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耳の聞こえない「ろう者」の手話エンターテイナー、那須映里が選んだフリーランスという働き方

FREENANCE 那須映里

家族全員がろう者というデフファミリーで育ち、現在はNHK Eテレ『みんなの手話』をはじめ、『ハートネットTV #ろうなん~ろうを生きる難聴を生きる』や『手話で楽しむみんなのテレビ 怪談・奇談編』などにも出演されている那須映里さん。ろう者と聴者が交流する『ろうちょ~会』を企画したり、手話を使ってストーリーや情景を表現する視覚的アート「ビジュアルバーナキュラー(Visual Vernacular)」を発表したりと、精力的に手話や、ろう文化を広める活動をされています。その肩書は「手話エンターテイナー」。聴者にはなかなか知りえない手話の秘密やろう者の生活、そしてフリーランスとして活動するにあたっての心構えを直撃させていただきました。

profile
那須映里(なすえり)
東京都出身デフファミリー。日本大学法学部新聞学科卒業。2019~20年までデンマークにあるFrontrunnersに留学し、ろう者のリーダーシップや組織活動について学ぶ。帰国後、NHK Eテレ『みんなの手話』出演、手話普及活動、国際手話通訳、ろうの子どものための活動をする「しゅわえもん」スタッフ、ろう者と聴者が交流する「ろうちょ~会」、東京都聴覚障害者連盟青年部役員活動にも取り組む。「ビジュアルバーナーキュラー」パフォーマンス・手話表現者・手話エンターテイナーとしてフリーランスで活動中。
https://twitter.com/nsanakan78
https://www.instagram.com/eri_ns.78/

きっかけは聴者からの「手話って楽しい」

那須さんは「手話エンターテイナー」として、具体的にはどんな活動をされているんでしょうか?

いろんな活動をしています。講演、ワークショップ、またビジュアルバーナキュラー(以下、VV)といったアートな表現に、パフォーマンスや演技など役者もしてますね。あとは「ろうちょ~会」といって、ろう者と聴者が一緒に交流したり、手話やろう者について興味を持ってもらう企画もやっています。まだ手話に関わりのない人にも楽しんでもらいたい、手話ってこんなに面白いんだ、楽しいんだ!っていうことを伝えたくて、それらにまつわる活動を「手話エンターテイナー」という名前で行っています。

手話の面白さや楽しさって、では、どんなときに感じられます?

私は手話が第一言語なので、実は正直「手話が楽しい」というふうには思っていませんでした。日本人が「日本語って楽しい」と普段は感じないのと同じですね。ただ、大学に入って初めて聴者と深くコミュニケーションを取るようになったときに、第二言語として手話を学んでいる人たちから「手話って楽しい」だとか「もっと知りたい」と言われたんです。

いわゆる書記言語・音声言語ではなく、視覚言語であるところに新鮮味や楽しさを感じるようで、そこで初めて「なるほど、手話って楽しいのか!」ってことに気づいたんですね。聴者から「その楽しさをもっと伝えてみるのはどう? 手話についてあまり知らない人が多いから、第一言語として使っている那須から発信していくのはどう?」と言われたんです。だから、私に手話エンターテイナーへのきっかけをくれたのは、実は聴者なのです。

じゃあ、大学に入るまでは何か別の夢をお持ちだったんですか?

私は2歳から18歳までろう学校に通っていたので、周りはみんなろう者だったんです。なので、聴者と話すのは怖いなという気持ちもあったんですが、高校3年生のときにジャーナリストになりたいという夢があって、それで大学で新聞学科に入りました。だから、ろう者の生活や直面している現状、環境といったことを伝えて、ろう者の社会を変えていきたいという気持ちは、もともとありました。

ただ、大学に入って先生にそれを伝えたら、「ジャーナリストの仕事は“伝えること”のみにあって、社会を変えることは別の人間に任せるという考え方だから、那須さんは社会を変える仕事のほうが合うんじゃないか」と言われまして。

なるほど。

そんな時期にベトナムのろう者と出会い、ろうコミュニティにかかわる機会があったのですが、日本と比べても整備されていない、差別されている部分が多いのですね。そういった問題を解決するために、ボーダレス・ジャパンというソーシャルビジネスの起業家が集まる会社に入りました。いろいろ話していたら、同期の一人に「いつも那須と話しているとベトナムのことよりも手話について、日本のろう者の社会状況、手話が消えようとしていることなどをよく話してくるよね。那須が本当にやりたいことはベトナムのことじゃなくて日本におけるろう者や手話の普及、手話にまつわる問題の解決だと感じている」と指摘されたんです。そこからデンマークにある、ろう者のリーダーシップを養成するプログラム「Frontrunners(フロントランナーズ)」に留学して、自己表現の方法やリーダーシップ、コミュニケーションについてを学びました。

ろう者を一つの「民族」として捉えてみる

「ろう者の社会を変えていきたい」という言葉がありましたが、ちなみに那須さんが日本のろう者を取り巻く社会で、一番の問題だと捉えていることは何ですか?

うーん……一番かどうかは難しいんですけど。これが無くなれば、みんなが生きやすくなるんじゃないかと思うのは、聴者の中にある「聞こえることが幸せ=聞こえないことは不便、不幸」という考え方ですね。

「手話っていいよね」とか「ろう者でも問題ないよね」と言っていても、いざ自分の子供にろう者が生まれたら、人工内耳を装用して手話ではなく声で話せたほうが社会で上手くいくと考えてしまう。ろう教育の中でも声で話す練習、耳で聞く練習を重要視するところは変わっていなくて、私が通っていたろう学校も小学部までは手話が禁止だったんですよ。

「ろう者は聞こえる人よりも劣った存在」というマイナスな見方は変えていきたいところで、むしろ、ろう者を一つの民族として見てもらえばわかりやすいんじゃないかと思うんですよね。ただ言語が違う、文化が違うだけで、あくまでも対等であるというところからスタートしたい。そのために手話、ろう者が表現している、ろう者がありのままに生活しているというのをどんどん発信して、知ってもらうことが社会を変えるきっかけになると思ってこの仕事をしています。

同じ手話にしても、日本語をそのまま順序通りに訳す日本語対応手話もあれば、独自の文法を持つ日本手話もありますからね。そもそも手話がどういったものなのか、知らない聴者も多い。

そうなんです。手話というのは言語なので文法もありますし、言語として証明をするための分析を、既に手話言語学者たちは行っていますね。だから今日も手話通訳に来ていただいてますけれど、日本語と日本手話は単純に置き換えられるものではないので、通訳するのは本当に大変だと思います。

最近はSNSが発達して文字で情報をやり取りする機会が増えていますが、では、それがろう者の生活しやすさに直結するわけではないんでしょうか?

そうですね。ろう者の生活は以前に比べたらかなり向上していて、例えば電車が遅れたときに以前だったら情報が得られなかったところ、Twitterだとかでリアルタイムで見られるんですよ。今までは知り得ることのなかった聴者同士の会話の内容もTwitterで見られるようになったのもかなりの進歩です。そこは便利になったところですが、手話が第一言語のろう者の場合、日本語は第二言語として学ぶことになるので、中には日本語が苦手な人もいます。なので「Twitterは使わない」と言う、ろう者もいますね。ただ、コロナ禍でZoomなどのサービスを介したオンラインでのビデオ通話のやり取りが増えたことで、ろう者や難聴者の生活が便利になった部分は、かなりあるみたいです。

例えば、どんなところで?

難聴者やろう者の中には口の動きから話している内容を読み取る人もいて、対面だと遠くにいる人の口元は見えないんですよね。だけどビデオ通話の場合、全員が良い画角で画面に収まっているので口を読み取りやすいとか、あとはマイクを使うぶん声が綺麗に入るので、音声を活用する難聴者にとっては聴き取りやすいようです。また、綺麗に音声が入るぶん文字起こしの精度も上がって、ろう者から「会議などに参加しやすくなった」という声もよく聞きます。

なるほど! あとは、手話なら気兼ねなくおしゃべりできるというメリットも、今だったらありません? コロナ禍では飛沫を飛ばすことがタブーなので、聴者は食事中におしゃべりもできませんが、手話なら関係ないですし。

実際あります(笑)。店内に「会話はご遠慮ください」って書いてあっても、それは声での会話のことじゃないですか。ろう者の場合は飛沫も飛ばないから、「手話で会話しちゃっていいんじゃない?」っていう空気はありますね。

そもそも最近は手話通訳のついているメディアも増えましたし、ろう者の生活は以前に比べて大きく変わっていると思います。例えば5~10年前の手話に対する見方は福祉的なものでしたけれど、ここ最近は言語として捉えられるようになってきていますし、言語として手話を覚えたいという人も増えてますね。

確かに手話には手話特有の文法も表現もあって、単語一つとっても文字をそのまま変換するのではなく、例えば「東京」には「東京」を表す手話がありますよね。じゃあ、世の中に新しい単語が生まれたときって、誰がどうやってその単語を表す手話を作るんでしょう?

新しい手話を制定してさまざまな形で広めている機関はあります。その一方で、ろう者自身が「これ、どうやって手話で表現しようか?」と自然に会話をしていく中で、例えば形や特徴を捉えて「ああ、その表現いいね! わかりやすい」とかって使っているうちに広まっていく……というパターンもありますね。

流行語が生まれるのと全く同じ流れですね。文化の中から手話としての表現が生まれていくと。

本当にそうなんです。ただ、他の国――例えばベトナムの場合だと、個人が「この単語の手話はこういう手話でどうですか?」と自分で手話動画をInstagramやFacebookでアップロードして、そこに「コレいい」とか「いや、他の表現がいい」とかってコメントしていく中で広まったりしてますね。逆に日本は国民性なのか、手話の動画をあげる人が少ないんですよ。恥ずかしいのか(笑)。

同じものを表現しようとした場合、国ごとに文字で書く単語は違っても、手話なら似通ってくるということが出てきますか? 結果、外国人とのコミュニケーションも手話のほうが取りやすいのでは?

それ、すごくいい質問だと思います。手話の文法の中に「CL(シーエル)」というものがあって、モノの形や特徴を表現するものなんですけど、例えばボールを表すときに手で丸い形を作る、この表現は世界中ほとんど同じなんですね。

細長いもの、平べったいものと、CLを使えば国を超えて通じるんです。もちろん手話は国によって違うので、なかなか通じないことが多いのですが、このCLの表現だけでなく、「ロールシフト」という一人で何役もするような文法も海外の手話と共通しているので、そういった面では聴者よりもろう者同士のほうが、国を超えてコミュニケーションしやすいというのはあるのかもしれません。