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料理家・長谷川あかりが探求する、家庭料理ならではの「美味しさ以外の価値」とは? 初エッセイ集『タコ セロリ アボカド』インタビュー

さまざまなSNSやメディアにおいて「食」はメガコンテンツであり、“美味しいもの”がエンタテインメント化しています。同時に家庭の料理担当は、自分に食欲がなくても、ほかの用事が山積みになっていても、家族のために食卓を美味しく整えなくてはならない……毎日毎晩、苦しさを感じる人も少なからずいるかもしれません。

そのシンプルで大胆なレシピが「あかり、信じてるぞ」というネットミームを生んだ料理家、長谷川あかりさんの初めてのエッセイ集『タコ セロリ アボカド』(文藝春秋)。料理家となるまでの道程をあざやかにつづったこの書籍には、レシピを通じて社会や他者との関わりをめぐる思考や、行動する姿も描かれています。

レシピだけでは伝えきれなかったという想いについて、長谷川さんにお話をうかがいました。

profile
長谷川あかり(はせがわあかり)
1996年生まれ。10歳から20歳まで子役・タレントとして活動。2018年に結婚を機に芸能界から引退。その後、短大・大学で栄養学を学び、管理栄養士の資格を取得。2022年から本格的に料理家としての活動を開始し、SNSでのレシピ投稿が大反響となり、現在は書籍、雑誌、Webなどで幅広く活躍中。
https://www.instagram.com/akari_hasegawa0105/
https://x.com/akari_hasegawa

「美味しい」だけが家庭料理の価値じゃない

長谷川あかり

書籍は「風邪をひいた日のごちそう」がとても印象的でした。大量の野菜を刻むお母さまの姿は、かつて長谷川さんがXで「無心になって手を動かす作業療法的な調理の時間」と表現されていたエピソードとも重なりました。

餃子は誰かが体調を崩したときの長谷川家の定番メニューのひとつでした。みじん切りはたしかに気持ちが落ち着きます。母はどうだったんでしょうか。早く良くなりますようにという願掛けだったのかもしれません。

「理にかなった養生メニュー」ですものね。また、お父さまについての章では「ひんやりした小麦粉料理はまずくて美味しい」(「エンターテイナー、父」)とあり、この表現も長谷川さんらしさを感じます。

ペチャペチャになった冷たいお好み焼きは飲食店で食べられません(笑)。でも、それぞれの家庭にはたくさんの「まずくて美味しい」料理があるはず。みじん切りがセラピーだったり、冷蔵庫で保存した残り物だったり……そうした背景にあるストーリーは、家庭料理ならではの価値だと思います。

まずくて美味しいものを語るなかで、美味しいことだけが家庭料理の価値や目的じゃないと気づけば 「今日そんな美味しくないけど、まあいっか」と、あるがままの自分を許容できる範囲が広がる。そうやって自分を許せるようになると料理以外のことでも、自分の「ままならなさ」を許容できるようになるんじゃないかなと考えています。

私自身も食卓に「ままならなさ」を感じることはあります。美味しいものを作らなくてはならないと考えすぎているのかも。

世の中にはすごい数のレシピがあるのに、献立に悩む人はたくさんいます。おそらく人それぞれ求めているゴールが違うから悩む。そのゴールがぼやけて、何を軸に選んでいけばいいのかわからずに、ふさわしいレシピにたどりつけないのかもしれません。家庭料理で美味しさを軸にすると、作る人の負担が大きすぎます。生活の一部でしかないはずなのに、スペシャルさを毎日求められたら、苦しいです。

同時に、美味しさだけを求めるのなら、料理をしなくていい時代がすぐそこにきていると思っています。近い将来、自動運転が当たり前になって、本当に運転したい人しか車を運転しなくなるのと同じように。そう考えると、食べるまでの過程が手料理の価値になるのではないでしょうか。

作った人が一番美味しく感じられるように

長谷川あかり

長谷川さんのレシピがハーブや香味野菜を生かして、塩・料理酒といったシンプルな調味料を中心にしている理由はありますか?

調味料に頼って味が決まるのは嬉しいけど、作る人も食べる人も平等で、美味しさは変わりません。わたしのレシピは、作った人が一番美味しく感じられることが軸にあります。「なるほど。わたしがこうした結果、この味になった」というストーリーを体感できることこそ作った人だけに与えられた特権です。

そのプロセスを含めて「あかり、信じてるぞ」と反応したのかもしれませんね。

自分ではそう捉えています。作った人じゃないと感じられないものは確かにある。「信じてるぞ」の背景には、食べるところにたどり着くドキドキとか、調理しているときの「どうなるんだろう」みたいな感情が合わさった「美味しい」が含まれていると思います。

「寄り道」が含まれない、効率を重視したレシピの方が、手堅く早く美味しいものが作れますから、その方がいいという場合もありますしね。どちらがいい、悪いではありません。ただ一つ言えるのは……手間暇分の味はしないんです、食べるだけの人は。

手間暇分の味!……長谷川あかり語録に収録したい言葉です。

(笑)。食べる側の人に、手間暇分の味が100%伝わるかというとその保証はない。だから、「手間暇かけた料理よりも、ぱぱっとつくった料理の方が喜ばれてなんか腹立つ」みたいなことが起こるのだと思います。人に振る舞う料理こそ、簡単で良い。誰かに料理をつくること自体が愛ですしね。手間暇自体はあまり本質的ではないのかなと。

しかし、完全な自分のための料理は、自分にしか理解できない面白さがあります。食べてみると強い味はしないけど、「レシピのあの工程が素材の味を引き出しているのかな」と気づくこともある。ほんのちょっとの塩だけでこんなに味が染み渡るんだとハッとしたり、作った人だけの物語があります。でも、それを振る舞った相手に「味うすっ」って言われたら悲しいし、腹が立ちますよ。