今をときめくアイドルたちの衣装を数多く手がける衣装デザイナー・MIYANISHIYAMAさんが、活動10周年を記念したムック本『TEN #衣装 #アイドル #カワイイ #MIYANISHIYAMA』を発表しました。表紙を飾る“あの”を始め、FRUITS ZIPPERや恋汐りんご(バンドじゃないもん!)など、プライベートでも交流のあるアイドルたちが華やかな衣装をまとい、鮮やかに誌面を飾っています。
中ページは見る者を夢の世界へと誘うファンタジックなコスチュームが満載のカタログとして楽しめる一方、新作衣装で撮りおろされた表紙と裏表紙は、なんとご自身が撮影! 「服飾の勉強はしたことがない」という驚きの経歴と、そこから生まれる自由で軽やかな発想こそが、彼女の武器であるようです。
福岡県出身。2014年よりブランドスタート。MIYANISHIYAMAの唯一無二の世界観で衣装や空間演出まで手がける。
https://www.instagram.com/nishiyamamiya/
https://x.com/miya_nishiyama
コーディネーターからデザイナーへ
今回、出版された『TEN #衣装 #アイドル #カワイイ #MIYANISHIYAMA』は10周年記念のムック本ということで、つまり、衣装デザイナーのお仕事を始められて10年ということになりますか?
そうです。10年前は私、まったく服飾とは関係ない仕事をしていて。実は台湾と日本のコーディネーターをやっていたんですよ。当時そのクライアントと話していたら、繋がりのある広島のテレビ局が作っていた『たまこちゃんとコックボー』というアニメのキャラクターが急遽広島カープの始球式に出るとのことで、「衣装を作ってくれる人、誰か知らないか?」と聞かれたんです。
このアニメで声優を担当していた廣田あいかちゃん(ex. 私立恵比寿中学)が始球式をやることになっていて、彼女が声を当てているキャラクターの着ぐるみみたいな衣装を作ってくれる人を探していると。当時の私は髪の毛の色が結構明るかったので、どうやら服飾の専門学校出身だと思われたみたいなんですね。
実際、服飾の勉強をしていたなんてことは……。
まったくなかったです。でも、そう言われたときに「じゃあ、私やりましょうか」って言っちゃったんですよ。急いでいたみたいだったし、いわゆるドレスじゃなくて着ぐるみなら不思議と作れそうな気がして。それが初めての衣装の仕事でした。
そこから、バンドやってる友達とか、アイドルやってる子とか、周囲から「じゃあ、私にも作ってよ」と言われるようになったんです。そうこうしてるうちに、その中のひとりが小さな展示会をすることになり、私も一緒に衣装を展示したら、それを服飾雑誌の『装苑』の方が見て「特集を組みたい」と言ってくださり。そこでブランド名を決めなきゃいけなくなって『MIYANISHIYAMA』が始まった……という流れですね。そこまでが、たしか半年ぐらい。
つまり、当時は服飾の専門知識もなく、衣装を作っていたということですよね。
はい。裁断バサミとかも持ってなくて、1万円ぐらいの家庭用ミシンで縫っている状態でした。それでも『装苑』の特集のおかげでブランドを知ってもらえたので、取り扱いたいという店舗さんが出てきて。完全に見よう見まねで作って、コーディネーター業のかたわら台湾でも販売したり。結構、行商みたいな感じでやってました(笑)。
それは間違いなく天性の才能があったということですよね。きっと小さい頃から洋服だったり服飾がお好きだったのではないかと思うのですが。
たしか小1ぐらいの頃には、リカちゃん人形の服とかを縫っていたような記憶があります。今、思えば、そんな危ないことを許してくれていた親も親なんですけど(笑)。ただ、だからって「服が好き!」と自覚していたわけでもないので、何がキッカケだったのか正直わかんないですね。母親は服飾がすごく好きでしたけど。
では、進路を考えるときも、特に服飾に進もうと考えることもなく?
何がしたいとか、まったくなかったですね。中高一貫の学校だったので高校受験もなかったし、絵を描くのは好きでしたけど、別にそれを仕事にしたいという気持ちもなく。とりあえず、推薦でデザイン科のある地元の大学に一応進んだんですけど、なんだかつまらなくて。辞めてしまったんですよ。
ただ、知り合いはみんな東京の大学に進んでいたこともあり、私も東京の美大を受けてみようと在学中から考えてはいたので、親の反対を押し切って上京して。その時はさすがに親も学費を出してくれなかったので、昼は古本屋、夜中は工場でバイトしながら予備校に通っていたんですけど……すごく疲れちゃったんですよね。それで美大の受験は辞めることにして、受験の当日にデザイン会社の面接を受けて入社しました。ただ、そこでもあまり上手くいかずに辞めて。ずっとフラフラしてましたね。
いろんな仕事したんですよ。アパレルの会社に就職したり。でも、どれもあんまり楽しくなくて、そしたら当時付き合っていた人が、台湾が好きだからってコーディネーター業を始めたんです。じゃあ一緒にやろうって。
そしたら冒頭の出会いがあり、衣装のお仕事を始めるようになったと。
そうです。そのうちデザイナー業が忙しくなってコーディネーター業が手伝えなくなり……。だから私の人生、何も上手くいってなくて、今、こうなっているのが、すごく不思議なんです。
発想の源は「わからない」
予定通りには進まなかったけれど、それでも今は衣装デザイナーとして大成功されているじゃないですか。女性アイドルグループを中心に、オファーが途切れないんですから。
私の場合、運営だとか事務所の方からお話が来るんじゃなく、メンバーご本人の希望で依頼をいただくパターンが多いんです。メンバーの子たちって、みんなSNSをやっているから、そこで私の衣装を見て「生誕祭で着る衣装を作ってほしい」とかって連絡をくださるんですね。私、衣装の仕事を始めた頃にやっとSNSを始めたので、たぶんSNSがなかったら厳しかったと思います。
そうやって依頼をくださるメンバーの皆さんからは、NISHIYAMAさんの衣装のどんなところが好きだと聞いてます?
それが私、メンバーさんに直接会わないんですよね。この前も『TEN #衣装 #アイドル #カワイイ #MIYANISHIYAMA』の出版イベントでCANDY TUNEの村川緋杏ちゃんと初めて会ったんですけど、彼女、元HKT48で、それこそ10年近く前に衣装を1回リースに出しているんですよ。その後も、ずっと私の服を買って、着てくれていたのは知っていたし、CANDY TUNEに移籍してからも何回か衣装担当しているのに、それでも出版イベントまで会うことがなかったので。
え? 衣装の打ち合わせとか採寸で、メンバーさんに会いません?
要望に関しては、基本的には運営の方がメンバーの希望を取りまとめたものを、テキストでいただいてます。あと、フィッティングだとかの細かい現場はスタッフに行ってもらっているので、最近は立ち会ってないですね。
私が直接行くよりも、スタッフに行ってもらうことで、スタッフ自身も「自分は、誰が着る何を作っているのか」が実感できるじゃないですか。ゴールが見えていたほうが働く上でもモチベーションにつながると思うので、行ってもらっているという面もあります。
なるほど。個人的な感想を言わせていただくと、NISHIYAMAさんの衣装って本当に夢のように綺麗で、可愛らしくて、眺めているだけでワクワクするんですよね。こういった発想やセンスの源はどこから来るんでしょう? やはり日々インプットは欠かさないんでしょうか?
それ、めちゃくちゃよく聞かれるんですけど……本当にないんです。
ええ!?
いや、私も本当にわかんないんですよね。何か具体的にやっていること、気を付けていること、習慣にしていることとか本当になくて。特に趣味もないんです。趣味が仕事になっている感じなので。なので衣装を作るときは、フワフワのスカートがいいのか、パンツがいいのか、NG項目は何か……とかっていう要望を運営さんからお伺いして、それに沿ってデザインをし、生地の選定をして……という感じです。
そういった実地の中で、生地の種類のような服飾の専門知識だったり、パターンの引き方といった技術も学んでいかれたんですね。
それが……これを文字にするのは気が引けるんですが、パターンは今も引けないんです。メジャーを使うのは、ウエストサイズぐらいですね。もちろん着る方のサイズはもらっていますし、でも、もらわなくてもあんまり問題はない。そのへんは自分でも不思議ですね(笑)。
なんという特殊技能……!
思い当たる節があるとするならば、地元で仮面浪人していたときと受験のために上京してからと、1年半ぐらい予備校で石膏像のデッサンを死ぬほど書いていたんです。だから、そこで鍛えられたのかもしれないですね。そういえば、私、知恵の輪みたいなパズルもメチャクチャ得意でした。たぶん立体が得意なんですよ。
毎日が撮影会
それにしてもすごい。ちなみに以前の記事で、年間約500着作っていると拝見したんですが、今も同じくらい作ってます?
そうですね。この本も“10周年”って銘打っていますけど、結局載っているのはここ2、3カ月分ぐらいなんで。もう、全然載せきれない。私、作るの早いんですよ。今回の表紙で、あのさんが着ている衣装は……4時間とか。これ、撮影前日に作ったんじゃないかな。
ええっ!? 確かに年間500着ということは1日1着以上ですから、相当なハイペースだろうとは思っていましたが。
パターンを引かないんで、早いんですよ。生地の手配をするのが一番手間ってくらい。だから以前は、新しい衣装を作っては、家を半分スタジオみたいにして毎日のように写真を撮っていたんです。
例えば、仲良い子に「ちょっと撮ろっか」って連絡して、作った服を着てもらって撮影するというのが日課になってましたね。ただ、そのために誰かスタッフを集めるとなると、スケジュールを合わせるのが大変だから、ヘアメイクもカメラも私。
カメラも!? ちなみに写真の勉強は……。
してません。撮影会みたいなことをご飯食べに行くようなノリでやってたんで、もう、写真が気づかないうちに溜まってたんですよ。降幡愛さんの写真集のご依頼をキッカケに出会った編集者さんに、その話をしたら「写真集、出しませんか?」ってお話をいただいたんです。それで5年前に出したのが『MIYANISHIYAMA PHOTO BOOK 100万回のかわいい!!!』なんですね。そのときに表紙をお願いしたのが降幡さんと廣田さん、それから、あのさんだったんです。
それで今作の表紙も、あのさんに?
はい。そもそもは前作の編集者さんに「10周年に初めて個展をやってみようと考えています」と言ったら、じゃあ、その図録的なイメージで本を出しませんか?とオファーをいただいて、そのときに「表紙は絶対あのさんがいいな」と思ったんですよね。あのさんとは家が近かったりでずっと仲良くさせていただいていたこともあって、ぜひ今回は単独の表紙で……と。
あとは、個展の会場が新宿・歌舞伎町の真ん中にある能楽堂だったので、裏表紙には歌舞伎町でホストをやっている、噂のりっくんにお願いしました。写真集に収録した衣装はどうしても可愛いものが多いので、大人の空気も入れたかったですし、彼はYouTuberでもあるのでタレント性があるという意味でもいいかなって。
あのさんの衣装は新しくイチから作っているんですけど、りっくんの衣装は、あのさんに今まで作った衣装を5、6着くらい組み合わせてリメイクしていますね。その元になっている衣装が、いくつかこの本の中にも載っています。表紙も裏表紙も、りっくんの勤めるホストクラブで撮らせていただいて、ちょっとストーリーっぽい繋がりを出せたらいいなと。
カバーを広げてみると、あのさんの表紙は青、りっくんの裏表紙は赤と、綺麗に対比になっているのもいいですね。
偶然なんですけどね。あのさんのイメージカラーが青、りっくんのカラーは赤ということだったので、じゃあ、対比で作ったら面白いかなと。
表紙と裏表紙の撮りおろしは今回もNISHIYAMAさんが撮影されたとか。あのさんの表情がとても良くて、被写体と撮影者の間にある信頼を感じました。
世間話をしながら撮っていただけなんですけどね。「この後、ご飯行く?」とか。その合間に「このシャンデリアにくっついてもらっていい?」とかってオーダーするくらいで、顔の表情は任せてました。
撮影をプロのカメラマンにお願いして、私が撮ってほしいことをお伝えするよりも、最初から自分で撮ったほうが早いんですよ。レタッチとかいろんな調整も自分で好きなようにできるし。というのも、私、メチャクチャせっかちなんです。だからパターンも引かないし、全部自分でやっちゃうんですよね。そのほうが早いから。
それでキチンと成り立つのは、やっぱり才能ですよね。
でも、イベントとかでファンの方にお会いすると、みんなビックリして帰るんですよ。「服飾の学校行ってないんだ」とか「思っていた感じと違う」とか。私、もっとしっかり服飾の勉強をしてビジョンを持っている人だと想像されがちらしく、でも、実際はメッチャふわっとしてるんで。
裏を返せば、天才肌ってことですよ。
良く言えばそうですけど、この仕事って、とにかく〆切があるじゃないですか。その〆切に追われていたら10年経っていた感じなんですよね。この年齢だったらもっとしっかりしているはずじゃない!?とも思うので、来年はしっかりしたいです。
「こうしてみたい」っていう目標を持って動くこともしたことがないし、あと、売り込みとか営業とかもしたことがないので、ちょっとやってみたいなと。
形に残らない仕事、制限のない仕事をしてみたい
何か目標だったり将来に対するビジョンって、現時点でありますか?
自分のことよりも、他の人のことをやってみたいかな。友達が最近作った化粧品会社のパッケージデザインだったり、知り合いの事務所のロゴのキャラクター作成だったり、ちょっとやってみたら楽しかったんですよね。仕事というよりも趣味的な感じで、そういったことは今後もやっていこうかなと。
あとは……これが目標と呼べるのかわかんないんですけど、形に残る仕事をずっとしてきているので、何か形に残らない仕事をしてみたいです。
やっぱり物質的なものって、限界があるんですよね。三次元に存在する生地は、どうしても重力に逆らえないので、ラフの段階で「こういう形にするためには、どの生地なら可能なんだろう?」とかって悩むことがあるんですよ。その点、例えばアニメだと重力がないじゃないですか。ちょっと前に、とあるアニメのコラボビジュアルのデザインを担当したんですけど、すごく楽しくて! 生地も選ばなくていいし、実際に作ったらメチャクチャお金も時間もかかる柄が一瞬で作れて、重力もないから好きな形にできる。あれは魅力的だなと思いますね。
なるほど! 本当はこういう形にしたいけれど、生地の重さを考えると無理だってことは当然ありますよね。だから発想をそのまま形にするには、三次元ではなく二次元のほうが都合良いと。
そうですね。そもそも着なきゃいけない形にすること自体がメチャクチャめんどくさい。衣装だと手足が出せて、着られる形にしないといけないじゃないですか。そんな制限もない仕事がしたいんですよね。
本書には、カメラマンの須藤絢乃さんとの対談やコラボ写真も掲載されていますが、確かにこちらのパートからは衣装の概念をブチ破った凄まじいクリエイティビティを感じました。
以前、須藤さんと一緒にやっていた『80000Vギャラクシー』という連載の写真を再録しているんですけど、これは基本、仕事じゃないんですよね。お金をもらってやっているわけではなく、本当に自分がやりたいことを好きなようにやった“作品”なんです。
ただ、それも須藤さんの力が大きくて、彼女、めちゃくちゃ博識だから、例えば一緒にご飯食べてるとき、私が何気なく「この鍋みたいな色の生地ないかな」とかって言うと「この作品に使われていましたよ」って具体例を出してくれるんですよね。つまり私の独り言を、須藤さんが具体的に形にしてくれる。
インプットはしないとおっしゃっていましたが、やはり、日々、湧き上がるインスピレーションはあるんですね。
たぶんあるんですけど、そこに統一感がないんですよね。だから答えるのが難しい。でも、水族館は結構好きでよく行くかな。非日常的といえば非日常だし、あとは基本的に本来なら出会わない素材を組み合わせるのも好きですね。『80000Vギャラクシー』の中でも、コロナ下の自粛をテーマにした写真では、普通は衣装に使わない断熱材を使っていたりとか。
私、学校に行ってなくて、専門的な勉強をしていないということを武器に使うのが好きなんですよね。下手に勉強していると、変なルールみたいなものが自分の中にできちゃうじゃないですか。例えば「この生地は裏地用だから表には使えない」とか、くだらないと思っちゃう。だから今回、表紙であのさんに着てもらっている衣装も、いわゆる裏地用の生地でできているんですよ。
え? こんなに綺麗な柄が出ているのに?
シーチングっていう仮縫い用の生地なんです。軽くて薄くて使いやすくて、程よくボロボロになるのが可愛いなと。もしかしたら、そういうところも面白がられて、使ってもらえているのかもしれない。
とにかく発想がルールや枠に囚われず、自由なんですね。そんなNISHIYAMAさんから、フリーランスで活動されている方々にアドバイスをいただけたらと。
これは、台湾に行っていたときに学んだ、大きい思想というか考えなんですけど……衣装を作りたくても、ちゃんとしたクオリティじゃないと発表できない!って思い込んでいる人って多いんですよね。でも、私は中途半端でも「見て見て!」って感じで、始めたばかりのSNSにも適当に載せていたんですよ。そういう感覚が、もっとあってもいい気がします。
今回の本に載っている衣装だって、今見れば「ここ、こうしたほうが良かった!」っていう反省点がいっぱいありますよ。100パーセント出来上がっていると言える作品なんて、ほぼ無い。でも、100%になったら出そうなんて考えていたら、いつまで経っても出せないし、そこに変なプライドはいらないんじゃないかなって。
制作されたご本人は反省だらけでも、私たち一般人から見れば、どれも完璧ですからね。クリエイター側のハードルって、どうしても高くなりがちだけれど、そこに縛られすぎない方がいいと。
例えば私が花瓶を作ってみて、それが理想の花瓶にならなかったとしても、捨てちゃうんじゃなく「もう、それでいい」くらいの感覚でいればいい。写真もそうですよ。上手く撮れているのかマジでわかんないけど、とりあえずブレずに撮れたからオッケー!みたいな(笑)。
仕事においても、最低限のラインさえ超えていれば誰も困らないわけで、困るのは自分のプライドだけじゃないですか。だったら、そんなプライド要る?って私は思っちゃう。どうしても妥協できなくて、誰も気づかないようなところにこだわっちゃう気持ち、メチャクチャわかりますよ。でも、それで納期に遅れたら逆に迷惑になっちゃうし、プライドを貫くことが単なる自分のワガママになりかねない。何より、自分の中のハードルを低くしないと、一生何もできない! 時間って有限なんだから、それだけは伝えたいですね。
撮影/中野賢太(@_kentanakano)