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活躍するのは、二つの相反する世界を知る人。写真家・事業家、黒田明臣の仕事論

活躍するのは、二つの相反する世界を知る人。写真家・事業家、黒田明臣の仕事論

小沢あやが、さまざまな業種のフリーランスに話を聞く連載『 フリーランスな私たち 』。今回のゲストは、写真家・事業家の黒田明臣さんです。

フリーランスのエンジニアとして働くかたわら、趣味で始めた写真が注目され、写真家としてのキャリアが広がっていった黒田さん。現在では、クリエイティブや事業戦略支援の領域で2つの会社の代表取締役を務めています。

そんな黒田さんに、活躍しているクリエイターの共通項や、フリーランスとして一人で働くのではなく組織化した理由などを伺いました。

profile/黒田明臣
1983年、東京都生まれ。企業のマーケティングをコンテンツで支援する株式会社ヒーコの代表取締役。アドバイザーとしてビジネスデザイン領域や事業戦略設計の支援、フォトグラファーとして広告写真制作やプロデュースなども行う。フリーランスのエンジニアでもある。https://twitter.com/crypingraphy
profile/小沢あや
ピース株式会社 代表取締役社長/編集者。企業のメディア・コンテンツ支援のほか、WEBマガジン「つんく♂の超プロデューサー視点!」「いや、ほんと音楽が好き。」編集長など、ミュージシャンやアーティストの発信支援も行う。https://twitter.com/hibicoto

写真を始めて2年弱で、作品が小説の表紙に

小沢:黒田さんとはもともと友人なんですが、以前はフリーランスのエンジニアとしてDeNAで働いていましたよね。「趣味でカメラを始めたんだな〜」と思っていたら、いつの間にか俳優・渡辺謙さんを撮影していて驚きました。フォトグラファーとしての仕事は、どんな風にスタートしたんですか?

黒田:2015年の初めに、インターネットにアップしていた人物写真を見た出版社さんから、「写真を小説『ニューカルマ』の表紙に使いたい」とメールをいただいたのがきっかけです。当時は海外の審査制投稿サイトやTwitter、自分のサイトなどに写真を載せていました。

小沢:2014年頃には、趣味として友達の写真をよく撮っていましたよね。

黒田:そうそう。最初は旅行の時とかに風景写真を撮っていたんだけど、2014年の夏に人を撮る写真展に出ることになったんです。その時、夢中で写真の仕事をしている、たくさんのプロと出会ったんですよね。それが写真にガッとのめり込んだ、明確なターニングポイントです。「自分は人の写真を撮ることが楽しいんだ!」と気づいたのもその頃でした。

小沢:今でこそ写真に関する仕事を多く手がけている黒田さんですが、かつては「写真はあくまで趣味だから」と話していたのが印象に残っています。

黒田:最初は仕事にするつもりはなかったんですよね。2015年以降も、フリーランスのエンジニアとして働きつつ、写真の依頼が来たら引き受ける形だったので。

小沢:なるほど。『ニューカルマ』の表紙の後は、どんなルートで仕事の依頼が来たんでしょうか?

黒田:「写真を表紙に使ってもらえた」とFacebookに投稿したら、広告代理店に勤めている高校の同級生が「写真撮れるんですか?」と声をかけてくれて、そこからお仕事をもらったりもしましたね。

「フォロワーが多いから」ではなく、写真の品質を追求

小沢:その後は、自分の名前を出さずに撮影の仕事を引き受けていたこともあるそうですね。

黒田:はい。写真を始めた頃は、プロの人たちからの「あ、なんかSNSのフォロワーが多い黒田ね」という視線を感じていたんですよね。僕はカメラマンの仕事を増やしてそれを専業にしたかったわけではなく、写真の品質を追求したかったので、「フォロワーが多いカメラマンが撮影してるからいいね」ではなく「この写真いいね、撮影者は知らないけど」という状態になりたかった。

だから自分の名前で写真をSNSにアップしつつも、名前を伏せて写真だけで仕事をもらうチャレンジもいろいろしていました。

小沢:具体的にはどんなことをされたんですか?

黒田:海外のコンテストに出したり、広告用のビジュアル制作会社としてのホームページを作って、自分が作品撮りした写真を匿名で載せたりしました。それも2015年頃ですね。そうしたら、黒田の名前がなくても、一部上場企業を含む複数の企業から依頼をもらえたりして。

小沢:「黒田」としてのアカウントも動かしつつ、匿名でも実績を積んでいったんですね。

黒田:そうですね。そういった実績がかけ算された結果として、Adobe Max JapanやCP+といったイベントへの登壇や、書籍の執筆など活動の幅が広がっていきました。

エンジニアとしてフリーランスで働いていると、大きなサービスの一部を担当した場合など、自分の実力を外部に証明するのが難しいこともあるんです。その点、写真でアウトプットを見せられるフォトグラファーという職種は強いなと思いました。

法人化で、自分が前に出ない働き方に

小沢:そこから黒田さんは、法人化・チーム化を進めていきますよね。一人で仕事をするのではなく、早い段階から組織化する方向に舵を切ったのはなぜですか?

黒田:自分の名前を出すビジネスと匿名で始めたBtoBビジネスの、両方が大きくなっていったんですよね。

自分の名前を出すビジネスの方は、2016年に自分が立ち上げた株式会社ヒーコで写真のメディアを始めて、ハウツーを公開したり、「独学スタイルでもよければ」とイベントで講習やワークショップをしたりしていました。イベントでお客さんが来てくれるようになって、売上も立ってくると、メーカーさんやブランドさんからタイアップのお話をいただけるようになるんですよ。

でも、やってみて気づいたのですが、自分はプレイヤーとして名を成すことにあまり興味がなくて。むしろ、前には出たくないのだという葛藤がありました。

その頃、匿名で始めたビジュアル制作の仕事のほうは、「スタイリストさんの手配も一緒にお願いできますか?」とか、だんだん撮影に限らない相談が増えてきて。そのうち担当する範囲が広がって、気づけばBtoBの制作ビジネスとして成長していました。

小沢:順調だけど、黒田さん自身はあまり表に出たくない……と。

黒田:はい。写真に120%の力で取り組んでいる人たちがいるのを知っていたので、その人たちではなく、複業でやっている僕が仕事をすることへの申し訳なさも感じていました。

そんな時に、広告のビジュアル制作で有名な株式会社アマナの社長から声をかけていただいたんです。

小沢:アマナさんとは、そのタイミングで繋がったんですね。

黒田:もともと、DeNAでのエンジニアの仕事と、自分の写真や制作・メディアの仕事があまりクロスオーバーしないことには悩んでいたんですよね。アマナであれば、同じ広告市場ですし、もう少し仕事やスキルがリンクしていくイメージができました。

そこで、DeNAは辞めて、アマナとヒーコで50:50で頑張ろう、これまで1人会社だったヒーコでこれからは従業員も雇おうと決めました。2019年のことですね。そこから、ヒーコはクリエイティブ制作会社の道を本格的に進み始めました。その後は基本的に、よほどのことがなければ僕はプロデュースなどの裏方に徹しています。

小沢:自分自身が有名になるのではない働き方というのも、実現できたわけですね。

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