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「娘と二人旅がしたいよね」テレ東から独立した佐久間宣行が考える“仕事と家族とテレビと仲間”

FREENANCE 佐久間宣行

2021年3月にテレビ東京を独立し、フリーランスのプロデューサーとなった佐久間宣行さん。

多くの人が憧れるテレビ局への入社を果たし、『ゴッドタン』『あちこちオードリー』など数々のヒット作を制作。会社員でありながら『オールナイトニッポン』のパーソナリティに抜擢されて人気を博すなど、順風満帆な会社員生活を突如捨てて、フリーランスに。

「なぜ会社をやめたのか」「これからのテレビ業界への思い」「仕事論」。
これまで、数々のインタビューで佐久間さんは語ってきました。今回はそれに加えて、仲間や家族との向き合い方、自分のこれからの生活など、フリーランスになって「人生観」がどう変わったかを深掘りしながら、たくさんの話をお聞きしました。

profile
佐久間宣行:テレビプロデューサー、演出家、ラジオパーソナリティ、作家として活躍中。1999年にテレビ東京に入社し、『ゴッドタン』『あちこちオードリー』などの人気番組を生み出す。2019年4月からはニッポン放送『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』のラジオパーソナリティを担当。2021年3月に独立し、佐久間宣行事務所を設立。
著書『普通のサラリーマン、ラジオパーソナリティになる~佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)2019-2021~』

絶対に会社をやめないタイプの人間だと思ってた

まず、46歳というタイミングでフリーランスになった理由を教えてください。

大きく二つの理由があるんですけど、テレビ東京(以下、テレ東)にいるままでは受けられない仕事がたくさん舞い込んでくるようになって、それをやるかやらないかという話し合いを数年前からテレ東と毎月のようにやってたんです。それがあまりにも多くなってきて、局の偉い人からも「どうする?」って言われたのがひとつ。

もうひとつは?

このままでは管理職にならなきゃいけないということ。テレ東って40代になるとプロデューサーや管理職に就く人がほとんどで、ディレクターをやっている人はほぼいなくなるんだよね。僕がずっとディレクターでいれたのは、たまたま僕がやってるジャンルをできる人が少なかったから。でも来年は「部長をやるかもな」っていうのが分かったから、やめるならこのタイミングで言わないとと思ったんですよ。

佐久間宣行

会社員にとって、管理職になるというのはおめでたいことなのでは?

迷惑をかけたくなかったんですよ。管理職を任せられたら2~3年はやめられないじゃないですか。ディレクターをやりながら管理職っていう方法を模索はしてたんだけど、今のテレビ局の仕事って本当に昔より複雑になってきていて。コンプラやリスク管理、炎上回避とかも考えないといけないし。管理職も管理職のプロフェッショナルでなければいけないんですよ。現場をかじりながら、片手間でできるようなことではないから。

あ、あと後輩に飲んだ時にキレられたことも、フリーランスになった理由としては大きかったですね(笑)。

えぇ、後輩に何を言われたんですか?

僕が『ゴッドタン』の「キス我慢選手権」の映画を撮ったり「マジ歌選手権」のライブをやったりして会社に利益をもたらしても、特に成果報酬はもらってなかったんですよ。テレ東がそういう会社だという意味じゃなく、僕が「ください」って主張してなかったからね。それを、酒を飲んだ時に後輩にめちゃくちゃキレられて(笑)。「佐久間さんがノーギャラでやったって実績を作られちゃうと、僕らも成果報酬くださいって言いづらくなるんですよぉー!」って。

当時の佐久間さんのツイート

ああ、なるほど(笑)。

サラリーマンだから成果報酬を主張しないのが当然なのかなと思ってたけど、ある程度結果を出したら主張する、もしくは会社との契約形態を変えるとか、そういう前例を作っていくのも後進のためかなと。そっからですね、フリーランスになることを含めて契約形態を考え始めたのは。

会社員からフリーランスになることに、不安はなかったですか?

実は、自分は絶対に会社をやめないタイプの人間だと思ってたんですよ。石橋をたたいても渡らないタイプの人間だからね。だけど、フリーランスになることに怖さはなかったですね。20代からずっと、フリーランスのディレクターや放送作家と一緒に番組をやってたから。テレ東にお笑いってジャンルがなかったから、お笑いの番組をやる時に局員を集められなかったんですよ。おかげでフリーランスの仕事っていうのがどういうものなのか分かってたから、「一体どうなるんだろう」って心配はなかったです。

独立の話をしたとき、ご家族(奥さま&娘さん)の反応はどうでしたか?

僕が(会社員だから)この仕事を断らなきゃいけないなっていう状況を、何度か奥さんが見ていて。「だったらやめてみてもいいんじゃない」って最初に言ったのは奥さんなんですよ。娘は……僕の仕事に全く興味ない(笑)。ただコロナ禍で家で仕事するようになってるから、娘との会話はすごく多くなって、今はめちゃくちゃ仲いいですよ。友達みたいな。

フリーランスになって実感したことはありますか?

これは自慢でもなんでもないですけど、ADやプロデューサーをやってきて、人と揉めたことが一回もないんですよ。そもそも性格的に怒ったことがない。なので、たぶん誰かを追い込んだり嫌われたりするような仕事はしてなかったんだなと。テレビ局の社員というバックがなくなった割に、周囲のみんなの態度が変わんないですよ。やめてからも、テレ東のレギュラー番組を全部残してるし、1月から新番組も始まるから。それはさすがに「円満退社」って言っていいだろうと(笑)。

佐久間宣行

フリーランスになると、お金に関してシビアにならざるを得ないところもあるのかと。

今はマネージャーをつけてないから、自分に値付けするっていうのが全然できなくて、しばらくはほぼ言い値でやってたんです。けど言い値でやってると、差が出てくるじゃないですか。例えばある人は僕に100万円という価値をつけてくれたけど、20万円と提示する人もいる。そういう時は、さすがに言わないとダメだなと。そうじゃないと、100万円と提示してくれた人に対して失礼になっちゃうから。

でも、ちょっと言いづらくないですか?

そう、最初は言い出す勇気がなくて。どうしようかなと思ってたんだけど、「名前は出さないけど、こういうところはこういう金額を提示していただいたんでバランスをとらせてほしい」と、客観的事実を積み重ねて伝えるようにしました。ちなみにマネージャーがいないから、メールの返信とか全部自分でやっているので、俺から直接メールがくることに結構みんなびっくりしますね(笑)。

テレ東にいたからこそ、フリーになれた

佐久間さんはテレ東在籍時の早い段階から「お金を生む」っていうことを意識してたと思うんですけど、それはフリーランスになって生かされていると思います?

それはめちゃくちゃ生かされてると思いますね。多分、フリーになりやすかった理由はそれだと思いますよ。テレ東がお笑いというジャンルを抱えてなかったから、お金という指標で結果を残していかないと自分の好きなお笑いの仕事をできなかったので必死でしたよ。そういう意味では、他局の人が羨ましい時期がたくさんありました。

新しいジャンルを開拓していくならではの、苦労があったわけですね。

ブッキングにしても、より上のランクの芸人さんをブッキングするためには、自分でプロダクションに頭を下げたりして。他局のプロデューサーは「誰々さんに口を利いてもらえば、誰々さんをブッキングできるよ」みたいなところがあったけど、テレ東はそういうのなかったから(笑)。

佐久間さんが手掛けた『ゴッドタン』は人気長寿番組に

でも今となっては、そうやって自分で格闘したぶん勘どころも分かるし、いろいろな人に顔も覚えてもらってる。当時はまだ好きなことをやれてなかった芸人を生かす方法を必死で考えた結果、彼らと盟友みたいになれたと思ってるし。そういうことができたのは、お笑いというジャンルに関して、当時のテレ東には何もなかったからだなって思う。

50代半ばになったら、もう自分の好きなことやればいいかな

『サクマ&ピース』で「50代に新しい挑戦をしたい」という話をされていましたけど、具体的にどのようなことを考えていますか?

僕は自分を信用してないから、お笑いのセンスがずっとあるとは思えないんです。お笑いってすごい繊細だから。だからもっとストーリー性のあるものにトライしたり、お笑いの知見を使って他のジャンルにトライしたりしたいなと思ってる。例えばお笑いの「緊張と緩和」とか「こう振ってこう落とす、そしてこう裏切る」とか、そういうのってもしかしたらホラーのジャンルで使えるんじゃないかとか。自分が格闘して学んだスキルで新しいものを作ることには、せっかく会社をやめたんだから挑戦したいなって思います。

50代で新しいことをやりたいというのは、55歳で亡くなられたお父様の影響も……?

ああ、それはあるかもしれない。うちの親父はとにかく断れないタイプだったんですよ。50代半ばで、中国に出張に行って、山奥で心筋梗塞で倒れて亡くなったんです。親父は木材の輸入の仕事をやってて、ミスがあった製材のチェックに行ったんです。でも親父はそこそこ偉いポジションにいたし、別に本人が行かなくても良かったかもしれないのに。だけど「大変な仕事だから他の人間に任せると、その人が可哀想だ」っていう理由で山奥に行って

立派なお父様ですね。

もうちょっと性格が悪かったら、死ななくて良かったのかなって。俺も仕事を断れないタイプなんだけど、「そんな親父の息子で性格も似てんだから、しょうがないかな」って思うことあります。でも親父が仕事に対して誠実だったのは、かっこいいなと思ってたから。親父みたいに周囲の気持ちを汲みながらも、50代で亡くなってしまった親父にはできなかったような、新しいことに挑戦したいっていう気持ちはあるな。あとは娘が今、中3だから、あと7年食わせればいいだろうと。だから50代半ばには、もう自分の好きなことだけやればいいかなって(笑)。

佐久間宣行

そういえばフリーランスになってから、『サクマ&ピース』で、地元である福島の仕事にも取り組んでいますよね。

『サクマ&ピース』は好奇心で引き受けたんだけど、おふくろがめちゃくちゃ喜んでるからまあいいかなって。急に地元の番組で、自分の息子の街ブラが流れだしたわけだからね(笑)。「70歳になってこんなに嬉しいことがあると思わなかった」って言ってたよ。

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