コアな人気を誇り、『地味ハロウィン』などのリアルイベントも開催する老舗Webメディア『デイリーポータルZ』を、編集長/ウェブマスターとして長年率いてきた林雄司さん。当初はニフティの社員としてサイトを立ち上げ、その後、社会の情勢変化に伴う移籍や事業譲渡を経て独立。自身が設立した「デイリーポータルZ株式会社」で、2024年から運営を引き継ぐことになりました。
30年におよぶ会社員生活から一転、一国一城の主になった今、振り返る『デイリーポータルZ』の歩みと、独立の理由とは?「やめる選択肢はなかった」と断言し、どんな話題からでもあふれ出る林さんの『デイリーポータルZ』愛を、とくとご覧ください。
1971年東京生まれ。『デイリーポータルZ』ウェブマスター。主にインターネットと世田谷区で活動。 編著書は『死ぬかと思った』(アスペクト)など。個人サイト「やぎの目」も運営。
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最初の記事は「夏休みの自由研究」
ニフティの傘下で『デイリーポータル』が始まったのが2002年ですから、ずいぶん長く続いているサイトなんですね。
そうなんです。実は長いんですよ。
当時、ニフティはITの最先端を行っているイメージでしたが、どういった経緯でサイトを立ち上げることになったんでしょう?
僕がニフティに入ったのが1999年で、最初は入会者向けのサービス案内CD-ROMを作ったり、その次は旅行のサイトを作ったりしていたんです。で、旅行のサイトがつまんないから、やめたいって生意気にも言ったら仕事がなくなって。でも、旅行とか車とか求人とか、今で言うところのバーティカルメディアみたいなテーマごとのサイトの入り口になるページが1枚あって、それが放置されていたんですね。じゃあ、これをやります!と志願して、いろんなサイトのポータルで週に1回くらい更新してたから『ウィークリーポータル』みたいな名前でやっていたんです。
ただ、よそのサイトの面白げなものを引っ張って載せるだけなんで、仕事はすぐ終わっちゃうんですよ。仕事の内容的にも面白くないし、じゃあ、独自の読み物を載せよう!と思ったのが始まりですね。上司とは「集客のハブになるからいいですよね?」「お金そんなにかからないならいいよ」って会話くらいだったから、本当にヌルッと始まっちゃったんです。
最初に載せた記事って、どんなものだったか覚えてます?
確か「夏休みの自由研究」でした。夏休みの40日間、毎日違うテーマで記事をあげて、例えば当時ブームになっていたタマちゃんを探すとか、定期券を落とした人の名前が書いてある駅の掲示板から多い名字を調べてみるとか(笑)。
着眼点が素晴らしい! そういったクリエイティビティみたいなものって、もともとお持ちだったんでしょうか?
高校生のころに8ミリフィルムで映画を撮ったり、マンガも好きで描いてましたね。下手ですけどギャグマンガを『ファミ通』に投稿したり、『ビックコミックスピリッツ』の相原賞に出したりもしました。何か創作するのが好きで、96年から個人でホームページも作っていたんですよ。
95年にMicrosoft Windows 95がリリースされて、ようやくインターネットというものが世の人々に知られ始めた黎明期に、かなりの先取りをしていたんですね。
もともと大学卒業してから、ニフティと同じ富士通系の会社に入って、そこでHTMLの書き方を覚えたんです。で、みんなは真面目なカッコいいサイトを作っていたのに、僕は『東京トイレマップ』っていうトイレの写真を載せるサイトをやっていて(笑)。当時のトイレには落書きもあったから、その写真も載せてて……まぁ、今は亡き90年代の露悪趣味ですよね。ただ、僕はお腹も弱いんで「トイレの写真を資料的に集めました!」という体でやったら、すごく受け入れられたんですよ。やっぱり、ふざけてるんだけどちょっと役に立つ雰囲気を残すのって大事なんですよね……って、これ、今にも通じるな(笑)。それもあって、99年に富士通のインターネット事業をニフティに集約したとき呼ばれたんです。まぁ、若かったし、変なサイトを作ってる奴がいるから入れとけ!くらいの感じですよね。
なるほど、そういった下地がもともとあったんですね。そして2002年にスタートした『デイリーポータル』は、2003年に『デイリーポータルZ』に改称しますけれど、その理由は?
全然意味ないんですよ(笑)。ウィークリーだったのが土日も更新し始めたんで、じゃあ、リニューアルしようかと。そしたら参加してたライターが「Zつければいいんじゃない?」って言ったんですよね。たぶん『ドラゴンボールZ』とか『マジンガーZ』とかから来てるんだろうけど、その頃はこんなに長く続くなんて思ってもいなかったから、ホント思いつきですよ。
しかし土日にも更新って、それって時間外労働では……?
……なりますよね。それ、今言われて気づきました! まぁ、そのへんも適当でしたよ。土日は家で仕事するから当然タイムカード切らないし、平日もタイムカード切ってから深夜まで残業して、タクシーで帰るとか、全然してましたから。月の残業時間、平気で100時間とか行ってましたね。
今だったら働き方改革という名目で、絶対許されないですよね。そもそもタクシー代が出ない。
そう。だからバブル崩壊後とはいえ、今よりは豊かだったんですよ。他のサイトをやっていた人も結構予算を使っていたし、20万を超えると自分が稟議書を書かなきゃいけなくなるんで、僕も19万くらいで刻んで発注してましたけど、気にしていたのはそれくらい。全体の予算とか、あんまり気にしてなかったですね。
「『デイリーポータルZ』をやっていたい」50歳超での決断
そんな恵まれた環境も、2017年にニフティがノジマ傘下に入ったことで変わったと。
そうです。ニフティって割とのんびりしている会社だったのが災いしてか、だんだん利益も出なくなってきて、富士通が手放すことになり。それで株主がノジマに変わってから、社内の雰囲気も変わったんです。「筋肉質な会社にする」って言われて、どういう意味かな?と思っていたら、半年で『デイリーポータルZ』が東急グループのイッツ・コミュニケーションズに事業譲渡されて。サイトの事業と関わる人間が、まるっと移ることになり、ああ、筋肉質じゃないのは俺たちだったのかと。
筋肉質=利益を出せる、ってことですよね。ちなみにニフティ時代は、どうやって利益を出していたんですか?
いや、出してないですよ。2002年から2017年まで一切利益出してないです……って言っちゃっていいのかな(笑)。最初は、ニフティの不動産や仲介のサイトに『デイリーポータル』から人を流してるんで、間接的に利益に貢献してます!って主張したり、ニフティの広報的なポジションです!って言ったり。2010年くらいからは広告も入れて、iModeのサイトを作って個人課金で利益を出したりとか、その時々の社内のトレンドに合わせて生き永らえてました。で、東急に譲渡されたら、東急はちゃんと「利益を出せ」って言う会社だったんですよ。
いや、それ、普通ですよ!
だから、社会人25年目くらいで、ようやく普通のことに気づいたんです(笑)。で、「大丈夫です! 利益、出します!」と言って、当時はタイアップ記事の収入しかなかったから、そこでバナーを入れたり、個人課金も見直して。
現在の『デイリーポータルZ』には“デイリーポータルZを はげます会”なる有料会員制度がありますが、当時から存在していたんですか?
「友の会」という名前で2012年からありました。300円コースと1,000円コースがあって、1,000円の方には1,000円分のグッズを送っていたから、全然利益を出せていなかったんですよ。なので、東急グループに入ってからはそれはやめて。普通の会員制にしました。おかげで事業収入は改善したんですけど、それでも赤字ではあったので、5年くらいかけて黒字にしていこうという話を、会社とはしていたんです。だけど、改めて『デイリーポータルZ』という事業を東急がするのか?ということになって……。
東急さんから、このままの状態ではなく形を変えたい的な……?
まぁ、コロナの影響も大きいですね。みんなが電車に乗らなくなり、オフィスビルの需要も減って、東急も収益構造を見直したのかもしれないですね。そういうとき、目立つのはやっぱり僕らなんですよね(笑)。とはいえ、赤字を出している状態で他に引き取ってくれる会社もなく、だったら自分でやった方が早いかな?と。どこかが引き受けてくれたとしても、コスト削減して売上をアップさせなきゃいけないのは変わらない。だったら、自分の会社でやった方がスッキリするし、儲かったときは自分のお金になるじゃないですか(笑)。
それで退職して、林さん自ら「デイリーポータルZ株式会社」を昨年秋に設立されたんですね。裏を返せば『デイリーポータルZ』をやめて、東急の社員として他の仕事をする選択肢はなかったと。
あ、そうですね。そういう選択肢もありました。冗談では「そういうのもいいかも」なんて言ってましたけど、まったく考えてなかったです。50歳を過ぎた今から全然違う仕事をやっても、相当ポンコツな社員になるじゃないですか。エクセルとかパワーポイントとかも得意ですけど、それだけでは会社で生きていけないし。だったら『デイリーポータルZ』をやってないと……やってたいなと思ったんですよね。
ちなみに起業の際には、ニフティ時代の退職金を注ぎ込まれたとか。
そうなんです。僕、93年に富士通グループ入社なんで、2017年に東急に移るときに24年分の退職金をいただいたんです。あとは企業年金。60歳になってもらうか、今もらうかって聞かれて、今、もらう!って(笑)。
それで、独立するって話を公表前に全ライターに伝えたんですけど、僕が冗談めかして「まぁ、2年ぐらいでお金が尽きたら、ハードディスクに全データ突っ込んで、海に投げて終わりとかでいいんじゃない?」とか言ったら、みんな落ち込んじゃって! 「そんなこと言わずに頑張ってほしいです」とか言われて、みんな僕以上に『デイリーポータルZ』を好きでいてくれてるんだなぁと実感しました。