植本一子は多才な人だ。写真家としてメディアで活躍しながら、エッセイストとして多くの著作があり、東京・下北沢にある写真館「天然スタジオ」を切り盛りして一般家庭の記念撮影をライフワークとする、いわば「街の写真屋さん」の顔も持つ。二人の娘を育てるシングルマザーでもある。
彼女が2020年4月に自費出版した『個人的な三月 コロナジャーナル』は、同年の2月末から3月いっぱい、最初の緊急事態宣言が発出される前後の日記をまとめたもの。家族やパートナー、友人たちと過ごした日常を、どこまでも正直に綴っている。望むと望まざるとにかかわらず、社会的な出来事が生活に影響を及ぼしてしまった、当時の空気も記録されている。
植本は本書を「自分のため、そしてお世話になっている本屋さんを応援するためにも」作ったという。社会にどんな変化が起ころうと、まずは自分と家族が生きるために、そしてお世話になっている人たちの助けにもなるように動き続ける彼女のライフスタイルから、われわれフリーランスが学べることは多い。
1984年、広島県生まれ。2003年にキヤノン写真新世紀で荒木経惟氏より優秀賞を受賞。 写真家としてのキャリアをスタートさせる。広告、雑誌、CDジャケット、PV等幅広く活躍中。2013年より下北沢に自然光を使った写真館「天然スタジオ」を立ち上げ、一般家庭の記念撮影をライフワークとしている。
著書に『働けECD 私の育児混沌記』(ミュージック・マガジン)『かなわない』(タバブックス)『家族最後の日』(太田出版)『降伏の記録』(河出書房新社)『フェルメール』(ナナロク社・BlueSheep)『台風一過』(河出書房新社)、写真集に『うれしい生活』(河出書房新社)がある。
https://twitter.com/dj_anzan
http://ichikouemoto.com/
「自分で仕事を作る」方向へとシフト
植本さんはコロナ禍でのご自身の状況について、どんな実感をお持ちでしょうか。
「コロナ禍でつらかったことは?」ってよく聞かれるんですけど、実はあんまりよくわかんないんです。たしかに収入は減りましたけど、その分ヒマになって、今までなんでこんなに仕事や予定をみっちり入れて動いてたんだろう、って考えちゃって。けっこうのびのびできたし、もらう仕事が減った代わりに「自分で仕事を作る」方向にシフトしたので、それはそれで気が楽なんです。それこそ本を書いたりとか、亡くなった夫(※)がちょっと有名な人だったから、それを使ってTシャツを作って売ったりとか(笑)。あんまり写真の仕事は得意じゃなかったというか、人に会うって実はすごいストレスだったんだな、っていうことがわかりました。
※ 夫はラッパーのECD(本名:石田義則)。2018年1月に逝去。
ご家族の分の収入を確保しなくてはならないプレッシャーもあるでしょう。
ここ(天然スタジオ)は年始がヒマで、年末にかけて忙しくなるんですよ。去年も4~5月は完全に予約がなくなったんですけど、緊急事態宣言が明けたころから徐々に戻ってきて、年末がすっごく忙しくなって。年間のトータルではちょっとマイナスになったぐらいで済んだんですけど、年始はどうしてもヒマで。今年1月の収入を計算したら16万円ぐらいでした。住んでいる家の家賃も……と考えたら全然マイナスです。だから、平均してトントンになればいいなって思って、あんまり計算しないようにしてます(笑)。ただ今年のほうが影響は出ると思うので、ちょっと締めていかないと、って思っています。
僕の場合、去年はなんとかしましたが、まだ長引きそうで不安が大きいです。なので、植本さんが写真だけではなく文筆など、収入の道を複数作っていることにも感服するんですが、文章を書くには格好のネタをもらった期間でもありますよね。
そうですね。やっぱりコロナ禍という珍しい状況は日記とぴったりくるもので、モチーフとしても大きいというか、「これだな」という感じは最初からしてました。東日本大震災のときと似ていたじゃないですか。だから記録しとかないと、って思ったし、わたしの場合はそれがお金にもなるから。
わたしの「正直至上主義」みたいなもの
日記を読み返すことはありますか?
読み返さないです。最近NHKに出たんですよ、この日記のことで(※)。それでどうしても読まなきゃいけなくて読みましたけど、自分が経験して過ぎていったことだから、やっぱり面白くないんですよね。いつになったら面白くなるのかな。2016年に出した『かなわない』(タバブックス)ぐらいならちょっと読めるかなと思いますけど、まだまだ客観視できないですね。ただ、できるだけ正直に書こうとはしています。
※ NHK『おはよう日本』「コロナ禍で広がる“日記本”」(2021年2月22日放送)
昔から日記はつけていたんですか?
つけてはいませんでした。ミクシィとかにちょこちょこ短い文章を書いていたのは覚えているんですけど、きっちりやり始めたのは『働けECD わたしの育児混沌記』(ミュージック・マガジン)にまとまったのが初めてですね。
ECDさんってすごく文章が上手でしたよね。そのことに刺激を受けた部分もあるのかなと思って。
そうですね。石田さん (ECD) のことを知ったのも、ラップじゃなくて『失点 イン・ザ・パーク』(太田出版)を読んだのがきっかけでした。「こんなに正直な表現があるんだ!」と衝撃を受けたのを覚えています。わたしの「正直至上主義」みたいなものはそこからきている気がしますね。
僕なりに植本さんの日記の魅力を挙げるとしますと、おっしゃる通り正直に書いていることで、読者はいちいち言葉にはしないけれど確実に自分の中にもある感情の動きに気づける、という効果があるのではないかと。あとは、そうした日常がコロナなど外からの力によって否応なく変形させられていくさまが記録されていて、「あぁ、このときはこんなことがあったな」と記憶を呼び起こす側面もあると思います。
今年1月に2度目の緊急事態宣言が出たあたりから「書こう」と思って、2月半ばごろまで、また書いていたんです。『家族最後の日』(太田出版)を担当していただいた編集者さんに内容のチェックをお願いしているんですけど、書き始めのものを送ったときは「もうちょっと生活にシフトしたらどうですか?」って言われました。
記録を残さないと、ってすごく力が入っていたみたいで、新聞をしっかり読んで咀嚼して書く、みたいなことをしていたら、内容がコロナのことばっかりになってしまっていたんです。それからまた意識的にプライベートなことを中心に書くようにしたんですけど、渦中にいすぎて客観視できなくなっているのかなって気はしました。
次も自費出版する予定があるんですね。
はい。だから、どこかでいったん執筆を終わらせなきゃいけないんですけど、この後もどうなるかわからないし、どこでどう終わらせたらいいか迷っていたんです。そうこうしているうちにパートナーともめたことがあって、そこからすごく筆が乗ったんですよね。
筆が乗るって言い方もイヤなんですけど、もめればもめるほど「これを書き残さないと」みたいな気持ちが強くなって、登場人物も増えるし、考えもめまぐるしく変わっていく。自分はやっぱりそういうところがあるんだなって思いました。社会のことより自分のことというか。
自分の感情の揺れが何よりも執筆のモチベーションになる?
そうなんです。編集者さんに言われたのは「生活のことをただ書いているだけでもコロナはどうしても滲んじゃうから、それで十分」。そういうことなんだと思います。
誰かを助けたい、力になりたいという動機
『個人的な三月』にもその感触はあります。約1カ月分の日記ですが、この後もしばらく書いていますよね。出すところはいろいろですが。
日記を頼まれることが増えて、いろんなとこに書いたし、一時期はnoteでも売っていました。noteはいろいろあってやめちゃったんですけど、やっぱりわたしは「Webで書く」のがすごく相性がいいみたいです。書いてすぐ公開して、読んでくれる人がいて、反応があるというのが。
あと、『個人的な三月』は「本屋さんを助けないと」って思って作ったこともあって、次も自費出版するつもりでいます。自分のためというよりは誰かを助けたい、力になりたいって動くのがわたしには合っているというか、のびのびやれるんだなって思いました。掛け率も低くして、本屋さんに多めに利益が入るようにしたから、いっぱい仕入れてくれるお店もあって、本当によかったです。
その意味で《自分なりの経済の回し方というか、自分の手でお金を作る方向へシフトしていかないと、これからはどんどん厳しい世の中になると思う。やっぱり私は、たくさんの人が関わる大きいお金が動く仕事よりも、自分一人で完結するやり方が性には合っている》というくだりは示唆に富んでいるなと思いました。フェミニズムTシャツを作って、その売り上げをColabo(※)に寄付したのもそうですよね。
※ 一般社団法人。困難を抱える中高生世代の10代女性を支えるべく、相談、食事提供、シェルターでの宿泊支援、シェアハウスの運営、10代の女性たちによる活動、講演・啓発活動などを行っている。
https://colabo-official.net/
フェミニズムTシャツはずっとやりたかったんですけど、これで儲けちゃいけないなって思ったんです。すごく売れましたけど、それは「寄付する」ということに賛同してくれた人がたくさんいたってことじゃないですか。
デザインがよければいい、自分の懐に入ればいい、それがわたしのやり方だって思っていましたけど、やっぱり全部つながっているんだなって思って、勉強になりました。どういうお金の回り方をしているかということを全部見越して売ること、それを買う人がいることって、すごく今っぽいですよね。
そうした経済観の変化もコロナ禍で得たものだったりしますか?
若干、お金についての考え方が変わりましたね。例年より収入は減ったけど、そんなに頑張らなくても生活に困らないくらいは稼げるやり方があるってことがわかったから、貯め込もうとするんじゃなく、いい使い方をして、回していけばまた戻ってくるんだなって。
すばらしい! 僕もそう思えるようになりたいです。
今回はたまたま自分でもしっくりくる寄付先が見つかったのがすごくよかったです。女子中高生の「居場所のなさ」はずっと気になっていて、どこかにも書いたんですけど(※)。専門学校生のときに被写体として出会った女の子たちについて、自分も消費する側になっていたことが今になってわかって、それを返したいというか、そういう人の力になれたらって思ったんです。
※ メリーゴーランド京都『一子と潤のあーだこーだ日記』「フェミニストでなきゃ」(2021年1月20日)
自分が「どこにいるか」を自分ですり合わせる
『個人的な三月』では、人と会うということの意味についても考えさせられました。これもコロナ禍で思うように会えなくなったからこそ意識に上ったテーマだなと。
いかに「会わなくていい人」にせっせと会っていたか、って思いました。仕事と同じで、空いた時間を埋めるために人と会っていたんですよね。それができなくなってしんどいかって言われたら全然そんなことはなくて、逆にあまり会えないからこそ本当に会いたい人がわかったし、本当に話したい人とは電話でもオンラインでも話せるし。
その一方で生身のすごさを実感することもあって。最近、演劇が再開されていて、大好きな劇団の公演に先週ぐらいに行ったんです。席の間をすごく空けてあるんですけど、スタッフの人に聞いたら、いつもはチケットが売れても席は90%ぐらいしか埋まらないのに、着席率100%だったそうです。しかも20時までしかできないから開演時間も繰り上がっているんですけど、みんな仕事を休んで来ているんですよね。
確かに、生身で会うのは格別ですよね。この1年で他にはどんな変化がありましたか?
最初にもちょっと話しましたけど、仕事への取り組み方は本当に変わりました。やりたくないことはやらない方向にシフトしていっている気がします。今までだったら、例えば別に好きじゃない芸能人のポートレートを撮る仕事も「まぁ時間も空いてるし」ぐらいで引き受けていましたけど、そもそも興味もないし、わたしじゃなくてもいい仕事だし。年齢を重ねて仕事は減っていきますけど、それを見越して違う方法で稼ぐというか。
そこはフリーランスの一番の課題かもしれませんね。やりたくないことをやらなくてもいい経済的な基盤を作っておくこと。
難しいですよね。わたしもここまでの土台を作るのにすごく時間がかかっています。お金に余裕があればいいけど、毎月カッツカツみたいな状態だと選択肢がなくなってくるし。
10年以上前に『ecocolo』っていう雑誌で経済ジャーナリストの荻原博子さんと対談したんですけど、「現金で貯金しろ」って言われて、それをけっこう守ってる気がします。貯金をすれば心配ごとが減って気が楽になり、自由にのびのびできるから。今からそんなに収入が増えることもないだろうし、大きな欲もないから、こんな感じでのんびりいければいいやって思っています。
このサイトを見ているフリーランスのみなさんにとっても参考になるお話だと思います。
文章が仕事になったのはたまたまですけど、写真一本じゃ厳しいとはずっと思っていました。だからいろんなことをしようとしてきたし、今、Tシャツを売ったりバーでバイトしたりするのもその一環ですね。自信がないというよりは、いろいろやれたほうが楽しいから。
あんまり協調性もないし、集団行動も苦手で、ひとりでできることをしたいと昔から考えていたので、職を増やす方向にシフトしていったのは自然なことかもしれないです。それに、ある程度いくと自分の限界みたいなものもなんとなくわかるじゃないですか。わたしの場合、「写真でこれ以上稼ぐにはアシスタントがいないと無理だ」ってわかった瞬間があって、アシスタントはつけたくないから、ここまでだなって。自分のことで精いっぱいなのに、ひとの人生まで責任を持てないって思っちゃって。
「事業を拡大していくだけが成功ではない」という考え方をする人も近年増えてきている気がしますね。
わたしのまわりには地方に行く人が多いですね。「東京はお金を稼ぐところ」っていう考えはわたしにもずっとあるので、子供たちが成人したらどんどん縮小していって、違う場所に住んでもいいかなって思ったりします。
最後に、同じくフリーランスとして活動するみなさんに、植本さんからのアドバイスをうかがえますか?
難しいですね。わたし、自分が相当ガッツのある人間だっていうのはわかっているんですよ。みんなが同じようにできるわけではないことも。そう思うとあんまり言えることがなくて(笑)。
ちょっと話がそれるんですけど、石田さんと出会ったとき、彼が物販で売っていたのって自分の音源を入れたCD-Rぐらいだったんですね。それも二束三文で。清貧思想じゃないけど、あまりお金を持つことが好きじゃなかったと思うんです。だけどわたしは、石田さんは素晴らしい才能を持ってるんだから、それを使ってお金を稼ぐのはすごくいいことだって思って、Tシャツを売るとか、そっちにどんどん押していったんですよ。だからみんな、その……(苦笑)。
そういう人が身近にいたからこそ、気持ちはわかるということですね。
わかるし、プライドが邪魔をする人もいると思うし。難しいです。
じゃあ少し質問を変えて、植本さんご自身のお考えを教えてください。
今年からスタジオの料金を上げたんですよ。去年の年末、すごく立て込んで、2カ月ぐらい土日が全部埋まったんです。それで疲れちゃって、自分の時間を削っていることに気づいて、土日だけ5千円アップしました。そもそも開業当初(2013年)は2万円だったんですよ。当時は自信もなかったし、「これぐらいだったら撮りたいと思ってくれるかな」って値段にしていたんですけど、今は平日3万円、土日は3万5千円にしています。自信がつくと値段を上げることもできるし、上げても納得できる。7~8年やって、ここまでこられたなっていうのはあります。自信を持つことは大事ですね。
おっしゃる通り。だからこそ耳が痛いです(笑)。
フリーランスの人って自分を安く見積もりがちですよね。同僚がいるわけじゃないからアドバイスも求められないし、どうしても声の大きい人の言いなりになっちゃうことが多い。でも、自分が納得できる値段を自分につけておくと楽ですよ。そこより下だったら断る。断るのって難しいと思いますけど、自分がどこにいるかっていうのを自分ですり合わせるのは大事な気がします。自分を大切にするって意味では必要なこととも思うし。
撮影/高浦宏幸