FREENANCE MAG

フリーランスを応援するメディア「フリーナンスマグ」

生きてきた時間、わたしだけの表現。小林紗織/小指インタビュー

小林紗織/小指

自分だけの表現、自分らしい絵

小林紗織/小指

その話も掘ればまだまだありそうですが、スコア・ドローイングのお話を少しさせてください。これは小指さんの発明ですか?

図形楽譜っていうのは昔からありますし、「音楽聴きながら絵描いてる」って教師だった母に言ったら「特別支援学級の子どもに授業でやらせてた」って言ってたので、全然新しいものでも発明でもないです。

ミュージックセラピーみたいな。

そうそう、わたしにとってもそんな感じです。図形楽譜と違うのは、スコア・ドローイングには演奏とか人に見せるという目的は一切なくて、ただただ自分の頭の中に浮かんだものを記録したくて描いてる感じなんです。

ひとに話すと「そんな面倒くさいことしてるの?」って驚かれるんですけど、ずっと何十回と聴き続けて、紙に1秒地点、10秒地点、20秒地点、30秒地点……みたいに目印を描いていって、聴いて浮かんだものを記録していく感じで描いています。

描きはじめたときのことは漫画に描いていますね(※1)。

※1 「出会えた“好き”を大切に。|リクルートスタッフィング ビームス」『私の好きなこと/小指

そうなんです。昔、バイトの合間に喫茶店で音楽を聴きながらよく休憩をしていて、その時にダニエル・ジョンストンを聴いてたら、頭の中にイメージがワーッと浮かんできたことがあったんです。

当時は、作家にはなりたいけど、じゃあ自分らしい絵って何?って迷ってました。でも、そのとき頭の中に浮かんだイメージを見て「あ、きれいだな」と思えて、そういえば生活することに必死で忘れちゃってたけど、中高生のとき電車に乗ってウォークマンで音楽を聴きながら、頭の中で絵を描いたり、頭の中に浮かぶものを見たりして楽しんでたな……って思い出して。

小指さんの中にもともとあった感覚なんですね。

当時ちょっとノイローゼ気味だったのでユングとかシュタイナーにはまってたんですが、たぶんユングの自伝だと思うんですけど「探しているものは自分の中にあった」というようなことが書いてあるのを読んだんです(※2)。「ということは、あのとき頭に浮かんだのは昔からわたしの中にあったもので、それこそが自分の表現するべきことなのかな」って勝手に納得して、じゃあちょっと描いてみようか、っていうことで描きはじめました。

※2 TOKION『私の「内側」の世界 連載:小指の日々是発明Vol.5

もっともアートから離れていた時期に、偶然気づいたことで自分だけの表現を見つけたと。

わたしって本当にやらないとわからない人間なんだな、って思いました(笑)。バイトの三つかけ持ちも3年間やりました。飲み屋のバイトで朝まで飲んで、帰宅して1、2時間仮眠して、化粧も落とさずにコンビニのバイトに行く、みたいな毎日で。

いま思うと自信がなさすぎたのかもしれませんけど、頭を空っぽにして働けるし、こんな自分でも社会にいられるんだ、みたいに思って、最初はストレスも感じていませんでした。でもだんだんと「これで人生終わっちゃったら、わたし何のために生きてきたんだろうな」って思いはじめて。自信のなさと、どこかでやっぱり自分を信じたい気持ちと、まわりの人へのいろんな感情が入り乱れて荒れていました。

そんなときにスコア・ドローイングを見つけて、最初はあんまり反応はなかったんですけど、描いてるととにかく楽しかったんです。好きな音楽を見つけるたびに描いて、昔から好きだった音楽も全部描いて、しかも出来上がった絵が、自分で言うのも変ですけど、すごく好きだったんですよ。ずっとしっくりこなかったんですけど、誰になんと言われようとわたしが好きだからいいや、みたいな。もともとはわたしの頭の中にあったイメージだから、自分の分身みたいな感覚もありましたね。

キャラじゃないことはしない

小林紗織/小指

お仕事にもなっていますしね。最近だと八木海莉さん(※3)や七尾旅人さん(※4)など。

そう! 自分の好きな音楽家の方々だとなおさらうれしくなっちゃいます。「え、いいの!?」って。

※3 https://twitter.com/kairiyagi_/status/1524347124162625536
※4 https://twitter.com/tavito_net/status/1555858671292526592

そういうものって、見つけようとして見つかるものでもないのかもしれませんね。偶然見つかったときに見逃さないことが大事といいますか。

他の人に比べたらずいぶん回り道だったと思います。でも、いろんなことをやってきたからこそ、「なんか違うな」と思ったら断ったりもできるようになりました。

「なんか違うな」と思うのはどんなときですか?

外からは絵を描いたり文を書いたり節操なくやっているように見えると思いますが、一応、自分のキャラじゃないなと思うことはしないように心がけてます。あと、ふだん自分が「これって間違ってるんじゃないのかな」と思ってるような考え方には近寄らないようにするとか……。

ビームスのコラム(※1)に「好きなことを仕事にしないほうがいい」と言われて育ったけれど、結局好きなことが自分を救ってくれた、と書いていたのがとても印象的でした。

その刷り込みで絵以外の選択肢を探してたんですけど、それって本当に無意味だったっていうか、いろんなことを試してみて、あらためてこれしか出来なかったなと気づきました。子どものとき友達に「漫画、描いて」とか言われて描いてあげたりしてましたけど、そうして自然にやれてたことが結局、いまもやっててストレスがないし、いちばん喜ばれるんだなって。

小林紗織/小指

ご両親についてはいま、どんなお気持ちがありますか?

父はわたしのことをすごく心配していたと思います。今は事情があって入院していますが(※5)、繊細で優しくて、何よりとても自己犠牲的な人でした。わたしの何万倍もすごい絵を描くんですけど、描いたのは大学時代だけだったらしいんです。卒業展ではスポンサーになると声を掛けてきた人もいたらしいんですが、裕福じゃない家の長男だから、まわりの人のことを考えて建築士になったんですよね。もし絵の道に進んでたら自分は生まれてなかったかもしれないけど、それでもいいから好きなように生きてほしかったなと、どうしても思ってしまいます。こんなこと考えるのは父に失礼かもしれませんけど。

母も長女で、もともと画家になりたかったらしいんですけど、そんなこと言い出せる家でもなかったらしくて、学校の教員になったんですよ。家族に家を建ててあげたりとか、母も自己犠牲的な人生を送ってきた人ですね。いまも顔を合わせば喧嘩ばかりしていますけど、離れて落ち着いて二人のことを見ると、誰のためでもなく楽しんで生きてくれたらいいなと思います。

※5 TOKION『「喪失」との向き合い方 連載:小指の日々是発明 Vol.7

特に昔は、裕福な家庭じゃないと難しかったですよね。

迷惑をかけたらよくないですけど、自分の人生くらい自由に生きないと、その人のことを本当に大切に思ってる人が悲しむと思うんです。その人のことをどうでもいいって思ってる人たちは「しっかりしてくれてありがたい」とか思うかもしれないですけど。

わたし、さっき話したバイト期間中に、通信制の大学に入り直して教員免許を取ったんです。なんで急に教員になろうとしたのかというと、立派な志があったわけなんかじゃなくて、どう生きていいのかわからない中で、世間の目とか親の心配にもう耐えられなくなっていたからだと思います。でも結局、教育実習の最終日にやっと目が覚めました。

ご両親から自己犠牲の精神を少なからず受け継いでいたんですね。それが教育実習の最終日に切り替わったと。

それまでずっと自己催眠をかけてたんです。「自分がしっかりしなきゃ、どこに出しても恥ずかしくない娘にならなくちゃ」と思い込んでいました。でも、とにかく苦しかった。教員という仕事がハードワークなこともそうでしたが、何より自分の本心をごまかして走り続けることがもう限界でした。

実習の最終日、すっごくよく晴れた気持ちのいい日だったんですよね。天気と解放感があいまってなのかわからないけど、突然「もう自分に嘘をつくのはやめよう」って思いました。先生方はすごく熱心に教えてくださったし、心配して連絡をくれたりして本当に申し訳なかったですけど。

難しくて心苦しい選択でしたね。

やっぱりわたしは、大事な人には好きなことをしてほしいっていう気持ちがすごく強いです。それは多分、わたしだけじゃなく他の人もそうなんじゃないかなと。いまも不安になるたびに揺らぎますけど、自分らしく自由に生きたほうがわたしもまわりも幸せなんだ、親も世の中もきっとわかってくれる、って信じてます。

お母さまが小指さんの展示を見て《あんたの絵は別に好きじゃないけど、見たあとは何でか息がスーッとして、自由な気分になる。何でだろうね》とおっしゃったというエピソードにはとても感動しました(※6)。ご両親もいまの小指さんの状況を心のどこかで喜んでいるんじゃないでしょうか。

※6 TOKION『日常と、芸術の存在意義 連載:小指の日々是発明Vol.4

いまのわたしの状況って、両親にとって生き方も働き方も、未知のものだと思うんです。母が「心の中がポッと温かくなるような気がする」と言ってくれたのは、新しい感情をそのとき見つけたのかなと思いました。わたしはこれまで両親の人生と自分を比べて自責することが多かったけど、これからは違う生き物として、それぞれ生きていかないといけない時期なんだろうなと。その上で、これからは「実はこんなに楽しい世界があるんだよ」って教えられたらいいな、なんて思います。こんなこと本人に言ったら「生意気!」ってブチ切れると思いますけど(笑)。

ブチ切れつつも頼もしく感じるはずですよ(笑)。そろそろ時間なんですが、何か小指さんのほうから話しておきたいことはありますか?

別に話さなくていいことかもしれないですけど、わたし、頭の中がいつもグチャグチャなんですよ。考えがまとまんないし、自分でも何言ってるかわかんないし。でも物語にすると不思議とまとまって、ああそういうことだったのか、と腑に落ちることが多いんです。あと、つらいことがあったときには「ま、この先に何が起きても、作品が増えてくだけだしな」って思うと、気持ちが少し落ち着いたりします(笑)。

「人生はネタ集め」ですね。たくましいです。

初めてスコア・ドローイングを描いたとき、初めて自分自身を幽体離脱みたいな感じで見れたんですよ。その時、上のほうから自分を見て 「うわー、かわいそう」って思いました(笑)。何もいいことないし、家に帰ったら酔っ払いが転がってるし……そう思ったときに浮かんだのが、『人生』に載せた「せっかちSさん」っていう漫画でした。自分のキャラクターが喫茶店でうなだれてる姿とか、バイト先からバイト先へ自転車で向かう姿が、頭の中にバーッと流れたんです。

わたしは当時の生活を誰にも言えなかったんですよ、恥ずかしくて。でも、それを隠しちゃうと、自分の生きてる時間がなかったことになるし、「恥ずかしい」と思うこと自体、自分が気の毒すぎるし。でも、誰にも言っていないならこれこそわたしだけが描けるものなんじゃないのかな、って思って、ゆっくりゆっくり描いて形にしていきました。

物語にすることで自分を客観視できるんですね。

物語を作りはじめたら、第三者視点で自分を客観視するのが楽しくなってきたんです。「むしろこういう人、他人だったら面白がるだろうな」「もしかしたらわたしの人生、捨てたもんじゃないかもしれない」とか。普通に話すと「わたし、終わってるわ」と思って落ち込んじゃうようなことも、物語にして発表したら、怒ったりバカにしてくる人はひとりもいなかった。オセロのコマが全部ひっくり返ったみたいに、自分の過去が変わっていきました。「あれ? ダメだと思ってたことが受け入れてもらえてる!」と驚きましたね。表現を通して初めて、意外と世の中って暖かいものなのだなと思いました。生身は打ちひしがれてばっかりでしたけど(笑)。

小林紗織/小指

撮影/中野賢太@_kentanakano