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翻訳者・藤田麗子に聞いた、韓国エッセイ『ひとりだから楽しい仕事』の魅力

翻訳者・藤田麗子に聞いた、韓国エッセイ『ひとりだから楽しい仕事』の魅力

淀まないための心構え

FREENANCE MAG 藤田麗子
ライター/韓日翻訳者の藤田麗子さん

そもそも翻訳家の方って母国語のボキャブラリーは絶対に豊富でしょうし、ご自身で文章を書くこともお得意なイメージがありますが、藤田さんご自身はいかがですか? 実はこっそりエッセイを書いてますとか、ブログをやってますとかあったりします?

韓国で暮らしはじめたばかりの頃はブログとかもやってましたけど、今は全然。私、ライターの仕事もやっているので、それと翻訳の作業を合わせたら、自分で自由に書く時間がないんですよ。書きたいなと思ってたまにメモだけはしているんですけど、ただ、思うばかりで(苦笑)。でも、『ひとりだから楽しい仕事』を訳しながら、「日々の暮らしとか仕事のことを書き留めておいたら、後で読んだときに面白いだろうな」ってあらためて思いました。ナミさんは30年で300冊もの書籍を翻訳して、ブログもエッセイもお書きになって、小説や童話にも挑戦されて……と本当に驚異的です。今の私はもしかしたら、締め切りとかお題を貰わないと書けなくなっているのかもしれない。自由に書く時間をやっぱり自分で意識して確保しないと駄目なんでしょうね。

わかります。仕事でずっと文章を書いていたら、プライベートで書く気にならないですよね。あと、自由に書くにはインプットが必須じゃないですか。

うん、それは本当に感じます。だから換気が必要というか。翻訳にしてもライティングにしても、ずっと自分で書いて自分が書いたものを校正していると、本当に締め切った部屋で扇風機回しているみたいな気持ちになるんですよ! なので、もうちょっと窓を開けて新鮮な空気を取り入れようと、なるべく本を読む時間を作ったり、映画とかを観るようにはしてます。そうでないと、本当に“淀んできたな”っていう気がしてくるので。

でも、ライティングのお仕事で外に取材に出て、換気できることもありません?

そうですね。韓国の俳優さんやアーティストに韓国語でインタビューをして、それを日本語にするというお仕事もありますから、取材で外に行くときはあります。あとは今、また自由に海外旅行ができるようになって、日本の雑誌でも韓国特集が増えているので、そういった旅行記事系だとかガイドブック、それから日韓のスタッフが一緒に働く撮影現場のお手伝いをすることもありますね。そういう仕事をしている期間は出張があったり、自宅から通っていたとしても帰宅後は疲れていたりして、あんまり翻訳の仕事はできません。でも、やっぱりずーっとパソコンと向き合うだけになっちゃうよりは、良い感じにバランスが取れる気がします。インタビューや現場でのおしゃべりの中で聞いた言い回しが翻訳のヒントになることもあったり。

それもあって翻訳専業ではなく、ライターのお仕事もされているんでしょうか?

というよりは、ライターをしている間に、翻訳の仕事が始まったという形ですね。大学卒業後は東京の編プロにいて編集の仕事をしていたんですけど、もともと映画が好きで、いろんな映画を観ている大学の先輩に、あるとき『八月のクリスマス』という韓国映画を勧められたんです。すごく静かな映画なんですけど、とても感動して、そこから韓国文化に興味を持つようになって。当時は今みたいに韓国の情報があふれている状況でもなく、ようやく『シュリ』だとか『JSA』だとかの韓国映画が日本に入り始めた頃で、そのうち『冬ソナ』ブームが始まったんです。で、今はもう廃刊になってしまった『HOT CHILI PAPER』という韓国エンタメ雑誌がスタッフ募集をしていたのを見つけて、そこに入ったのが始まりですね。

じゃあ、その段階では韓国語もあんまり……。

もう「アンニョンハセヨ」くらいしか知らないところからのスタートでした(笑)。でも、一応ハングルぐらいは読めないと困ると言われて、週1ぐらいで韓国語講座みたいなものに通い始め。結局、その編集部にいたのは2年だけだったんですけど、そのあと半年くらい韓国に住んだりもしつつ、東京に戻ってから3年間は韓国とはまったく関係のない医学書の出版社で働いていました。

そこから、どういった経緯で韓国に移住を?

韓国人の夫との結婚を機に、韓国に住み始めたのが2009年ですね。そこからライターの仕事をフリーランスで始めて、2017~18年の2年間、韓国文学翻訳院という文化体育観光部所管の翻訳スクールに週1で通いました。文化体育観光部というのは、コンテンツ産業の振興を担当する行政機関です。

韓国ってK-POPをはじめ、自国のコンテンツを海外に発信していこうという取り組みがさかんですが、映画、音楽、出版・印刷物、テレビ番組、キャラクター商品、アニメ、美術品……などなど、あらゆる文化振興関連産業を支援して、育成するための法制度が整っているんです。この翻訳院も、韓国文学と文化のグローバル展開を目的として設立された教育機関なので、1年にかかる費用は登録費の1万円ぐらい。その後、書籍の翻訳を始めたのが2019年だから、出版翻訳者としてはまだ本当に数年しか経ってないんです。

経験が生きる瞬間

藤田麗子さんが翻訳を担当した書籍
藤田さんが翻訳を担当した書籍

改めて翻訳の勉強を始めたのには、何か理由があったんですか?

「これ!」っていう決定的な出来事はなかった気がするんですけど、翻訳院に通い始める前から韓国語で取材した内容を日本語に訳して記事にするライティング作業だったり、ミュージカルの台本や字幕の翻訳はやっていたんですね。ただ、私は韓国の大学や大学院を出ているわけでもなく、何の資格も持っていなかったので、お仕事の依頼をいただけるのは本当にありがたいんですけど、「私の何を信じて頼んでくださっているんだろう?」っていう不安が急に芽生えたんです。それで韓国語能力試験を受けたり、翻訳院に通ってみたり、『日本語で読みたい韓国語の本 翻訳コンクール』にも応募して、そこで賞をいただいたのが、出版翻訳を本格的に始めるようになったキッカケですね。

なるほど。翻訳にたどり着いたのは、ある意味、偶然でもあったと。

ただ、私が高校生のときに書いた進路希望の紙が実家から出てきて、いつだったか母がLINEで送ってくれたことがあったんです。「外国語を使って翻訳や通訳の仕事がしたい」みたいなことが書いてあって、自分でもすっかり忘れていたから「ええ!?」と驚いて。当時の“外国語”といえば英語だから、それが韓国語になるとは思いませんでしたが……。昔から読んだり書いたりするのも好きだったので、いろいろなことがつながって、いつの間にかたどり着いていて運が良かったんだなぁと思ったし、嬉しかったです。

韓国と日本を繋ぐようなお仕事を長くされていると、日本における韓国文化に対する需要の高まりだとかといった状況の変化も、実感されているんじゃありません?

韓国好きの世代が、すごく若くなった!っていうのは感じますね。私が韓国語スクールに通っていた時代、今ほど若い人っていなかったんですよ。20代後半~30代ぐらいが中心で、『HOT CHILI PAPER』の編集部にいた頃は「ヨン様のファンになって寿命が延びました」っていうおはがきを80代や90代の読者の方からいただいたり、「ソン・スンホンさん、素敵よねぇ」みたいなお電話がかかってきたりすることもよくあって。それが今や、小学生でも韓国語を習いたがって、夏休みに短期留学に来たりするんですから、本当にびっくりしてます!

昔では考えられなかったぐらい韓国の文化が広まっていて、日本に帰ってみてもチャミスルとか、ウチの近所のスーパーより品ぞろえいいんじゃない?ってくらい、たくさん種類があったりするんですよね。おかげで、翻訳でも訳注を付ける必要のあるものが減ってきました。例えば“チャプチェ”とか、以前は訳注をつけないと絶対わからなかったと思うんですけど、今は大丈夫じゃないですか。タッカルビとかサムゲタンとかキンパとか、昔だったら「それ何?」ってなるものが説明不要になってきていて、そこは助かりますね。やっぱり訳注って、読みやすさのためにはできれば避けたいものなので。

それは『ひとりだから楽しい仕事』で、クォン・ナミさんも書かれていましたよね。そういった日本における韓国文化の浸透度合いって、どうやってチェックしているんですか? 例えば1年に1回は必ず日本に帰ったり?

私、実家が福岡なので、割と頻繁に帰っているんですよ。特に福岡は釜山も近いですし、もともと韓国との関わりが深いから、バスや地下鉄なんかの案内表示にもずいぶん前からハングル表記があるんですよね。でも、最近はあえてチェックしようとしなくても、韓国のものが目に入ってくる状況です。知り合いに「今度韓国行くんだけど、どこのお店がおいしい?」とか聞かれることも増えたし、ここ5年でもだいぶ変わった印象がありますね。20年前とかと比べたら、もう全然違います!

その波に乗り、クォン・ナミさんのエッセイ第2弾も出版される予定だとか。

はい。韓国で2011年に初版刊行されたナミさんのエッセイ『翻訳に生きて死んで』の日本語訳版が、来年の頭に出る予定です。絶版本だったのですが、『ひとりだから楽しい仕事』を読んでナミさんのファンになった方々の熱い要望に応えて、2021年に改訂版が発行されたという作品で。翻訳の仕事を始めるまでのことだったり、韓国で日本語翻訳をやりたいという方に向けた部分も多くて、韓国文化に合わせた日本語の呼称の訳し方など、新鮮な内容が盛りだくさんです。一人娘の靜河(ジョンハ)さんをはじめ、ご家族とのほのぼのエピソードも『ひとりだから楽しい仕事』と変わらず出てきます。

実は、一度担当した作家さんの別の作品を翻訳するのは、私にとって初めての経験なんです。緊張もありますが、ナミさんが「あの部分を訳すのは大変でしょう!?」とか「今度ビールを飲みに行きましょうね。そのことを訳者あとがきに書いたらおもしろいかも?」と励ましのメールを送ってくださって、ご配慮にとても感謝しています。ご相談させていただきながら進めているところです。

それから、初めて長編小説を訳しました。これは韓国文学翻訳院の出版プロジェクトという特殊な形態で、日本の出版社さんが版権を買われた作品を訳すのではなく、韓国で日本語にし終えたものを日本の出版社さんに売り込む形だそうです。まだ詳細が決まっていないのでお知らせができませんが、今後もしどこかで見かけたら、よろしくお願いします。

インターネットの発展で、海外との距離がどんどん近くなる時代に、翻訳の需要はさらに高まっていくと思うんです。そこで今、翻訳者を目指している方や、翻訳の仕事を始められたばかりの方に、続けていくにあたってのアドバイスをしていただくなら?

私などが申し上げていいんでしょうか(笑)。もちろん言語の勉強をするとか、本をたくさん読むことは重要ですけど、私が常に感じている翻訳というお仕事の魅力って、今までの経験が何かしら生きる瞬間が絶対にあるところなんです。いつ、どういったジャンルの依頼が来るかわからないし、『ひとりだから楽しい仕事』みたいに日常を綴ったエッセイもあれば、その前に訳した『こころの葛藤はすべて私の味方だ。 「本当の自分」を見つけて癒すフロイトの教え』は精神分析のお話でした。

もちろん、まったく専門外の分野だと勉強もするんですけど、少しでも触れたことがあるものだと入りやすいですし、これまでやってきたこと、触れてきたことが絶対に活きてくる職業ではある。逆に、訳している中で新しいことを知ったり、その中に出てきた本や映画から興味が広がっていったりもするんですよ。

私は、『簡単なことではないけれど大丈夫な人になりたい』とか、『大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをした』『悩みの多い30歳へ。』など、悩みを抱えた人向けのエッセイを翻訳することが多かったから、地球上で自分だけがひとりぼっちみたいな寂しい気持ちになった経験も、恥ずかしいミスを思い出してベッドの中でのたうちまわったことも、全部どこかに溶け込んでいるような気がします。

本当にいろんなことが役に立つ職業なので、「翻訳をやりたいからコレをやる!」って何かに絞るよりは、いろんな経験をするのが良いんじゃないかなと思います……って、すみません。これ、全然アドバイスじゃないですね(笑)。