小説、短歌、絵本など多彩なジャンルで書き続ける作家・くどうれいんさんが、俳優の戸塚純貴さんとのコラボ書籍『登場人物未満』を上梓されました。
都内の遊園地や釣り堀、はたまた2人の出身地である岩手県で撮影された戸塚さんの写真を元に、くどうさんがショートストーリーを執筆するという前代未聞の形態で、雑誌『ダ・ヴィンチ』にて連載された企画をまとめた本書では、くどうさんが戸塚さんの本質に迫る渾身の書き下ろしエッセイも。
「この街のどこかにいるかもしれない人たち」十五篇を集めた本書について、“捕まえる”ことのできなかった戸塚さんについて、そして作家としてのご自身のスタンスや信条について、くどうさんが語ってくださいました。
作家。1994年生まれ。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『桃を煮るひと』(ミシマ社)、『コーヒーにミルクを入れるような愛』(講談社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)、第一歌集『水中で口笛』など。初の中編小説『氷柱の声』(講談社)で第165回芥川賞候補に。現在講談社「群像」にてエッセイ「日日是目分量」ほか連載多数。
https://rainkudo.com/
2人の本であることを大事に

今回、戸塚純貴さんとタッグを組んだ『登場人物未満』が発刊されますが、戸塚さんとは同郷という共通点があるそうですね。
はい。前の『ダ・ヴィンチ』編集長も同じく盛岡出身で、その方から「戸塚さんと連載してみるのはどうでしょう?」というお話をいただいたんですね。
どうも彼の中では“2人が関わったときに、どういうことが起きるのか見てみたい”という想いがあったようで、もちろん同郷というキッカケはありましたけど、純粋に今、このタイミングで2人がコラボしてみたらどうなるか?という興味が強かったようです。
編集長の中でお2人に対して何かしらの共通点だったり、化学反応を起こさせてみたいという動機があったんでしょうね。
おそらくそうなんだと思います。ただ、私と戸塚さんって似ているというより、むしろ正反対なところのほうが多いんですよ。表現しているフィールドも俳優と作家というまったく別のもので、きっと、だから関わらせたかったんでしょうね。

連載の手順を確認させてください。まずは写真があり、くどうさんが文章を書かれるという順序だったんでしょうか?
そうです。毎月写真が何カットか送られてきて、その中から私が選ばせていただき、ショートショートを付けていくという流れでした。
戸塚さんには戸塚さんのファンがいて、私には私の読者がいるなか、どういう形を取るのがいいんだろう?って最初は悩んだんですけど、戸塚さん側から「これは戸塚純貴のフォトブックとかファンブックではなく、2人の企画であるという部分を大事にしたい」とおっしゃっていただけたんですよね。
なので、最初は戸塚さんのファンに向けて書くことも考えましたが、2人の本であると、きちんと自分の作品として胸を張れる形でショートショートを創作しました。
それで連載が始まったら、そこから連想した物語を、今度は戸塚さんが『登場人物超過』のタイトルでご自分のインスタグラムに投稿してくださって、私も一読者としてワクワクしましたね。しかも、初回だけの特別なプレゼントみたいなものかと思っていたら、2回目、3回目と続けてくださって、もしかして全部やる気なの!?って驚きました。ただでさえ朝ドラにも出演されていて、一番お忙しい時期だったのに、それだけの時間を割いてくださったことが嬉しくて。
ただ、だからといって私が『登場人物未満』から『登場人物超過』へとバトンを渡すつもりで書いてしまうとブレてしまうのではないかなと。だから戸塚さんが書いてくれることを前提に、そこに寄り添うようなテキストではなく、むしろ“こうきたら、どう書かれるのだろう?”という気持ちで、難しい設定もどんどん書いていきました。
『登場人物超過』は加筆修正の上で本書にも掲載されていますが、では、こちらは最初から連載の関連企画として決まっていたものではなく、本当に戸塚さんが自主的に始められたものだったんですね。
そうなんです。そもそも戸塚さんから送られてくる写真も、毎回、難題だったんですよ。絵面としてはすごくカッコいいんだけど、“これをどうすれば? ”と言いたくなるような写真ばかりで(笑)。

『登場人物未満』と言うからには、街の中にいそうな人間として書かなければならないのに、写真の中の戸塚さんは街の中には到底いなそうな人物に映っていたので、いつも試されているような状態に置かれていたんです。
でも、10代のときから短歌をやっていたので、いろんなテーマだったり、文字数の制限がある中で何かを表現をすることには慣れてはいるんです。むしろ制限があった方が興奮するというか“やってやろうじゃないか!”って闘志が湧くので、久しぶりに血が滾ったような感覚がありました。
普段の私の仕事って、自分の頭の中で思い浮かべたものに文章を通して近づいていく作業なのに、この連載では先に写真を出されるから、予定調和がまったく無いんですよね。なので、2人で協力して何かを作り上げたというよりは、お互いに実験しながら、企みながら、進めていくような感じで、そういう意味ではすごく楽しい企画でした。
どう差別化するかバリエーションをつけるか

『登場人物未満』と『登場人物超過』も、まるで連作のようになっている回もあれば、まったく違う切り口のものもあって、本当に打ち合わせ無しでやっていらっしゃるんだなとは思いました。
事前の打ち合わせとかは、まったく無いですね。だから戸塚さんは戸塚さんで、自分の写真と私のテキストをセットで見たときに、本当に素直にインスピレーションを受けたものを『登場人物超過』で書いていらっしゃるんですよ。ファンの方からすると、そのぶん普段は見られない一面がいっぱい入っているんじゃないかな。
個人的にはスワンボートの話(13話『和葉』)が、めちゃくちゃ楽しかったですね! それまではキャラに対して何らかの役割を与えていったんですけど、スワンボートのときは“この男は一体……?”と言いたくなるような写真が来たので、戸塚さんに対する私の感覚を真正面から書けたんです。
『登場人物超過』でも戸塚さん、まったく裏返しの視点で書かれてましたよね。逆に、一番書きづらかった話を挙げるなら?
7話の『マックス』ですかね。7話から12話の写真は岩手ロケをさせていただいて、私も立ち会ったんですけど、この写真は地元岩手の百貨店「カワトク」で撮ったんです。自分がよく知っている場所の屋上で、戸塚さんがしゃがみ込んでるって、どういう状態!?みたいな。そこにつながる物語がなかなか思い浮かばなくて、この目線の低さは何を見ているんだろう?と考えたときに“犬”だなと。私、はじめて犬目線でモノを書きました(笑)。
なるほど! 目の付け所がさすがです。そして、この話のタイトルが犬の名の『マックス』であるように、それぞれのタイトルが、物語の中で戸塚さんを見ているキャラクターの呼び名で統一されているのも面白いなと。
私は普段フィクションを書くとなったとき、登場人物のビジュアルをそんなに決めこまないんですよね。背丈とか髪の長さとか服装とかのイメージくらいで、明確に“こういう顔”というのは決めない。ところが今回は、戸塚さんというビジュアルが最初から決まっていて、そこに対して十数回当て書きをしなければならなかったから、どう頑張っても書いていくものは似ていくんじゃないかと予想していたんです。
だから、誰が彼を見ているか?というところで差別化していったんですね。前回は後輩の女の子だったのに今回はお父さん、同僚、元カノ、通りすがりの人とか。もちろんシチュエーションは違うけれど、そうやって戸塚さんに対する関係性を分散させて、バリエーションをつけていきました。

この1冊を通じて全話が戸塚さんという1人の人物を取り巻く物語として解釈することもできるし、全部バラバラで異なる世界線の話だと取ることもできる。
おっしゃる通り、真ん中に戸塚さんが扮する人間がいて、その男のパラレルワールドという感じで最初は書いていくつもりだったんですよ。だから、キャラクターもそんなにブレていくつもりはなかったのに、戸塚さんって話していると自分と話している感覚になるというか。こちらがどういう人間であるかを、鏡みたいに照らし出してくれる人なんです。
だから、最初は戸塚さんに当て書きをして、いろいろ変な男になってもらおうって意気込んでいたんですけど、むしろ主人公は戸塚さんではなく、周りの人間にするべきだなと。いろんな背景を抱えている彼ら、彼女らが、戸塚さんと交流することによって自分自身について顧みる……というスタイルに固まっていったんです。それが定まってからは、やりやすくなりましたね。
戸塚純貴って一体何者なんだ?

本書のあとがきには『戸塚さんを捕まえる』というタイトルがついていて、でも、やっぱり捕まえられなかったと結論づけられていますが……。
連載を重ねていくうちに、その中で戸塚さんの人となりについてだんだんとわかっていくだろうと予想していたんです。でも最後までそれが自分の中で掴めているような感覚がなくて。なので1冊にまとめるとなったときに、あとがき用に対面でインタビューする場を設けてもらったんです。そこで戸塚さんの魅力を私がテキストで引き出して、バンと提示していくつもりだったのに、戸塚さんって何を試みてもどんどん変わっていくんです。
だから初手からあたふたしまくって、最終的には自分の悩み相談みたいになってしまったし、あまりにも尻尾を掴ませてくれないから予想外に長くなってしまいました(笑)。
思い返せば、元編集長がコラボの話を持ってきたときも「こういう人でもあるし、こういう人でもあって、こういう人でもあるんだけど、どれも違うんだ」みたいなことを言っていて、結局なんなの!?って思ったんですけど、やり取りをすればするほど本当にそうとしか言いようがない。みんなの中の戸塚さんがどういう人なのかを知りたくて、ご本人がいないところで彼の話をしてみると、全員が「わかんないんだよ」って言ってる、本当に不思議な魅力をもっている人なんだなと思います。
ある意味、変幻自在な方なんでしょうか。さまざまな面があって、でも、そのどれもが戸塚さんであるという。
おかげで、読者の方と一緒に“戸塚純貴って一体何者なんだ?”というのを、一緒に探してもらえる1冊になったんじゃないかと思います。でも、戸塚さんがどういう人であるかを私が決めつけてしまうより、そっちのほうが正しいことのような気がするんですよね。
結局、自分の理解の範疇に戸塚さんを収めようとしていたのが間違いだったので、これを読まれたファンの方の中でも15回のうちどの回が戸塚さんらしいと思うのかは一致しないだろうし、そういった彼の奥深さというか一筋縄ではいかない感じが、少しでも伝わったらいいなと。

自分が作品を書く時、たとえフィクションであっても、五感というか手触りみたいなものは意識しているので、 作中に登場する人間たちのこともキャラではなく、本当にいる人間として書いているんですよ。だからステレオタイプには嵌めたくないし、“こういう人間だから、こうするだろう”っていう決めつけもしたくない。小さな裏切りで、その人物の生々しさみたいなものを出していけるんじゃないか?という気持ちもあって、そこから『登場人物未満』っていう連載タイトルも付けました。
“登場人物”にしてしまうとキャラクターを書かなければいけなくなってしまうから、そこまでわかりやすい人物像ではないけれど“こういう人いるよな”っていう生々しい感じが出せたらいいなと。戸塚さんのファンブックではなく2人の企画ということで、ここは私の土俵に近づけさせていただきました。
本物の生きている人間って、そんなに簡単でも、わかりやすくもないですからね。アンコントロールで“これ”と言い切れないことのほうが多いのかもしれませんね。
さっきも言ったように、本当に戸塚さんってご本人がいない場で話題の中心になるんです。そういう人って、やっぱりすごく魅力的で憧れますし、でも、自分は戸塚さんみたいになれないっていうのも、インタビューをしてみて実感したんです。それが悪いことだとも思わないし、世の中にはいろんな人がいて、みんな同じじゃないということを知れたのは良かったですね。
本作はすべてショートショートなので、どこから読んでも読みやすい形にはなっていますし、戸塚さんとお話しすることで今まで出してこなかった自分の一面にも気づくことができたので、もともと私たちを知ってくださってる方は出会い直していただくような1冊に。まったく知らない人にとっても、すごく手厚い初対面の1冊になっているので、楽しんでいただきたいです。

撮影/中野賢太(@_kentanakano)