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声優と音楽 ― パラレルキャリアのてっぺんを目指すには?山村響インタビュー

FREENANCE 山村響

『Go!プリンセスプリキュア』の天ノ川きらら/キュアトゥインクル役、『戦翼のシグルドリーヴァ』のクラウディア・ブラフォード役、『うちの師匠はしっぽがない』の大黒亭文狐役など、数々のアニメやゲームで活躍する声優の山村響(ひびく)さん。

声のよさと歌唱力を生かして歌手活動をする「声優アーティスト」はたくさんいますが、山村さんは所属事務所のマネジメント外で、作詞・作曲はもとよりCDの通信販売、ライブのブッキングまで自らこなす完全セルフプロデュースで音楽活動を行うという、パラレルなキャリアを築いているのがユニークです。

こうした活動スタイルをとるようになったのはどうしてなのか。どのような苦労と楽しみがあるのか。声優と音楽、それぞれの仕事にかける思いを、これまでのキャリアとともに話していただきました。

profile
山村響(やまむらひびく)
福岡県生まれ。声優・歌手。声優としての主な出演作はTVアニメ『蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ-』(ハルナ役)、『Go!プリンセスプリキュア』(天ノ川きらら/キュアトゥインクル役)、『キラッとプリ☆チャン』(ルルナ役)など。歌手としては、作詞・作曲・デザイン・CD販売・楽曲配信等すべてをセルフプロデュースし活動中。2021年9月には新作EP『town』をリリースした。
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きっかけは『ポケットモンスター』

山村響

子どものころからアニメが好きだったんですか?

『ポケットモンスター』が大好きでした。主人公のサトシくんにひと目惚れしてしまって、どうしたらサトシに少しでも近づけるか考えたり調べたりしてるうちに、オープニングテーマがどう聴いてもサトシの声で歌ってるのに「歌:松本梨香」って書いてあることに気づいたんです。そこから声優というお仕事があることを知りました。

サトシくんがきっかけなんですね。

小学校の4年生ぐらいだったと思うんですけど、そこからめちゃめちゃフットワーク軽くて(笑)、新聞のテレビ欄の横に載っていた養成所の募集要項を見て両親に「これを受けたい」って言ったり、『レッツ!声優』っていう、声優になるにはどうすればいいかを教えるマンガがほしくて「本屋に連れてって」って頼み込んだり。田舎だから当然置いてなくて、注文してもらって、それを読んで発声練習をしたりしてました。

すごい行動力ですね。

養成所のオーディションも受けさせてくれって言って、最初は父は渋ってたんですけど、母が「お父さんには内緒で送りなさい」って言ってくれて、書類審査を通ったら父も「とりあえずオーディションには連れてってあげよう」みたいな感じで。それで小学校の5年生の終わりか6年生の初めぐらいから、声優・タレントコースみたいなところに通い始めました。

先日のライブ(※)で、亡くなったお母さまが歌や踊りなど芸事がお好きで、山村さんの夢を後押ししてくれたと話していましたね。

そうですね。わたしも物心ついたころから歌ったり踊ったりしていて、母は「将来は歌手になると?」みたいに楽しそうに言ってました。いよいよわたしが本格的に養成所に行きたいって言い出したから、全力で応援してくれたんだと思います。「お母さんも歌の大会に出たことがあるんよ」みたいな話をしてましたね。

背負うことをやめ、ありのままの自分でステージへーー。山村響、2年ぶりのワンマンライブ「town」ライブレポート

山村響
山村さんの小学生時代からの友達“パレット”
(ペンギンのぬいぐるみ)

声優・歌手としてのスタート

兄弟姉妹は?

ひとりっ子です。

ご高齢だったそうですし、全力で愛されながら育ったんでしょうね。

はい。全力で愛され……ました(笑)。ここ数年は「お父さんとお母さんのひと粒種だからね」とよく言っていて、大切にされて育ったんだなって最近になって気づきました。

中学、高校と養成所に通いながら、そこの先生が持っていた地元の劇団に入ってミュージカルとかもやっていました。高校を卒業してからは代々木アニメーション学院の福岡校の夜間コースに進学して、劇団とアルバイトと掛け持ちしながら代アニで1年間、アニメとお芝居の勉強をしました。

上京のきっかけは?

代アニに東京の声優事務所の方たちが見に来てくださるオーディションがあったんです。そこで最初に所属した事務所の養成所に入れることになって、東京に来ました。実はわたしは声優よりステージデビューが先で、わりとすぐに、当時その事務所が主催してた所属声優やアーティストが全員出るライブイベントに出させてもらったんです。当時からオリジナル曲を作ってたので、「歌がうまいやつがいるらしい」って社内で話題になったらしくて、シークレットで2曲歌わせてもらいました。

曲はその前から作っていたんですね。

高校を卒業してから、曲を一緒に作ってくださる方と出会って、自分で作詞してデモを何曲か作ってたんです。曲を作り始めたのはもっと後でしたけど。

山村響

ユニットでの成功/ソロでの焦り

2008年ごろから声優、2010年には歌手としてプロデビューして、2013年に『蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ-』のハルナ役を射止め、同じく出演された渕上舞さん、沼倉愛美さんと組んだTridentで飛躍的に知名度を上げましたね。

当時の事務所に移籍して間もなく受けたオーディションで受かったので、すっごくうれしかったです。ユニットを組むことも当初は知らなかったんですけど、そこから露出が一気に増えてびっくりしました。メンバーのお二人は当時から有名で、わたしがいちばん「誰?」みたいな存在だったので(笑)、すごく頑張りましたね。

舞浜アンフィシアターや幕張メッセといった大きな会場でライブをやって、すごく人気があったんですよね。

アニメ自体は重厚なSF作品だったんですけど、楽曲も評判になって、応援してくださる方が増えたんです。アルバムを4枚出して、ライブも大きなところでやらせていただけて、すごい経験ができたなと思います。

山村響

ご自分の活動のほうは?

Tridentの活動期間中もソロのリリース、ライブはけっこう精力的にやってました。声優としての次の作品がなかなか決まらない期間が何年か続いて、もともとあったお二人との差がどんどん広がっていくので、すごく焦っていた記憶があります。「どうしたら受かるんだろう」って悩んだり、他の人の話を聞いて「そのオーディション、わたし受けてない」とか、めちゃめちゃ神経質になったりしてましたね。事務所によってオーディションの数も変わってくるので、なりたい自分になるためにはどうすればいいか考えに考えた末に、2015年にいまの事務所に移籍したんです。


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