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ヤギから学んだ、居直る強さ。内澤旬子『カヨと私』インタビュー

内澤旬子

文筆家・イラストレーターとして、 『飼い喰い 三匹の豚とわたし』『ストーカーとの七〇〇日戦争』『着せる女』など多くの著作を発表してきた内澤旬子さんの最新刊カヨと私(本の雑誌社)は、2014年に移住した小豆島でヤギと暮らす日々を綴ったエッセイ。真っ白なヤギのカヨとどんどん増えていく家族たち、そして内澤さん自身が互いに影響を与え合って変わっていく姿を愛情たっぷりにいきいきと記しています。温かいタッチの挿画も美しく、大事に何度も読み返したい一冊です。

いまやファミリーはヤギ4頭(カヨ、茶太郎、玉太郎、銀角)とイノシシ2頭(ゴン子とまどか)の大所帯に。内澤さんがインスタグラムツイッターで発信する動画や写真を楽しみにしている人も多いでしょう。筆者もそのひとりです。

『カヨと私』の話題を中心に、小豆島での生活と創作、そこから見える東京暮らしなどについてうかがいました。

『カヨと私』書影
profile
内澤旬子(うちざわじゅんこ)
神奈川県出身。フリーランスの文筆家/イラストレーター。著書に『センセイの書斎』(河出文庫)、『世界屠畜紀行』(角川文庫)、『身体のいいなり』(朝日新聞出版)など多数。
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「あ、プラテーロ」

小豆島に移住して8年になるんですね。

意外と長いんですよね。ボーッとしてるうちに8年経っちゃった感じですけど(笑)。

勝手に内澤さんには都会っ子みたいなイメージを抱いていたんですが、お育ちは北鎌倉でしたよね。意外に田舎だったんでしょうか?

1970年代の宅地開発で山を切り開いた新興住宅地なので、自然は多少ありましたね。田舎出身の父親は「大した自然じゃない」といつも言っていましたけど(笑)。島に住んでみるとやっぱり全然違いますね。虫の量とかも比較にならないので。

北鎌倉って結局、開かれた観光地だから、お寺にあるものには全部名札がついていたし、山もハイキングコースとして整備されていたし、危険なところは絶対立入禁止。しっかり管理されていたんですよね。でもこっちは本当に手つかずという感じで、88か所のお寺を巡って本を書きましたけど(『島へんろの記』)、看板も印も少なくて、割と野放し状態なんですよ。廃屋みたいになっている謎のお堂が山の中に結構あるし。山は深いし、竹林も手入れしていないから倒竹でいっぱいだし。結構ハードです。

そんな草深い田舎で、郊外で育って都会で長く働いた内澤さんが8年も暮らすことになるとは。

みんなすぐ帰ってくると思っていたみたいです(笑)。自分は特に何にも考えていなかったんですけど、その前に『飼い喰い』という本を書くために千葉の旭市で暮らした経験が大きかったんです。動物と一緒にいることが楽しくて、都会に帰ってきたら家畜ロスみたいになっちゃって。

家畜を飼うとドタバタなんですよ、毎日が。動きはいつも予想外だし、建てた家や小屋が壊れたりして、「あそこ直さなきゃ」とか「あれやらなきゃ」とか、常に追われているみたいな。島に来てもヤギを飼い始めて、最初はそうでもなかったんですけど、数が増えるにつれてドタバタが加速してきた感があります。

『カヨと私』を本屋さんで見かけたときにポンと目に飛び込んできたのが “Kayo y Yo” というスペイン語のサブタイトルでした。それを見て思い出したのが“Platero y Yo”、フアン・ラモン・ヒメネスの散文詩『プラテーロとわたし』で、絶対にオマージュだと思って。あとがきにそう書いてあって、ああやっぱり、と。

若いときに読んですごく感銘を受けました。スペインにも行きましたからね。当時はまだ通貨がユーロじゃなかったので、2,000ペセタのお札がヒメネスの顔だったんですよ。

プラテーロはロバでしたが、そのイメージがヤギと一緒に暮らすことにつながったところはありましたか?

それもありますし、やっぱりカヨを見た瞬間ですよね。全身真っ白で、きれいな目をしていて、「あ、プラテーロ」って思い出したんです。

他の家畜は考えなかった?

豚を飼いたい気持ちもあったんですけど、最初に住もうとしていたところで反対があったんです。風下に素麺工場があって、小豆島の素麺って天日干しなんですよ(笑)。年配の方はやっぱり豚というと臭いってイメージが強いみたいで。結局そこに住むのはやめたんですけど、多産だし出荷の手間なんかも考えると、ちょっとひとりで豚は無理かなと思って。

馬の取材をしていたこともあって、馬もいいなって思ったんですけど、やっぱり体が大きくて、飼う自信がないなと。

豚も馬もダメなら、除草のためにヤギを飼うのがいいんじゃないかなと思ったんです。新たに借りた家のまわりに草が生い茂っていて、大家さんが突然朝6時半から刈払機をかけるのがうるさかったので、ヤギを飼えば角を立てずにお断りできるかな、という気持ちもあって(笑)。それで馬の牧場の人に相談して、カヨを譲ってもらったんです。その人はどうやら私に馬を飼ってくれたらという気持ちがあって、まずはヤギからと思ったみたいです。

生活を手放したくない

ヤギは比較的、飼いやすい動物なんですか?

わりとそうですね。馬飼いの人たちが片手間にヤギも飼っていることが多いんですよ。馬って犬とかヤギとか、他の動物がそばにいてくれたほうが落ち着くらしくて。

そうなんですか。それでカヨちゃんに会ったんですね。

そう。ところがヤギも飼ってみたら奥が深いというか、ヤギのことを書いた本も少ないし、知らなかったことばっかりで。それでヤギにのめり込んで、馬にいく暇がなくなったという。

ヤギという生き物の奥の深さは『カヨと私』に余すところなく……と言ってもこれが全部ではないと思いますが、個体によってずいぶん性格が違うんですね。

違います。ストーカーのこと(『ストーカーとの七〇〇日戦争』参照)もあって海辺から山に近いところに引っ越したんですけど、そのつながりでイノシシを飼い始めちゃったんですよ。ヤギ舎の大家さんと共同飼育というかたちで。ご存じだと思うんですけど、これがまた飼育という意味ではさらに情報の少ない動物なので、手探りで面白いというか。手探りが好きなのかもしれないですね。

そうですね。『カヨと私』でいちばん印象的だったのが、カヨたちとの暮らしを通して内澤さん自身がどんどん変化していくことでしたし。

D.I.Y.技術が異様に上がりました(笑)。ブルーシートから始めて、試行錯誤の末にいまはブリキの波板で屋根を作れるようになりましたから。非力な都会者なので、人に教えてもらいながらひとつひとつ、少しずつ少しずつ身につけてきました。車の運転も、しないとしょうがないからするようになりましたし。

性格面で変わったなと思うところはありますか?

変わったのかなぁ。心配性ではもともとありましたけど、「もうなるようにしかならないから、起きたことに対処する」みたいな気持ちが強くなったかもしれないですよね。

すごく心配性な部分と、すごく大胆な部分が両方あるんですよ。豚のときはエンドがあったので、そこまで突っ走ればいいという思いでやりきった感じでしたけど、ヤギが生きていてくれる限りは寄り添いたいとか、ずっと一緒にいたいっていうことになると、もっと長い話になりますし、先のことも本当にわからないですから。カヨの足が立たなくなって、介護とかも考えないといけなくなるかもしれない。そういうことも含めて「やるしかない」みたいに肝は据わったかもしれないですね。

ちょっと単純化しすぎかもしれませんが、強くなったというか。

ストーカーの件もありましたからね。あれがあっても島を出ない選択をしたのは、けっこう大きいです。誰もが出ると思っていたので(笑)。カヨと一緒にいたいし、狩猟や解体をしてヤギを飼う生活を手放したくない。でもここにいたら怖い。葛藤はありましたけど、カヨと一緒に島にとどまることを選んだので、そのぶん引き受けなきゃいけないというか、強くならなきゃいけない部分はあったかもしれないです。やっぱり島で顔を出して生きているので、いろいろありますけど、もう居直るしかないって感じで。

強い気持ちにさせてくれたわけですね、カヨが。なんて魅力的なヤギなんでしょう。

女王様ですから(笑)。

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