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「なりたい自分」になる ― ラッパーRude-αの決断、その想い

FREENANCE Rude-α

音楽を作る理由、初心に立ち返る

Rude-α

信じてはいましたが、いい報告を聞くとホッとします。

でも、3月ぐらいから実はプライベートでも病んでたんですよ。仕事で病んでる時期にある女の人と出会って、他に頼る先がなくて依存してしまって。

そしたら7月くらいにお医者さんで適応障害って診断されて、ソニーに「沖縄に帰って休みます」って言って、話し合いは沖縄からしてたんですけど、地元でもずっとおかしかったんです。これまでだったら秒で忘れてたようなことを気にしたり、ケンカっぱやくなったりして、「おまえらしくない」とか言われてました。でもあるとき突然「俺って誰だったんだろ?」ってなって、「Rude-αだ!」って思い出したんですよ。

前々から言っていた「主人公」としてのRude-αですね。

実家で昔のライブ写真を見たら、全部笑ってたんですよ。それで思ったのは、コロナでライブができなくなって、自分を表現する場所をなくしてたんだなって。日常の中のイライラやモヤモヤを全部ライブにぶつけてたから、それがなくなったことで自信をなくして、ひとに依存して、適応障害にもなって、自分が誰なのかもわからんようになってしまってたんです。でも、そこでRude-αっていう、「見てくれている人にとっての自分」を思い出したときに、あらためて「音楽しなきゃ」と思えたんですよね。

音楽を作る理由、初心に立ち返れたと。

メジャーで音楽するようになって、「俺には音楽しかない」とか言ってるやつのことを正直、心のどこかで「サムいな」って思ってました。だけど今回、俺は音楽をなくして病んで落ちて、生まれて初めて、死ぬことまで考えてしまってたんですよ、この3カ月くらい。取り戻したくて苦しんでた自分のマインドがステージの上にあったと気づいて、いまは一周回って「俺には音楽しかない」って思ってます。「俺は音楽でぶちかますために生まれてきたんだ」っていう、十代のころの熱が戻ってきました。

ずっと「黙って背中見とけ。かますから」みたいな感じでやってきましたけど、いつの間にか言葉で相手を説得しようとするようになってしまってたんですよね。そうじゃないなって気づいて、「俺は背中で語る」っていうスタンスにまた戻れました。それはめちゃくちゃでかかったっすね。

「痛み」があったからこそ、いまの自分がいる

Rude-α

マインドを取り戻したRudeさんのライブをまた見たいです。

ぜひ見てほしいです。俺は音楽の中にいる瞬間が好きだし、いまはまだいろんな制約があると思いますけど、やっぱりお客さんの熱狂だったり笑顔だったり、ダイレクトな反応を見れるのがうれしいし、お客さんがいて初めて生み出されるグルーヴの中で歌って、背中で引っ張っていける存在でありたいです。

作る曲も変わってきそうですね。

最近「うむい」っていう曲を作ったんですよ。Instagramにも上げてますけど、沖縄戦の歌です。沖縄は内地とは違って、戦争の影がすごく身近にあるんです。学校では戦争を体験したおばあちゃんの話を聞く授業があるし、俺のひいおじいちゃんも戦争で亡くなってるから、平和の礎(いしじ)に名前が刻まれてて、毎年そこに行っておばあちゃんが泣く姿も見てたし、いまも毎日、米軍の戦闘機が飛ぶ音が聞こえます。俺らは戦争体験を生で聞けた最後の世代として、その想(うむ)いをつないでいくべきだと思って作った曲なんですよ。

BEGINの島袋優さんが「めっちゃいい曲だから、俺がアレンジするよ」って言ってくれて、来年の慰霊の日、6月23日にリリースしたいなって思ってます。世の中の人たちにいろんなことを考えさせるきっかけになってほしいですね。俺はこの曲を出すために独立したって言っても過言ではないです。

沖縄って一見華やかだけど、「痛みがあったからこそいまの自分がいる」っていう想いを全員が胸の内に宿した島なんですよ。痛みを知ってるからこそ、ひとに優しくいられる。今回、俺がこういうマインドになれたのも、一回傷ついたからだと思うんです。

かつては「売れる」ということにたびたび言及して、ライブでファンに「絶対におまえらを武道館に連れていく」と公言していました。いまはどう思っていますか?

もっと大事な目標ができました。ひとりでも多くの人に自分の想いをつないで、ひとりでも多くの人に何かを考えさせるきっかけを与えて、ひとりでも多くの人を光で照らす存在になるっていうことですね。甲本ヒロトとかボブ・マーリーとか、俺の中でレジェンドみたいな人がいるんですけど、そういう人間になるって決めたんです。そこにいくまでの過程で、武道館はどうせあるものって感じです。

それはこの経験をしたからこそできた目標なんでしょうね。

「売れる」とか「武道館」とかじゃなくて、みんなのマインドをもっといい場所、人の優しさとか強さがある場所に持っていく、そういう人間になりたいんです。悩んで苦しんだ日々も、メジャーを離れて新しい道を選択したことも、俺自身の勇気になりました。この経験はいつか、自分の子供や友達が悩んだときに「大丈夫、全部うまくいくぜ」って抱きしめてあげられる強さに変わると思うし、ここで選択できてよかったと思います。

Rude-α

Rudeさんの「なりたい自分」になるために必要な過程だったんでしょうね。

本当にそう思います。子供のころになりたかった大人になれてるのかな、って考えたときに、それ以上の大人になれてるなって思えてます。子供のころより子供っすね、いま。マジで遊んでるだけなんで(笑)。

好きなことを仕事にするのは難しいって言われますけど、どうせいつか死ぬんだから、みんな好きなことして生きていっていいと思うんですよ。人として間違ったことさえしなければ、常識やルールなんか守らなくていいと思うし。「ありがとう」と「ごめんなさい」がちゃんと言えて、困った人を見たときに助けてあげられれば、それで十分かなって。

あらためて、独立おめでとうございます。最後に、ファンのみなさんに伝えたいことはありますか?

個人的な話なんですけど、最近、102歳のひいおばあちゃんが老衰で亡くなったんですよ。みんなが棺のところに集まって泣いてるのを見ながら、この人がいなかったらここにいる全員が存在しなかったんだな、って思って。

通夜のときに家族の前で「うむい」を歌ったんですけど、この歌詞があるのも、ここで歌えてるのも、ひいおばあちゃんがいたからで。人の本質って「つないでいくこと」だと思うんですよ。全員が真ん中の存在だっていうか、誰かにもらったものを別の誰かに与えていく、それの繰り返しだと思うんです。俺は愛情をもらった分、世の中に愛情をばらまいていきたいし、そこからまたいろんな人に伝染していけばいいなと思ってます。

俺を見て「かっこいい」とか「こうなりたい」とか思う人がいたら、「おまえの人生はおまえのものだし、おまえの選択次第で何にだってなれるんだぜ」って伝えたいですね。俺も小さな町の公園で仕掛けられたフリースタイルから始まって、いまこういうことになってるし、輝く権利は全員にあると思うんですよ。

俺はフラフラしてるただの遊び人ですけど、みんな肩の力を抜いて自分の人生を遊んでいこうぜ、って言いたいです。これからは最近あんまりやってなかったクラブでのライブも増えていくと思うんで、また会える日を楽しみにしててほしいですね。