中で一番長く続けてきたことだから、「何をすれば良いのか」自分の頭で考えられる部分も多い。
ただ、出演するイベントの台本や楽曲を覚えるのは、続けてきていても多少の時間を要する。そして本番後はハイになっているのでなかなか寝つけない。
その結果、次の日は灰になっている。
でも、このキツさは、過去に体験したことがある、いわゆる「知ってる疲労」の範疇なので精神は擦り減らない……問題はスタミナが年々減っていることだけだ。
「企画書・資料作成」
表現者を生業としていた自分は、「だまってオレの表現を見ろ!オレはこの表現にすべてをブツける!」というような意気込みで生きてきた。この意気込みが、企画書作成時に、
天真「詳しくは……お・た・の・し・み♪」
みたいな嫌ぁ~な感じで滲み出てくることがある。そんな企画書に誰が賛同すんだって話。
かといって片っ端から説明していくと恐ろしいほどのボリュームになるし、提案する相手の「部署」によって、掘り下げてほしい箇所は違うし……。
作り続けて痛いほどわかったが、万人が理解でき、納得し、賛同したくなる企画書を作ることは……マジで難しい。
「脚本執筆」
自分が書き手としてどんな作品にしたいのか。そしてそれがきちんと演者とクライアントに届いているか。この力が弱かったから、メンタルだけが疲弊していった。
脚本を書くことで、その作品を褒めてくれる人もいた。けれど結局その誉め言葉は、作品ではなく
「元タカラジェンヌが脚本も書けるなんてすごいね」
という部分にかけられたものなのだと思う。
……本当に本当に悔しい。
宝塚音楽学校の試験に落ちた時よりも、在団中小劇場公演の選抜に落ちて3か月間休みだった時よりも、台詞を忘れて棒立ちになった時……よりも。自分が生きてきた中で一番悔しいと思える出来事だった。
こうして思い返してみると、どの分野も自分には向いていない気がする。
でも、だからこそ、このままでは辞められない。
天真「チカラを付けるしか……無ェんだ」
冬の海岸を歩き続けて1時間半……由比ヶ浜の海岸で、ひとり、拳を固く握りしめた。
1週間かけて自分を見つめ直すつもりが、断食1日目にして割と覚悟が決まってしまった私はその後、全てのベクトルを「断食」へフィーチャーした。
食への想いの断ち切れなさに苦しみ、お腹の鳴る音をBGMに、腹がへり過ぎて眠れぬ夜を6度体験し、空腹で嗅覚が研ぎ澄まされ過ぎて野菜ジュースに入っている野菜をすべて当てられるほどにまで成長し、黒糖の美味しさを再評価し、梅干しの紫蘇の必要不可欠さに目覚めるなどした。
そして迎えた出門の日。
天真「一週間ありがとうございました」
私は竜宮城の門に深く一礼し、元の世界へと歩き出した。
令和の浦島太郎
完全回復した私は、断食道場から仕事部屋へ戻ってきた。
天真「これまでの反省を活かし心機一転、案件へ取り組むゾ……!」
意気込みも高らかに、メールの確認を始めた。すると、春に開催を予定していたディナーショーの制作さんからメールが来ていた。
「件名:ディナーショー開催についてのご相談」
天真「ごそうだん?」
メールを確認すると、中国で発生した感染症が蔓延し、日本人の感染者も増えてきている状況を鑑みて、落ち着くまで開催はできない、というような内容だった。
そう……新型コロナウイルスが猛威を振るい始めたのである。
断食道場に行く前は海の向こうの話だったのだが、帰ってくる頃には大問題になっていた。
天真「え……ワイ、マジで竜宮城にいた?」
リアル浦島太郎やんけ……!などと思っている間に、世界中でパンデミックの脅威は拡がっていった。
飲食店の閉鎖、相次ぐ公演自粛……自身の仕事に至っては、次々と案件がコロナを理由に中止、もしくは延期になっていく。
そして……
3月末、日本は……静寂に包まれた。
「フリーランスたそのお仕事日記~静寂の中で生まれたもの~」
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