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安堂ホセが芥川賞候補作『ジャクソンひとり』に続く『迷彩色の男』を発表

安堂ホセ FREENANCE MAG

昨年、文藝賞受賞作『ジャクソンひとり』でデビューした小説家の安堂ホセさんが、芥川賞候補にも挙がった同作に続く第2作として、『文藝』(河出書房新社)2023年秋季号で、小説迷彩色の男を発表しました。同誌の目次にはこうあります。

〈怒りは屈折する〉。──二〇一八年の冬、都内のクルージングスポットで二十六歳の男が暴行された姿で発見される。事件の背後に浮かびあがる “迷彩色の男” を描いた、最注目作家の第二作。

《青》《赤》《ブラック》《イエロー》といった色彩の配置によるイメージ喚起力と、テンポのいい語り口は圧倒的。執拗で立体的な描写、ベタな既成概念を揺さぶる刺激的な比喩に、日本社会への鋭い批評性も備えて、感覚と感情と思考を同時に揺さぶってきます。落ち着かないままどんどん先を読まされてしまうような、とても力強い物語です。単行本は9月27日発売予定。

profile
安堂ホセ(アンドウホセ)
1994年、東京都生まれ。『ジャクソンひとり』で第59回文藝賞を受賞しデビュー、同作で第168回芥川賞候補。​
https://twitter.com/joseando17

「いまの正しさ」に行けない人の弱さ

安堂ホセ

『迷彩色の男』は、小説なのに説明的なセリフの少ない映画を見ているような不思議な感覚を覚えて、とても面白かったです。

キービジュアル……ってあんまり小説では言わないけど、そういうフェティッシュはありました。コアになっている事件現場や、坂に男性がいっぱい並んでる様子とか、夜の青さがどんな青さなのかも含めて、着想した時点からみえていた光景をどのぐらい純度高く言葉にできるか、読んだときにイメージがみえるかは念入りにチェックしていた気がします。

初稿を書き終えたのは今年の5月ですけど、2月の終わりぐらいまではずっと冒頭の数ページを書いていました。『ジャクソンひとり』もそうでしたけど、今回は一人称だったから、どういう声質、どういうトーンで「私」が話しているか、みたいなことをすごく探っていて、それが決まったところでゴーサインが出て、一気に書いていきました。

去年、島本理生さんとの対談(※)で《次の作品はもう考えているんですか?》と聞かれて《文藝賞を受賞するかわかんないし、もう一作書きたいなという気持ちがあって書き始めていた作品があるので、それをまた完成させたいなと思っています》とお答えになっています。それが『迷彩色の男』ですか?

※Web河出 第59回文藝賞受賞記念対談 安堂ホセ×島本理生「本気の遊びに本音を乗せる」

それではないんです。島本さんの対談でも触れたものを先に書き始めていましたが、なんとなくの勘で「こっちが先だな」みたいなのがあるんですよ(笑)。それは作品の出来ではなく、というかまだ作ってないから当たり前なんだけど……『ジャクソンひとり』は想像していた以上にたくさん読んでいただいて、あのムードの根底にあるものをフォーカスした「0話」みたいなものをはやく読んで欲しいなと思って。

自分が自分であることを起点にしてフィクションを作るっていうのは変わらないんだけど、当事者にとって心地のいいフィクション感、異世界感ってなんだろう?っていうのをずっと考えてて。自分もそうだし、もしかすると他の当事者も意識したことがあるはずのオブセッションに没入できるような小説、という理想はありました。

『迷彩色の男』もすでに着想はあったんですよ。『ジャクソンひとり』の人物たちはリアルタイムの実像に近いかなって感じますが、世の中って「いまっぽい人」だけで構成されているわけではないから、「いまの新しさ」とか「いまの正しさ」みたいなところに行けない人の弱さみたいなものも、いつか愛着をもって描きたかったです。ある種の男の子の、時代に取り残されていくような焦りと、でも現状のまま安息していたい気持ち、そのアンビバレントさを考えるなかで「トレンディ」っていうのが作品を書くうえでのキーワードに加わって、タイトルのニュアンスにも影響してますね。

弱さという言葉にはとてもピンときます。

例えばプライドパレード(※)に参加できる人と、参加はしないけど別のかたちで活動している人と、まったく参加できないという人がいたら、三つ目の参加できない人のことを書いていると思います。そういう人は100年後もきっといると思う。いくら時代が進んでも、人の目に晒される原始的な恐怖っていうのは消えないはずですしね。

※LGBTの文化を讃えるパレード。1969年の「ストーンウォール暴動」を契機にアメリカでLGBTの権利を求める声が高まり、翌年に始まったゲイパレードを源流とする。日本では1994年に始まり、主催団体を変えながら年々規模を拡大している。

安堂ホセ『迷彩色の男』

「いぶき」っていう登場人物は『ジャクソンひとり』と共通していますけど、語り手の「私」も同じころからいました。小説を書くときは年単位で作中人物について考え続けるので、ほとんど実在するぐらいにイメージが重くなります。それで書かざるをえなくなるというのが実際のところです。出し順とかは考えますけど。

発表する順番を入れ替えただけで、どちらももともとあったお話なんですね。『ジャクソンひとり』の前日譚という感じ?

時系列的にもそうですね。『ジャクソンひとり』は2021年から2022年にかけて執筆してるので、そのころのリアリティを切り取っていて、『迷彩色の男』の時代背景は2018年だから、ちょうどいまから5年前くらい。生産性発言(※)を小説の中でも取り扱っていますけど、2018年は日本でのゲイバッシングの方向性が変わった年のように思います。

※当時の杉田水脈総務政務官が『新潮45』2018年8月号に、LGBTなどの性的マイノリティについて《彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです》と寄稿。当事者らが自民党本部前で抗議デモを行った。

それまでは、ただ理解できない、ただ気持ち悪いものとして排除する文脈が強かったんだけど、2018年の生産性発言についての釈明(笑)をみると「女性の子育て支援や不妊治療に税金を使うのは少子化対策になるけれど、LGBTのために税金を使うのはおかしい」っていうレトリックですよね。そもそも少子化は女性だけの問題じゃないし、もちろんLGBTのせいでもありません。なんの脈略もなくマイノリティ同士を戦わせる構図に持っていこうとする方法は、現在のシス女性とトランスジェンダーを対立させる風潮にもつながっていますし。

なるほど、そのタイミングなんですね。そう聞くと弱さや微かさという最初の話にもさらに納得します。

リアルタイムの問題についてリアルタイムの言葉で書くっていう方法もなくはないし、それもいいんだけど、自分の立場とか、自分が当事者であることを起点にしながら、いまある問題について射程を持った創作ができたらいいなと思いました。着想の段階ではそこまで考えていなかったけど、この人物、このシーンをいま書くにあたって、どういう役割を担ってくれるかを新たに考え直して、例えばラストの「紳士用トイレ」の場面などを決めていきました。

赤と青への集団オブセッションという意味でもトイレのイメージは入れたかったし、「人種や性的指向などの複合性をまったく無化するほどの男女規範の強大さ」などについて、ページからふっと離れて考えてもらえたらいいなと思って、小説としてふくらませていった感じですね。

読者が誤解している時間も作品の一部

安堂ホセ

青と赤とおっしゃいましたが、全体にわたって色彩のイメージが鮮烈でした。意識的にそうしていますよね。

色は前から好きですけど、『ジャクソンひとり』のときは抑えていました。「色彩表現が巧み」とか言われる必要はないし、普段のユルさとか、いえーいみたいな悪ノリをなるべく制御せず放出してました(笑)。

いわゆる芸術作品としての完成度を上げるんじゃなくて、もっと普通に親しんでもらえる、土足で入ってきてもらえる小説にしたかったのもありました。日常的にSNSやファミレスで流通している言葉と同じレベルのおしゃべりを入れていこうとしていましたね。

『迷彩色の男』はもっと“景色”に主体がある小説なのかもしれないです。今回は「共通の景色をみせる」っていう点に関して、誰にも気を使わず描写に専念したかった。語り手の素直さや堅さも借りながら、より純度の高いものにしようと、ひとつひとつのシーンを進めていきました。

土足で踏み込んでほしいというのは面白いですね。エンタメというと違うのかもしれませんが、丹念に内面を描写するよりも、物語を回していこうと。

『ジャクソンひとり』のときは物語が転がっていくまんま、とにかく制御しないっていうのを決めていました。自分にとっては1発目だし、「つまんない」と思われたら次も出せないし、マイノリティ当事者が書いた小説は売れない、みたいな前例になっちゃうのもイヤだから、自分の意図を超えるものを書けるだけのユルい構えにしておくというか。

私を含め”当事者もの”って揶揄されるタイプの作家は、どうしてもその人=ジャンルみたいにされちゃうんですよね。別にそれが悪いこととも限らないけど、当事者性って、座標のゼロポイントがどこにあるかって話にすぎないから。

“当事者もの”を書くのだって、自分の話や自分が知っていることを書けばそれでいいわけじゃなくて、そこを中心として世界を見渡すのは変わらない。そのうえで、そこからどの方角に向かっていくかっていうことが自分にとってのジャンルだとわかってきました。

安堂ホセ『ジャクソンひとり』

僕は決して熱心な小説読みではないので、とんちんかんな感想かもしれないんですが……。

小説、そんなにお好きじゃないですか?

好きじゃないわけではないんですけど、ふだん読むのはノンフィクションや批評が多いですね。

読んでみて、いかがでしたか? どのぐらい難しいのかとか、どのぐらい楽しんでもらえるのかとか、自分ではわかんなくて。難しくないようにはしたいんですけどね。

難しいというのとは違うけれど、混乱させる要素というか、引っかかりはいろいろ仕込んであるなと思いました。「あれ? これどういうことだっけ」と何ページか前に戻るみたいな。

あー! なんか意図しているわけじゃないんだけど、情報の出し順を抜かりなくやっていこうとすると、結果的に不親切にならざるをえないときは確かにあります。

読みづらくはないですよ。めっちゃ面白かったし。もっと言うと、細かいところが気にならないぐらい、物語にドライブ感があると思いました。

それはうれしいです。そういえば、キャッチーに流通しそうな部分が立ちすぎるとこの小説ではトーンが変わっちゃうから、量を調整したりもしました。『ジャクソンひとり』であるアニメをディスる部分については全てのインタビューで聞かれたぐらいだから。

(笑)。みんな気を取られちゃうんですね。僕も当時インタビューしたら聞いていたと思います。

しょうがないんですけどね。やっぱり日常的なトピックほど立つから。今回はそういう部分をかなり引いていったので、最終形は余白が多いかもしれないですね。

そこは僕にとってはむしろ心地よい体験でしたけどね。

読んでいくなかで、勝手に補完していたものがガコン、って外れる快感みたいのを味わってほしくて。「あ、こういうことだったんだ」と読むうちに腑に落ちていく気持ちよさみたいなものも仕掛けたかったです。誤解している時間も作品の一部としてきちんと設定できたらいいなって。

そこまで狙って設計していたんですね。すごい。

いくつかは、ですけどね(笑)。読んでくれた方はわかると思うけど、2章の初めあたりとか、その人を形成する要素をじっくりと慈しむ形で書きたいなーっていうのが今回はあった。あとは「クルージングスポット」っていう場所の特殊性を描きたかったわけではなく、むしろ普遍のものという前提を共有したいから……と考えて冒頭をいくつか試したりとか、そういうことは気にしていました。

さっきおっしゃった情報の出し順というのはそういうことですね。

てか、情報の出し順しか気にしていないです。あらすじも間引かせてもらったぐらい(笑)。情報をどういう順番で出していくかに執心するのは、自分の特徴のひとつかもしれないです。SNSでいちはやく感想を書いてくれた方たちも、そういう楽しみをとっておくような書き方をされてることが多くて嬉しかったです。

特徴で思い出しましたが、これは読者としての僕の資質によるのかもしれませんが、比喩がすごく印象的だったんですよね。

比喩を比喩と気づかれてしまうのは、もしかすると小説のテクニックとしてあんまりうまくないのかもしれないけど、ノーマライズされた上手な小説として整えることが破綻してでも、とにかく景色をみせるってことを優先しました、今回は。

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