1980年に設けられ、40年以上の歴史を持つ〈横溝正史ミステリ&ホラー大賞〉で今年の優秀賞を受賞したのは、現役東大生の浅野皓生さんによる『責任』(応募時の『責』から書籍化にあたり改題)。浅野さんは、2022年に〈東大生ミステリ小説コンテスト〉で大賞を受賞したのをキッカケに、文筆の世界に入られました。
幼いころからTVドラマ『相棒』の大ファンであり、ミステリーに傾倒しながらも、小説家を目指すことからは「足を洗おうと思っていた」と言う浅野さん。それでも小説を書き続ける理由と“リアリティへの追及”について伺いました。
2001年、東京都生まれ。22年、『殺人犯』で〈東大生ミステリ小説コンテスト〉大賞を受賞(『テミスの逡巡』と改題し『東大に名探偵はいない』に収録)。24年、『責』(『責任』と改題し書籍化)で〈第44回横溝正史ミステリ&ホラー大賞〉優秀賞を受賞。東京大学法学部在学中。
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ミステリーの魅力は、没入感
今回〈第44回横溝正史ミステリ&ホラー大賞〉で優秀賞を受賞された『責任』は、なんと長編小説としては処女作だそうですね。
そうですね、中学時代〈このミステリーがすごい!〉大賞に出すために書いた16万字の駄文を除けば。……当然ながら落選しましたけど。
いや、中学時代に16万字を書くこと自体すごいですよ。つまり、子供のころからミステリーがお好きだったんでしょうか?
小学生のときは、はやみねかおる先生の『夢水清志郎シリーズ』などのジュブナイルミステリーを読んでいました。中学に入ってすぐ、母が「本物の本を見せてやる」と宮部みゆき先生の『火車』を読ませてくれて、読書沼に叩き落とされました。そこからは宮部先生、横山秀夫先生とか、もう手当たり次第に読み始めました。
ミステリーって没入感がすごいんですよ。時間を忘れて読み進められて、世界観に没頭できる。謎解きのカタルシスみたいなものが必ずあって、自分には解けなかった謎が目の前で鮮やかに解かれていくのが、快感なんです。もしかしたら、ちょっとマゾヒスティックなのかもしれない(笑)。
わかります。ミステリードラマでも、最初に出てきた何気ない描写が謎解きに繋がってくると「あ、気づかなかった!」と悔しくなりつつ、爽快感がありますよね。
なので、手がかりが出ているのに手がかりだと気づかせない、そういう作品が好きですね。その点、刑事ドラマの中で一番クオリティの高い傾向にあるのが『相棒』なんです。小学校6年生のとき、中学受験のために通っていた塾の先生と「息抜きが必要」って話になって「だったら『相棒』とか観てもいいんじゃない?」って勧められたんです。それでカイトくん(三代目相棒、甲斐亨の愛称)が出ている2シーズン目のseason12から観始めました。
よく覚えていますね。
もちろんです! 第1話の『ビリーバー』は、カイトくんが陰謀論にのめり込んでいると聞いて(主人公の杉下)右京が調べると実は……っていう話で。懐かしいです。
『相棒』って脚本家が複数いるので、1人の書き手では成し得なかったであろう人間の深みを右京は持っているんですよね。だから、仮に筋立てが面白くなかったとしても、右京の振る舞いとか言動の一つひとつが面白いんですよ。よく“キャラクターの魅力”って言うけれど、解剖するとそういうとこに行き着くんです……って、すみません聞かれてもいないことを!
いや、『相棒』への情熱が伝わってきました。小6でドラマ、中学に入ってからは書籍とミステリーの世界に触れ、熱中して……となると、自分もミステリー作家になりたい!と思うようになるのは納得です。
当時は俗に言う“中二病”の状況だったので「俺がこの世で1番面白いミステリーを書けるんだ!」と思い込んでましたね。それで中3のときに〈このミステリーがすごい!〉大賞に応募したら落選して、信じられなくて結果を二度見して。当然打ちのめされて、大学に入るころには「もう、足を洗った方がいいかな」と思っていたんです。同時進行で演劇もやっていたんですけど、本当に演劇にのめり込んだら大変なことになるということも知っていたので、とにかく真面目に生き直そうと。
諦めるのが早い!と言いたいところですが、当時の浅野さんからすると大学に行って安定した人生を送るのが本道だとすると、演劇だとか小説を書くというのは横道に見えたんでしょうね。
その横道に進むための強い情熱とか、自分の能力への信頼みたいなものがなかったんです。高校3年生とかになると、中学時代に書いた16万字がいかに駄文だったかもわかるようになり、母からも「駄文だから時間の無駄だ」という揶揄を受けて。いろんな映画とか演劇とか小説に触れるうちに「こんな素晴らしい作品を作る技術を自分は持っていない」と気づいて、だったら普通に勉強しよう、勉強も楽しいし……っていう感じでしたね。
書きたかったテーマは“運”と“責任”
それなのに東大に進学してから、〈東大生ミステリ小説コンテスト〉で大賞を獲り、小説家への道が開けるというミラクルが起こったと。
東大生限定ならパイが小さいですし、なんとなく、このコンテストって来年以降はないんじゃないか?と思ったんですよね。それで頑張ってみたんですけど、留学期間中に書いていたので〆切ギリギリでしたし、自信も全然なかったので、受賞のメールが来たときにはビックリしました。
そしたら著者全員が東大出身者のアンソロジー『東大に名探偵はいない』に受賞作が掲載されることになり、その後、編集さんに勧められて長編を書くことにしたんです。で、ちょうど〈横溝正史ミステリ&ホラー大賞〉があったので、じゃあ、そちらに出しましょうということになったら優秀賞を頂いて! 審査員の先生方も錚々たる面々ですし、そもそも最終選考にも残らないと思っていたので、〈東大生ミステリ小説コンテスト〉のときの150倍くらいビックリしましたね。
ただ、選評を拝見すると手厳しいことも書かれていますし、書籍化にあたっては、かなり改稿されたのでは?
はい、特に2部は大きく変わりました。というのも、最初の応募作の段階では、法律面での重大な見落としをしていたんです。なので、抜本的に書き直すべきなんじゃないかというところ、編集の方とも相談させていただきながら、トータルで3、4カ月かけて改稿しました。
司法試験の予備試験の準備と並行しての作業だったので、7月とかは心が死んでました。でも、試験は来年受け直すことができますが、小説の改稿は一回限り。なまじ変なものを出すのはプライドが許さないし、読んでくださる方にも申し訳ないので、全力を注ぎました。おかげで自分の中でも消化不良だったところが解消されて。選考委員の皆さんの手厳しい選評のおかげです。
よく“真実が正解ではない”と言いますが、2部ではすべてを明らかにして受けるべき人に裁きを受けさせる正義と、それらをすべて捨てても個人の心を守る正義という、異なる正義の対立が描かれているじゃないですか。そのへん『相棒』がお好きと聞いて納得しました。しばしば『相棒』でも“正義の対立”がテーマになるので。
……それは、今、言われるまで気づきませんでしたね!
そんな(笑)。『責任』で書きたかったテーマは“運”と“責任”だと方々でおっしゃられていますが、やはり、このお話の骨子ってそこなんでしょうか?
そうですね。主人公の徹は過去に自分が関わった事故のことで痛切に責任を感じているけれど、そうなってしまったのは完全に運でしかない。風が吹けば桶屋が儲かるというか、ピタゴラスイッチ的というか。
大学の行政法の授業で、パトカーが追跡していた逃走車が他の車とぶつかった場合に国の責任はどうなるのかに関する判例を勉強し、かたや、倫理学の方では、自分に過失がなくても、例えば幼子を車で轢いてしまったら苦しむよね……という議論を聞き、その2つの学びが『責任』のベースになっています。
浅野さんご自身が、徹と同じ立場になったらどうなるんでしょうね。
僕は結構ドライな人間で、バサバサ人間関係を切っていくところもあるので、徹とは反対に“しょうがない”と割り切ってしまうかもしれません。でも、徹というキャラクターは好きですよ。自分勝手でガンガンいっちゃって、のめり込む感じは結構好きですね。
ただ、別に徹にはなりたくない(笑)。徹のような人間は生きづらいような気もしますし、なので「大変だな」と思いながら書いてました。書いていて楽しくはあったんですけど、いろんな辛いことやらせてごめんねと(笑)。
ちなみに、お気に入りのシーンとかってありますか?
序盤で、徹と上司の青柿が“梅ヶ丘署の喫煙所が牢屋みたいになってる”って話すシーンとか好きですね。本筋には全然関わってこない情報なんですけど、この物語では梅ヶ丘署というのが1つキーポイントになるので、そこに2人がいたんだという縁みたいなものを表現したかったんです。
小説を書き続ける理由、志す作家像
ところで、足を洗おうと考えていた小説を、結果的に今、浅野さんが書き続けている動機って何なんでしょう?
やっぱり書きたいテーマだったり、“こういう状況にある人間を書きたい”というものがあるんですよね。
もちろん緻密なトリックも面白いですけど、僕が書きたいのは、人間がいろんな感情を持って動いた結果として事件が起き、それがミステリー的にも謎解きのポイントになっていて、登場人物の行動をより深く理解できるものになる……という作品なんです。だから、本当に書きたいところは人間の感情なんですよね。なので読者としても、トリック系のミステリーより、いろんな事件が絡み合って登場人物の感情がもつれているようなものが好きなんです。
なるほど。トリック自体よりも、事件に至るまでの人間の感情を重視しているということですね。また、別のインタビューでは“神の視点”を捨てるようにしているともおっしゃっていましたが、それはいったい?
書き手として物語を俯瞰していると、どうしても物事が見えすぎてしまって、そういう目を登場人物にも持たせてしまう悪癖があるんですよね。結果、すごく頭が良くて、何でも見通してしまうキャラが生まれてしまう。だから、そういった目は捨てるというのは一種のテクニックでもあり、登場人物に対する誠実な向き合い方の1つかなと。それは今後も気をつけなければいけないとは思っています。
特にミステリーだと、どの情報をどのキャラがどこまで知っているかをキチンと整理して、どこまでの推理ならご都合主義ではなく自然に映るか?というのは、綿密に考えて進めていかなければいけないところですからね。
はい。だから改稿していた当時は大変だったでしょうね。
なんでそんな他人事なんですか(笑)。
いや、もう今の僕は書いたときの自分とは別人物なんです。8月頃の僕は頑張っていたなと思いますし、彼が頑張ったおかげで今は本が出て嬉しいなという感覚で、あんまり自分が書いたような気がしないところもあるんですよ。
とはいえ、今後も作家活動は続けられるんですよね……?
願望としては、もちろん続けたいです。ただ、前回の短編を書いてから長編のお話を頂き、なんとか捻り出したのが『責任』なので、また今はスッカラカンの状態なんですね。なので、次のアイデアが本当に出てくるのか、今の僕にはわかりません。
司法試験の予備試験のほうも9月の頭に論文試験が終わり、結果が出るのは12月の下旬なので、特にやることがない今のうちに話を考えなきゃ……というところなんですが、まずは設定を詳細に決めておかないとダメなんですよね。『責任』でも登場人物を遊ばせる土台がもっとしっかりしていれば、もっと自由に、最初から遊んでくれたような気がするんです。
土台がグラグラしていると、どうにも収拾がつかなくなってしまう。それが今回の執筆を通して得た僕の反省なので、次回は詰められるところは詰め、詰めなくてもいいところは自由に残してという塩梅を大切にしようと考えています。
兼業で得られる刺激
では、司法試験を突破して法曹界で生計を立てつつ、小説も書き続けるのが理想のビジョンでしょうか? ちなみに合格した場合、検事、裁判官、弁護士のうち、どの道に?
弁護士を目指そうと思っています。
いいですね。現役弁護士のミステリー作家なんて最高じゃないですか。
響きは甘美なんですけど、道のりは遠いです。もちろん法律の勉強もしなければいけないし、書くほうの実力もつけなければいけないし。いずれにしても、自分で生きていけるだけのお金を稼げるようにしたいですね。
なので、もし司法試験に受からなかったとしても、小説一本ではなく何らか別の仕事もしたいです。たぶん印税で生きていけるような“天竜人”にはなれないでしょうし、他の仕事をやることで得られる刺激もあると思うんですよ。小説はフィクションを書くものだけれど、その中でもリアリティがないといけなくて、それって実際の物事だとか、その業種特有のルールや空気感を知っていればいるほど上手く書けるものなんですよね。
例えば、法律業界のルールや空気感を僕は知っているけれど、これが建設だったら、商社だったら、出版だったら……って、それぞれの業界で変わってくるじゃないですか。本当はその全部に入っていきたいくらいなので、仮に弁護士がダメだったら違うところに拾ってもらい、その業界で頑張って働きたいです。
ただ、浅野さんの場合、究極の目標は『相棒』の脚本家に入ることのような気がするんですけれど。
間違いないです! なので、こうしてメディアで種を蒔いて、もしかしたらプロデューサーの人とかが見てくれないかな……という淡い期待を持ってはいます(笑)。ハセベバクシンオーさんみたいに、小説上がりで『相棒』の脚本書いてらっしゃる方もいますからね。
ただ、あんまり愛がありすぎると、逆に迷走する可能性もあるので。縁がなければ“それはそれ”で、ファンとして一生を終えるというのも、まぁ、いいかなとは思ってます(笑)。
撮影/中野賢太(@_kentanakano)