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不安はゼロじゃないけれど、選択肢を作れるように。児玉雨子インタビュー

児玉雨子

児玉雨子さんの作詞家としてのキャリアはすでに10年を超えます。アンジュルムJuice=Juiceつばきファクトリーなどハロー!プロジェクト関係を筆頭とする女性アイドルの作詞で有名ですが、近年はアニメ、ゲーム関連や男性グループへの歌詞提供が増え、作曲クレジットでも名前を見かけるようになりました。

特に2020年代に入ってからは文筆での活躍も目覚ましく、単行本化された『誰にも奪われたくない』『凸撃』を皮切りに、主に文芸誌を舞台に小説や随筆を発表。高校時代に文学賞に応募し、『よみタイ』の連載「江戸POP道中文字栗毛」からもわかる通り近世文芸にも造詣の深い児玉さんの言葉は、ますます多くの読者を惹きつけています。

筆者は2010年代半ばから児玉さんの歌詞を愛聴してきました。言葉の響きを重視して洗練されたロジックを組みつつ、さりげなくメッセージを配して胸騒ぎを催させるそれらは、職人性と作家性、伝統性と現代性を兼ね備えた味わい豊かな言葉です。児玉さんの小説もそれに通じる印象をもたらすものでした。

profile
児玉雨子(こだまあめこ)
作詞家・作家。1993年12月21日生まれ。神奈川県出身。アイドル、声優、テレビアニメ主題歌やキャラクターソングを中心に、Vtuberや近田春夫など幅広く作詞提供。小説やエッセイ執筆も行う。
https://twitter.com/kodamameko
https://www.instagram.com/amekokodama/
https://kodama-ameko.com/

バカにもわかるように、の違和感

誰にも奪われたくない/凸撃

2年前に刊行された『誰にも奪われたくない/凸撃』(河出書房新社)を拝読しましたが、作詞と小説でやれることを明確に分けているというか、児玉さんの歌詞の行間にあるあまたの感情がことごとく詰まっているような手応えがありました。

リリックだととっ散らかるのが好きじゃないから書かないこともあるし、さすがに誤解されたくないこともあるじゃないですか。「そういうことが言いたいんじゃないんだけどな」みたいな。小説だとある程度の紙幅があるのでそういう部分も書けて嬉しいです。

縛るものがより少ないということですね。

少ないから逆に自分から縛ってます。歌だとそのルールが前もってメロディで作られているから、歌詞を書いてるときのほうがあんまり細かいことを考えてないかもしれない。逆に難しいことを考えはじめると「やめよう」ってなりますね。

行間はいくらあってもいいと思うんです。説明しすぎるのは好きじゃないし、最近は社会全体、特に若い人や音楽が好きな人たちには細かいことに配慮したり、作為を読もうとしてくれたりする傾向があり、みなまで言わなくても理解されることが増えたと感じます。そういえば、歌詞を書きはじめたころにすごく個人的にモヤモヤしてたダメ出しが、別に特定のどこかって話ではないんですけど、「バカにもわかるように書いてください」って。

出た! 言われたことある人が多そうです。

それって単にリスナーや読者を舐めているだけなんじゃ?って思ってました。「この言葉遣いは大人向けだから、小学生向けに翻訳してください」と言ってくれればわかるんですけど、「バカにもわかるように」にはただの比喩として済ませられない何かを感じてきて。わたしはそれには乗りたくないなぁって、静かに抵抗していました。

児玉雨子

最近はそういう変なダメ出しは減ってきましたか?

あんまりないですね。ありがたいことにこうしてお仕事をさせてもらって、すぐにわからないものもわたしの持ち味と思ってくださるようになったのかなとは思うんですけど、社会全体の流れもあるかもしれません。

流れの変化に児玉さんの歌詞が多少なりとも貢献しているかもしれませんね。

いやいやいや、わたしは変革にフリーライドしてるだけです(笑)。ここ最近、たかだか5年ほど前の曲でも「わ、古!」ってなっちゃうケースが急激に増えたなって痛感するんですよ。自分だけかなって思ってたんですけど、たまに大学生以下の若い人たちのツイートを見ると、「古いものだと思って割り切って見てるけど、たまに割り切れないものがある」みたいに書かれていて。

やっぱり感覚が変わってきているんですね。

「バカにもわかるように」って言われたときに抱いた強烈な違和感を手離さなくてよかったなって思います。もうちょっと迎合したほうがいいのかな、と揺らいだ時期もあったんですけど、コロナ禍ぐらいから「もうやめよ」って吹っ切れて。それから気楽になったし、疑問を抱きながら「気が進まないけど、これでOKって言われたから」みたいにお仕事モードで書いたものって、やっぱりあんまり聴かれていないんですよ。

なるほど。それは納得がいきます。

個人的にすごく気に入ってたもののほうが、変な話、評判もいいんですよね。「作家が自己満足で書いたものは売れない」って言説を目に耳にしたこともあったのですが、最近はそうじゃないかもなって思ってます。社会全体がまた変わってる最中なんじゃないかなって。

「作家が好き勝手やったものは売れない」と言う人たちは、かつて押しつけられた理不尽に自分が耐えたり、曲げたり、諦めたりしてきたんでしょうね。だからめげない若手にマウンティングするのかも……と昔から思っています。

あー、それはめっちゃありそう。そうして理不尽に耐えてきた人たちが上に立ったときに「自分は耐えさせる側には行きたくない」って思うようになってきたのかもしれませんね、いま。それもひとつの変化だと思います。

誰にも奪われたくない/凸撃

快適すぎて逆に不安

児玉雨子

児玉さん自身は古い価値観に合わせていた時期もありましたか?

合わせようとしてました。いまは絶対ダメですけど、わたしが学生の頃はまだアルハラもセクハラも普通だったんですよ。体質的に全然飲めないので、「酒に溺れ、くだを巻いてこそが音楽・文学だ」とか言われても「そっか。じゃあ頑張って飲まなきゃ」とはなりませんでしたけど、「そういう美学がメインストリームらしいけど、自分はどうしよう」と思い悩みながら20代をずっと過ごしてきた感じです。

下戸ゆえにオルタナティブを模索してきたという(笑)。僕が児玉さんの歌詞を知ったのは2010年代の半ばぐらいだったと思いますが、当時から先駆的な印象を持っていました。

ありがたい……。それほどうれしい言葉はないです、流行りものやってて(笑)。

女性アイドルに詳しいわけではありませんが、女性の主体性、性の自己決定権をさりげなく忍ばせた歌詞って、当時は珍しかった気がするんです。

ハロプロは迎合的な歌詞を求めてこなかったんですよね。わたし自身、当時もっとも売れていたタイプの曲に対して、「ああいうのは書きたくない」とは言わないまでも「書けるんだったら女の子一人称がいい」みたいに思っていたので、うまい具合に合致したというか、縁があったという感じです。

でも、いまや児玉さんの歌詞が突出しては聞こえなくなった気もします。

そうですね。普通になりました。

快適さというか、やりやすさみたいものは感じていますか?

感じています! 何もかもストレスフリーとは言えませんが、現場では本当に話が通じやすくなりました。私の所属事務所が変わって、周りのサポートが増えたこともありますけど、コロナ禍以来、感染リスクを背負ってまで会いたい人なのか、とみんなシビアに判断するようになったのかなって思っています。だから「ああいう曲よりもこういう曲が好きだよね」と同じ思いを持っている人が集まりやすくなって、社会や感覚の変化もいろいろタイミングが合ってたのかもしれない。快適すぎて逆に不安になって、新しいことしなきゃ!って思ってます。「もっと作曲を頑張ろう」とか。

児玉雨子

作曲でもお名前を見かけるようになりましたね。フィロソフィーのダンスウォータープルーフ・ナイト」とか、ゆっきゅん物欲とパキラ」とか。

もともと曲を書くのは好きだったんです。仕事にする気はなかったんですけど、急に快適になって「このままだと現状維持という名の低空飛行になってしまうのでは……」と焦りはじめて、作曲でもちょっと自己主張してみようと。そしたらありがたいことに採用していただけたっていう感じです。

すばらしいと思います。知名度と評価が上がって話が通りやすくなったから、それを利用して新しいことに挑戦していくということですね。

小説も、もともと賞に応募したりはしてたんですけど、いったん作詞に集中しようと思ってしばらく書かなかったんですよ。どうしてもまた書きたくなったら書けばいい、と。小説はわたしの中で「書いてくれ」って言われて書く、という印象がなかったのもあり。そしたら折よくお声がけいただいて、コロナ禍でいったん仕事が全部止まったときに「あ、いまだ」と急にスイッチが入って書きはじめました。

アイドル文化のディテールや面白い比喩の数々はもちろん、登場人物の内面を執拗に掘り下げる描写がとても印象的でした。

内面を書かずにサラッと読ませる小説もかっこいいなと思うんですけれど、たぶんうれしかったんですよ、いくらでも書けるのが。「いいんですか? え、いいんですか? こんなにページふくらんで……」みたいな。いままた新作を書いてるんですけど、さすがに興奮が醒めて落ち着いてきました(笑)。

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