筑波大学卒業直後、大阪・西成のドヤ街に飛び込んで書き上げたデビュー作『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』が7万部のロングセラーとなり、ルポライターとして鮮烈なスタートを切った國友公司さん。その後もホームレス生活を綴った『ルポ路上生活』に、欲望渦巻く夜の街を描いた『ルポ歌舞伎町』などで、読者が知りたい“知られざる世界”へと潜入し続けてきました。
最新作『ワイルドサイド漂流記 歌舞伎町・西成・インド・その他の街』は、従来のルポルタージュとは一線を画し、エクストリームな街で出会った“突飛な変わった人”との濃密な交流やエピソードを綴ったエッセイ集に。そこから浮かび上がる國友さんの人生観と、それを培ってきた型破りな経歴について伺いました。
ルポライター。栃木県那須出身。2018年4月、25歳の時に大阪市西成区のあいりん地区へ。日雇いの解体工、簡易宿所(ドヤ)の従業員の「國やん」となる。街の魅力に絆されていつの間にか帰るタイミングを失い、結果的に約2カ月半潜入したハードな日々を記した『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』をきっかけに、ルポライターとしてのキャリアを本格的にスタート。近年では、通称「ヤクザマンション」に居を構え、アンダーグラウンドな街のリアルに迫った『ルポ歌舞伎町』が大ヒット。
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アウトローに惹かれる原体験、慎重派な実像

現在はライターとして活動されている國友さんですが、子どもの頃の夢ってなんでした?
中学2年生ぐらいまではプロ野球選手を目指していて、これは無理だなと現実を知ってからは、建築家になりたいと考えるようになりました。当時は栃木の那須に住んでいて、父親の実家が旅館だったり、友達がホテルの息子だったりしたんですよね。友達の家に遊びに行くと、300部屋ぐらいのホテルでかくれんぼしたりして、いろんな空間を見るうちに「かっこいいな」って思うようになったんですよ。
それで筑波大学の芸術専門学群に進んだんですが、建築って課題って多いんですよ。自分で設計して、模型作って、プレゼンして……なので、徹夜が続くのが嫌になっちゃったんです。あと、ウチの大学ってゼネコンとかで働いてから、もう1回大学に戻ってきて勉強して、そこからアトリエ系に転職したり、自分で建築事務所を開く人も多かったんですね。で、彼らからゼネコンとかの話を聞く限り「自分には無理だな」と。
なぜ「自分には無理だな」と?
朝が早いから(笑)。学校の授業も1限、2限がどうしても行けなくて、何度も単位を落としたくらい朝が苦手なんです。あとは、野外で働くのも嫌だった。だからといって、有名な建築家の下についてアトリエに入ったりすると、月収が12、3万しかなかったりする。
かつ、建築家って下積みが長くて、50歳でも若手って言われるような世界なんですよ。ヨボヨボの爺さんたちが死ぬ直前まで設計してるから、彼らがいなくならないうちはずっと下積みっていうのも耐えられない。でも、他にやりたいことも見つからないし、そのままストレートで就職して働くのも嫌だったんで、じゃあ、とりあえず休学して海外旅行に行ってみようかなと。
その頃、猿岩石の『ユーラシア大陸横断ヒッチハイク』(日本テレビ『進め!電波少年』)の動画を観ていて、すごく好きで、こういう過激な旅をして冒険家になるのはアリなんじゃないかなと思ったんです。当時はとにかく危険な場所とか、危ない人とかに取り憑かれてるような感じがあったんですよ。アウトローなものへの憧れが、めちゃめちゃあった。
アウトローなものへの憧れは、何が原因だったんでしょうか?
それは親父に植えつけられたのかもしれないです。うち、教育テレビ(現・Eテレ)が視聴禁止だったんですよ。幼稚園のときに『だんご三兄弟』とか流行ってましたけど、そういうのも全然観てない。代わりに、松田優作の出てる映画とかドラマを延々見せられて、ジーパン(TVドラマ『太陽にほえろ!』で松田優作が演じる刑事の愛称)の殉職シーンとか、何回も見てます。

すごく覚えているのが、ジーパンが出てる時代の『太陽にほえろ!』に、上司の山さん(演・露口茂)が死にかける回があるんですよ。撃たれた犯人が出血多量で死にそうになっているのを見た山さんが、自分で腕に注射を刺して「俺の血を取れ!」って言って倒れる回で、それを幼稚園のときに親父と一緒に観ながら「こういう男になれ」って言われたんです。
親父自身、ロックバンドのドラマーで定職にも就かず、アウトローな生き方をしていたから、たぶんその精神が刷り込まれてるんでしょうね。それで大学生のとき、危険なもの、悪いものへの憧れがピークになったんです。
そこで海外に出ようと思い立ったとき、その資金をゲイマッサージで稼がれたとのことですが、それもまた型破りというか……。
でも、女の子だったら、割と気軽に風俗で稼ぐ人もいるじゃないですか。もちろん「自分なんかが受かるはずない」とも思ってたんで、応募するまで1週間くらい悩みましたよ。勝手に筋肉ムキムキの人ばっかりが揃ってる世界だと思い込んでもいたし。だけど、いざ応募したら10分ぐらいで「採用です」って返事が来て、“ノンケ”を売りにして働き始めたら人気も出て、かなり稼がせてもらいました(笑)。
だから、僕としては奇をてらっているわけではないんですよ。仕事柄、ワイルドな性格に見られることも多いんですけど、自分的にはかなり慎重派で、結構吟味をしてから選択をしていると思ってます。ゲイマッサージを選んだのも、いろいろ調べた結果、これが一番労力を使わずに稼げる方法だと判断したからなんです。
キャリアを積んでも活動は狭まる?

なるほど。そうして無事に資金を貯めて、まずは猿岩石と同じく香港に行かれたんですよね?
はい。最初は香港から出発して、イスタンブールまで行くつもりだったんです。だけど、その途上にあるイスラム諸国で当時テロが半端なくて、そもそも入国が不可能だったりもしたから、目的地をタイに変更したんですよ。
なぜかというと、昔、当時タイを旅している日本人の中に“沈没組”という界隈がありまして……。要は、名所を観光したり周遊するんじゃなく、治安の悪いエリアに留まり続けて、麻薬と売春に溺れ続けるような人たちですね。昔、NHKのドキュメンタリーとかにも社会問題として取り上げられていたので、その人たちについて知りたくなったんです。
だけど、僕が行ってみたときは、もう、そういう人たちはいなくなってたんですよ。みんな歳を取ったり、タイの物価が上がってきたりして、沈没してるのが難しくなってきちゃったんです。それで結局、日本に戻ってきたんですよね。
そこからライターの道へと進むわけですね。
そもそもは冒険家になりたくて旅をしてたわけですけど、旅で身を立ててる人って、みんな本を書いていることに気づいたんです。それで最初は現地で知り合った日本人に紹介してもらって、日本の編プロがやっている小さいウェブサイトで旅関連の連載をやったんですよ。
ただ、それは仕事と言っていいのか微妙なレベルだったので、帰国してから改めて旅の様子を原稿にしたものを、いろんな出版社に送りました。そしたら唯一『月刊サイゾー』の編集長が連絡をくれて、「自分で企画を立てて『サイゾーpremium』で1本書いてみて」と言われたので、ふたなりのエロ同人作家をやっていた大学の同級生にインタビューして“同人作家の私生活”みたいな記事を書いたんです。それが、たぶん最初のちゃんとした商業記事じゃないかな。その友人、今、メチャメチャ売れてますけど(笑)。
で、当時、作家・ライターのクーロン黒沢さんが開催してたトークイベントにゲイマッサージ師としてちょこちょこ出たり、クーロンさんの電子雑誌『シックスサマナ』でゲイマッサージの体験談を書く連載もさせてもらっていて、その縁で『日刊SPA!』の編集さんを紹介してもらったんです。そこで『サイゾーpremium』の記事をお見せして、『日刊SPA!』で書かせてもらえるようになったのが、大学に復学して4年生になるぐらいの頃ですね。

その後、ライター業と並行して少しだけ就職活動もしていたんですが結局決まらず、『日刊SPA!』の編集さんに相談したら「彩図社に手紙を書いたら?」ってアドバイスされたんです。彩図社はサブカルやノンフィクションに強い出版社で、当時、編集長だった草下シンヤさんの本は、僕も読んでいたんですよね。
そこで手紙を書いたら、草下さんからいきなり「面白そうだから会社においでよ」と電話がかかってきたので、12月頃に会社に行って。ホームレスが町をどう使っているのか?という視点で、新宿都庁下のホームレスの生活を観察した卒論をお見せしたら「することがないなら西成でも行ってこない? 原稿が面白かったら本にするから」と言われたんです。
それで書かれたのが『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』なんですね。
とはいえ、その時点で取材なんてしたこともないですし、本当に何をすればいいのかわからなかったんですよ。草下さんに「アドバイスください」って頼んでも「季節のことを書くといいよ」としか教えてくれなくて。あとは「とにかく飯場で働け」っていうことだけ言われたんで、とりあえず3カ月間、起きたことを全部ノートにメモして残しておく毎日でした。
それが2018年で、当時はYouTuberも1人も入ってなかったですし、一体どういう町なのか大阪の人も全国の人も誰も知らなかったんでしょうね。最近はいろんなところで「西成は安全だ」って言われてますけど、そんなことはない。いまだに全然ヤバい人も住んでます。
結果『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』は7万部のヒットとなって、ライターとして國友さんは大きな足掛かりを摑んだわけですが、ヒットの原因は何だったと思います?
当時の僕が、出版業界を知らなかったからでしょうね。例えば、一口に“生活保護”と言っても、ギャンブルで財産を失った人もいれば、本当に困ってる人もいる。そのへんを配慮して書くのが普通なんですけど、そういった業界のルールとかも一切無視して書いてしまっていたんですよ! それを草下さんも面白がって、そのまま出しちゃった。
実際2冊目以降は、そのへん気を付けて書くようになっちゃったんですよね。例えば、歌舞伎町でスカウトマンの取材をするとき、本当は自分でもスカウトをやってみたかったんです。でも、スカウトって普通に犯罪だからと断念したり、ストーカーを拉致って金を取ってる人の取材では「今からストーカー拉致りに行くから一緒に来る?」と誘われても断ったり。これが1冊目だったら、絶対行ってたはずなんですよ。そうやってキャリアを積むにしたがって、どんどん自由の範囲を狭めているのは否めないですね。
でも、そういったコンプラに厳しい時代だからこそ、表に出てこないものを知りたいという欲求も今、めちゃめちゃ高まっていて、それこそ怪談とか裏社会とかを扱った作品が売れまくってるじゃないですか。だから、しっかり取材はしていきたいですよね。取材者として見聞きするだけで、自分がソッチ側に入ってしまうことをしなければ問題ないはずなんで……本当はやった方がいいとは思うんですけど(笑)。
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