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得手不得手を見極めること。フードライター白央篤司『台所をひらく』インタビュー

得手不得手を見極めること。フードライター白央篤司『台所をひらく』インタビュー

食べ上手・招かれ上手

FREENANCE MAG 白央篤司

白央さんも、お連れ合いをはじめ、まわりの方をすごく大事にされている感じはしました。料理をするとか食べるということには、まわりの人や自分自身を大切にすることとつながっているというか。

わたしは特殊なんじゃないかな。フリーランスだから、ある意味、好きな人とだけ付き合ってればいい部分がありましてですね。「お仕事だから我慢して付き合おう」っていうのがないんですよ。そういうことができるなら会社員やってるよ、ってタイプなので。自分で作って人を招いてると、「食べ上手」というのを学びますね。

食べ上手?

料理を出したときに「わー!」とか喜んでくれたりして。酔っ払ってくるとしなくなる人が多いんですけど(笑)、最後まで「あー、こんなのも出てきた!」とか「おいしい!」とか「器もすごいね!」とか、お酒をつぐと「座ってなよ」とか言ってくれると、「この人は食べ上手、招かれ上手だな」と思います。素直にうれしいですし、自分が招かれる側になったときにそれが生きることもありますね。

白央さんのような人でも「だろ? うまいに決まってんだよ」とはならないわけですね(笑)。

わたしのまわりには死ぬほど料理が得意な人しかいないので(笑)。料理研究家とか料理カメラマンとかね。だから彼らを唸らせようなんて思ってないですよ。逆に厚顔無恥というか、「おいしくなくたっていいよ」っていう気持ちで出してます。家庭料理ですもん。

でもそういう人たちは、よその家庭料理に文句を言ったりしなさそうです。

絶対にないですね。みんな食べ上手です。料理研究家は基本的に家庭料理のプロですから。かける手間や一般家庭がまかなえる金額も考慮しつつ、そのなかで最大限おいしいものを考えられる人たちですね。

家庭料理って、みんな当たり前のように作って食べていますけど、実はものすごく総合的な、複雑な、高度な営みですよね。

そう思います。だから「相手が、家族が気に入るように」と食べる人を中心にし過ぎてしまうと、作る人がどんどんつらくなって「わたしは一緒に暮らしてないの?」みたいになりがちなんです。「今日は僕の好物を作ってくれたから、明日は君の好きなものを作ろう」とか、気遣いが一方的にならないようにしないと。ま、ペアにはそれぞれの形があるから、二人がよけりゃ全然いいんですけどね。

ひとに何かしてあげて喜ぶ顔を見たいというのは、人間の普遍的な欲求のひとつだと思います。家族だとそれが得てして当たり前になってしまうので、「感謝しろとは言わないけど、もうちょっとおいしそうに食べてくれてもいいんじゃない?」みたいな不満に応える本でもあるんじゃないかな、と思いました。

若い人とか、ひとと暮らす前に読んでくれたら面白いかなとは思うんですけどね。あとは、炊事当番になって1、2年ぐらいの人に読んでもらえたらうれしいです。趣味でやってることが生活になるとこういうことが生まれてくるよ、という。家庭料理に関する不満やつらさを訴える人を笑うのは、だいたいやってない人なんですよ。趣味の料理が非常に得意な人で、「自分が家庭に入ったら余裕でできるよ。その程度のことをなぜできないの、ハハハ」みたいなパターンが多いですね。

実際にやってみないとその尊さは理解できないですよね。あなたの目に見えない部分を、炊事当番の人はいつもやっているんだよ、と。そのことを知ってもらうにはどうすればいいんでしょうね。

5年前に出した『自炊力 料理以前の食生活改善スキル』(光文社新書)の担当編集者は、わたしのブログかなんかを読んで「本にしませんか」と声をかけてくれたんですけど、彼はお連れ合いが入院して、休職して何週間か家事を全部やったそうなんです。そのとき初めて大変さがわかって、その反省からああいう本が書かれるべきじゃないかと言ってくれたという。いかに大変かを知るには、自分でやるしかないんですよね。

料理もそうですよね。作らないとわからないことがたくさんあって、その経験を通して上達していくんだけども、おいしくできないと作る気になれない、作らないとうまくなれない、というジレンマがある気がします。僕が苦手意識を克服できたのは結局、数やって慣れることでした。

数やるっていうのもひとりだと限界があるんですよ。料理上手のやることを隣で見てるだけで疑問や先入観が氷解することっていくらでもあるんですけど、ひとりだと発想がひとつしかないですから。

「お味噌汁に何入れたっていいんだよ」って言われても、できませんよ。失敗が怖いし、「まずそう」って思っちゃうから。人間って不思議なもので、「この人は料理上手だ」って思っている人が作ってくれると、見たことも聞いたこともないものも「食べてみようかな」って気になるんですけど、信用しないと難しいんです。

ただ、自分がそうだったとしても、べつにそれが悪いと思わなくてもいいんですよ。みんなそうだから。「みんなそうだよ」って聞いただけでも、ちょっと気分が変わると思うんですよね。「あの人も言ってたからやってみようかな」っていう気持ちの種がどこかに入ってると違うかな、という思いが、この本には入っていますね。

読んだ方たちから「 “白央さんでもこういうふうに思うんだ” とか “つらいときもあるんだ” って思って救われる」みたいによく言われるんです。そういうこともモチベーションになりました。積極的に「どんなときつらいかな」って考えて、1コラムずつまとめていった部分もあります。そのうち「全部つらいとイヤだな」と思えてきて(笑)、第2章は「料理は楽しい」っていう内容にしよう、とかね。

そういうある種の癒し効果みたいなものはあると思いますね。

「料理って本当に楽しい」とか「面白い」とかしか書いてない本って、何がなんでも絶対にきれいなところしか見せない人みたいな感じがするんですよ。「何言ってんだおまえ! 本を書くなら裸になれ!」みたいな気持ちもちょっとあります。

『台所をひらく 料理の「こうあるべき」から自分をほどくヒント集』
台所をひらく
料理の「こうあるべき」から自分をほどくヒント集

得手不得手の見極めが大事

FREENANCE MAG 白央篤司

フードライターとか料理研究家って、ものすごくたくさんいらっしゃいますよね。そのなかで独自の個性や存在感をどうやって発揮してこられましたか?

特に考えてないですが、基本的に自分のやりたいことしか企画・取材してきてないんです。興味を持てるローカルフードのことや、紹介したい料理研究家さんや食関係の方たちをどういう記事にしたら読んでもらえるか、紹介しやすいか、そういうことは考えてきましたが。あとは本当にもうただ運です。折々で「使ってみようか」と起用してくれた制作の方々に恵まれました。そういう方々に拾ってもらえるように、「今こんなことに興味あります」「こんな食生活をしてます」という発信はSNSで続けてきたつもりですね。それをたまたま見てくれた人がいた。あと食以外の興味あることを臆さず書いてきたことも仕事に繋がっていると感じます。

結局、好きなことしか書いてないし、書けることしか書いてないので、決して裕福ではないですけど、執筆が苦しいと感じたことはないですね。

得手不得手の見極めが大事。料理と同じですね。

今回の本では、料理の好きな部分と、できない部分、苦しい部分を文章にできたのがよかったかなって思います。「苦しいところは無理して乗り越えなくてもいいんだよ」って書けたので。苦手なこと、やりたくないことを自分のなかで見極めるのが大事だと思っていて、「あ、これね」ってわかるだけで、台所はだいぶつらくなくなると思います。乗り越える必要はなくて、やらなくていいとか、一緒に暮らす人にわかってもらうとか。そういうことが “ひらく” には必要なんだと思います。

家事は本業と比べてみるといいと思っているんですよ。本業ではみんな、自分が得意なこと、できること、やりたいことを軸にして、あんまりやりたくないこと、苦手なこと、避けたいことはなるべくやらずに済むようにしつつ、自分なりのスタイルとか方法論を、ある程度の時間をかけて作っていくじゃないですか。ところが家事になると、なぜかストイックに「全部やらなきゃダメ」みたいに思い込んで、誰から言われてもないのにひとりで罪悪感を抱いてしまう。それって、その人自身も家事を軽んじてる部分があるんじゃないでしょうか。

あー。簡単なことだと思っているから……。

そうそう。「こんな簡単なこともできないのはわたしが怠け者だからだ」とか、そこはちょっと間違ってるんじゃないの、っていうことは今回、書いていて思いました。「すごく大変なんだから、全部できなくていいんだよ」と……いや、できなくて “いい” っていうのも自分に厳しすぎですね。そのなかで何をやるかを自分で選べばいいだけです。そもそも家事を簡単なことと思っちゃってることが、つらさの原因なのではないのかと。

そうですね。むしろこんな高度なことを日々しているのだから偉いと思います。この相談はよくお受けになるのではないかと思いますが、買う野菜がどうしても固定してしまいがち、とか。

そりゃそうですよ。だって食に興味ない人の方が多いですもん、世の中。高岡さんは何をしている時間が好きですか?

んー、音楽を聴いたり、本を読んだり、文章を書いたりですかね。

音楽好き、読書好きって、「これ聴いてみようかな」ってジャケ買いできるじゃないですか。あれってそうとうな能力なんですよ(笑)。他のジャンルに置き換えて考えると、勘がまったく働かなくないですか? 音楽や本だったら「これ、俺好きそう」と判断つくことが、全然できない。食べ物に興味のない人に「おいしそうな食材を見繕って買ってきて」とか「いい野菜あったら買ってきて」って言ってもできません。

見たことないジャケの野菜を見ても……(笑)。

張りがあるかどうかさえわからないですから。見慣れないと。

見慣れない野菜を手に入れたら、とりあえず焼いて塩ぱらぱら、と書いていらっしゃいますね。本当にそうだなと思いました。

基本の味がわかるのと、「塩ぱらぱら」でどの程度しょっぱくなるのかも知ってほしいんですよね。その感覚をクリアすると、大きなミスってなくなるんですよ。料理で起こる決定的な失敗って、加熱しすぎか塩気強すぎのどちらかだと思っています。

塩加減が身につくと料理はぐんと楽しく、面白くなってくる。「この量の肉野菜にこのぐらいの塩をしたら、完成の味はこんな感じになる」って感覚。シンプルなことだけど、一生使えるスキルです。塩や醤油などの塩気調味料はホント、ざっくりじゃなく、慣れるまではレシピどおりやって、感覚を身につけてほしいですね。

FREENANCE MAG 白央篤司

撮影/中野賢太@_kentanakano