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ここじゃない世界に行きたかった。バズることから“降りた”塩谷舞が向き合う「自分」

FREENANCE 塩谷舞

かつてWebライターとして大活躍し、「バズライター」「インフルエンサー」と称された塩谷舞さん。2018年にニューヨークに移住、昨年は現地でコロナ禍に見舞われたこともあって、少しずつ思考の枠組みを変え、キャリアプランも生き方も自然に再設定してゆきます。その過程を丹念に綴った『ここじゃない世界に行きたかった』(文藝春秋)は、今年2月の発行以来、たくさんの読者の共感を集めています。

新興企業の激務をサバイブし、Webライターとして揺るがぬ実績をあげて「ここじゃない世界」としてのニューヨークに新天地を求めた塩谷さんが、いかにして自然環境や人権といったイシューに関心を抱き、日本文化を再評価するようになったのか。『ここじゃない世界に行きたかった』という書名はなぜ過去形なのか。帰国して再び東京に居を定めた塩谷さんにお話を聞きました。

profile
塩谷舞(しおたに まい)
1988年大阪・千里生まれ。京都市立芸術大学卒業。ニューヨーク、ニュージャージーを経て、2021年より東京在住。大学時代にアートマガジン『SHAKE ART!』を創刊。会社員を経て、2015年より独立。オピニオンメディア「milieu(ミリュー)」を自主運営。note定期購読マガジン『視点』にてエッセイを更新中。
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選択肢を消していった結果の「最適解」

大学卒業後、CINRAに入社されたんですよね。カルチャーのイメージが強い会社なので、てっきりそっちかと思っていたら、意外に堅いお仕事をされていたとか。

Webサイトの制作ディレクターとして3年勤めました。時にはスーツを着てクライアントと打ち合わせをして、企業ページを作る仕事が多かったですね。金融や行政、医療系のクライアントも多く、幅広い仕事をしていました。でも最後の1年、「もっとカルチャーに明るい人材がいる会社として知ってもらいたい」ということを社長とも相談して、広報の仕事をやらせてもらうことに。そしたら、当時のメンバーができることや、世の中のニーズともかみ合って、ありがたいことにいろんなお仕事が入ってくるようになりました。目に見えて組織が変化していく日々は、とてもうれしかったです。入社当時は十数人の小さな組織だったので、会社全体に「自分が変われば会社も変わる」という意識も強かったように思います。

独立後はPRの経験を生かしてWebライターに転身し、記事をことごとくバズらせて「バズライター」と呼ばれたわけですが。

そんなには呼ばれてないです……(笑)。編集の方の提案で、キャッチーなのでそう書かれることが増えましたが。まぁ、好きに呼んでくださいという気持ちです。

仕事と人生を見つめ直す最初のきっかけになったのが、激務で体調を崩されたことだったそうですね。

そうですね。もう10年近く前のことですが、当時の広告業界ってハードワークが大好きな人じゃないと許されない、みたいな空気がありました。わたしはもともとあんまり体が丈夫じゃない上に、子宮内膜症という持病もあり、パワフルな男性社会の中で仕事の量や速さで競争をしても、劣った存在になってしまう。そこで、弱いには弱いなりの生存方法を模索していました。

塩谷舞

物書きの仕事も、なりたくてなったというよりは、選択の結果たどり着いたようなところがあります。「関係者に迷惑をかけてばっかりだからスタッフは増やせないな」とか「物理的に物を運ぶのは厳しいな」とか、「体調不良だと動画は撮影できないな」とか、選択肢を消していった結果、テキストに最適化されていったという……。でもそのおかげで、内省的な営みの面白さにも気づかされました。

僕もイメージが「バズライター」のままだったので、おっしゃる通りの内省的な文章や、環境や人権といった問題への強い関心に少し驚きました。

外国で暮らすと入ってくる情報も変わりますが、環境や人権への捉え方について強いメッセージを発するメディアや友人も多く、最初は自分や、自分が育った環境を否定されているようなショックも受けました。同時に、どれが正しい情報かわからない……という混乱も。

けれども、調べていくと、変えていかなきゃいけないところもある。ただ、いきなり100から0にすることは現実的じゃない。環境問題に関してはやっぱり、自分も便利なものの恩恵を受けて暮らしているし、車にも飛行機にも乗ります。完全に解脱してクリーンな人間です、と言うことは一生むずかしいと思うのですが、科学者の声を聞きながら、政治や企業にはたらきかけながら、少しずつでもマシにしていきたいとは思います。それすらも人間側のエゴだなぁ、と思ってしまうこともありますが。

人生と仕事のパーソナルな関係を捉え直すタイミングに、地球環境と資本主義社会のグローバルな関係が重なったんですかね。

これまで、「成長成長成長!」っていう価値観に違和感を抱きながらも、異議を唱えちゃいけないんじゃないかと思って抑えてきたけど、それはもう限界があるよね、というのが明らかになっている、いま。次の社会を作るための具体的な動きとしては、法整備や企業の変革がマストですが、そのためには有権者の意識、消費者の意識の変化も大切。だから市井の人間としても、物書きとしても、できることはあるんじゃないかと、書くテーマもここ数年で変わっていきました。

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信じる色で一度塗りつぶしてみたい

ここ数年、物事や価値観の変わるスピードがすごく上がりましたよね。その急激な変化が、塩谷さんの生活の変化とリンクしている気もしました。

トレンドに敏感なわけではないんですけど、こだわりがなくて影響を受けやすいので、否が応にも時代を吸収しているのかもしれません。自分が書いてるというより、時代の空気に書かせてもらってるような感覚もあるんです。いちばん多くいただく感想が「モヤモヤしていたことが言語化されていた」という類いの言葉で。だから個性というよりも、時代性のほうが強いんじゃないかなぁと。見ている景色はきっと似ていて、ただ執拗にその詳細を伝えることに取りつかれているだけ、というか……。

わかる気がします。ご自身の内面に降りていくときの思索の描写がとても丁寧で、心のひだの奥のほうまで覗き込むような書きっぷりが印象的でした。

小学生のころからブログをやってきたので、インターネットやSNSは循環の一部、排せつするくらい無意識的に文章を書いていました。でも、この本は初著書ということもあり、自分が本当に信じられるものだけを集めてみたかったんです。

塩谷舞『ここじゃない世界に行きたかった』
ここじゃない世界に行きたかった

20代のときは成長のためにどんな人とも接して、どんな意見も素直に受け入れるということをたぶん意識的にやってきたのですが、それをやり続けると風呂敷を広げすぎてしまったり、自分の軸が定まらなかったりと、完全にとっ散らかってしまいました。だから、30代は自分の信じる色で一度塗りつぶしてみたかった。あえて閉じていったというか。コロナ禍だったから、そうする他になかった、とも言えますが……。

文章の性格には、かつての経験が生きたところもありますか?

ネットでの経験、という意味では、「離脱率を下げるぞ!」みたいなところでしょうか(笑)。Webライターって読者に離脱されてしまったら終わりだし、常に数字と直面させられるので、記事全体に「絶対に離脱させないぞ」という強い意思と仕掛けを張り巡らせているんですよね。そのヒリついた感じは、ある意味、忘れたくないんです。

文芸エッセイの多くが、一冊を通して調和がとれた「おばんざい」のようなものだとしたら、Webライターの文章って、短時間で食べられてひとつで満腹感を得られるハンバーガーのような。私はハンバーガー職人でしたが、最近はゆっくり味わって食べていただけるように、その素材を試行錯誤している感じで。でも、ハンバーガーのもたらしてくれる満足度も失いたくはない(笑)。だからエッセイではあるのですが、知ってほしい情報を忍び込ませたり、一編ごとに緩急をつけて離脱しないようにしたり……と細かな工夫をしています。

そのかいあってか、普段本をあまり読まないという方からも「読了しました!」というお知らせが届いて、それはうれしかったですね。ネットのスピード感から降りて、読者と一緒に歩みをゆっくりにしていきたいです。

塩谷舞

digmeoutの谷口純弘さんとの対談では《ゆっくりになりたかったんです》とおっしゃっていましたものね(※)

chignitta「ここじゃない世界に行きたかった」 塩谷舞が、今いるところ。
digmeoutは大阪のFM局、FM802が運営するアーティスト発掘プロジェクト。そのプロデューサーを務めたのが谷口氏

谷口さんは、学生時代の恩師ですね。mixiでメッセージを送って講演会をお願いしたら面白がってくれて、上京する前に一緒に働かせてもらったりしたんですけど、最初に働いたのが大阪だったのは私のマインドセットを作る上で大きかった気がします。「オモロいことやろか!」と前例のない案が出てきたり、計画に穴があっても「ま、なんとかなるやろ」と突き進んだり。現場で馬力を出して、最終的になんとかする(笑)。

東京での仕事はなんというか、正しすぎて。書類上の正しさを守るために、みんなで犠牲になっている感じは少し息苦しかった。のちに「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」という言葉を知って、心当たりのある点が多々……。

他者に厳しくすれば、自分も縛られることになり、どんどん不寛容な社会が出来上がっていく。私も時に神経質なので「寛容な人」とは言い難いかもしれないですが、もうちょっとゆるく、気の抜けた社会でもええんちゃうかな、とは思いますね。


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