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僕、本当に空っぽなんです - 『ハイパーハードボイルドグルメリポート』の上出遼平が小説連載を開始

上出遼平

テレビ東京で深夜放送された“ヤバい世界のヤバい奴らのヤバい飯”を見る異色のグルメ番組にして、2019年にギャラクシー賞を受賞した『ハイパーハードボイルドグルメリポート』を筆頭に、数々の人気番組を生み出してきたテレビディレクターの上出遼平さん。敏腕テレビマンとして活躍しながら、現在はテレビ東京を退社してフリーランスとなり、10月から文芸誌群像(講談社)で小説『歩山録(ぶざんろく)』の連載をスタートさせるなど、メディアの枠を超えた活動をされています。

もともと文章好きで、2020年には500ページを超える大作『ハイパーハードボイルドグルメリポート』書籍版を発表するなど、定評のある筆力で描く物語の舞台は山。自身の肉体と死を感じるため、人間に回帰するために山に入ると語る一方、「僕、本当に空っぽなんです」という意外すぎる告白の真意とは? 自分の中の“無”を活用し、見事に飼い慣らして表現へと昇華させる、その独特すぎるプロセスを伺いました。

profile
上出遼平(かみでりょうへい)
東京都生まれ。テレビディレクター。2011年に株式会社テレビ東京に入社し、2022年にはフリーランスとして独立。2017年にスタートした『ハイパーハードボイルドグルメリポート』シリーズの制作全過程を担う。現在、『群像』誌で小説『歩山録』、『POPEYE Web』でコラム『妻のこと』を連載中。
https://twitter.com/HYPERHARDBOILED
https://www.instagram.com/kamide_/

ワクワクしたいし、してもらいたい

上出遼平

テレビ東京を退職された現在、職業欄にはなんてお書きになってます?

いつも適当ですね。なんでも構わないんですけど、テレビディレクターがメインです。それか映像作家、映像ディレクターが多いかもしれない。テレビ局に勤務していたときもテレビディレクターとか、プロデューサーって書いてたので。

つまり実際のお仕事の内容はそれほど変わっていないわけで、なぜ、あえて独立することを決められたんでしょう?

なんでしょうね? あんまり考えてないなぁ(笑)。30歳くらいから「もう辞めたらいいんじゃないか」みたいなことはボンヤリと考えていて、でも、番組とかプロジェクトが途切れることなく続いていたから、辞めるタイミングが掴めなかったんです。そんなときに異動の話が来たので、それが直接のキッカケですね。その異動先に、あんまり自分がフィットしないだろうなという感覚があったので、辞めたほうがいろんなことを好きにできるだろうなと。

そもそも「もう辞めたらいい」と考えるようになった理由って、なんですか?

まず「ここで学ぶべきことはもう無いな」と思ったのが大きいです。10年間同じ場所にいて死ぬほど働いたら、もう後は惰性みたいになる自分が想像できたというか。今までに培ったやり方で続けていけば、会社が潰れないかぎり食っていけるという状況にはあったけれど、それは僕の望む将来ではなかったんですよね。あとは自分が甘えん坊なんで、安住できる場所にいると、自分が終わっちゃいそうで逆に怖かったんです。

なるほど、環境に甘えて向上心もなく、惰性で生きてしまう姿が見えてしまったと。

だから「このまま会社にいたらヤバいな」という切迫感があったのと、あとは地上波でできることが、どんどん限られていっているなという実感もありましたね。もちろん、自分の生活を考えずに好きなことにトライできるのはテレビ局員の強さだし、地上波を使うにおいては局員でないとアクセスできないこともたくさんある。ただ、地上波には多くのコンサバティブな関係者ありきで番組が生まれていくという根本的な問題があって、あらゆる方面に対する“忖度”の中でモノが作られるから、なんのためにコレやってるんだっけ?みたいな瞬間が頻発するんですよ。

上出遼平

このナントカチェックみたいなのって誰のためなの? 少なくとも視聴者のためではないよね?みたいなことがものすごく多くて、作り手と視聴者が真っ向勝負できる状況っていうのが、今のテレビには少ないんです。そこにもどかしさはありました。

ドキュメンタリーを作られる方って娯楽と社会正義の狭間で揺れるケースが多いですけれど、“視聴者のため”に娯楽であり続けなければいけないという想いはあったんですね。

それはありますし、それに対して不満を持ったことも無いですね。むしろ社会正義みたいなものだけを掲げることに対しては否定的というか、それだと元々興味のある人が観るだけで、あなたがやりたいことの“HOW”としては正しくないんじゃないか?と思うんです。

人を惹きつけることを“エンターテイン”と言うのであれば、ドキュメンタリーにエンターテインの要素は必要だと思っていますし、そもそも僕の根本にあるのは自分がワクワクしたいっていうのと、受け手にワクワクしてもらいたいっていうことなんですよね。小学生のときに『天空の城ラピュタ』を観て、いてもたってもいられなくなって家を飛び出した、それを超える楽しい経験ってきっともう味わえない。だったら、今度はソレを与える側になりたいっていうのが大きなベースになっているので、僕の中には“旅”を共有したいという想いが常にあるんです。

ただ、ワクワクするだけじゃ終わらせたくないという貧乏根性みたいなものもあるので(笑)、その中に伝えるべきこと――いろんな倫理観とか価値観の変革みたいなものを紛れ込ませようと、いろいろ奮闘しているんですよね。

しかし『天空の城ラピュタ』を観て飛び出したとは、ちょっと意外です。

もうVHS擦り切れるまで観てましたね。だから山に登ったり、日本から出たりとかを、昔からしていたんです。不思議なもんで、あの頃に自分の中に生まれた感受性の受容体みたいなものがデカいんですよね。もう、そこから増えてない気がする。

安定にこそ不安をおぼえる

上出遼平

新たに『群像』で始められた連載『歩山録』も登山がモチーフになっていますが、そこまで“山に登る”という行為に惹かれる理由ってなんなんでしょう? 興味のない人間からすると、なぜ自ら苦しい体験をしようとするのか?という疑問も正直あるのですが。

えーと、人によります! 例えば僕は“登頂する”ということにも、山の上で写真を撮って誰かに見せるということにも全く興味が無いですし、百名山みたいなものに唾棄したいと思っているタイプなんです。じゃあ、なぜ登るのかというと……恐らく死とか肉体というものを感じたいからなんですよ。

死や肉体を感じるとは……?

都市に暮らしていると、自分の死や肉体を意識することって、すごく少ないですよね。そんなもの意識するのはストレスだから、むしろ意識させないようになっているのが都市だと思うんです。でも、その居心地の良さに恐怖感を覚える人間というのもいて、それは会社を辞めた理由とも近いんですけど――このままココにいたら自分が動物としてヤバイかも?という直感みたいなものというか。ココにジッとしていれば安全に生きていけるけれど、それって『マトリックス』で言うところの溶液に浸って脳にプラグぶち込まれているような状態で、ただ生かされているだけでしかない。で、生かされる人生のまま死んで自分は満足なんだろうか?とかっていう不安を感じる人たちが、突き動かされるようにして会社を辞めたり、山に登ったりするんじゃないですかね。

会社を辞めたのと同じで、安穏とした暮らしに、逆に恐怖感を感じてしまうと。

そうですね。動物が持つ野生の感覚を取り戻すために山に入る……って、さっきから動物と人間という二項対立で話してますが、逆に動物だったら安住できる空間に一生いるはずなんですよ。生存確率を高めるためには羊の群れの中で生きる方がいいに決まっているわけで、そこから飛び出せることこそ“人間的”なんじゃないかとも思ったりするんですよね。生存確率を下げてなお「こう生きたい」という意志を優先することに、人間を人間たらしめる何かがあるような気がするというか、人間になりたくて動物を目指すみたいな……ちょっとひっくり返ってますけど(笑)。

逆に『ハイパーハードボイルドグルメリポート』で取材されていたリベリアの元少年兵みたいに、動物の生きる野生と近い世界にいる人々は、あえて危険な山に入ったりしようとはしないでしょうからね。

ま、そうですね。リベリアの彼らが「山に登りたい」なんて言いだすことは想像つかない。山より危ないですからね、あっちの方は。

そうやって危険の中で生きる人々の世界を見てきたからこそ、余計に安住の場に不安を感じるようになったところもあるんでしょうか?

うーん……でも、幼い頃は当然そんな世界見てないですから、ただシンプルに「ここではないどこかに行きたい」という、これまた人類が元々持っていたであろう欲求に突き動かされていただけでしょうね。山登りに限らず、僕、いろんなところに移動するのが好きなんですよ。飯が美味いのと同じで、どこかに行くこと自体が楽しい。あと、能動と受動の問題というのも僕の中では大きくて、とにかく受動的だと満足できないんですよ! やっぱり“与えられる”喜びって頭打ちだと思うから、あらゆる状況において受動的だと時間がもったいない気にさえなる。だからディズニーランドとかも、かなり苦手なんですよね。

じゃあ、ジェットコースターとかも楽しめない?

むしろ嫌いですね。昔、バイクで100何十キロとか出していたのもあって、スリルという意味ではゼロなんですよ。ただ、事故が怖い! こんな面白くもないものに乗って、どこにもたどり着けないのに、ただ事故のリスクだけ背負うのは勘弁してくれ!っていう想いが強いんです。結局、ああいうアトラクションって脳みそのどこかを停止させないと楽しめないじゃないですか。どこかのスイッチを意識的に切ることによって、世界に没入する。だけど、山は切っていられないんですよね。逆に今まで動いていなかった部分までフルで動かさないと命の危険すらあって、でも、そうやって自分の頭と金を使って得られた喜びに勝るものは無い気がするんです。

上出遼平

だから、なるべくサービスの介在しない移動という意味でも、山が僕にとっては一番で、なおかつ、寝場所とかのルールが細かく決まっている日本の山ではなく、外国の山の方が自由で好き。どこにテントを張ってもいいし、その代わり全部自己責任なので、水確保の場所とか食料どのくらい運べるかとか、全部綿密に計算しなきゃいけないっていう、それが楽しいんですよ!

つまるところ、山は脳を最大限活性化させるための最良の場所であると。

脳と肉体どっちもですね。そのぶんリスクも大きくて、アラスカなんて登山道も無いですから迷ったら結構やばいし、グリズリーとかもいるんですけど、そこでテントを張って目が覚めたときの朝日は、ケニアのサファリでキリンが見えるのを売りにしてるホテルに泊まって見る朝焼けとはやっぱり違う。自分がその朝日を手に入れたんだ!っていう感覚があるんですよね。

自分自身の力で1日を乗り越えて朝を迎えられたという達成感があるんでしょうね。

そうなんですよね。同じ理由で大好きなのが登山後のビールで、500円のビールがどんな高級な酒よりも美味く感じる。だから今、この瞬間も山に登りたいですけど、実際は歩き始めて大体30分で「もう帰りたい」って思うんですよ。

上出遼平

昔のような体力もないし、体重だけ増えて膝、足首、腰、首、全部痛くてホント辛い!「なんでこんなところ来たんだろう?」って後悔しながら残り1週間歩くという地獄を味わって、毎回「もう二度とやらない!」ってなるくせに、山を下りてビールを飲んだ頃には忘れてるんですよね。登山後のビールと温泉に勝るものは地球上にない!って、半ば確信を持っている(笑)。

ビールの美味さと温泉の心地よさに全て報われて、「この喜びをまた味わいたい」となるんでしょうね。ただ、その喜びって、なんだかんだ都市に生きる人間ならではの贅沢のような気もします。

おっしゃる通りですね。僕がやっていることは、基本的に全て贅沢な話です。恵まれた状況の中で選んでいることでしかないというのは自覚してますけど、だからといって違う選択をする意味もないので。恵まれた状況を最大限享受するということでいいかなと、自分でも思ってます。

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