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今できるのは「論破」とは真逆の営みを続けること。マヒトゥ・ザ・ピーポー(GEZAN)インタビュー

FREENANCE マヒトゥ・ザ・ピーポー

マヒトゥ・ザ・ピーポーさんと彼がヴォーカリストを務めるオルタナティブロックバンドGEZANは、ずっとインディペンデントで活動しています。

自主レーベル「十三月」を立ち上げ、投げ銭制のフェス「全感覚祭」を主催し、アメリカをツアーし、去る3月27日には日比谷野外音楽堂でのワンマンライブを成功させました。その直前の3月5日には、ロシアのウクライナ侵攻で傷ついた人々へのサポートと戦争反対を訴えるストリートライブイベント「No War 0305 Presented by 全感覚祭」を開催したのも記憶に新しいところです。

その活躍は音楽シーンにとどまりません。文筆(小説『銀河で一番静かな革命』幻冬舎、エッセイ『ひかりぼっち』イースト・プレスなど)、俳優(豊田俊晃監督『破壊の日』ほか)、さらに初監督映画『i ai(アイアイ)』の公開も控えています。注目すべき表現者のひとりでしょう。

孤独にこだわりながら連帯に躊躇せず、イシューごとにさまざまな人々との協働を通じて力強いメッセージを発していくマヒトさんに、フリーランスとは何かと縁が深い「孤独」と「連帯」をテーマにお話をうかがいました。

profile
マヒトゥ・ザ・ピーポー
2009年、大阪でオルタナティブロックバンドGEZANを結成。GEZANとして音楽レーベル「十三月」を主宰し、入場フリーの投げ銭制フェス「全感覚祭」を2014年から開催。2020年1月に5枚目のフルアルバム『狂(KLUE)』を発表。2022年は初監督映画『i ai(アイアイ)』の公開を予定している。
https://twitter.com/1__gezan__3
https://www.instagram.com/mahitothepeople_gezan/
http://gezan.net/

個人に立ち返る大切さ

マヒトさんは常々「孤独になればなるほど多くの人とつながれる」(※1)とおっしゃっていますね。

(※1 タイムアウト東京「分断に迷い、混乱とともに生きたい マヒトゥ・ザ・ピーポー、映画監督としての一歩を語る」)

膨らませすぎかもしれないですけど、人が集まるということは暴力的なものと紙一重だな、と自分は思ってるんですね。

コロナが来てなおさら、同じ方角を向いていると思っていた人たちの間で分断に気づいてしまうことがすごく増えたと思います。そもそもSNSとか、もっと遡ってインターネットが始まった時点でその流れは起きていたと思うんですけど、何年か前はなんとなくつながれていた同士が、例えばワクチンについての考え方とか、あるいは陰謀論への評価をめぐって、さらに細かく分断されてる気がして。自分自身、まわりの人と話していても戸惑うことが増えました。

ルーツも生きてきた背景も別々なんだから、同じ時代を生きて同じものを見ていても、一人ひとり違うのは本来、当たり前じゃないですか。そういう人たちが集まってひとつのキャッチコピーみたいなものを持つってこと自体が、危険と隣り合わせだと思うんです。それを制度に落とし込んだのが組織だと思っていて、その最大単位が国家と言われるものなんだろうなと。今までは大きな組織、大きな集団で、そのトップが大きなパワーを持ってルールを決めることで物事が進んできたと思うんですけど、その方法がだんだんと通用しなくなってきてる気がして、すごく小さなコミュニティというか、究極的にはひとり、個人に立ち返るっていうことが大事なんじゃないかとすごく思うんです。

なるほど。そして、ひとりでできることには限りがあるから、やりたいことがあったら仲間を募って、終わったら別れてまた別の仲間と組んで……ということを繰り返しながらいろんなことをやっていくという。

そうですね。この人はこういう人なんだ、この思想なんだ、ってことで簡単にカテゴライズすることが困難な時代が来てると思うんです。仲間だから無条件にずっと一緒にやっていくんだ、というのじゃなくて、例えば映画を撮ろうとか、全感覚祭をやろうとか、デモをやろうとか、そのときどきに対話ができる仲間と一緒に立ち上げて、終わったら解散して……ってことを繰り返していくというか。その一瞬だけ集まって、終わったら離れていくトライブみたいな感覚でやっているところがありますね。

どうしてそういう考え方になったんでしょう。

失敗しまくってますから、単純に(笑)。誰かとぶつかることもそうだし、傷つけることも傷つけられることも。そういうことの繰り返しのなかで、今の自分のあり方を考えて更新していくしかないですよね。

自分自身もどんどん変わっていくし、その可能性は否定したくないので。ほんの5年、10年前に笑えてたテレビとかお笑い芸人のネタが、今はまったく笑えなかったりするじゃないですか。「でも10年前は笑ってたしな」とも思うし。それは今後についても言えることで、今、面白がったり普通にやってたりするようなことが、10年後には「あのころはあんなこと言ってたな」っていうことは当たり前にあると思うんです。自分は聖人でもなんでもないし、最初から完璧な人なんていないので、変化していくことの可能性込みで自分自身とも他人とも付き合っていきたいなと思ってます。

対面で話す、しかない

例えばGEZANのメンバーとか、家族、友人、恋人など、日常を共にする人たちは?

そいつが今どこにいるかを気にしながら生きるような仲間たちというのは、それ以外の人よりは近いですけど、どんなに近い関係でもコントロールってしきれないじゃないですか。だから苦しいこともいっぱいあります。例えばロシアのウクライナ侵攻ひとつとっても、自分が好きな人、好きでいたい人たちの中でも陰謀論やプロパガンダを真実だと言ってる人もいる。そういう人とどうやって対話をして、いかに好きなままで一緒に生きていけるかって考えると、本当に……苦しいですね。関係を切ってしまうのは簡単ですけど、やっぱり好きでいたいし、一緒に生きていきたいから。その問題をどう折り合いをつけていくかはずっと自分のテーマというか、模索しています。

寺尾紗穂さんが「君は私の友達」という曲で自分のことを「ひとりぼっちでみんなといる」みたいに歌っていて、自覚はなかったんですけど、すごくしっくりきたんですよ。だから、仲間と一緒にいるけど孤独は捨てないというか……うーん、やっぱり対話し続けるしかないんですよね。そのためには自分は一人分の力を持つ孤独な人間として向き合わないといけないと思うし、力を持ちすぎてもいけないとも思う。

最初に言った通り一人ひとり違うのは当たり前だし、今の流れを見てると、この動きはさらに加速していくと思うんです。だから本当にいい方法を見つけないといけない。現時点では「対話し続けるしかない」っていうざっくりした答えしか出せてないし、具体的にどうすればいいかもまだわからないんですけど、少なくとも「論破」みたいな力の使い方とは真逆の営みだと思ってます。押し切るんじゃなくて、相手の立場や話に耳を傾ける。どうしたって時間はかかるし、すごく疲れますけど。

その疲れることを面倒がらずにやっていく、その先にしか希望はないと……。

そう思います。SNSってすごく速いメディアだと思うんですけど、たぶんもっと遅いメディアが必要で、その究極の形はこうして面と向かって話すってことだと思うんですよ。一番根源的な、古いコミュニケーションのあり方だけど。今もSNSを開いたらものすごい速度で情報が飛び交って、喧嘩も告発も謝罪もグルグルしてるじゃないですか。そういうものと付き合いながら、並行して遅いコミュニケーションを進めていくっていうのは、すごいバランス感覚を要することだけど、そういう複雑さを捨てずにやっていくしかないですよね。気持ちよくないですけど。

「気持ちよくない」で思い出したんですけど、この前「No War 0305」に出てくれた大友良英さんのライブを新宿のピット・インに見に行って、終わった後に大友さんとちょっとしゃべったんですよ。当たり前ですけど何も終わってないし、気分よくないよね、って。でも気分よく会話できちゃいけないんだろうな、とも思うんですよ。白と黒がはっきりしてて、自分は絶対的に正しい真っ白で相手が真っ黒な悪、みたいな構図を前提に話すのは気分はいいでしょうけど、現実にはそんなことって滅多になくて、関係は常に複雑で、ノイズを含んでるじゃないですか。そのノイズをないものとせずに、違和感や不快感を抱くことがあっても、切り捨てずに抱えながら生きていくしかないよな、って思います。

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