転職回数20回超のダメ人間から直木賞作家に。Twitterフォロワー40万人超の志茂田景樹が語る〝目標達成術〟

成功者に貧乏時代に食べていた「貧乏メシ」について聞きながら、当時の思い出やブレイクのきっかけ、仕事の成功術などを聞くこの企画。第二回目のゲストは、その個性的なファッションも印象深い直木賞作家の志茂田景樹さん。

20種類以上の職を転々とし、1980年に『黄色い牙』で直木賞を受賞。以後、バラエティー番組にも数多く出演するなどタレントとしても活躍。そんな志茂田さんに、懐かしい貧乏メシや、大手事務所からのオファーを断りフリーを貫いた理由などを聞きました。

デパートの試食コーナーでフルコースを堪能した学生時代

フリーナンス

40歳のときに『黄色い牙』で直木賞を受賞され、数々のヒット作を上梓されている志茂田さんに、貧乏な時代なんてあったのでしょうか?
一浪して入って6年かけて卒業した中央大学時代はお金がなかったですね。いつもカツカツで、昼飯代をどうやって浮かそうかって考えていましたよ。

志茂田さん

フリーナンス

なぜ、カツカツだったのですか?
私は高校の映画研究部で部長を務めていたくらい映画が好きだったから、大学へ行こうと朝電車に乗っても、新宿駅に停車すると体がソワソワしてきちゃうんです。

志茂田さん

フリーナンス

なぜでしょう?
新宿には新宿ミラノ座、新宿名画座、コマ劇場など、魅力的な映画館がたくさんあるでしょ。

志茂田さん

フリーナンス

確かに、志茂田さんが学生の頃の60年代といえば、映画文化の全盛期ですしね。
そう。当時は電車のドアが閉まるときに「ピピピピッ」と笛が鳴るのです。その瞬間に電車を降りてしまう。2本立て、3本立ても多かったので、映画館を出るとすでに暗くなっていて。

志茂田さん

フリーナンス

映画にお金を使ってしまったということですか。
そういうことです。さらに当時の新宿といえば戦後復興の街ですから、焼き鳥店屋など連日大盛況で、決まって寄ってしまう。すると次の日の昼に財布を見ると何もない。

志茂田さん

映画館の誘惑に負けてしまったのです

フリーナンス

ダメ学生ですね……。その頃食べていた貧乏メシって、何かありますか?
財布が空っぽだから、昼食代を浮かそうと三越と伊勢丹に行くわけです。銀座なら三越と高島屋。小1時間もデパートの試食コーナーを回っていればおなか一杯になる。慣れてくると栄養バランスまで考え出して、炭水化物、たんぱく質、最後にデザートという順番で回ればフルコースを堪能できる。そんなことばかりしていました。

志茂田さん

フリーナンス

貧乏メシでも、ちょっと豪華なんですね(笑)。

「嫌な奴がいたら1日で辞める」。20種類以上の職を転々と

フリーナンス

そんな学生時代でも、ちゃんと就職活動はしてたんですか?
私は6年もかけて大学を卒業しましたから、企業に就職するという一般的なコースは諦めていましたね。

志茂田さん

フリーナンス

志茂田さんはこれまでに20種類以上の職を転々とされたそうですね。
2週間とか3日とか、そんな期間でやめてしまったものも含めれば確かに20種類以上になりますね。さっきも言ったように一般的なコースは諦めて自分で仕事を探したんですが、探すといっても求人雑誌もないほど昔の話なので、新聞広告を見るしかないんですよ。そこで目に入った仕事に適当に行っていただけなので、嫌な奴がいれば翌日辞めちゃう。

志茂田さん

目に入った仕事に適当に行くという自由奔放なサラリーマン時代

フリーナンス

翌日ってすごいですね。そのなかでも思い入れのある職業はありましたか?
保険の調査員時代かな。この頃も相変わらず酒ばかり飲んでいて貧乏だったけど、保険の調査員やっていると、タダで飯にありつける機会が多かったんですよ。

志茂田さん

フリーナンス

社会人になっても、まだダメ人間の匂いがしますね……。保険調査員でタダ飯とは?
生命保険に加入してから数ヶ月で被保険者が亡くなったとするでしょ。すると、これは怪しいぞってことで我々が調査に行くわけですよ。だいたいは調べれば問題ないと分かるのだけど、中には「やっぱりこれは怪しい」って家もある。そういう家には、昼食時を狙って訪問するんですよ。

志茂田さん

フリーナンス

なぜ?
みんな調査結果を良く書いてほしいから、気前よくご飯をごちそうしてくれるんです。特に不動産屋さんみたいな自営業のところにいくと、昼時にみんなで出前をとることが多いんですね。『調査員さん、あなたも何か食べますか?』と聞いてくるので『ではいただきましょう』と答えれば、出前を取ってくれる。調子の良い時は3軒中2軒くらいご馳走になれるんです。

志茂田さん

フリーナンス

え、それで調査結果は良く書くんですか!?
いえいえ、そんなことで良く書くわけはないですよ(笑)。あと、仕事で町をふらふら歩いていると、広場で町内イベントなんかをやっていて。それをのぞくと、近所の人が「食べる?」と言って食べ物をふるまってくれるんです。そう考えると、日本は捨てたもんじゃないね。貧乏でもふらふら歩いていれば、食べ物にはなんとかありつける。

志茂田さん

フリーナンス

そんなもんでしょうか。

天職の「書く」ことに出会い、貧乏時代を脱出

フリーナンス

そんな志茂田さんの貧乏時代は、いつまで続くんでしょう。
いろいろな職を転々として最後は出版の世界に入ったんですが、その頃からは、だいぶ稼げるようになりました。

志茂田さん

フリーナンス

保険調査員から出版の世界に?きっかけは何だったのでしょう?
29歳の時に虫垂炎になって入院したのですが、なかなか退院させてもらえなかったので入院中に小説を書き始めたんです。そしてはじめて新人賞に応募した小説が、2次審査に通った。「これは3年も頑張れば賞がとれるんじゃないか」と思って、それならば少しでも近い業界へ行こうと思いました。

志茂田さん

フリーナンス

一時期は週刊誌の記者もやられていたそうで。
「書く」という才能を開花させたフリーライター時代
ええ、フリーライターとして女性自身(光文社)の記者をしたり、週間TVガイド(東京通信ニュース)のアンカーライターをしたり、人気アイドルの記事を担当したこともありました。フリーライターになって、順調に収入が増えていきましたよ。

志茂田さん

フリーナンス

これまで職を転々としていた志茂田さんが、フリーライターとして才能を発揮したわけですね。やはり、書くことは志茂田さんの天性の才能だったのでしょうね。
そうかもしれません。「書く」ということに出会えて、私のダメだった人生が少しずつ変わり始めたのかな。

志茂田さん

受賞まで3年のつもりが7年。腐った時期もあった

フリーナンス

それで、実際に3年で賞はとれたのでしょうか?
いや、そんな甘い世界ではなかった。3年のつもりが、1976年に『やっとこ探偵』でプロデビューするまで7年かかってしまいました。

しかし受賞後は意外と順調で、デビューして1年後にはライターを辞めて作家専業になりました。祥伝社や徳間書店などいろいろな出版社から作品を出しましたが、特に「新黙示録シリーズ」がヒットして、そこからはとにかく作品を書きっぱなし。

志茂田さん

フリーナンス

志茂田さんは執筆スピードの速さでも知られていますよね。
当時はパソコンじゃなくて原稿用紙に手書きするんだけど、それだとせいぜい1日で50 〜60枚程度。これじゃあ効率が悪いっていうので、原稿を口語でカセットテープに録音して、それを他の人に書きおこしてもらうという分業制でこなしていました。出張のときなんかに、新幹線の個室(当時は個室のある新幹線車両もあった)で90分テープに原稿を吹き込む。すると原稿用紙300〜400枚程度の小説ができるから。

志茂田さん

フリーナンス

ハードですね!
書くのが楽しかったら、きついと思うことはなかった。それよりも、賞がとれない7年間はきつかったね。仕事を終えて深夜から朝にかけて応募用の作品を書くんだけど、候補作に上がっては落選するの繰り返し。腐った時期もありましたよ。

志茂田さん

フリーナンス

賞がとれない7年間、夢をあきらめようと思ったことは?
もちろんありますよ。そもそも、フリーライターを続けていれば、さらに仕事が増えて食うには困らないですし。そんなときになにげなく、「もう小説を書いて応募するのをやめる」と女房に漏らしたら、今まで何も言わなかった女房が「私は続けてほしい」と言ってくれて。「女房は、自分をかってくれているんだ」ということが何よりも嬉しかった。その時、胸の中の「ある壁」が崩れた。

志茂田さん

フリーナンス

ある壁とは?
小説を応募していた頃、審査員からよく「君は人間が書けていない」と言われていました。それを思い出して心機一転、物語というのはひとまず置いておいて、登場人物ひとりひとりの個性をかき分けた。すると、勝手に登場人物たちが動き出して物語を作ってくれたのです。

志茂田さん

フリーナンス

そうして書き上げたのが、小説現代新人賞を受賞した『やっとこ探偵』ですね。
20種類以上職を転々とする中で、探偵業も経験しましたので、それが活かされました。そして1980年には、保険の調査員時代の経験をベースにした『黄色い牙』で直木賞を受賞しました。仕事でたまたま訪れた秋田の集落が、マタギ集落だった。そこの崖から人が落ちて死に、遺族を調べるために行ったのですが、なにやっているのですかと尋ねると「マタギだ」と。話を聞いているうちに面白くなって、日に3本しかないバスの最終便が来るまで話を聞いていました。後年、その話が『黄色い牙』のモチーフになったわけです。

志茂田さん

マタギの生活を描いた力作「黄色い牙」

フリーナンス

職を転々としたダメ時代も、活かされたんですね!

使われたくない、自由でいたい。大手の誘いも断りフリーとして活動

フリーナンス

直木賞を受賞してしばらくすると、テレビ番組にも多く出演されるようになりましたね。
80年代後半から朝のワイドショーにちょこちょこと出はじめて、90年あたりからはバラエティー番組にも出るようになりました。カラフルなタイツ姿の私を週刊文春が半年間密着取材して、グラビアのページにしてくれたことがきっかけで声がかるようになって。

志茂田さん

テレビで活躍していた頃の志茂田さん

フリーナンス

ちょうど、『笑っていいとも!』のレギュラーとして出演されていたときですね。
そう。カラフルなタイツ姿がプロデューサーの目にとまったみたい。

志茂田さん

フリーナンス

作家として、どんな気持ちでタレント業をやっていたのでしょうか。バライティーでは結構、無茶振りもあったようですが。
原稿を書くのは、自分の内側へ向かっていく仕事。巷のドロドロした世界をいったん吸収して、内側でそれと格闘して、書かなくてはいけない。

テレビのバライティの仕事はその逆。内側へ向かうのではなく、開き直ってすべてを外側へ吐き出せる場所だった。タレントさんたちは芸としてそれをやっているけど、私の場合は芸じゃなくて、素。素の自分を吐き出せるわけですから、そのおかげで精神的にバランスがとれていたんですよ。

志茂田さん

フリーナンス

楽しんでいらっしゃったわけですね。メディアへの露出が増えると、大手事務所から声がかかったりしなかったですか?
もちろん、ありましたよ。でも全部断りました。

志茂田さん

フリーナンス

なぜフリーを貫いたのでしょうか。
使われるのが嫌だったから。事務所に入ってしまうと、スケジュールがすべて把握されて、黙っていたら埋められてしまうでしょ。フリーでやっていれば自分で決められるから。

志茂田さん

フリーナンス

フリーになって困ったことは?
ないですね。たまに変な電話がかかってくるけど、そんなのは無視していればいいだけだから。

志茂田さん

フリーナンス

学生時代や職を転々としていた時代の志茂田さんを振り返ると、悪くいえばダメ人間かもしれません。それでも作家として、立派な活動を続けられているのはなぜだと思いますか。
作家を志してからデビューするまでに7年かかってしまいましたし、腐った時期もありました。でも、胸のなかで一度燃やした作家志望の炎は消えなかった。いや、意地でも消さなかった。そういうことです。

志茂田さん

限界まで努力しているのかって、ちゃんと考えてみて

フリーナンス

志茂田さんは現在Twitterのフォロワーが40万人なんですね。
ええ。いろいろな人の相談に応じているうちにそのくらいに。中学生の友人関係の悩み、高校生の恋愛の悩み、主婦の子育ての悩み、不倫の悩み、いろいろな相談がありますよ。おそらく私の自由な感じに憧れていたり、親身なコメントが心地よかったりするのかな。

志茂田さん

フリーナンス

それでは最後に、現在の若者たちにアドバイスをお願いします!
最近の人は、自分がこうなりたいという願望や夢ばかりが膨らんで、それが叶わないことに悩んだり苦しんだりしているように見えますね。でもその前に、本当に自分は限界まで努力しているのかって、ちゃんと考えてみてほしい。

志茂田さん

フリーナンス

限界まで……。努力できていない人が多いかもしれないです。
インターネットが普及して、他人とのコミュニケーションもモノを購入するのも、すべて昔より楽になってしまっている。それに感化されているのではないでしょうか。なりたいようになれないと悩む前に、自分にはもっとできる努力があるかもしれない。最近はSNSの影響なんかもあって、人から誹謗中傷されることを恐れて、行動を起こせないという人もいるのかもね。でも、変に自制しないでやってみればいいの、なんでもね。まずは行動!

志茂田さん

フリーナンス

はい……!
そんな私も、アナログに軸足を置きながら、デジタルの世界に興味津々という貪欲な人間。最近はTwitterだけでなくアメーバブログやLINEブログにも挑戦して、活字の世界とはまた違ったネット世界での「書く」ことに挑戦しています。

志茂田さん

フリーナンス

ありがとうございました!

企画/木村タカヒロ 取材・文/國友公司