FREENANCE MAG

フリーランスを応援するメディア「フリーナンスマグ」

インフラに必要なのは「感謝されない」こと。音楽療法士・智田邦徳(かときちどんぐりちゃん)インタビュー

智田邦徳(かときちどんぐりちゃん)

「感謝疲れ」を蓄積させないために

智田邦徳(かときちどんぐりちゃん)

一般社団法人東北音楽療法推進プロジェクト、通称えころんを設立されたきっかけは?

そのときわたしはフリーランス音楽療法士として、仕事の空いた日にボランティアとして被災地に自費で通っていたんですけども、ある日、車をぶつけられたんですよ。自分の車で、休日で、労災もないし、保証もないじゃないですか。相手が居直って裁判沙汰になりましたけど、その裁判の間も何の保証もなくて、大変だったんですよ。このままだと今後何かあったときに続けられなくなってしまうので、公的に被災地と向き合うために法人を設立したという経緯があります。

あー、とても納得がいきます。

避難所に入るとき、当時はいろいろな人も出入りしていたので、必ず名札をつけるんですが、個人よりは所属組織のある名札のほうが入りやすかったんですね。長く続けるには、名札を見た人に「それはどんな組織なんですか?」と聞かれたときにきちんと説明できる所属先があったほうがいいなと。

なるほど。被災された方たちや障害のある方たちと向き合う際に、心がけているのはどんなことですか?

さっきのバズフィードの記事にもありますけど、震災のあと1年間ぐらい、いろんな人が被災地に来て慰問やイベントをしていたんです。ところが、被災者を近くで見ていると、一回一回の感謝疲れが積み重なって摩耗していく人が多くて。「人の役に立ちたい」と自費でいらっしゃるのはとても偉いと思いますけど、例えば社会福祉協議会のスタッフを通して仮設団地のリーダーに話が行くと、何時間もかけて「せっかく遠くから来てくれるから」と人を集めるわけですよね。来てくれた人たちの顔を立てるために──という言い方はちょっとイヤらしいですけど、当事者が時間と労力を割くわけじゃないですか。

そうして「ありがたいけど、もういいよ」みたいになっていた人たちを見て、わたしが自分に必要なのは「感謝されない」ということしかないと思いました。感謝されないためには「来て当たり前の人だ」「来週も来月も来るから、用事があるときは会わなくていい」と思ってもらいたかった。変な話、軽く見られたほうがわたしも楽だし。わたしはインフラになりたかったんです。

「感謝されない」という態度には感服します。一緒にしたら失礼ですが、日常の中での小さな親切にしても、「ありがとう」と言われなくてもいいとまでは思えても、邪険にされると正直「ちぇっ、なんだよ」と思ったりもします。そういう部分はどうやって割り切っていらっしゃいますか?

全然割り切ってないですよ(笑)。ねたみ、そねみ、ひがみの塊ですから。「わたしは12年間定期的に通っているのに、1、2年しか通ってないあの団体がなんで自治体から表彰を受けてるんだよ」って、酒を浴びるように飲んだりとか。30年間、槇原敬之へのひがみを抱えて生きてます。

(笑)。どうしてマッキーに?

ああいうキャリアを若いときに夢見てたんですよ。マッキーがAXIAオーディションに優勝して以来、ずっと「ちくしょう」と思いながら憧れつつ見ています。日本で随一の才能だと思いますよ。

かときちさんにもひがみ根性があると知って安心しました。

肉をまとったひがみの泉でございます(笑)。

智田邦徳(かときちどんぐりちゃん)

「しない」という見極め

音楽療法士で、あんなすてきな漫画を描いていると、聖人君子みたいに見られがちじゃないですか?

悪口を書いてきた人をブロックしたら、何でも受け入れるタイプの人間だと思われて逆恨みされたことがありましたけど、いや、普通にブロックするわ、おまえなんか、って(笑)。「期待値から大きく外れることしかしないので、すいませんが期待しないでください」って喧伝して回るしかないですね。

旧友と久しぶりに新宿二丁目で再会したときに、「あんた音楽療法士としていいツラしてるけど、陰でやりまくってんじゃないの?」とご挨拶されました。見事にまとめてくれてありがとう、って感じです(笑)。

特に最近は辛口の漫画をあえて発表されているような気がして、聖人君子イメージを変えたいのかな?と思っていました。

そうですか? 全部同じテンション、同じ立ち位置で描いているんですけどね。『ムシデン』はたまたま何かの間違いで生まれたもので、申し訳ありませんけど、二度とあんなのは描けないです(笑)。

SNSに長期連載されていた『可愛い岩五郎』(360話で完結)にも感服しましたが、漫画は完全に趣味で描いていらっしゃるんですか?

昔、ゲイ雑誌には描いていたんですよ。最初は95年、いきなりハードですけど『さぶ』ですね。その次は『Badi』という別のゲイ雑誌に、97年ですかね。

バズフィードの記事で強く印象に残ったのが、「私の能力は演奏とか歌というより、聴く力なんです」とおっしゃっていたことでした。音楽を聴いてすぐ演奏できるということももちろん含まれるし、話を聴くこともありますよね。

わたしに聴いてもらいたい人たちは、すばらしい答えを求めているんじゃなくて、ある程度答えが固まっていることの再確認をわたしを使ってしていると思うんです。よくツイッターで腐女子の人がプロフィール欄に「壁打ち」と書いていますけど、わたしは壁打ちの壁なんですよ。もしかしたら聴いていることにもならないのかもしれません。壁だったり、通り抜けてどこかへ行くためのトンネルだったり。そういう存在としてのスキルはあると思います。

聴く訓練もされてきたんですね。

長年精神科の領域で活動しているので、いたずらに跳ね返して害を与えるようなことはしない、という態度は身についていると思います。いま放送大学であらためて心理の勉強をしていますけど、何回も繰り返されるのが「害を与えるくらいなら何もするな」ということなんですね。それは音楽療法でも同じで、音楽って聴きたくないときは害になるじゃないですか。音楽療法士がいちばん気をつけなきゃいけないところは「しない」という見極めなんです。

智田邦徳(かときちどんぐりちゃん)

人を楽しませることと加害することは、紙一重というか表裏一体というか。

表現は猛毒になりうるんですよね。友達に漫画家が多いので、「みんなこういったことを経験してきたんだな。偉いな、自分には無理だな」と思いました。

漫画家のお友達が多いのはどういう理由ですか。

『さぶ』で一緒に描いていた山田参助西原理恵子さんと親しくなって、そのツテで青木光恵ちゃん、須藤真澄さんとか、いろんな人と知り合っていきました。

漫画には思ったことをそのまんま描いているそうですが……。

読んでくださった『可愛い岩五郎』は、毎朝6時に起きて6時半までに描いていました。話はそのとき思いついたことだし、スマホに描くので早いんですよ。

僕はかときちさんの画風と、情報の間引き方というか、全部描かない語り口が好きです。

ありがとうございます。バズったおかげで、以前はなかった「このコマはどういう意味なんですか? 説明してください」的なレスがたくさん来て、「描かなくていいから描いてないんですけど」って言いました(笑)。

そろそろ時間ですが、最初に介護予防の音楽療法には高齢者のみなさんに公民館や病院に来てもらうというお話をされましたね。現場の写真などを見て、そういう場に進んで来て楽しめるのはやっぱりおばあちゃんが多いんだなと思いました。おじいちゃんはどうもコミュニケーションが不器用な傾向がある気がしていて。

シスジェンダー/ヘテロセクシュアルの男性って、コミュニケーション自体が不得意ですよね。インタラクティブにならない。社会的地位や権力をもとに築き上げた自分の立ち位置というか高さのイメージがあって、そこから外れると不機嫌になったり、物申したりする。おじさんの扱いに関しては、いまだによくわからないことが多いですね。自分もおじさんですけど(笑)。素手で戦って生き抜いてきたおばちゃんたちは、さすがに強いなと思います。

プロでもそこには難しさを感じるんですね。

いやいや、ちゃんと「はい、そうでございますね」と合わせてあげている人が多いと思いますよ。わたしはすぐ「お帰りはあちら」って言っちゃいますが(笑)。

貴重なお話をありがとうございました。かときちさん、僕が想像していた以上に毒舌で……。

毒舌ですか? あらー、まずいな。

いや、むしろ好感度が増しました(笑)。今後やってみたいこと、やろうと思っていらっしゃることはありますか?

仕事に関してはこのまま細々と続くだろうなとは思うんですけれども、少し余力ができたら、子どもの貧困問題に何かできればな、とは前から考えてました。ダンスとか歌とか演奏とか、そういったことを使って「楽しいな」って思える日々の積み重ねをする手伝いをしたいなと思ってます。

わたしは男性同性愛者で、家族と子どもを持てなかったんですが、被災地で貧しい子どもたちがお腹をすかせているのをいっぱい見てきて、幸せになってほしいな、ってずっと願っているんです。

すばらしい。創作のほうでは?

誰からも頼まれず、誰からも期待されないのが楽なので、変わらずマイペースで続けていきたいですね。

智田邦徳(かときちどんぐりちゃん)