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不安はゼロじゃないけれど、選択肢を作れるように。児玉雨子インタビュー

児玉雨子

「男の子~! 女の子~!」じゃなく「人間~!」

児玉雨子

もともと小説家になりたかったんですか?

小説家になりたいっていうよりも、その時に小説を書きたかったんです。「書かなきゃやってられん」みたいに、衝動だけで書いてました。歌詞も最初はけっこう自己表現に近かったんですけど、受注仕事が増えるとともにちょっとずつ書きたいことが溜まってきていたので、いまはすごく自分の中でバランスがいいんです。小説のほうで書きたいものを書けるから心の余裕ができて、歌詞はテーマをうかがって、よほど反時代的、反社会的でなければフラットに検討できるようになりました。そういえば、部分的に切り取るとまずい一文に見えるけど、全部読んだらそうじゃない表現ってあるじゃないですか。

ありますね。切り取られて批判された経験もおありでしょう。

ありますあります。歌詞でもインタビューでも。でも変な意味で慣れてきちゃってて、歌に関してはもう対策しはじめてて、どっちにも取れる表現をやめようと。というのも、いまはその時代じゃないと思ってるので、はっきり言ったほうがいいって思い。例えば百合と同性愛の間はやるけど、異性愛とも同性愛とも取れる表現はやめる、とか。

それはむしろ児玉さんの持ち味でしたよね。

はい。それをいまはちょっとやめてます。いままではあまり分けないでいたし、自分自身のあらゆるスタンスも分けないままでいたんですど。また同性愛の中にも、当たり前ですけどすごく多様性があるので、その濃淡を調整しようと思うようになりました。

例え話をするときにも、「いまどき男女二元論もどうかと思いますけど……」みたいに前置きをする時代になりましたしね。

確かに。「女の子の気持ち」というより「この主人公の気持ち」というスタンスで、いまはあんまり女性を強調しないようにしてますね。いろんな女性がいますから。「ならでは」の悩みというのは確かにあるから踏まえるけれど、「女なら当然わかる」みたいな主語が大きなフレーズは避けようと、コロナ禍あたりからちょっと変えました。大きすぎておもろい場合は別として。

BEYOOOOONDSの「Now Now Ningen」みたいに、あえて「人間」とかね。

「男の子~! 女の子~!」じゃなく「人間~!」って呼びかけるっていう(笑)。それはジェンダー差を考えるより先に、単純におもろいなってだけだったんですけど、社会的な意義みたいなものが後からついてきました。

当事者性を表に出すと、どうしても世間から「代表」みたいに扱われてしまいがちですもんね。人それぞれで当たり前なのに。

うんうんうん。だから最近のわたしのテーマは「ボロボロに弱った女性」なんです(笑)。もう強い女性像の歌はいっぱいあるから、いまは弱くて挫けそうな人の歌を書こうっていう気持ちが強いですね。「弱いから誰か強い人、守って」じゃなくて、ただただ「あたし、全然強くないんです……ふらふらです……愚痴聞いてください」みたいな。

あと、これは本当に個人的なブームですけど、子ども向けの曲を書きたいってひとりで燃えてます。ここ何年か「いま足りないのは小中学生歌謡」って言ってるんですよ。小学生といっても4年生以上の、自我の目覚めがあって、みんなと一緒がいいのか、違うのがいいのかでちょっと迷い始める時期。そこから中2ぐらいまでですかね。わたしの中の女児が暴れはじめてて。

女児向けアニメ曲で弾けているんですね。

ゆっきゅんが「メゾピアノ歌謡」を提唱してますけど、ナルミヤ・インターナショナルには他のブランドもあるから、「わたしはナルミヤ・インターナショナル歌謡で行く!」みたいな(笑)。

ゆっきゅんにインタビューしたとき、「知念里奈Sawayama」というキャッチーなコンセプトを語っていて面白かったです。

「OL知念里奈Sawayama」ってずっと言ってますよね。すごく面白いのが、「OL」は元々蔑称だったのに「クィア」って言葉みたいにポジティヴに変化させている。すごい異化効果ですよね。いまは「OL」も「看護婦」も言う人がいなくなったじゃないですか。もう終わったから笑いにできるんですかね?

保母は保育士に、スチュワーデスはCAに。

わたしの母がCAだったんです。昔は「お母さんスッチーだったんだ」って言われてたんですけど、いまは「CAだったんだ」に変わって、言葉の変化を如実に感じます。

児玉さんのご両親に世代が近い僕の実感で言うと、ず~っと変わらなかったんです。「変わったほうがいいよね」って言い合いながらも、変わっているようで変わらない数十年があって、ここ10年で急に変わってきたという。

何か思い出して慌てて飛び起きたみたいな感じですよね(笑)。日々勉強しなくてはって思う勢いです。さっき言った通りアルハラもいまは絶対ダメになりましたし。

児玉雨子

めんどくさがられるのは怖くない

児玉雨子

コロナ禍に入って人間関係が変わったとおっしゃっていましたが、ここ10年の動きがここ3年でさらに急速に進んでいるのかもしれませんね。

激変すぎてびっくりしてる人も多いですけれど、「前から思ってたけど、いったん落ち着いて考えたらやっぱりあれよくないよね」みたいなのがずっとあったんだろうなって。

そういえば、元CAの母は転職して何かとずっと働いていましたが、私の同級生のお母さんは専業主婦が多かったんですよ。中1ぐらいから自分でお弁当を作ってたんですけど、同級生には「かわいそう。お母さんごはん作ってもらえないの?」とか言われてました。「うち、普通じゃないんだ」って悩んだこともありましたけど、いまは共働きなんて当たり前じゃないですか。

「リスキリング」がいろんな意味で話題ですけど(笑)、わたしが高校生のときに母が大学院に入って、MBAをとったんですよ。元々勉強が得意ってわけでもなかったのに。いまは大学の教員をやってます。「子どもを産んだらキャリアは終わり」じゃなくて、人生には別の選択肢もあり、ない選択肢を作ることもできるってことを早い段階で見せてくれたのは、いま思えばよかったなぁと。

お母さまがロールモデルになった部分があるんですね。

子どもとしては、言いたいことは無限に出てきますけどね(笑)。でも、29歳でまわりが結婚・出産ラッシュになっても変に焦ることがないのはそのおかげもあると思います。出産できる身体的なリミットはあるけれど、母親になってもならなくても、自分を失うわけではない。それを支えるはずの社会システムがまったく間に合っていないことに対しては、声を上げなくてはなりませんが。産休・育休中はさすがにキツいと思います。

わたしも、大学院を修了したあとにFPと日商簿記の資格を取りました。それ以前から税務についてその都度調べていましたが、改めてまとめて学ぶのがけっこう楽しくて、新たな物事に出会うことのよろこびを実感しました。キャリアを失って自分が自分じゃなくなっちゃったらどうしよう、みたいな不安は、決してゼロではないけれど、少ないかもしれないですね。

今年30歳。これからますます楽しくなりますよ。

それはすでに実感してます。女性って勝手に評価されるところでは「もう30か」になるけれど、本人たちは超幸せ、みたいな話ってよく聞いてきたんですが、わたし、もういますでにめっちゃ楽〜!って思ってて。楽してるっていうより、何をしても「若い女の子」がくっついてきたころは、歌詞も「若い女の子ならでは」しか言われないし、その役割を背負わされるし、とにかく窮屈でした。わたしすっごくプライド高いんで「若い女の子だからじゃなくて、わたしだからだよ!」と思っていたんですけど。だけど、そう言っても「生意気な女の子、かわいい」で片付けられる。いやいや全然全然! ただプライドチョモランマなだけなんです! 

(笑)。「若い女の子が生意気言ってる」の箱に入れるな、と。

そうなんですよ。わたしはたぶん一生このまま! 人間扱いしてほしかった!

児玉さんは若いときから経済的基盤をしっかり作ってきて、パートナーに経済的に依存する必要がないですよね。そうすると伴侶を選ぶにしても、収入を最優先しなきゃいけない人よりは幅がありそうです。

決して悠々自適ではないですが、対等ではない関係は絶対NOですね。わたしは割り勘じゃないと怖いんですよ。自分の主導権を取られたくないから。頼んでもないのに奢ってきて、見返り求められても困るし。

悲しいことに、まだまだ女性がお金を稼いで自立することを前提にできていない社会です。お金のことをちまちま気にしないと、女性の自分は簡単に自由を奪われてしまう、とは思っています。FPも取ってますし(笑)。そういうところはクリエイターっぽくないかもしれません。仕事道具やお祝いの時など、使うときは使いますけどね。

わたしはいわゆる男尊女卑を目の当たりにしたのが大学以降だったなぁと思います。高校までは共学で、単に表面化していないだけだったのかもしれませんが。大人になってから世の中に差別がむき出しのまま溢れてることを知って、ちょっとびっくりしましたね。

児玉雨子

戸惑ったでしょうね。一時期やたらと「美人作詞家」とか書かれていたじゃないですか。

なんなんですかね。見た目を褒められること自体はうれしいんですけど、それとこれは別だとは思いますよ。急に「女性は見た目も評価に影響するものだから」って言われても「学校の成績は関係なかったじゃん……」って。もめたりはしませんでしたけど、ずっと疑問を抱いて落ち着かないまま仕事してました。

それが最近になってようやく落ち着いてきたわけですね。

落ち着きすぎて、焦って「何か新しいことしないと」というのが最近です(笑)。

ぐるっと一周しましたね。そろそろ時間ですが、児玉さんが最近、面白いと思った日本語表現を教えてください。

安堂ホセさんの『ジャクソンひとり』です。文体とか構成がすごく好きなんですよ。比喩表現的にすごく好きだなと思ったのが「1時ぴったりに、空気ごと大きなギロチンで切断されてしまったみたいな無音がやってきた」って一文で、何ひとつ明言してないのに、何かがあったってわかるフレーズじゃないですか。ブラックミックス、人種的マイノリティについて「わたし全然わかってなかったな」ってグサッとくるくだりもいっぱいあるんですけど、表現も、ザラッとしたセリフの言い方もすばらしくて。

安堂さんって本人のキャラや出自が注目されるけど、細かい文章表現への気遣いこそ素晴らしい方だと思います。彼のバックグラウンドやブラックミックスとゲイっていう作品のモチーフばかりに注目されていることに、ひとりで勝手に落ち込んでました。「若い女の子が書いた」としか見られないのと似て「ブラックミックスが書いた」という評価も、なんかなぁとモヤモヤしていました。一方、わたしは偶然、日本でマジョリティの黄色人種として育ったから、気づいていなかったこともあります。自分自身も省みつつ、世界ってこんな状態だったんだなって出会い直している毎日です。

「最近になっていろんな違和感に気づいている」ということと、初めのほうに言っていた「最近やりやすくなってきた」ということって、たぶんいま社会全体で進行しているんですよね。例えば同性婚に賛成する人が大多数なのに、いちばん偉い人が反対だとか。

20~30代は賛成80%以上でしたよね。なかなか統計で見ない数字でしたよ(笑)。これだけ大差がついてるんだから時間の問題でいずれは変わるんでしょうけど、当事者からすればその「いずれ」はいつ来るの?って思いですよね。

それを切り崩して社会を先に進めていくための表現をしている人のひとりだと思うので、楽しみにしています。最後に言っておきたいことはありますか?

リスキリングは怖くない(笑)。人生まだまだこれからの身ですが、年齢を理由に自分から選択肢をなくす必要はないんだなって思っています。肉体的には衰えていくにしても、精神的にはどんどん楽になっていくと思います。

少なくなってきたとはいえ、いまだに「若い女の子」とか「美人なんとか」とか、本人が望まないのに言われて、正当な評価をされていない人がいます。露骨に言われなくても、なんとなくその場の「華」として扱われていることはまだまだあると思います。そういうことは、ちゃんと指摘して言わないとな、と勝手に背負っています。「めんどくさい」って「雑じゃない」ってことでもあると思うので、めんどくさがられることは怖くないです。

それも言いやすさが増していく一方ですよね。

わたしがいま「楽だ〜!」と自由を実感できているのは、うるさいと憎まれながら主張してくれた先人たちのおかげだと思います。ちゃんとそれを次に繋げていかなくちゃいけない。最強の憎まれおばさんになるために、来たる30代もがんばりたいです(笑)。

児玉雨子

撮影/阪本勇@sakurasou103