ハリウッドから帰国してフリーランス モデラーに。米国企業と日本のフリーランスに共通するマインドとは?

ハリウッドでCGアーティストとして活躍した後に、日本へ帰国してフリーランスに。映画『シン・ゴジラ』や『KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV』にモデラーとして参加し、東京デザイナー学院講師として若手の育成にも取り組んだ経験を持つ今泉隼介さん。海を渡った意外なきっかけから、帰国して日本でフリーランスになった理由まで、さまざまな話をお聞きしました。

profile

今泉隼介:日本の高校を卒業した後に渡米し、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校を卒業。卒業後はロサンゼルスの「Sight Effects Inc.」「ZOIC Studios」での勤務を経て、2012年に帰国。帰国後はフリーランス モデラーとして、さまざまな映画やコマーシャル制作などに携わる。2018年に株式会社モデリングブロスを設立。twitter.com/shunimaizumi
株式会社モデリングブロス(www.modelingbros.com)

父が買ってくれたパソコンを機に、留学を決意

今泉さんが、アメリカで活動したいと考えたきっかけは何だったのですか?

だいぶ話は遡るんですが、中学生の頃に父親がパソコンを買ってくれて。それがきっかけで、海外のオンラインゲームにハマったんです。ゲーム上でさまざまなプレイヤーとコミュニケーションが取れるのですが、なにせ海外のゲームなので、やりとりは全部英語なわけです。

そのときに「英語を話せるようにならなければ」と痛感して、高校を卒業したらアメリカに留学したいと思うようになりました。

当時、パソコンを持っている中学生ってそんなに多くないですよね。お父さんは、エンジニア系のお仕事をしていたとか?

いえ、父親は板前でした(笑)。確かにあの時代に、中学生にパソコンを買ってくれるなんて太っ腹ですよね。

そして高校卒業後に、アメリカに留学を?

正確には、高校を卒業した後に1年間、留学を前提に東京の語学学校に通いました。そこを卒業してから、アメリカの大学に入学したという流れです。

今泉隼介さん
その頃から、CGの勉強がしたいと考えていたんですか?

いや、アメリカに行ったときは、まったく思っていなかったです。

アメリカの大学は3年生になるときに専攻を決めるので、1、2年は一般教養の授業を受けるんです。そのときにCGのクラスがあって、みんなに「あの授業は単位を取りやすいぞ」と聞いたので、受けてみようと(笑)。そしたら、最初の授業からめちゃくちゃハマってしまって。

CGのメッカであるハリウッドなら、挑戦する価値はある

それがCGに興味を持った最初のきっかけなんですね。

授業はCGの入門編なので比較的簡単な内容だったのですが、自分で日本から本を取り寄せて、授業以外でも勉強するようになりました。

そのうち、「コレ、仕事にできたら面白いな」と思うようになったんです。しかもハリウッドがあるアメリカは、CGのメッカじゃないですか。作品のクオリティも高いし、チャレンジしてみる価値はあると思いました。

なるほど。それで、そのままアメリカで就職を?

はい。社員を募集しているスタジオを100社くらいピックアップして、ABC順にリストにして、上から順にどんどん連絡していたんです。そうすれば、どこか一社くらいヒットするんじゃないか、って(笑)。幸いDで始まる会社が連絡をくれて、そこで働くことになりました。

映画で使われるCGを制作されていたのですか?

映画はもちろんですが、コマーシャルやテレビドラマ、ミュージックビデオなど、いろいろやりましたね。仕事は面白くて刺激もあったのですが、入社して2年くらい経ったある日、社長が「みんなに話があるから集合」と言い出しまして。

なんだか、嫌な予感がしますね・・・。

そこで社長に「近日中に会社を閉めます!」と告げられたんです。幸いにも会社が閉まるまで、つまり退職するまでしばらく時間の猶予があったんで、転職先を探して、新しい会社でさらに数年間働きました。

その後、ビザの期限が終了して日本に戻って来られたような流れですか?

いや、ビザは切れてなかったし、その気になれば滞在期間を延長することもできました。ただ、もともとずっとアメリカにいようという気はなかったんです。

直感的に「自分は日本の組織には向かない?」

いつかは、日本に戻ろうと?

アメリカで働く日本人アーティストのほとんどは、日本で経験を積んで、腕に覚えがあって本場に乗り込んでくるんです。僕みたいに、大学を卒業してそのままアメリカの会社に就職するという人はあまりいないんですよ。僕は日本の会社に入ったこともないし、日本で働いたこともない。このままだと、アメリカから出られない人になっちゃう、っていう焦りみたいなものはずっとあったんです。

そう思っていたころに自分が抱えていたプロジェクトが一段落して、いい頃合いかと思ったので下北沢に移り住み、フリーランスとして活動することにしました。

今泉隼介さん
日本の企業に就職しようとは考えなかったんですか?

そうですね。何となく、自分は日本の組織に属するのは向いていないかな、と(笑)。

アメリカにいたころに、知り合いのつてで日本の仕事場を見せてもらったことがあるんですが、倉庫の天井をぶち抜いたような開放的なアメリカのスタジオと違って、ちょっと窮屈な印象を受けました。また当時のCG業界は長時間労働になりがちでしたから、やっぱり組織で働くのは難しいかなと思いました。

アメリカの会社は、もっと自由な感じですか?

そうですね。アメリカで働いていたときはキックボードで通勤していた同僚がいたんですけど、日本の会社でそれをやっちゃうと怒られますよね、たぶん。

そうですね、怒られそうですね(笑)。日本でいきなりフリーランスとして働くことに、不安はなかったですか?

日本に帰ることは何年かかけて計画していたんです。だから、向こう2年くらいは仕事がなくても何とか暮らせるくらいの蓄えをしておきました。それに仕事自体は、日本でもアメリカでも同じですからね。進め方も、使うツールも、文化的にも違いはないので、不安はなかったです。

「フリーランスって最高!」と思いながら仕事をしていました

実際に、帰国直後に仕事は見つけられたんですか?

これも計画の一つだったんですけど、アメリカ滞在中から、twitterを使って日本のCG業界で働いている人に向けて情報を発信していたんです。だから、帰国した時点でtwitter上には自分を知っている業界の人がいる状態でした。そうすると、「今泉さん、日本にいるんですよね?」という感じで少しずつ仕事が入って、そこからまた広がっていきましたね。

すると、仕事がなくて困ったという経験もなく?

貯金があったこともありますけど、「今月はヤバいぞ!」みたいなことは一回もなかったです。おかげで、「フリーランスって最高!」と思いながら仕事をしていましたね。

特に僕は下北沢に住んでいたので、夜になるとふらりと歩いていろいろなところに飲みに行っていたんですが、ちょっとくらい飲み過ぎても次の日早起きしなくていいし(笑)。

会社員からフリーランスになって、戸惑うこともなかったですか?

アメリカの会社で働くなら、フリーランス的なマインドも必要だと思うんです。

例えば僕が働いていた会社は給料が時給計算だったので、「この案件にどのくらいの工数が必要で、トータルでどのくらい時間を要するのか」という点を強く意識しながら仕事をしていました。フリーランスになって見積もりを作るときにも、同じようなことを考えますよね。

給与を上げて欲しいときも自分で会社に交渉するのですが、そういうのもフリーランスの感覚に近いかと。なので、むしろ日本で会社員になっていた方が、いろいろなギャップに戸惑ったかもしれないです(笑)。

アメリカの会社が日本のフリーランスに似ているって、面白いですね。参考になるお話をありがとうございました!