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正解はひとつじゃない。作家・もちぎが“女性”について描いた『あたいと焦げない女たち』インタビュー

正解はひとつじゃない。作家・もちぎが“女性”について描いた『あたいと焦げない女たち』インタビュー

ゲイ風俗やゲイバーで働いていたときの体験談や、そこで出会った人々を描いたマンガやエッセイをSNSに投稿して人気を博し、これまで何冊もの著作を出版されてきた「もちぎ」さん。最新作『あたいと焦げない女たち』は、もちぎさん自身の周りにいる数々の“女性”について取り上げた1冊です。

多かれ少なかれ“ゲイ”というファクターに関わりながら、さまざまな視点や考えを持つ女性たちに寄り添い、否定せずに包み込む、もちぎさんならではの優しい視点は今作でも健在。人間心理の深層にまでタッチして、読み終えたときには救われたような気持ちになれる本作について語っていただきました。

profile
もちぎ(モチギ)
元ゲイ風俗とゲイバーで働いていたゲイ。ギリギリ平成生まれ。現在は学生兼作家としてエッセイやコラム、小説などを手がける。取材や対談などで得た知見や、経験談などをブログやSNSで日々更新中。
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女性について描いた理由

もちぎさんが女性についてのエッセイを出されるというのに、正直、最初は複雑な気持ちだったんです。「女の世界に入ってこないで」という気持ちと「男の世界だけを書いていてほしい」という想いが同時に湧いたというか。

わかります。これは蔑称ですけど「オカマが女をぶった切る」みたいな、昔から脈々と続いてきた文化みたいなものがあるじゃないですか。でも、所詮オカマも属性としては「女」ではないですし、特に最近は一時期のジェンダーレスブームのバックラッシュなのか、トイレやお風呂だけじゃなく電車も男性専用と女性専用に分けよう……みたいに、男女の分断が取りざたされるようになってきた気がするんです。だから余計に、こういったエッセイを書くことで、誤解されても仕方ないなとは思ってました。

これまでは、いわゆる男の世界を書いてきたわけですけど、やっぱり男だけで社会は回っているわけじゃなくて、ゲイバーにも女の人は来るし、ゲイと言ってもゲイとだけつるんでいるわけじゃないんですよね。

ただ、自分自身「父親みたいな存在が欲しかった」ということは書いていても、じゃあ、良い母親が欲しかったかどうか?というところには触れていない。母親のこともあり、自分的にも女性に対して怖い……というかトラウマ的なイメージがあって、描くのを避けてきた部分もあったから、読者に「女性の存在を透明化しているところがあるんじゃないか」というご指摘を受けることもありました。それで、とりあえず風俗の話は一区切りついたので、今度は女性を取り上げてみようということになったんです。

あたいと焦げない女たち』1話より
©もちぎ/KADOKAWA

確かに、本の冒頭1話に描かれているお母様の話を読むと、正直“トラウマ”というのもわからなくはないです。そのぶん描かれるのには、かなり勇気が要ったんじゃありません?

いや、そうですね。もちろん、どの話もセンシティブなので、話を聞かせてもらった人たちには全員「ホンマにこれ嫌じゃなかった?」とかって確認してるんですけど、母親とは会えてないですし、これを読んで、また何をされるかわかんないっていう怖さもあるし。ただ、自分としてはやっぱり避けられない話題ですし、母親のことをエッセイに描き始めた当初は、正直“復讐”みたいなところもあったと思います。

でも、やっぱり歳を取って環境が変わったり、描き続ける中でいろんな意見や感想をもらって、自分の中でも考え方や視点が増えていくうちに……ちょっと共感というか同情を感じたりするときもありましたね。

わかります。もちぎさんは子供として大変な目にも遭われたでしょうが、サブタイトルにもある“女という呪縛”に覚えのある身としては、100パーセント否定はできなかったです。

ただ、だからって「許せる」とか、冷静に第三者目線で見られるようになった感覚もないんです。よく、カウンセリングとかセラピーとかでも、自分の気持ちを感情的にならずに冷静に俯瞰して書き出すっていうメソッドがあるじゃないですか。でも、それはそれでなんか気持ち悪くないですか? 自分の感情やのに。

書き出すことで解決するなら簡単ですけど、そうはいかないのが人間の感情というものですよね。

ホンマに同意見です。だから、自分としてはエッセイで描いたから完結というわけではないんですよ。迷いながらも今の自分が精いっぱい出せるものを描いたとはいえ、これが別に“答え”ではなく、生きていく中で自分も、相手も、環境も変わるだろうし。だから、よく毒親育ちの方が「自分もエッセイとかに描いて吐き出したいです、スッキリしたいです」って言ってくることもあるけれど、それに対しても「どうなんだろうな?」って疑問はありますね。

ただ、母親については今までにも何度か触れているので「いつまで書くねん!」とかって言われても嫌やから、今回の作品で家族の話は一区切りにするつもりです。なので、とりあえずこれさえ読めばウチの母ちゃんと姉ちゃん、それをバックグラウンドに持つ、このもちぎの存在も知ってもらえるんじゃないかなと。

本書はお母様の話で始まり、お姉様の話で終わりますが、お姉様からはどんな感想が?

「最初のときより上手なったやん」ぐらいですね(笑)。内容については特に言ってこないので、じゃあ、文句はないのかなと。あとは、印税で焼肉おごって還元すればいいかなと思ってます(笑)。

あたいと焦げない女たち』1話より
©もちぎ/KADOKAWA

正解を押しつけるのは、不安だから

なるほど(笑)。そして2話以降ではゲイの息子さんを持たれている女性、BL好きの女性、風俗で働く女性、フェミニズムに傾倒されている女性と、もちぎさんの周囲にいるさまざまな女性の物語が描かれていて、個人的にはゲイの男性と仲良くしていたら、襲われそうになったという女性の話に衝撃を受けました。「ゲイ相手なら女性は安心だと思ってた。でも、女はそこでも弱くて対等じゃないんだ」という言葉には、頭を殴られたような衝撃でしたね。でも、それが事実。

事実ですね。最近、Xでも「男から性欲がなくなったら、女に優しくしない」みたいな論争が起きてましたけど、女性に対して性欲がないからといって男と同じフラットな扱いはしないと思うんですよ。

やっぱり体格とか筋力が違いますし、男同士であっても体格で劣ると舐められる、いじめられる、ターゲットにされるというのがありますからね。実際、その子から話を聞いた当時は「そんな悪いやつがおったんやな!」って個別化して考えてたんですけど、 いや、これ割とみんな持っている感覚かもしれないな?と気づいたので、改めて描かせてもらいました。

男性の肉体的優位性は揺るがすことのできないもので、あらゆる意味で社会的に有利だなというのは正直感じます。ただ、女性としては忸怩たる状況であることに違いはないですし、そういった分断を今後どうしたら減らしていけると思われますか?

いや、どうなんでしょうね。冷笑とか諦めという意味ではなく、身体的に絶対的な違いがある以上は、やっぱり完全な平等って難しいと思うんです。ただ、社会的性別であるジェンダーのほうで言えば……僕も今、夜の街で働いてますけど、そこでいちいち男か女かなんて気にしないんですよ。もちろん、住み分けはありますけど。

だからといって住み分けを分断とは思いませんし、むしろ、あるべきやと思うんですよ。そこで「そんなん許されへん」とか「あいつらは俺らより劣ってる」という感情が起こるから、たぶん住み分けが分断に変わっていく。だから、マジで多様性大事にしようぜ!ってことですね。

いろんな住処があって、いろんな生き物がおるから、自然界でも豊かな山が生まれるわけじゃないですか。桜しか咲かない山はどんなに綺麗でも歪だから、住み分けてもいいけれど、それで分断したり喧嘩したり、相手を潰すようなことはやめようよって。だからピンクの服を着る女とか、男らしいものが好きな男とか、テンプレートなジェンダーもあっていいけれど……。

あたいと焦げない女たち』1話より
©もちぎ/KADOKAWA

それを唯一の正解として他のものと分断を作るのは、どの性別にとっても息苦しい結果になる。

ですね。でも、そうやって“正解”を押しつける人って、結局、不安なんやと思うんです。きっと自分に自信がないから「男らしくないと正解じゃない」って属性の正解を1つに限定したり、そうでない人間を「それは間違っている」と攻撃することで自信を取り戻そうとしたりするんでしょうね。

だって、本当に他人のことを気にせず好きなことをやっている人って、他人の属性を馬鹿にしないし、多様性を認めてくれるじゃないですか。

この本でも「正解はない」「常に人がいつも正しくはいられない」と明言されていますよね。だから、すべての登場人物に対して目線がやさしくて、ここまで女性の気持ちを深く汲み取ってくださったのか!と、読み終えたときには最初の複雑な思いはすっかり消えて感謝でいっぱいになったんです。

ありがとうございます。それは何冊もエッセイを書いてきて、だいぶ自分のことを俯瞰して見られるようになったからでしょうね。

始めた当初は、表に出しにくい経歴を本として残せたことで、まるで自分が正解を持っている人間のように思っていた時期もあったんです。だから、否定的な意見をされたら反論したくなったし、すごく固定観念に囚われていた人間やったんですね。

でも、作家として活動し始めて、周りの人が「作家なら聞いて」って深い話を聞かせてくれるようになったら、みんなメッチャしっかり考えているし、それぞれに正解を持っていることがわかって。でも、自分の正解だけが正解じゃないことも知ってるし、自分は未熟やったなぁ……って恥ずかしくなったんです。

それを自覚できて、自分自身を冷静に見られるようになってきた今だから、自分のことだけじゃなく周りにいる人のことを描いてみたいと思ったんです。それで、今まで避けてきた“女性”という属性を描いてみることにしたんですよ。

結果、この本で描かせていただいた人たちって、すごく立派なんです。夜の仕事をやっている子とか、ネット上では軽んじられたりもするけど、直接会ったら絶対に馬鹿にとかできひんと思う。みんなそれぞれに考えがあって、ホンマに“生きてる”人たちなんで、温かい目で読んでもらえたら嬉しいですね。

あたいと焦げない女たち』1話より
©もちぎ/KADOKAWA

“作家”という肩書きを利用しよう

そもそも、もちぎさんが最初にエッセイ漫画を発表するようになったきっかけって何だったんでしょう?

それが全然なんも考えてなかったんですよ。仕事を辞めて落ち着いていた時期に、SNSとかでエッセイ漫画がバズっているのを見て、自分も何か描いてみようかなと思っただけ。

で、エッセイ漫画とかって自分のことをデフォルメして描いている人が多いじゃないですか。有名なキャラクターってミッキーマウスしかり、ドラえもんしかり、シルエットだけでわかるって話を聞いたこともあったので、じゃあ、自分は“餅”にしてみようかと。

とはいえ、別にバズらせようとしていたわけじゃなく、同じような子らに受けたらええなってくらいだったんで、最初はホンマにチラシの裏に黒のボールペンで描いただけやったんです。

だから、それがたまたまバズって「出版しませんか?」とお声がけされたとき、「ボールペンと紙で描いてます」って言ったら、すごくビックリされました。「ベタとかトーンとかどうするんですか?」って聞かれて「ベタとかトーンって何ですか?」とか、そんなレベルだったんで。だから原稿料をもらって、すぐにiPadを買いました(笑)。

つまり、言い方は悪いですが“成り行き”でココまで来たような……?

自分の人生、そんなことばっかりなんです。せっかく上京したからと大学に入ったけど、就職とか資格が目的だったから単位も楽勝なものだけ狙って、もったいない大学生活を送ったり。結局、卒業後に入った会社も「合わないな」って4カ月でやめて、その後は夜職をしていたんです。

で、エッセイを書くようになって印税が入ったときに「もっとちゃんと勉強しよう」って、もう一回大学に入り直したんですよ。だから、何も計画通りには行ってない……というか、計画性がない(苦笑)。

でも、今は作家としての自覚を持って、人とも相対していますよね。

いや、個人としては別に“作家”という職業に思い入れはないですよ。堅実な仕事でもないし、社会的には変わった人のように思われやすいですし、自分自身「ずっと書いていけるんかな?」という不安もあるし。

ただ、1回本を出してしまえば一生“作家”って名乗っていいやろうなって(笑)。やっぱり“肩書き”って便利なんですよ「この子、作家やねんで」みたいに紹介してもらうと、いろんな人が良くも悪くも近づいてきて、いろんな話を聞かせてくれる。だったら“作家”という肩書きを利用してやろうと。

リアルな場所、人間が好き

お話をうかがっていると、きっと人と話すことがお好きなんでしょうね。

どうなんでしょう? そんな大それたもんちゃいますけど、他人とおる自分が好きやから他人といたいし、接客業も好きやし。たぶん……寂しいんじゃないですか(笑)。でも、1人でいるのが好きな人だって、時々は人と会っていたり、趣味を通してSNSで繋がってる友達がおったり、それぞれに寂しさを紛らわす対処法があると思うんです。で、僕の場合は、それが人の居る空間にいるってことなんですよね。

だから、今も友達のお店で働いていますし、今後もし自分で店を持つとしても、やっぱり夜のバーかなって。みなさん基本的にお昼は働いたり、家事とかされたりしているわけじゃないですか。だからこそ、夜は息抜きしたり、愚痴を言ったり、はっちゃけたりとかして、昼間とは違う顔を見せてくれるわけで。

逆に、僕みたいに明るくなってきたら寝て日が沈むころに起きる人間も世の中にはいるんで、そういう人間からすると夜、街が静かやったら寂しいんです。だから、やっぱり夜の店がやりたいんですよね。 自分のお店を再来年ぐらいにやろうかなって、今、ホンマに考えてます。

個人的には、ぜひ、 お酒が飲めなくても行けるお店を作っていただきたいです。夜のお店で息抜きするとか愚痴を言うとか、下戸だと夢の夢なので。

もちろん、そうするつもりです。お酒飲まれへんって理由で門前払いするのは悲しいから、お茶とかコーヒーとかも出したいですね。本格的な中国茶とかもいいじゃないですか(笑)。そんなアルコールが飲めない人でも、のんびりできるようなお店がええかなと。

SNSで5年、6年と活動してきて、SNSは好きやし面白いなとは思うんですけど、SNSが活動の拠点になってしまうのは怖いんです。やっぱリアルの人間の方が好きやから、そういう場を自分で作りたいなって。

SNSの心得について書かれた本書のコラムにも、私、すごく共感したんですよ。露悪ではなく、もっと違うやり方で自分の心をスッキリさせられるんじゃないのか?という意見にはハッとさせられましたし。人間ってどうしても簡単な方に行きがちなので、つい攻撃的になりやすいですけれど、折り合いをつけていくということは、あらゆる意味で学んでいくべきことなのかなと。

良い意味で言うと折り合い、悪い意味で言うと妥協なんですけど、正解って必ずしも0か100ではないんですよね。自分が「今は、これでいい」って決めた答えに、後悔とか後ろめたさがないのであれば0/100じゃなくてもいいじゃん!って思うんです。そもそも人と会って話してみると、みんな0/100じゃないんですよ。でも、SNSとかネットだと言葉で書くしかないから、立場を明確にしないといけなくて、つい攻撃的になってしまう。

だから、ネット上ではなく実際に顔を合わせることを大事にされているんですね。 ちなみに夜のバーを始めても、作家業は並行して続けられるおつもりですよね……?

それが今のところ、正直エッセイを書こうっていう気は全然起きないんです。書きたいものは書けたので、とりあえず一休みでいいかなと。でも、書くことは一生やめないと思います。マンガを描くのが大変なので文字だけになるかもしれないし、ただ、マンガって訴求力のあるコンテンツやから、誰かと組んでマンガの原作とかをやってみたいなっていう気持ちもありますね。

楽しみにしています。もちぎさんの書かれるものって、本当に目線が優しくて、そこが支持される理由でもあると思うのですが、どうすればそれだけの優しさや懐の広さを持てるのか、アドバイスをいただけませんか?

それは仕事や、周りの人に恵まれているからだと思います。寂しくなったら誰かに会える環境ができているから、心に余裕が持てる。逆に、余裕ない時期は周りとも喧嘩したり、仲のいい子と1年ぐらい会わなかったりしましたから。

人間って機嫌とか調子次第の生き物なので、例えば誰かに憧れていたとしても、それって相手の調子のいいとき、調子のいい面を見ているだけなんですよね。だから、もし、自分がもっと立派な人間だとかポジティブな人間になりたいのなら、一番は余裕を持つこと。

とはいえ、貯金も100万で十分な人もいれば、1億あっても余裕ない人はおるやろうから「ここまであったら余裕」という自分のラインを決めて。その環境を作る努力をしていたら、自分の気持ちとか人間性にも余裕が出て、自分が「素敵だな」と感じられる自分になれるんじゃないかと思います。だから皆さん、貯金をしましょう(笑)。