人との出会いで変化した人生

人間“怖いもの見たさ”の心理はありますからね。実際、西成での取材を終えてからも、さまざまなデンジャラスな場所に行ったり、潜入したりされていて、その中で出会った“普通じゃない人たち”とのエピソードを集めたのが、最新刊の『ワイルドサイド漂流記 歌舞伎町・西成・インド・その他の街』ですよね。
そうですね。これまでに出した本と違うのは、今回はルポではなくてエッセイの形態だということで、編集さんから“普通じゃない人たち”について書くだけじゃなく、僕自身のパーソナル部分を出してほしいという要望があったんです。
なので、そのぶん書くのは大変でした。ルポなら起きたことを時系列順に、ただ、わかりやすく書けばいいけれど、エッセイだと起承転結をつけなきゃいけない。例えばルポなら、西成のおじさんに「俺が覚醒剤を買うところ見せてやる」と言われて連れていかれた、という描写だけでOKなんですよ。でも、エッセイだと“何のためにそれを書いたのか?”っていうのを、ちゃんと回収しなきゃいけない。なので、なんだか論文を書いてるようなイメージでした。
ある意味“オチ”が必要になるわけですよね。ただ、それを通じて國友さんの頭の中だったり、感情の変化が綴られているのがエッセイの良いところで、例えば、モンゴルでひたすらバスに揺られる場面での「この限りなく受動的な状況に自由を感じるのだ」という文言には、ああ、なるほど!とハッとさせられたんですよ。
海外旅行をしたとき、1人でバスに乗るたびに自由を感じていたんですけど、改めて考えてみたら、そういうことだったんですよね。言われるがままで、他にすることがなくて、つまりは何かをする義務もないっていう。

また、上野の章では「どんな過去も今の自分を形成している一部だから、それを否定するのは今の自分を否定することと同じ」といった一文にも感銘を受けました。
いろんな人に出会って、人生が変わったことは実感しているんです。例えば西成で解体現場に入ったとき、元請けであるゼネコンの人間がヘルメット被ってスーツ着て指示していて、彼らは孫請けで現場にいる僕らのことなんて見えてないんですよね。もはや存在しないかのような態度で、でも、大学の同級生にはソッチの立場になってるやつが普通にいるわけです。ああなるのが嫌で就職を回避したのに、今、自分は将来も見通せない状況なんだ……って、当時はすごくネガティブな気持ちになったりもしましたね。
でも、ゼネコンに行ってたら逆にコッチ側の人たちのことなんて見えていなかったでしょうし、結果的にはライターで食えるようになったので、自分はコッチで正解だったと思ってます。これで、もし上手くいってなかったら……本当に卑屈な33歳になってたでしょうけど(笑)。働くのが嫌だと言って会社員にならなかったくせに、好きでやってることでも成功できなくて、ホントしょうもない人になってたでしょうね。
そこで成功できた理由って、何だったと思います?
成功とまでは思ってないですけど、ライター歴も長くなってきて、ちょっとずつ「こういうことをやりたいんです」って相談されることも増えてきて。アドバイスしたり、人を紹介したりしても、やらない人がめちゃくちゃ多いんですよ。実際に行動する人って、案外少ない。
考えてみれば、草下さんの「面白かったら本にする」っていうあやふやな口約束だけで、普通は3カ月も西成に行ったりしないんじゃないかなって。だけど、そこで僕が本を出してもらえたのは、言われた通り本当に行ったからじゃないですか。
スナックは地域の歴史が残る場所

納得です。まずは行動しないと、何も始まらないですからね。そんな國友さんが、今、行動していることって何でしょう?
今はですね、日本全国の僻地にあるスナック巡りにドハマりしてます! スナックって日本に10万軒あるって言われていて、コンビニが5万7,000軒くらいだから、実はコンビニの倍の数あるんですよ。例えば、神奈川県の大船ってコンビニは5、6店舗しかないのに、スナックは30~40軒ある。
で、スナックって地元に密着してるから、その地域の歴史を知れるんですよね。50年前から稚内でやってるスナックに行けば、稚内の50年を知れる。例えばロシアの密漁船が入ってきた話とか、スナックのママがロシア人に襲われそうになった話とか、ゴミ捨て場から冷蔵庫を拾って抱えながら船に乗るロシア人の話とか、昔の話がめちゃめちゃ聞けるんですよ。
※2025年7月3日発売『アサ芸 Secret! Vol.94』より、新連載「日本[場末スナック]放浪記」がスタート。
その場所に生きている人しか知らない、生の情報が得られるわけですね。
ただ、稚内のスナックって今は10軒ぐらいあるんですけど、もう閉めることを考えているママも結構いて、5年後には半減しそうなんです。それって全国的な傾向でもあって、中でも僻地になるほど、そういった貴重な話を残す人がいないんですよね。なので、今のうちに昔の話を聞いておこうと、とにかく僻地のスナックに行くことに燃えてます。これまでの取材は西成にせよ、歌舞伎町にせよ、誰かに依頼されてのものだったので、こんなに自発的に取材してるのは今回が初めてかもしれない。
実は、今までスナックに1人で入ることってできなかったんですよ。入れるようになったのは、それこそ今回の『ワイルドサイド漂流記』のおかげ。昭和歌謡好きの友人と一緒に、本書の取材も兼ねて大阪のカラオケ居酒屋に行ったら、隣のおじさんと仲良くなれて「あ、これを1人でできたら取材もはかどるな」と思ったんです。
ずっと取材を続けている横浜のドヤ街にも、西成にもスナックは多いですし、スナックって大体カラオケが完備されていて、おじさん客が男女のデュエット曲を勝手に入れる場所、ママの腰に手を当てる場所ですから。そこで昭和の歌を歌うと、ほぼほぼ隣のおじさんと仲良くなれて、上手く取材に発展させられるんです。
あと、雀荘も地域に密着した話が聞ける場ではあるんですが、僕は麻雀はできないので、やっぱり歌えたほうがいいなと。
カラオケはやらない、麻雀はやらない、さらに『ワイルドサイド漂流記』にはお酒があまり好きじゃない、タバコも吸わないという記述もあって、正直、珍しいなと思ったんですよ。こういったアウトロー系のお仕事されてる方って、生活もアウトローというか、タバコも酒もガンガンいけるイメージなので。
むしろ40歳、50歳にもなって、タバコ吸って酒飲みまくるっていう、そういう典型的な“おじさんライター”にはなりたくないんです。僕、編集もやってますけど、そっち系のライターさんと仕事する機会って、実際、減ってるんですよね。むしろ煙たがられる傾向も今はあるので、自分はそうならないようにしなきゃなと。
ただ、危ない場所に行こうとか、危ないことをしようっていう気概は、もちろん無くさないようにしたいです。本にも書きましたけど、例えば頭を坊主にしたり、タンクトップを着たり、裸足で歩いたりすると、そういうモードになれるんですよ。でも、そういったワイルドさみたいものが、年齢と共に失われていることも実感しているので、もう1回体を鍛えて野生のメンタルを作っていこうかなとも考えてます。
無くなってしまったら、思い出せなくなる

なぜ、そこまでしてワイルドな環境に身を置こうとするんでしょう? もっと楽というか、真っ当な生活をしたっていいわけじゃないですか。
本当は楽な生活をしたいんですけど、辛い経験をすることが自分を成長させる……みたいな。自衛隊的、男塾的なノリが、ちょっと残ってるんですよね。
で、一言に“辛い経験”と言っても、いろいろあるじゃないですか。大企業に入って上司に叱責されるとか、営業先でイビられるとか、そういう人間関係の辛さは嫌なんで、だったら物理的な辛さのほうが良いかなと。
そこはお父様譲りの、昭和的ワイルド嗜好があるんですね。ちなみに「人との出会いで人生が変わった」とおっしゃっていましたが、では、特に印象に残っていたり、自分の人生を変えた人物について、教えていただけますか?
5月に大阪でトークイベントをやったときに、西成の写真を60年撮っている写真家の野呂岳龍さんが声をかけてくれたんですよ。「今度、写真を見においで」って言われたんで、この前、大阪に行ったときに訪ねたら、本当に60年分の西成の写真があって! あとは、歌舞伎町の本を書いたときに知り合った、歌舞伎町を50年くらい撮り続けている篝一光(かがりいっこう)さん。その2人との出会いは、僕の人生というか価値観を大きく変えましたね。
例えば、今の歌舞伎町で写真を1枚撮ったとしても、今の瞬間しか切り取ってない人では写真に価値を持たせられないんです。でも、50年間ずっと撮り続けてきた人が撮ると、同じ場所を今と昔で比較することができるから、その写真に特別な価値が生まれるんですよ。
篝さんも野呂さんも、もう70歳を超えて、人生の終わりが見えているからなのか、その役割を僕に託そうとしてくれているんですよね。きっと本当は2人とも、もっと先まで街の変化を見続けたいはずなんですよ。でも、それができないから「お前が代わりにやってくれ」「若いんだから、どうか頑張ってくれ」と言ってくれている。街を写真で残しておくことの大切さを、そこで強く実感したんですよね。
(取材場所から渋谷の街を見下ろしながら)それこそ渋谷も今、メチャメチャ再開発してるじゃないですか。昔はのんべい横丁とかスナック街とかで、もっと雑然としていたはずなんです。そういう場所って、通りかかっても特に美しくもないから、写真なんて撮らないですよね。でも、いつか絶対に無くなってしまって、そのときには、そこに何があったのかさえ思い出せなくなる。だからこそ、日々、写真を撮り続けなきゃいけないんですよ。
「あ、ここ変わったんだ」とか「空き地になったんだ」ということはわかっても、じゃあ、前に何があったのかは思い出せない。誰もが経験のあることだと思います。
そう。誰にも忘れ去られてしまう。そのときになって「写真撮っておけば良かった」と後悔しても遅いんですよ。僕が篝さんの写真を見て「歌舞伎町って、昔、こんなだったんだ!」って羨んだように、きっと今の僕は、数十年後に生まれる人たちが見たいものを見ているはずなんで、ちゃんと残さないといけない。
とはいえ、僕が残したいのは単なる建物の外観や風景ではなく、そこで行われていたことなんですよね。昔、西成に和風の古びた館があって、内部は男同士が入り乱れるハッテン場みたいな状態になっていたから、地元の人間には“淫乱旅館”って呼ばれていたんです。ただ、そういった役割も時代と共に無くなっていき、今は単なるドヤになっていて、行くたびに「これが淫乱旅館だったんだな」って眺めていたんですよ。写真も撮らずに。そしたら、この前ついに更地になっていて、メチャメチャ後悔したんです。
だって、この過去のエピソードだけでなく、その建物の写真もあれば、よりリアリティを感じさせられるじゃないですか。だから「この中でこんなことが行われていた」っていう文字での記録と、外側からの写真をセットで残していきたいんですよね。
教科書の歴史には残らない事象ですけれど、その時代に生きていた人のリアルが、そこには確かに息づいているわけですもんね。そんな國友さんからフリーランスの人たち、もしくはフリーランスになりたいと考えている人たちに、アドバイスを頂きたいなと。
これはクリエイターだけに向けたメッセージになるかもしれないですけど、例えば今回、取材で稚内のスナックに行ったとき、飛行機を乗り逃がして2回チケットを取ったから、メチャメチャ経費がかさんだんですよ。行くだけで10万円ぐらいかかってしまった。
でも、スナックの記事を書いたところで、当然10万円にはならない。要は経費倒れをしているんですが、それを気にして「行かない」という選択をしていると、どんどん活動の範囲が狭まってしまうんです。なので、かかる経費と出る成果の報酬額を比べないようにしたほうがいい。
成果が戻ってくるのは、ずっと後になるかもしれないけれど、短期的な収支だけを考えて動くなと。非常に具体的なアドバイスですね。
そうです。そんなことしてると、何もアウトプットできなくなる時が来るんで。経費を回収できなくても、また違うものが得られたり、人との出会いがあったり、原稿料だけじゃないものも得られますから。経費と報酬額を比べない。それが大切じゃないかなと思います。

撮影/中野賢太(@_kentanakano)
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