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『こう見えて元タカラジェンヌです』~遅れてきた社会人篇~ 第10話 新人サラリーマンのブルース~タンバリン芸人としての需要~

こう見えて元タカラジェンヌです~遅れてきた社会人篇~

華麗なる宝塚歌劇団で「癖のあるおじさん役」を究めた天真みちる=「たそ」による大人気連載『こう見えて元タカラジェンヌです』に、待望の続編が爆誕!退団後すぐに「サラリーマン」として企業に就職した「たそ」が、タカラジェンヌとして過ごした15年間と一般社会のギャップにおののきつつ、タンバリンと付け髭を手に第二の人生を突き進む!知られざる「宝塚OG」のリアルライフを描く爆笑エッセイ。(提供元:左右社)

どうも。
皆様初めまして。天真みちると申します。
この度、FREENANCE MAGにて、『こう見えて元タカラジェンヌです』~遅れてきた社会人篇~の連載をさせていただく事になりました。

御存知の御方がいらっしゃるかはわかりませんが、諸々の事情により連載中にこの地へお引越ししてまいりました。

諸々の事情……それは4カ月前の事……

連載の〆切に追われている天真の元に、出演仕事とか仕事とか仕事が盆と正月どころじゃない騒ぎで一気に押し寄せてきたのです……

それら業務は、皆既日蝕の様にキレーイに重なり、その結果「連載」という脳内伝達が消えてしまったんです……。

そしてそうこうしているうちに連載先が…あっ………(察し)

書きかけの原稿……いえ、ほぼ白紙の原稿を抱き、あてどなく彷徨っていたワタクシ……

しかし、そこに一筋の光が差し込んだんです!

その光こそ、フリーナンス様でございます。

こう見えて元タカラジェンヌの「社会人篇」だということで、快く連載の場を設けてくださいました。

本当に本当にありがとうございます!

かくいうワタクシも、会社員を辞めて自分で会社を立ち上げ、現在フリーランスのような働き方をしているので、そちらについても今後連載でお話しできたら……と思っています。(ただ、あたしゃ一筋縄じゃいかない人間なので参考にはならないと思いますが……)

といういう訳で、4カ月ぶりとなりましたが、連載を再開させていただきます。こんな私ですが、皆様どうかよろしくお願いいたします。

元タカラジェンヌの進む道は……

前話にて。

朗読劇の本番を迎える少し前、制作の仕事に勤しみ、少しずつ業務内容にも慣れてきたと思い込み始めていたある日のこと。

通勤の合間に見ていたInstagramの画面の右上の紙ヒコーキに、赤い①が付いていることに気が付いた。

以前、仕事のお誘いがInstagramのDMに届いていたのに気が付かず、長いこと放置して痛手を負ったことのある私は、速攻で確認した。

内容は、

「宝塚ソリオ内の宝塚阪急で、『ダリアジェンヌ』という自社製品の販売員をしてほしい」

というものだった。

差出人は、なんと元宝塚歌劇団雪組90期の梓晴輝(あずさ・はるき)さんだった。

正直、メッセージを開いた瞬間は、「梓さんのお写真をアイコンにしているファンの方」かと思っていた……が、

ご挨拶に始まり、梓さんが現在どのようなお仕事をされているかについての説明、そして今回私に連絡した経緯、依頼内容……全てが簡潔かつ懇切丁寧に記されていた。

読み終わるころには「こりゃあ、梓さんご本人であらせられるぞ……」と、背筋も伸び、自然と正しい姿勢になっていた。

梓さんと私は在団中は所属の組も違うため、ほぼほぼ接点は無かったのだが、雪組さんの公演を観に行った際にステージ上でキラッキラしていらっしゃり、花組の公演を観に来てくださった時にはキラッキラの笑顔で話しかけてきて下さったりと、一方的に「キラッキラな御方」という印象を抱いていた。

そんなキラッキラな梓さんのご実家の事業がダリアの栽培をされており、そのお手伝いをしていく中で生まれたのが「ダリアジェンヌ」という、ダリアからできた石鹸やコーヒーなどの製品なのである。

冷静に考えて、凄い。豪華で色鮮やかで気品があり美しい……そんなダリアを育てていらっしゃるご実家が凄い。そしてそこから製品を作り、事業を展開していく梓さんの行動力が凄い。
(詳しくは、ダリアジェンヌのHPをご覧ください!https://dahliasienne.com/

私は、梓さんの凄さに圧倒されつつ……自分の視野の狭さに凹んだ。

14歳から18歳の間に、宝塚音楽学校の門をくぐり、そこから辞めるまで宝塚歌劇団という「表現する道」で生きて行く。

そんなタカラジェンヌ達は、退団後も在団中に培った、歌うこと、踊ることなどの「表現する道」に進むことが多いように思う。

自分自身も、「演じる」から「創る」に変わったとはいえ、「表現する」という道からは離れずに仕事をしている。

そんな中で、梓さんは自社製品を立ち上げ、地域活性支援にも携わっている。

一体どんな現場なんだろう……見てみたい……!!

こうして私は、二つ返事でお仕事の依頼を承諾させていただいたのである。

買い物客から売り子に

そんなこんなで正しい姿勢のままダリアジェンヌの販売を手伝うために新幹線に乗り込み、正しい姿勢で移動し、久方ぶりの宝塚市へ……

在団中、とてもお世話になっていた宝塚ソリオの宝塚阪急の入り口に立ち、外観を眺める。

在団中から何も変わらない姿に安心し、そのまま店内へ……

ではなく、従業員通用口へ。

開店時間前の静けさと集中力が、開演前の楽屋の雰囲気と少し被る。

10年以上通い詰めた百貨店のウラ側を見られたことに感動しつつ、「ダリアジェンヌ」の販売ブースへ。

そこで出迎えてくださった梓さんは、相変わらずキラッキラしていた。結婚され、お子さんもお二人いらっしゃると言うのが信じられないくらい、現役さながらにキラッキラしていた。

私は眩しさに目をやられないように気をつけながら、商品の説明を聞いた。

ひと通り説明を聞くと、新しい朝を喜ぶようなメロディが鳴った。すると、ミーティングを終えた周りのブースの販売員の方々が一斉に入り口に並び出した。勿論、梓さんも。

梓さんは、

「いよいよ開店だよ。たそに会いに沢山お客さんが来ると良いね」

と仰った。

タカラヅカの舞台とは違い、百貨店は自分の好きな時に好きなタイミングで店頭に来られる。

舞台なら、当日どれくらいの人が来ようとしているのか把握することが出来るが、百貨店は来るも来ないもお客さんの自由なので、開店してみないとわからない。

それって結構緊張することだよな……みんな来てくれるんかな……みんなって誰や?……と思いながら、私も見よう見まねで店頭に立った。

すると、開店と同時に一目散にこちらに向かってこられる方々が目に入った。そして、皆さん我々に向かってブンブンと手を振っている。

本当にありがたいことに、「みんな」が来て下さった。

みんなの中には在団中にお世話になっていた方もいらっしゃったが、ほぼほぼ初めましての方たちだった。

ただ、みんなタカラヅカの舞台を欠かさず観劇されている方なので、現役時代の感想などを語ってくださった。さながら、在団中の「入り待ち、出待ち」(現在はできないと思う……)のようだった。

タカラヅカを卒業してからすぐに制作の仕事に就き、元タカラジェンヌであることをあまり言わずに過ごして約半年……久しぶりに、タカラヅカという共通の愛するものを持った方々との触れ合い……。

それはとても懐かしく、そしてとても「ありがたい」ことだった。

商品を袋に詰めながら、在団中には聞くことのできなかった想いをお聞きする。(ときに話の方に夢中になり包装が疎かになってしまうことも……)

在団中には体験したことのない触れ合いの中、「ここに来て良かったなあ」と深く感動した。

そして、この場を設けてくださった梓さんの存在にも深く感動した。

元タカラジェンヌが第二の道を進む中で、こうして店頭に立ち、そこに来る方々との「繋がり」を生み出す。

商品の開発、販売も、「私はこうして生きて行く」という「表現の道」なのだなあということに気が付いた。

「元タカラジェンヌの進む道は……十人十色なんだなぁ」

歌って踊って芝居して。清く正しく生きてきたタカラジェンヌの進む道の多様さに感動した私は、その道の進み方一つ一つを知りたいと強く思った。

タンバリン芸人としての需要

「ダリアジェンヌ」のお手伝いをしてからというもの、相変わらずサラリーマンとして働きつつも、元タカラジェンヌとして応援してきて下さった方との触れ合いはなくしちゃいけないのかもなあ……と考えるようになっていたある日のこと、

天真みちる個人宛に新規の仕事依頼が寄せられた。

その内容は、

「結婚式の余興をお願いしたい」

という案件だった。

……そう、歌って踊れるサラリーマンの肩書きにふさわしいオファーが来たのである。

「本当に申し込んでくださる方がいらっしゃった……!」

私は心弾ませながら、打ち合わせに向かった。

ご依頼主の奥様は初対面ながら、旦那さんとともに大の宝塚ファンで私のことも知ってくださっていた。

私が演じた役の中では特にキキちゃん(芹香斗亜さん)主演の『マイヒーロー』のスマイル・スマイリーがとってもお好きだということで、観劇したときの感想など、終始宝塚への想いについて深く語り合う打ち合わせとなった。

ご夫婦は私が在団中「タンバリン芸人」として活動していたこともご存知だったので、余興はタンバリン芸の披露を軸にした構成になった。

奥様のご提案を聞きながら、夫婦としてやってみたいこともありつつ、参列される方にも楽しんでもらいたい!という想いを感じ、結婚式という大切な催しに参加させていただくことのありがたさを痛感した。

そんなこんなで結婚式披露宴当日……

岩手県のホテルにて再び依頼主様ご夫婦に再会。

ご夫婦は「どうしても見てほしいものがある」と、私を別室に案内した。

そこには……

持ち手に長いリボンが巻かれた、タカラヅカのショーのラストにするパレードの持ち物「シャンシャン」さながらの可愛らしいブーケと、スターさんが背負うような立派な背負い羽根があった。

お二人は「この日のために手作りしました……!」と、とても嬉しそうに微笑んでいる。

お二人とも、本当にタカラヅカがお好きなのだ。愛してくださっているんだ……

私はお二人のその姿に深く感動した。

そして私は今、その愛されているタカラヅカの代表として、会場を盛り上げなくてはならないのだ。

きっと、会場には「あまり天真みちるをよく知らない勢」の方々も参加されるであろう。もし盛り上がらなかったら、ご夫婦以外の「あまり天真みちるをよく知らない勢」に白い眼で見られてしまう……

そしたらご夫婦も「あまり天真み……以下同」に

「違うのよ、あの人(私)はあんな感じだけど、本家はとっても素晴らしくって……」と弁解して回らないといけなくなってしまう。

せっかくの晴れの日に……!!!

突如、凄まじい緊張感と責任感が私を支配していった。

そしていよいよ出番が回ってきた。

司会の方が私の名前を読み上げる……が、「宝塚歌劇団」の名前に「おお!」という反応はあれども、「天真みちる」という名前にピンと来ている反応は扉越しには感じられなかった……。

瞬間、今まで自分はどれほど甘やかされて育ったのだろう……と、これまでの人生を走馬灯の様に反芻した。

宝塚歌劇団という暖かな世界の中で、当時の花組ファンの方々に「たそ=タンバリン芸人」だと、割と周知して頂いていた……

それをさも「世の理」のように「みんな知ってるっしょ」と思って生きてきたんだこの私は。

なんという厚顔無恥っぷりや……! 面の皮広辞苑級に分厚いな自分……!!!!

扉が開く刹那、心の中で自分を罵りに罵った。

でも、ここに来て断る選択肢はない。

……叩くしかない……タンバリンを。

私は覚悟を決めた。

「天真みちるを知っていようが、知らなかろうが、私はただ一生懸命にタンバリンを叩いたらええんや。これが……ワイの余興芸人黎明期や!」

そこからは本当にただひたすら懸命にタンバリンを叩き、旦那様との余興も楽しみ、奥様の演奏に合わせながら歌唱を捧げさせていただいた。

あっという間の出演時間だった。

でも、披露宴という、祝福と笑顔に満ちた空間で叩いたタンバリンは、いつもと違う優しい音がした。

あまり天真みちるをよく知らない勢の方々にも楽しんでいただけた……ような気がする。

出番終了後、会場を後にする私を見送りに来てくださったご夫婦の幸せそうな表情を見て、こちらも心から幸せな気持ちになった。

なんか良いことしたかも……と思いながら帰った新幹線の中、

「タンバリン芸……余興芸人……イケるかも知れない……!!!!」

と、新幹線の時速を上回る速さで調子に乗っていたのであった。

次回予告
次回、遅れてきた社会人篇
「新人サラリーマンのブルース~ドキュメントオブ天真爛漫ショー」

天真さんの連載についてはFREENANCE公式ツイッター(@freenance_jp)でも随時ご報告させていただきます!見逃しのないよう、ぜひフォロー&チェックしてくださいね。

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