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傷つく覚悟を持って生きる。大田ステファニー歓人『みどりいせき』インタビュー

大田ステファニー歓人 FREENANCE MAG

好きなことを怖がらずにやろう

大田ステファニー歓人

そういうふうに考え方が変わってきたのはいつごろですか?

ここ3~4年じゃないですかね。どう生きても結局ダルいっていうか(笑)、仕事したくないな~と思ってずる休みして家で寝ててもうっすら罪悪感があって、それがストレスだし、頑張って仕事行っても普通に疲れてストレスだし、何しててもストレス。好きなことやってても。だったら好きなことを怖がらずにやろう、時間ももったいないし、みたいな。

それが小説を書くことだった?

前はバンドやって、自分の中のゴールは音源出すかライブするか。制作は楽しいけど、共同作業だからいつも揉める。友達と組んでて、仕事じゃないし、友情壊してまで作りたくないって思いがあって。

ライブも人前に出ておもてなしするのが恥ずかしくて無理だった。出たら出たで消費されて傷つくのはイヤなのに、集客ないと始まらないから呼ばなきゃいけない。映画もやりたかったけど、もっとたくさんの人と関わって作るもんだから、それがうっとうしいなと思って。たぶん小説書いてもしんどい思いはあるな、とは思いましたけど、どうせ何やってもうっとうしいんなら一人でやっとくか、って感じっす(笑)。

他人と一緒に何かをやるのが苦手だから、ひとりでもできることを選んだというわけですね。でも結果的には人と関わることになってしまうジレンマは感じませんか? 読者の感想を聞いたり、批評されたり、こうしてインタビューされたり。

そこの関わりはいいんですよ。制作途中の人付き合いがうっとうしい。こういうことを書きたいってときに「ここはこうしたほうがいい」とか「ここでこういうこと言わないんじゃないかな」とか、そういう議論を経て作らなきゃいけないんだったら、音楽や映画と同じ感じだったと思います。わがままなんで。だから編集の方とのやり取りは書き終わってからだし安心。意外とこだわりが強くて、まずは細かいことまで自分で管理して世界立ち上げたいのかもしんないっすね。

大田ステファニー歓人

小説を書いたことで、人との関わりがこれまでとは全然違うレベルで生まれましたよね。そのことに関してはどう感じていらっしゃいますか?

こういうことですか(と部屋中を見渡す)?

そうそう。それはストレスにはならない?

小説家としての仕事は、みんな小説家として扱ってくれるから、全然ストレスはないです。権力の勾配がある状況での人付き合いがうっとうしいかもしんないです。上司に何か言われたりとか、お客さんに何か言われたりとか、先輩が絡んできたりとか。自分も人に気を揉ませるし。ここは多少なりとも自分に興味を持ってくれてる人しかいないから疲れないのかも。

尊重されるって大事ですよね。

そうっすね。別に俺じゃなくてもいい仕事もあるじゃないすか。でも『みどりいせき』は自分じゃないと書けなかったんで(笑)。

間違いないですね。翠がLSDでトリップするくだりで、意識の変容を文章と文字組で表現しているのは圧巻でした。

マジックです(笑)。本になってる『みどりいせき』が100だとしたら、書き始めるときに持ってたアイデアってたぶん2ぐらいなんですよ。全部書きながら生まれてくるんですよね。意図ももちろんあるのかもしんないですけど、さっきの人称の話と同じで「この話の流れだったらこういうふうに描写したほうがいいな」っていうのが、やっぱ作品からの要請……抽象的な話ですけど、その声に耳を傾けると生まれてくるんです、こういう流れが。

迫力は出したいじゃないですか。味を濃くしようと思ってたらこうなったっていう(笑)。やっぱ物語の要請じゃないすかね。LSDってものを摂取した人物を描くにあたって、変性していく意識だったりとか、世界の見え方が少し変わるとか、シンプルにそういう部分をしっかり伝えたいっていう気持ちがあったから、こうなったと思うんです。話の道具の一個としてなんとなく面白半分で書いてたらこうはなってないっていうか。

色はないじゃないですか、小説には。文字だけだから。そこでできる表現の幅みたいなものは、明確に小説を学んできたわけじゃないし、他の小説家の人と比べたら読んでる量も少ないと思うんで、引き出しがないんですよ。いちいち自分で「この場面はどうすればいいんだ?」って考えながら作ってかなきゃいけない。LSDを摂取してる人を描くのに文章が曲がってなかったらダメだよな、って思って、こうなりました。もし別の作品で同じようなシチュエーションを書いたら、また違う曲がり方をするのかもしれないです。

意識が飛んでいく過程と戻ってくる過程、感銘を受けました。

ありがとうございます!

『みどりいせき』とヒップホップの関係性

大田ステファニー歓人

『新潮』のエッセイ(※)に舐達麻のバダサイへの言及がありますが、ヒップホップがお好きなんですよね。やっぱり影響は受けましたか?

※「プリ食える」(『新潮』2024年3月号)

けっこう大きい。ウィードとも距離近いし。もっと本質的なことで言えば、ラッパーは自分の暗い過去を曲に昇華する。マイナスなものをプラスにするみたいな。その姿勢にたぶん影響を受けてると思いますね。影響っていうか、単純に救われてる。勇気をもらったり「自分も頑張ろう」みたいな。

言葉遣いに関しても、登場人物たちが聴いていそうな音楽って意味でも、今回の話とは相性がよかった。他の作品にヒップホップリスペクトがどう影響するかはわかんないですけど、今回は奥行きを授けてもらいました。

主人公たちのバックグラウンドにあると。

そうです。単純に避けれない、今回の場合は。いま題材としてプッシャーをやってる人物たちを描くなら、出てこない方が不自然。先人のリリックをセリフとしてしゃべる人物も出てくるし。

ファンなら気づくかも。

いろんなレイヤーになってていいと思うんですよ。どのタイプの人が読んでもどっかしらに食いついてもらえたらいいんで。別に全部気づいてほしいわけじゃなくて、全然流れてもいいし。

ブリタニー・ハワードからウディ・ショウまで、ミュージシャンの名前もたくさん出てきますね。

例えばめっちゃ冒頭にジョエル・ロスの名前が出てきますけど、これは脳震とうを起こしたときに頭の中に出てきたらおもろいな、ぐらいの感じです(笑)。ブリタニー・ハワードの「ステイ・ハイ」とかはもっと深いところで作品を補完してくれる劇伴でもあるし、読後、日常に持って帰って聴けるお土産として出しました。

大田ステファニー歓人

若者言葉があふれる中に「ぼんのくぼ」とか「たたき」とか「すんで」とか、ちょっと古風な言葉が入ってくるのも面白かったです。

普通に親が使ってるから……でも親だと古いのか(笑)。

そこには狙いはないんですね。

でも明らかに浮いた言葉とかは意味がない限り使わないっすね、たぶん。例えば「穿つ」とかは高校生が言うとは思えないから出てこないとか(笑)。ただ、ひとりの人間が作ってるから、やっぱ「たたき」とか「ぼんのくぼ」が古いって感覚がなかったのかもしれないです(笑)。

イメージの撹乱みたいなことを狙っているのかなという気もしたんですが、そういうわけではなかった(笑)。

でも異化効果じゃないすけど、町田康さんの小説で江戸時代の小説にセックス・ピストルズが出てきたりするじゃないですか。そういう効果をもしかしたら無意識に狙ってる場面もあったりするかもしんないっすね。ジョエル・ロスが頭の中に出てくるとかは、ショッキングな異化効果として使ってるかもしれないです。

ベタな質問ですが、好きな作家、影響を受けた作品を教えてください。小説じゃなく、音楽や映画でもけっこうです。

もちろんこのお二人(金原ひとみ、川上未映子)はすごい尊敬してます(と、二人の賛辞が載った資料を指さす)。でも映画とか音楽と違って、全作品を追ってるみたいな人はいないかもしんないすね。「この作品めっちゃ好き」とかはあるすけど、誰かひとりの作家を追い続けてすごい影響を受けたとかはないかな。

映画だと70年代のアメリカ映画はめっちゃ見てたっすね、高校・大学のとき。『みどりいせき』も、終わり方のブツ切り感がアメリカン・ニュー・シネマの影響、って指摘されてうれしかった。音楽に関してはもう、いっぱいいろんな人に影響を受けてます。

小説はどんなことを気にして読みますか?

けっこうセリフが気になるっすね。映画が好きなのもあるかもしんないですけど、リアリティ的なものがいちばん自分、気になっちゃうかもしんないです。実際の会話ってけっこうラフでルーズだから、いろいろ端折るし、的を射ないじゃないですか。なのに、会話の応酬をさせようってなると演劇チックなセリフになっちゃう場合が多いんですよね。一定の方向性に全部の登場人物が沿ってしゃべるみたいな。そういうのはイヤで、ファミレスで隣の席のやつの会話を書き起こしたみたいな感じのほうが「おおっ」てなるかもしんないです。「知らないやつの話だ」って。

飛び込む気持ちを支えてくれるもの

大田ステファニー歓人

ゴミ収集のお仕事もされているそうですね。創作との相互影響みたいなものはありますか?

単純にゴミ屋さんは終わるのめっちゃ早いんですよ。始まるのも早いですけど。作業時間が確保しやすいからやってるんすけど、人間の捉え方みたいなのがゴミ屋で多少変わった部分もありますね。人間って自分が直接見ない人に対しては冷淡じゃないですか。自分が片づけるわけじゃないって思うと、袋結ばずに出したり、破れてんのに出したり、分別しなかったり。そういう人はいっぱいいますし、自分にもだらしない部分はある。誰かにしわ寄せが行ってるのに気づきながら「俺がやるわけじゃないからいいや」ってなったり。そういうことはゴミ屋でイヤな住民と関わったりしてると感じますね。いい面ばっかじゃないじゃないですか、人間って。だから人物を一面的には描かないようにしよう、みたいなのは、もしかしたらゴミ屋の仕事で育まれてるかもしんないです。

小説書いてることがゴミ屋に影響あるとしたら、小説書いてるぐらいだから無駄に想像力があって、毎週集めるゴミに介護おむつ入ってんのに、ある日から急に出なくなったら「あ、ばあちゃん死んだな」ってヘコんだり。

(笑)。

ふだん一切ゴミ出てなかった家が急に何十袋も出したら「引っ越すんだな」とか、袋パンパンにポケモンとかの人形が捨てられてたら「大人になったんだな」とか(笑)。1個のゴミから勝手にドラマが生まれるのは、小説やってるからかもしれない。車乗ってる間にペラペラしゃべるんで、他の作業員に「よくそんなにいろいろ思いつくね」とか言われます。もしかしたらそういう妄想で過酷な作業をやり過ごしてるのかもしんないすね。

なるほど。やっぱりありますよね、いろいろ。

表現とか、人にものを売るの一本でやってたら、セルアウトしちゃうじゃないですか。でも「別におまえらに受けなくても、こっちは別の稼ぎがあるんだよ」っていう意識があれば、好きなことできますよね。「いいよ、すべったらゴミまた集めるから」みたいな(笑)。『みどりいせき』はわりとチャレンジしてる作品ではあると思うんですけど、その飛び込む気持ちみたいなのも、ダブルワークに支えられてる部分はあるんじゃないですかね。

ただ、ゴミ屋って副業として優れてて、普通にお金入ってくるんですよ。しんどい仕事だから。なんでいろんな人がいるんですけど、ハングリー精神みたいのがなくなっちゃう人もいるっすね。お笑い芸人とか俳優が本業で、仕事がないときに収入を確保するために入ってたと思ってた人が、気づいたら週6で入ってて、本業全然行ってないみたいな(笑)。もしかしたら居心地いいのかもしれないです。

僕もスーパーの品出しで働いていますが、編集・ライターの仕事とは出会う人も人間関係もまったく違って面白いです。

自分みたいな表現する、小説書く人間からすると、ここ以外の人間関係に接することってたぶん超大事っていうか。例えばですけど、もし自分が高校時代に小説当てて仕事をしないまま小説を書き続けてたら、もしかしたら奥行きをなくしちゃうかもしんない。単純にゴミ屋では自分と違う世代だったり属性の人にめっちゃいっぱい会うんで、心が一面的にならないっていうか。自分にとって都合悪い人もめっちゃいるっすけど、いろんなやつがいるってことを知るストレスをちゃんと味わっとかないと、世界なんて書けないじゃないですか。イヤなことがあったり、やばいやつに出くわしたら「取材や」みたいな気持ちになると、ちょっと乗り越えれるかもしんないです(笑)。

よくわかります。早くも次回作が楽しみですが、ご予定は?

もう絶賛四苦八苦中です(笑)。内容についてはまだ言えないんですけど、『みどりいせき』とは違ったものになるのは間違いないっす。

今後も作品ごとに何かしらの挑戦は絶対したいですね。じゃないと自分じゃない人が書けばいいじゃないですか。自分にしか書けないものじゃなきゃいけないし、書くなら毎回挑戦、全力を出して。

大田ステファニー歓人

撮影/中野賢太@_kentanakano