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インフラに必要なのは「感謝されない」こと。音楽療法士・智田邦徳(かときちどんぐりちゃん)インタビュー

智田邦徳(かときちどんぐりちゃん)

介護予防《要介護状態の発生をできる限り防ぐ(遅らせる)こと、そして要介護状態にあってもその悪化をできる限り防ぐこと、さらには軽減を目指すこと》厚労省は説明しています。高齢化が進む日本で今後さらに重要になると予想されるこの課題に音楽を使って取り組む音楽療法士は、全国に約2,500名(2021年4月1日現在)いるそうですが、智田邦徳さんはそのひとりです。

智田邦徳(かときちどんぐりちゃん)

岩手県盛岡市の精神科医の家に生まれ育った智田さん。父親の患者だった人たちの世話になったこともあり、患者さんたちの役に立ちたいと、大学時代に出会った音楽療法の道に進みました。東日本大震災以後は三陸沿岸の避難所や仮設住宅の集会所に通って音楽療法を続け、2013年に設立した一般社団法人 東北音楽療法推進プロジェクト(愛称「えころん」)の代表理事も務めています。

音楽療法会の様子

ツイッターピクシブといったSNSのユーザーには、本名よりも「かときちどんぐりちゃん」というペンネームのほうが知られているかもしれません。素朴なタッチに優しさと知性とちょっと毒のあるユーモアを詰め込んだ漫画やイラストは多くの読者を魅了しています。筆者も『ムシデン』で智田さんのことを知ったので、記事では「かときちさん」で統一します。

profile
智田邦徳(ちだくにのり)
日本大学藝術学部音楽学科声楽コース卒業後、岩手県で音楽療法士として活動を開始。2013年、一般社団法人東北音楽療法推進プロジェクト「えころん」を創設し、音楽療法による被災者支援を継続して行なう。共著に『音楽療法・レッスン・授業のためのセッションネタ帳~職人たちのおくりもの』『心ふれあう セッション ネタ帳 For Kids』(音楽之友社)など。1995年には漫画家として商業誌デビュー。現在はSNS等で作品を発表している。
https://ekollon.jp/
https://twitter.com/katokich
https://www.pixiv.net/users/39753308
https://comici.jp/katokich
https://www.instagram.com/katokich/

普通になれない歴史

智田邦徳(かときちどんぐりちゃん)

ムシデン』を拝読したとき、聡明で教養があって優しい人だなと思いました。そうしたお人柄はどのように育まれてきたのか、今日はお聞きしたいと思っています。

普通にしているつもりなんですけど、どんな場所にいてもそこから飛び出してしまうようなところが昔からあるんですね。中学校の先生に「おまえは歴史の中で5本の指に入る問題児だった」と言われたり(笑)。「普通にする」というテーマが自分にはあったんですけれども、普通になれない歴史でもありました。自分と他者を分ける境界のさらに下にある地続きの部分を、ずっと意識していたんでしょうね。

生育環境にも関係がありそうです。

父が精神科の医師だったので、幼いころは父の患者さんだった人たちが面倒を見てくれていました。そういう人たちがいつも家に複数いたことがまずひとつ。もうひとつは、1歳下の妹が重度の障害者であったことでしょうか。わたしの成分の9割は父の影響だと思います。

病院は弟さんが継いでいらっしゃるそうですが、ご長男のかときちさんが音楽の道に進まれたのはなぜですか?

学力です(笑)。ちゃんと診断されれば何か見つかるかとは思うんですけれども、何らかの発達障害的なものがあった気がしますね。教科書を学校に置きっぱなしで帰る中学生だったので。毎日、下校するときに校舎から先生が飛び出してきて「カバン、カバン」って渡してくれるんです。本当に勉強しなくて、受験はさっぱりでしたが、昔から聴いた音楽をそのまま弾けるという特技があったので、実技のほうに進んだわけです。

智田邦徳(かときちどんぐりちゃん)

音楽は子どものころからずっとお得意だったんですね。

得意ではあったんですけど、ちゃんとピアノを習い始めたのは受験を意識して高校を出てからです。子どものときに情操教育で親がピアノ教室に押し込んだんですけど、こんな調子なので楽譜が読めなくて、レールに乗れなかったという。

日本大学藝術学部の音楽学科声楽コース在学中に、音楽療法に出会ったそうですね。

海外の音楽療法を日本で初めて教え始めた東京藝術大学の先生の非常勤講師先に、たまたま日藝が週に1コマだけ含まれていて、それを履修しました。1年間の講義でしたけど、音楽療法士が大学に来て実践を見せてくれるワークショップが何度かあったんです。当時は日本では珍しかった即興演奏を用いたイギリスのメソッドの資格を持った方々で、その場で何かを自分で創造して他者とコミュニケーションをとる、というやり方が自分にはまって、音楽療法士を目指しはじめました。

耳コピと即興の才能を生かせたんですね。そういうことをやってみたいという気持ちは前からあったんですか?

わたしの成分の9割が父の影響と言いましたけど、父の患者さんたちの役に立つような人になりたかったんです。例えば患者さんの前で歌ったときに喜んでくれるのを見ていて、精神科の患者さんや知的障害を持った人たちと音楽を結びつける方法はないか、とは昔から思っていました。そこにポンと音楽療法がはまった感じですね。

「また来たい」と思ってもらえるように

智田邦徳(かときちどんぐりちゃん)音楽療法会の様子

お仕事を始められたのは?

1994年です。92年に大学を卒業したんですが、まだ資格がなかったので、父の病院や知的障害者施設で勉強がてら実践させてもらったりと修業をしながら、しょっちゅう東京に行って学会に出ていました。

現在のお仕事について少し教えてください。

介護予防というんですが、お医者さんへのアクセスが悪い山間部や過疎地のお年寄りに健康を維持していただくための音楽療法をやっています。

介護予防には訪問介護もありますが、音楽療法は臨床ではなく公衆衛生という意味合いが強くて、公民館や病院に集まっていただいてやるんですね。1回だけでは健康にはなれないので、継続してもらうために、わたしは毎回、お年寄りに自分の健康を実感してもらうことをタスクとして必ず行わなきゃいけないんです。

自分の体の感覚に気づくことを「アウェアネス」というんですが、アウェアネスに至るまでに音楽の力を使うわけです。音楽に意識を集中させると、膝が痛いとか疲れやすいといった問題を忘れるというか、いつもよりもよいパフォーマンスができるんですね。アウェアネスを得るところまで持っていくアクセス方法やメソッド、それからキュレーションが、音楽療法士の腕にかかってきます。わたしの場合は山間部とか過疎地の方を対象にしているので、また次も来たいと思ってもらえる場所を作ることに特化して活動しているわけです。

意識を音楽に明け渡すことで体が勝手に動くみたいなことがありますが、その体験を通して健康を引き出すと。キュレーションというのは選曲ですよね。

よく知っている曲だとリラックスして受けられますし、例えば昔のことを思い出す回想法的なことで認知レベルを上げるのにも役立ちます。逆に未知の新しい音楽を使うと、ストレスレベルがちょっと上がる代わりに、刺激を受けて覚醒度が上がるので、アウェアネスにつなげやすい。そういった使い分けをしていますね。

精妙なさじ加減を求められますね。はっきり口に出す人ばかりではないでしょうし、微細な所作や表情の変化を見逃さないことが大事というか。

たぶん職人技の部類でしょうね。わたしはずっと音楽ベースでやってきたので、ノンバーバルなメッセージを感受する力はあると思います。

2011年に東日本大震災があって、三陸沿岸の仮設住宅を訪問されるようになりましたよね。バズフィードの記事に詳しいですが(※)、初めのころはご苦労もあったようで。

※ BuzzFeed『「安心して揺らいでいられる場所を」 三陸に通い続ける音楽療法士の願うこと

うかつに入っちゃいけない時期に慰問に来た音楽療法士たちへの反発もあって、医療や保健をベースにちゃんと活動しようと保健師さんと組んで入りましたが、「いま本当に音楽をこの場に導入していいのか」という葛藤、逡巡はすごく強かったです。音ってその場全体に広がってしまうものなので、誰かひとりに拒否されたら中止せざるを得ないじゃないですか。

ということを覚悟しながら避難所に行ったんですけど、一回目のときに小学生の女の子に「出てけ!」と言われて。結局その子のほうが出ていったので、なんとかやることはできたんですけど、手痛い洗礼でした。

メンタルが弱かったりすると、そこでシュンとしてしまってもおかしくない経験ですよね。意識のズレを埋めていくのは大変な作業だったでしょう。

避難者の中に、たまたまわたしが前からやっていた介護予防に参加してくれていた方たちがいたんです。わたしのことを知っていて、何をする人なのかをまわりの人に説明してくれていたんですね。何も知らない土地にポッと入ったら、そうとうくじけていたと思います。

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