フリーランスのコンテンツプランナー/編集者として活動する小沢あやが、さまざまな業種のプロに会いに行く連載『フリーランスな私たち』。今回のゲストは、漫画家の清野とおるさんです。
『東京都北区赤羽』の大ヒットで一躍知名度を上げ、最近は新刊の『さよならキャンドル』が話題の清野さんですが、20代の頃には仕事が一切ない時期も経験されたそう。そんな清野さんに、仕事量のバランスや独自の取材術、独特の世界観を作り出すための視野の広げ方、はたまた物欲を刺激するために買ったという“あるモノ”についてなど、たっぷりとお話をお聞きしました。
profile/清野とおる
漫画家。1998年、ヤングマガジンでデビュー。主な作品は「東京都北区赤羽」、「その『おこだわり』、俺にもくれよ!!」、「東京怪奇酒」、「全っっっっっ然知らない街を歩いてみたものの」など。2020年からは『東京都北区赤羽』のアナザーストーリーである『さよならキャンドル』をコミックDAYSにて連載中。
https://twitter.com/seeeeeeeeeeeeno
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profile/小沢あや
コンテンツプランナー / 編集者。芸能人や経営者のインタビューのほか、エッセイも多数執筆。「ワーママのガジェット育児日記」などの連載のほか、「つんく♂の超プロデューサー視点!」 編集長も担当。2021年にピース株式会社を設立。
いまは人生の「ボーナストラック」
小沢
清野さん、お会いできてうれしいです。よろしくお願いします。
お手柔らかにお願いいたします。インタビューはけっこう久々なので緊張しますね。最近はもう、対面でのインタビューの仕事は辞退させていただくことも多いんですよ。そんなに話すこともないですし。
清野さん
小沢
そうなんですね!今回は、なんで受けてくださったんですか?
……なんでだろう……酔っぱらってたときに返事したのかもしれないですね。
清野さん
小沢
ええっ(笑)。だとしたらラッキーでしたけど。
いや、冗談です、酔ってなかったです(笑)。やっぱり小沢さんみたいに僕の漫画を読み込んでくださってる方がインタビュアーだと、こちらも少しくらい力になりたいなって思いますので。
清野さん
小沢
ありがとうございます。清野さん、いまは連載を1本(『さよならキャンドル』)に絞られてますよね。過去には、『東京都北区赤羽』や『その「おこだわり」、俺にもくれよ!!』など複数の連載が重なって、かなりお忙しかった時期もあったのかなと思うのですが。
連載を多数かけ持ちしてたときは、ほんとにつらかったですね。いま振り返っても、「あのときの自分は自分じゃなかったな」と思うんです。僕、仕事がまったくない時期が長かったので、メジャー誌から連載依頼がきたりすると断れないんです。
清野さん
小沢
ああ、飢餓感があるからってことですよね……! わかります。
それで、ついついぜんぶ引き受けていたら、何年か前に完全にキャパオーバーになっちゃって。連載はこっちからやめるわけにもいかないから頑張っていたら、完全に生活と人格が破綻しましたね……。今振り返っても恐ろしい、おぞましいです。だからもう「仕事量を増やさないし、ついつい引き受けない」
って決めたんです。
清野さん
小沢
本当に、フリーランスこそ仕事量のバランスをとって規則正しい働き方をするようにしないと、仕事に押しつぶされちゃいそうになりますよね。清野さん、いまはオーバーワークになっていないですか?
いまは平気ですね。30代後半に差しかかってきた頃に、ちょっとした散歩とか読書とか旅とか、自分の好きなことに使える時間くらいはキープしておきたいと考えるようになったので、最近は仕事量を調整しています。
清野さん
小沢
その決断をするのって、勇気いりませんでした?売れっ子だからそんなことないんですかね……?
いやいや。僕はそもそも20代後半の頃、連載も続かないし持ち込み原稿はぜんぶボツになるしで、漫画家として完全に終わったって思ってたんですよ。だからいまはもう“ボーナストラック”なんですよね。「漫画で生活できてラッキー!」くらいの感覚。これから漫画で食べられなくなっても、全然いいんです、ボーナストラックだから。
清野さん
僕と赤羽、お互いの波長が合っていたんだと思います
小沢
清野さんはその「漫画家として終わった」時期に、ブログを立ち上げられてますよね。キャリアとしては、そのブログが編集者の目に留まって、『東京都北区赤羽』につながったことも大きいのかなと思うんですが。「種まき」としての発信をかなり意識していたんでしょうか。
そうですね。当時はもう、漫画家としての仕事は完全に尽きた状態だったので、これだけやっても仕事を得られないならだめかなって諦めて、最後っ屁として立ち上げたのがブログだったんです。赤羽のことや昔の思い出をイラストや写真つきでブログ上にぶちまけていたら、たまたま声がかかったという。
清野さん
小沢
それまではずっとフィクションを描かれていたと思うんですが、エッセイに舵を切られたのはどうしてだったんですか?
やっぱり、赤羽の街で出会った人たちの天然のおもしろさに打ちのめされたんですかね。自分がフィクションで生み出すものより、その辺にいる酔っぱらいとか奇人さんたちが素でやってることのほうがおもしろかった。だったら、それをそのまま漫画で描かせてもらったほうが手っ取り早いんじゃないかと……。僕の波長と、あの時代の赤羽の波長がたまたま合っていたからできたことだと思うんですけどね。
清野さん
小沢
いま、綺麗になりましたもんね、赤羽の街。
ほんとですね。あの時代はもう、僕が外に出れば何かしらおかしなことがありましたからね。ここ数年は赤羽を歩いても特に何もありませんし、今振り返ると最高のタイミングで赤羽に引っ越したと思います。もし今の赤羽で一人暮らしを始めても、赤羽の漫画を描こうと思わないだろうし、漫画家も辞めてたと思います。
清野さん
遊びの延長線上で取材する
小沢
清野さんの漫画を読んでいると、取材相手の方や身の回りの方への距離の縮め方がすごいなと……。清野さん自身にも天性の人たらし力があるのかなと感じます。街行く人に話しかけたり、初対面のお年寄りの家で宅飲みしたりもしていますよね。
いや、どうなんですかね。失敗も多々ありますよ。「なんであんなこと言っちゃったんだろう、やっちゃったんだろう」とか。自分の漫画も、いま読み返すとけっこうとんでもない失礼なこととか描いてたりするので、「うわー!」ってなっちゃいます。
清野さん
小沢
後悔というか、「これは描きすぎたかな」みたいなことも……?
いや、もうほぼ全部そうですよ(笑)。若気の至りというか、いま振り返ると「さすがにダメだろ」ってこともたくさん描いてしまいました。いまだに笑顔で許容してくれてる「居酒屋ちから」のマスターや悦子ママやワニダさんたち※には、一生頭が上がらないですよね。いやもう、「赤羽」で描かせてもらった全ての人に頭が上がらないし足を向けて寝られません。それと、僕はもともと人見知りな人間なので、酒の力を借りて取材してるっていうのもありますね。
清野さん
※『東京都北区赤羽』の登場人物(実在)
小沢
お酒が入ってると、すこし楽ですか?
その場ではだいぶ楽ですね。シラフに戻って思い出して「うわー!」となることも多々ありますが(笑)。それに赤羽の人も、基本的にみんな酔っぱらってますからね、時間帯関係なく。当時の僕も本当にはみ出し者だったので、赤羽で飲んだくれてる人たちとは馬が合うというか、話してて楽でしたよね。「そのままでいいんだよ」って肯定してもらえてるようで。
清野さん
小沢
清野さんは「興味を持った人のことを掘り下げる」というのを呼吸するように自然にやってらっしゃるのかなと思います。
だとしたら、「好きこそものの、なんちゃらら」ってことかもしれませんね。自分のやってることに対して全力で楽しめないと、結果もついてこないと思いますし。漫画で描かせてもらった人たちも、取材というか、単に好きで話を聞かせてもらってる感覚ですかね。取材というか、遊びの延長線上です。
清野さん
小沢
そうなんですね。
自分の場合、遊びより取材の気持ちが大きくなると、その分作品もつまんなくなるような気がします。まあ原稿を描く作業に関しては完全に仕事感覚で、つらさしかないですけど(笑)。遊ぶように原稿を描けたら最高だけど、こればかりは……。
清野さん
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