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正しい答えを出すよりも、一緒にモヤモヤしてみよう。 東畑開人『雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら』インタビュー

正しい答えを出すよりも、一緒にモヤモヤしてみよう。 東畑開人『雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら』インタビュー

こころのケアははじめる・・・・ものではなくて、はじまってしまう・・・・・・・・ものである。

臨床心理士・東畑開人さんの新著雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら(KADOKAWA)は、こんな1行で始まります。

子どもが学校に行けなくなる。パートナーが夜眠れなくなる。老いた親が離婚すると言い出す。部下が会社に来なくなる。あるいは、友人から「もう死んでしまいたい」と連絡が来る。

身近な人の心の不調はある日突然訪れ、あなたを、わたしを否応なく巻き込んでいきます。それを雨に喩え、傘をさしたり濡れたりしながら一緒に雨の中を歩いていく、つまり、心のケアをする人に向けて、本書は書かれています。

2023年5月から2024年2月まで開講されたオンラインセミナー〈心のケア入門 支えることのための心理学〉(全5回)をベースに、《わからなくなった人をわかり直していく》ために、《雨の日にもつながりを絶やさない》ためにどうしたらいいかを、一緒に考えてくれる一冊です。

profile
東畑開人(トウハタカイト)
1983年、東京都生まれ。臨床心理士。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。現在、白金高輪カウンセリングルーム主宰。専門は臨床心理学、精神分析、医療人類学。著書に『聞く技術 聞いてもらう技術』(ちくま新書)、『ふつうの相談』(金剛出版)など。
https://x.com/ktowhata
https://www.instagram.com/kaitotowhata
https://stc-room.jp/

「誰もわかってくれない」がこころの問題の根源

東畑開人

講義をベースにしているせいか、とても読みやすかったです。東畑さんのご本は過去のものも一冊ごとに語り口を工夫されていますよね。

「誰に向けて書くのか」ということは毎回けっこうまじめに考えていますね。今回の本は、ケアに苦労されている人たちの役に立つ本を作ろうというコンセプトなので、比喩を多くしたり、途中で休憩を入れてみたりと、疲れていても読めるように工夫したつもりです。

オンライン講義でもたくさん質問をいただくなかで、やっぱりみなさん本当に困っていて、何か役に立つことがないか知りたくて講義を聞いてくれていることがひしひしと伝わってくる1年間でした。それは受講者だけじゃなく、実はほとんどの人がそうなんじゃないかって。

あ、もう全国というか全世界の……。

全人類(笑)。だって、完全にひとりで暮らしていて、他人と関わることのない人っていないじゃないですか。誰しも誰かをケアしながら暮らしているし、特に40代以降は、家庭でも職場でも、次から次へと困りごとが押し寄せてくる日々なんじゃないかと。

そうですね。読み終えて「孤独」があらゆる苦しみの根源にあるような印象を抱いたんですが……。

僕は根本的にそういう発想でいます。こころの病とかこころの問題の根源は、「誰もわかってくれない」とか、「誰もあてにできない」ということにほかならないと思っていて。この本では「わかる」ことが大事だとずっと書いていますけど、つまり「わかってもらえている」と思えることが「健康」なんじゃないかと。

「わかる」という言葉には「知的に理解する」というイメージがあるかもしれませんが、僕は「あー、だからこういうことをするのか」とか、その人の立場になって理由を見つけることを「わかる」と言っているんです。

大学院で教育を受けたときは、よく「わかったと思うな」みたいなことを言われたんですよ。「わかると思うのは傲慢である」とかね。それは確かにそうなのですが、でも僕はそれはときに潔癖すぎる考えにもつながってしまうんじゃないかと思うんです。あまりに潔癖だと、僕らは他人に触れられなくなって、孤独になってしまうじゃないですか。

《ほどよく不潔でいきましょう》と書いていらっしゃいますものね。わかって、わかられて、つながって、「自分だけじゃない」と実感することで、人は元気になるという。

当たり前のことなんですけどね。こころの病とか不調って、こころが単体で調子悪くなっているわけじゃないんだと。つながりがなくなっていることが根源的な問題なのであって。逆に言えば、つながりの中にいれば人はなんとかなる、と僕は一番深いところで思っている節があります。つながり主義と言われちゃうかもしれないけど。

本の中で再三、お金の話をされていますよね。別にたくさんほしいわけじゃないけれど、それこそ雨が降ったときに「あれがあるから大丈夫」と思えることが大事、みたいに考えると、お金も「つながり」なのかなと。

お金もまたつながりの感覚が響いているものだと思いますね。交換という人と人との網の目の中に入っていけるチケットという意味合いがありますから。その意味で大事なものだし、「1年後もたぶんこうやって生きているんだろうな」と思えるくらいにお金はあったほうがいい。そういうときに、僕らはほっと安心して、自分のことや他者のこと、未来のことや過去のことをちゃんと考えることができるようになります。

正解がないことを一緒に悩んでくれる人がいればいい

東畑開人

もうひとつ印象に残ったのが、《結局ね、こころのケアには普遍的な正解はないんですよ》という一節です。まったく同感ですが、その心もとなさのようなものを東畑さんご自身はどう解決されていますか?

不安なときほど正解がほしいわけじゃないですか。なので「これが正解ですよ」と代わりに決めてあげる仕事もあって、僕もときどき、カウンセリングの中で「こうしたほうがいいよ」って言うこともあります。ただそれはあくまでケースバイケースなのも事実です。

目の前の人に対してはある程度責任を持ってアドバイスできるけど、誰にでも当てはまる一般的な解はやっぱりない。僕はどこか「正解がない」ということについて諦めがあり、でも一生懸命誰かが心配していれば、そこまで悪いことにはならないんじゃないかと思っていますね。

正論とか、正しいことが役に立つときもあるけど、多くの場合は「わかっちゃいるけどできない」のが問題なので、正しいだけの答えにはあまり力がないと思っていて。それよりも、正しい答えがないことに悩んでいる人が近くにいる、ということのほうが価値があるかなと。そういう開き直りが僕にはあります。

一緒に悩んでくれているということですよね。ということはやっぱり、孤独ではないと感じられることが、何より人を励ますのではないか……と。

そうだと思うんです。この本は特にそれを前面に打ち出して書いていますね。

逆に、内容が多少あやしくても、断言されること自体が効く場合もあると思うのですが。

もちろん、それもありますね。プロというのは、ある方法には効くときもあれば、効かないときもあるということを知っていて、どういう場合に効くと判断し、どういう場合に効かない、あるいは有害であると判断するか、だと思います。

逆にいうと、ひとつの方法で全部やれると思い込んで、一本の包丁でお刺身も丸太も切ろうとしちゃうとき、プロではなくなります。材料に合わせて刃物を変えられるのがプロですよね。なので、断言が効くときと、効かないときの判断が大切なんです。それこそが難しい。

本屋さんに行くと「この方法ですべて解決!」というタイプの本がズラリと……。

「これだけですべて解決!」って思うとテンションが上がるんです。だから、それはそれで健康にいいとは思うんです。やはり元気を出すのは大事です。ですけど、現実にはやっぱり、ひとつの刃物だけだと傷つけちゃう場合もある。元気が出たら、次はそういう別のやり方についても考えられるといいですよね。

いろんな意味での「余裕」が大事ということなんですかね。

そうそう、余裕は大事。『雨の日の心理学』というタイトルに表れていますけど、同じ人でも、雨の日に考えていることと、晴れの日に考えていることは違うというのが出発点にあります。雨の日に正しいことと、晴れの日に正しいことを区別して考えないと、なかなか話し合いってできないと思うんですよね。

例えば「責任」という言葉を考えてみると、晴れの日にはいい意味もあると思うんです。元気なときには、背中を押してくれるかもしれないし、踏ん張る力をくれるかもしれない。でも、雨の日にいる人に責任を求めるのは、酷です。その前に配慮されるべきことがあるわけです。だから天気によって違うんだけど、言葉って天気と関係なく流通しちゃうものだから難しい。そういうことをこの数年、ずっと考えていますね。

まず相手のこころが晴れているのか雨に降られているのかをよく観察しないと。東畑さんのご著書はどれも「これ一冊ですべて解決!」みたいなタイプの本では明らかにないですよね。むしろ「そうじゃないから考えましょうね」と促す本というか。

カウンセリングというのがたぶんそういうものなんですよ。「これしかない!」と言って走りだすことと、立ち止まって考えることだと、立ち止まって考えるほうが健康にいいと思っているんです、僕は。

「これしかない!」と走りだすときって、後ろから不安が追いかけてきているときなのではないか。逆に立ち止まっていられるってことは、不安をしばし置いておいて、ちょっと様子を見ることができているということだと思う。

きっとみんな「わかりやすい正解がない」こともわかってはいるんだけど、不安だと答えがほしくなっちゃうんですよね。なので「なぜそんなに不安なのか」というところに理解をもたらす必要がある。

僕はインタビューの仕事をしていますが、昔とあるきっかけで臨床心理学の本を読み漁ったとき、「ちょっと似ているかも」と思ったことがあるんです。東畑さんはたくさんインタビューを受けていらっしゃいますが、共通する部分をお感じになりますか?

僕も昔、フィールドワークでいろんな人にインタビューをしまくったことがあるんですよ。その経験がいまカウンセリングにすごく活かされていると思います。話を聞きながら「ここを聞いたら、この人がもっとわかるんじゃないか」みたいに推量して問いを発する技術が、たぶんあのとき身についた気がしていて。

だから基本的には同じなんじゃないですかね。インタビューも相手を知るためにやるわけですし。相手を知ろうとするというのは、極力単純化しないで、複雑に複雑に話をしていくことだと思うので。

ああ、そうか。ありのままにというか……。

図式化しない。意外性を引っ張り出してくるみたいな仕事ですよね。

まさに。でもそれもやっぱり正解がないんですよね。その正解のなさを受け入れながら日々仕事をしていくために、とても役立つし励まされる本だと思いました。

ありがとうございます。そう読んでもらえると大変うれしいですね。

おせっかいのすすめ

東畑開人

昨今、ケア論が流行っているというか、メディアで目にすることが増えましたよね。その風潮についてはどうお考えですか?

いいことだと思います。ケアというものとその大変さについて目が向くようになったということだと思います。それはある意味で、地球は狭いことへの感覚というか、どこまでも際限なく発展していく世界ではない、という時代的感覚からきているように思う。

そういう意味で、ケアはつらいものであるから、「ケアのしわ寄せが一部の人にいっていてそれはよくないから、ちゃんと分配していかないといけない」ということは非常に重要だと思います。そしてそれと同時に、僕は「ケアには楽しいときもある」と思っていて、そのあたりを最後の章で書いているんです。

あの章は僕なりに挑戦的に書いていて、ケアというのは、ちゃんとまわりからサポートされてるときには楽しいものにもなりうるのだと。例えば子育ても楽しいときはあるし、介護から新しい物の見方や深いつながりを感じることもあるし、職場で同僚をケアすることにしても、売り上げにはつながらないかもしれないけれど、良い思い出が生まれるかもしれない。それはつまり、ケアというもの抜きに人間はありえないこととの裏腹です。それは人間と人間がつながっていることそのものでもあり、そこには苦しさもあるけど、でも「ケアには喜びもあるんだ」ということを言いたかったというのはあります。

まわりのサポートがあれば、ということですが、あとがきにあった最後の質問が「人に相談できない」という悩みでしたよね。ケアをする側に回りがちなタイプの人って、他人に頼るのが上手じゃない人が多い気がするなと読んでいて思いました。

基本はその人のまわりが心配してあげるべきだと思っています。本では《相談のサーブを打ってみよう。誰かにこころを打ち明けてみよう》と書いていて、それも本音で思っていますけど、言われてできる人は、もともとそこまで抱え込まないじゃないですか。だからまわりが「ちょっと抱え込みすぎてるんじゃないの?」って声をかけてあげるのが大事なんじゃないかと思います。「あの人、雨降ってないか?」と思うということですよね。

そこは、これも何度も出てくる言葉ですが、《おせっかい》が効果を発揮する場面ですね。

そうそう。LINEを送ろう、みたいなことも何度も書きましたけど、バカバカしいようだけど、そういうことだと思うんですよ。

「自分を気にかけてくれる人がいる」と思えることが、実際に相談するかしないかは別として、一種のセーフティネットになるというか。

そう思います。「おせっかいのすすめ」ですね、この本は。立ち入っている感じがするかもしれないけど、ちょっとぐらいおせっかいしてもいいんじゃない?と。

《ほどよい》という言葉もたくさん出てきますね。こうした、あえて言うと歯切れの悪さが、実は大事なのではないかと思うんです。そもそもこころの問題というのはスパスパ切れるものじゃないんだよ、ということが何より伝わるといいますか。

白か黒かの原理主義みたいになるときに、こころは危なくなると思っているんですよ。灰色の価値、モヤモヤすることのほうに価値を置いていますね、僕は。そのほうが「健康にいい」という信念があります。

白か黒かに分けてパキパキ進んでいくのは瞬間的には元気が出るかもしれないんですけど、長期的に考えると健康に悪い。切り捨ててきたものが復讐してくるから。モヤモヤしているというのは、その場はしんどいけれど、長期的には切り捨てているものが少ない分だけ健康にいい。

そのかわり抱えるものは増えますね。

だから愚痴を言いまくってください、と(笑)。

友達がたくさんいるといいですね。当たり前の話になってしまいますが。

そうですね。あとがきに書いた通りで、「じゃあどうやったら友達ができるんだ?」という話に集約されていくんだけど、それはなかなか答えがたいですよ。

大人が“友達”を作るには?

東畑開人

東畑さんは友達が多いほうですか?

多くはないけど、人生の時々で親友がやってきます(笑)。でも、友達がどうやったらできるのかというのは真の謎ですね。子どもは公園で一緒に20分遊んでるだけで親友になるじゃないですか。大人はそれができなくなるんだよね。

でも、できるときにはできる。シンプルに考えたら「一緒にいる」ことですよね、誰かと。だからフリーランスは不利なのかもしれないな。フリーランスはもっと飲み会やお茶会をしたほうがいいと思う。それは提言したい(笑)。頻繁に顔を合わせることが大事です。一緒にダラダラすることとかが必要なんじゃないかな。身体というのは愛を引き出してしまう。

「身体は愛を引き出してしまう」。またエピグラフ候補が生まれましたね(笑)。本書にはエピグラフになりそうな名言がたくさんあって、《ケアとは相手を傷つけないこと》とか《わかるとは、つながっていることそのもの》とか、何度も膝を打ちました。中でも、これは東畑さんご自身の言葉ではありませんが、《優しさとは技術である。人と自分との「似ているところを見つける技術」である》というのは「すごい!」と思いました。

オルガ・トカルチュク(ポーランドの小説家で元セラピスト。2018年にノーベル文学賞を受賞)ですね。あれはすばらしいと思う。

最初にした「わかる」の話にもつながりますね。

「わかる」って、相手のこころに自分を重ねることなんですよね。でも、例えば「なんでこの子が学校に行かないのかわからない」みたいに、重ねられなくなっちゃうんですよ。みんながケアに困るのはそれで、重ねられるときには孤独じゃないんだけど、重ねることができなくなっちゃう。これを世間一般的には「こころの問題」とか「こころの病」と言っているんだと思います。

そこに補助線を1本入れて、例えば学校に行きたいと思っているんだけど、行きたくない気持ちもある、その「行きたい」気持ちが見えると、ちょっと重ねられるようになるわけですよね。そうするとその子は孤独じゃなくなる。だから「こころを重ねるための技術」なんですよね、僕がいちばん狙っていたのは。

重ねるためには、ケアする側もケアされている必要があるし、お金もたくさんあったほうがいいし、友達もいたほうがいいし、ということですね。

そうそう。もしまわりに調子が悪そうな人がいたら、声をかけてみましょう。それが友達を作る第一歩になると思います。

東畑開人『雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら』

撮影/中野賢太@_kentanakano