人気バラエティ番組『水曜日のダウンタウン』のオープニング映像を手がけていることで知られるデザイナーのシンバダイスケさん。
『テレビ千鳥』、『あちこちオードリー』、『私のバカせまい史』、『お笑いの日』、『カワシマの穴』、『クイズタイムリープ』、『フットンダ』、『BAZOOKA!!!』……と、いまや「面白い番組にシンバのデザインあり」と言っても過言ではありません。それは先鋭的なテレビの作り手から彼が篤い信頼を寄せられている証でしょう。
シンバさんは有限会社ODDJOBを経て、2020年に独立しています。そんな彼が、どのようにデザイナーになったのか、どうして独立したのか、独立後の働き方、そしてデザインのつくり方や、その源泉に何があるのかを伺いました。
※Main Visual:Photo Editing by Daisuke Shinba/Photo by Kenta Nakano
デザイナー。静岡県生まれ。有限会社ODDJOBを経て2020年独立。セオリーに囚われず、鮮やかなクリエイションを得意とする。『水曜日のダウンタウン』、『テレビ千鳥』、『お笑いの日』、『フットンダ王決定戦』、『バカせまい史』、『オールスター後夜祭』、『あちこちオードリー』などのアートワークを手掛け、見る人の網膜に楽しさを焼き付けるクリエイションを提供している。
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Contents
「学校の先生」から「デザイナー」へ。志望の転機

まずデザイナーになった経緯からお伺いしたいんですが、そもそも子どもの頃から絵を描いていたんですか?
絵はずっと描いてましたね。最初はデザインと言うより落書きみたいな感じ。運動神経がいいわけじゃないけど、絵だけは得意みたいな感じでした。賞ももらったりして、やっぱ、賞ってすごいじゃないですか(笑)。一番印象に残っているのが、幼稚園のときに何かの絵で表彰されて、その絵がスイスかどこかの美術館に飾られたっていう。自分でもよくわからない感情になったことをたまに思い出します。
当時は、もうずっと授業を聞かずに教科書とかノートに落書きをしてました。普通にマンガのキャラっぽいものも描いてましたし、のちに自分はグラフィティを描き始めるんですけど、それに繋がるような、文字を崩したようなものを描くのが面白くて、漢字の造形を自分風にアレンジしたりしていました。
そんな子どもの頃、なりたかった職業はなんだったんですか?
一番初めになりたいと思ったのは学校の先生ですね。漠然とですけど。
そこからデザイナーを職業として意識したのはいつ頃でしょう。
大学は普通の教師というよりもスクールカウンセラーみたいなものを目指して、心理学の学校に行ったんです。でも、遊ぶのが楽しくて、わかりやすく大学に行かなくなり(笑)。2年生のときにゼミにまったく行かなかったら親に連絡が入って。大学に行かないならお金ももったいないしって母親に勧められたのがデザインの専門学校だったんです。

そのときは、「グラフィックデザイナー」って言葉すらほぼ知らないぐらいだったんですが、絵を描くのは好きでしたし、アリだなって思って入学しました。学校では今に繋がるデザインの勉強、みたいなことはあまりしなかったんですが、職業として「そういうものがあるんだ」っていうのを知ったことは大きかったですね。
そこからODDJOBに就職するにいたると。
いきさつとしては、その専門学校は3年制で、2年のときにインターンシップがあったんです。どこの会社に行こうかと考えたときに、自分はバラエティ番組が好きで、『クイズ☆タレント名鑑』のオープニングがカッコいいなって思ってたことが浮かんだんですね。それでエンドロールを確認してみたら、“ODDJOB”というクレジットがあったので、インターンシップ先に選びました。
そのとき親しくしてくれた先輩がODDJOBの関連会社に所属していたので、最初の就職先は実はそっちの会社なんです。で、自分が入社した3カ月後に、先輩が「(ODDJOBに)異動することになったけどどうする?」って言ってくれて、ついて行った感じですね。
入社前、ODDJOBは主にテレビ番組関連のデザインをする会社だと思っていたら、メインはアニメーションを作る会社だったんです。でも自分は「バラエティ番組がやりたい」って意気込んでいたんで、入ってすぐに先輩から「バラエティはキミが担当」みたいに言われ。連絡から何から全てを任された感じでした。だから実は『水曜日のダウンタウン』も1年目から担当してるんですよね。
映像/デザインの原体験、グラフィティとのリンク

最初に手がけたテレビ番組のデザインは?
本当に一番初めだと、インターンシップのときですかね。BSで大竹まことさんが出ていた情報バラエティで……
(検索して)……BSテレ東の『大竹まことの金曜オトナイト』ですか?
それです! うわ、恥ずかしっ! 今見るとめっちゃ下手ですね(笑)。
制作期間はすごく短かったと思います。2日とかじゃないですかね。何案か出して調整するみたいな。赤パターンとピンクっぽいパターンと紫パターンを出した覚えがありますね。今、思い出しました! 意外とテレビで流れた時そこまで感動はなかったですね。反応もなかったですし。
シンバさんのデザインというと、やはりサイケデリックな作風が特徴的だと思います。
そう言っていただくことが多いんですが、自分ではあまりそう思ってなくて。でも紐解いていくと、うちの実家の習慣で、子どもの頃、朝起きると母親のオススメのビデオが流れていたんです。レンタルビデオ屋から借りてきたビデオなんですけど。それが、今思うとだいぶ特殊で、どこから探してきたんだろ?みたいなものがたくさんありました。
わかりやすいところで言うと、『トムとジェリー』のような海外アニメなんですけど、例えば、『スターウォーズ』のイウォークというキャラのスピンオフアニメ(『イウォーク物語』)とか、アメリカの新聞で連載されていた『リトル・ニモ』っていうのがアニメ映画化された『NEMO/ニモ』とか。そういう少し変わったものを毎日見ていたのが原体験なのかなと思ったりしますね。あと、自分は静岡出身なんですけど、静岡のローカルCMってすごい特殊なんですよ。
僕も静岡出身なので、なんとなくわかります。確かにパチンコ店の「コンコルド」とか変わったCMが多いですよね。
一番印象に残っているのは「エマーソン」っていうゲームショップのもので。内容がゲームと全く関係がなく意味がわからないんですけど、強烈に覚えてます。なんかそういうものの影響もあるのかなって思います。

グラフィティもやられていたとおっしゃっていましたが、やはりヒップホップの文化もお好きだったんですか?
かなり好きですね。自分の世代って、中学1~2年くらいのときに、藍坊主とかガガガSPとかインディーズバンドが流行った時代で、自分も好きでした。その一方で、同時期に流行っていたリップスライムとかも普通に聴いていたんですけど、特別ヒップホップが好きってわけではなかったんです。それで中2の終わり頃だったかな? 母親が『8 Mile』(※)を「あんた、これいいよ!」って勧めてきて、そこからヒップホップにハマりましたね。
※USデトロイト出身のラッパー、エミネムの半自伝的ストーリーを描いた映画(日本公開:2003年)
お母様から!
そう(笑)。ハイスタ(Hi-STANDARD)を教えてくれたのも母。若い子から聞いたものを積極的に取り入れる人で、自分の友達ともめちゃくちゃ仲良くなる。実家に友達が泊まりに来たらいつの間にかリビングで母親と話してるみたいな(笑)。しかも、自分のオススメを伝えるのが好きな人なんです。
『8 Mile』を観るまでラップバトルも知らなかったんですが、母親がラップバトルを説明してくれたのをいまだに覚えてますね。「本当のケンカじゃないんだけど、“お前の母ちゃんデベソ”的なことを言い合う」って。意外と間違ってない(笑)。
芯を食ってますね(笑)。
そこから海外のヒップホップを聴くようになって、高校の頃にグラフィティの文化を知って。カッコいいなって。自分にとって、絵を描くことはちょっとオタクっぽい印象だったのに対して、グラフィティは違う。悪そうでカッコいい、みたいな感じでしたね。
今の仕事への影響もめちゃくちゃあると思います。ロゴをつくるときは、ほぼグラフィティと同じような感覚で。読みやすいグラフィティって感じです。グラフィティはアルファベットが多いですが、自分はもともと日本語とかを崩して描いていたので。
つくったものが動くとテンションが上がる

ヒップホップ好きというと『水曜日のダウンタウン』の演出・プロデュースを手掛けている藤井健太郎さんもそうですが、やはり感覚が合う感じがしますか?
共通言語はありますね。わかりやすいところでいえば、藤井さんが『史上空前!!笑いの祭典ザ・ドリームマッチ』をやったときに、セットを「アトランタのトラップハウスみたいな感じに作りたい」と言っていたんです。でも当然、セットの方にはまったく伝わらない(笑)。そのとき相談されて、こういうのを入れたらどうですかって提案したりできるんです。
やはりシンバさんといえば『水曜日のダウンタウン』のオープニング映像が思い浮かびますが、どのような発想でつくられたんでしょう。
1年目だったこともあり、自分はオープニング担当で、デザインを100%作っているわけではないんです。すでにできていたロゴやキャラクターの雰囲気を残しつつ、ヴェイパーウェイヴの要素を取り入れて、ノイズとかコンピュターウイルスのバグ的なモチーフを入れたいと思いました。
実は、藤井さんが『水曜日のダウンタウン』の前につくったKis-My-Ft2の『キスマイフェイク』のオープニングも自分が担当したんですけど、その時はオープニングを完成させた状態で2案出したんです。若かったからですかね(笑)。真面目なものと、今の『水曜日のダウンタウン』的なもの。採用されたのは真面目なほうだったんですが、藤井さんはもうひとつのほうをめちゃくちゃ気に入ってくれて、『水曜日のダウンタウン』では、そっちの方向で行こうってことに。

そういうオープニング映像はロゴデザインとは違って「動く」わけじゃないですか。つくる上で考え方の違いはありますか?
もちろんロゴのように静止画、バン!で、カッコいいっていうのもテンション上がるんですけど、自分はいろんなものの「オープニング」が好きなんです。例えば、格闘技とかで選手が入場してくるときってバッと盛り上がるじゃないですか。煽りVTRとかも含めて。1回ここでテンション上げるみたいな。そういうのを作るのが、すごく楽しいですね。
あと単純に、自分がつくったものが動くとテンションが上がる。ロゴデザインを考えるときも、実際に動かす・動かさないは関係なく、こうやって動いたら面白いみたいな発想になりますね。ちょっと仕掛けを作ったりとか。
多くのテレビマンの方々と仕事をされていますが、藤井さんが特徴的なのはどんな点ですか?
藤井さんはめちゃくちゃ優しいけど、めちゃくちゃこだわる。それこそ『クイズ☆スター名鑑』のロゴは100案くらい出しました(笑)。でも、嫌じゃない。修正の依頼がすごく納得できるんです。高め合っている感じがします。
たぶんデザインの良い悪いよりも、意味的に通ってるか・通ってないかを気にされますね。ここにこれがあるのはおかしいよねっていうのが大きいように思います。例えば「名探偵津田」のスペシャルのときは、映像にヒントとかも隠されていたので、ここにこれがあると印象が強くなっちゃうから、ひとつ減らそうとか。パッと見の印象なんですけど、そういうところにこだわってますね。
独立の不安はまったくなかった

2020年にODDJOBから独立され、ご自身の会社であるPDBを立ち上げて活動されていますね。
自分の家庭環境がガラッと変わったっていうのもあるんですけど、もうその頃は会社に週3日くらいしか行ってなかったんです。で、ODDJOBの外に知り合いも多くなっていました。さっきも言った通りODDJOBはアニメ制作がメインの会社でみんなそっちで忙しいんですよ。だから、自分が誰かに手伝ってほしいってなったときに外部の友達にお願いしたりしてたんです。そういうことが重なって、タイミングが来たときに独立したということですね。
それと、もともとクライアントさんとの連絡から金額交渉まで全部自分でやっていたっていうのもあったし、「会社に頼んでいるんじゃなくてシンバくんに頼んでいるんだから」って言ってくれる方も多かったんで、まったく不安はなかったです。
独立して働き方は変わりましたか?
電車に乗らなくて良くなったのがめちゃくちゃいいですね(笑)。本当に電車が苦手で乗っているとすぐ気持ち悪くなっちゃうんですよ。あと、会社に所属していると当たり前に自分がやりたい仕事だけをしているわけにはいかないので。独立して、自分の仕事にだけ集中できるようになった。
あと、好きなタイミングで作業ができるので。頭も冴えて集中できてパフォーマンスが一番発揮できるタイミングに、ひたすらやる。それ以外の時間は休む。みたいに、自分で時間の調整ができる自由度は増したので、ストレスがなくて働きやすいですね。

仕事を受ける基準などはいかがでしょう。
基本的に「選んでる」みたいなことはないですが、やっぱり、自分がつくった何かを見て、「シンバさんにお願いしたいんです」って言われるとこっちもテンションが上がりますし、できれば受けたいなって思いますね。
逆に、ご自身から売り込むことは?
ほとんどないです。1回仕事をして、その後が続かない人とは、別にどちらが悪いというわけではなく、何かが合わないっていうのがフワッとあるんだと思うんですけど。仕事をしてみて、「この人はすごく気が合うな」って人に対しては、自分を売り込むというより、また会いたい、仲良くなりたいなっていう感情になるんですよね。だから、そういう人と、仕事をしたい。でも、自分は営業みたいなことが得意ではないので、苦手なことは無理にはしないというスタンスですね。
デザインが立体物になったときの感動

『フットンダ』ではスタジオのデザインもされていますね。
めちゃくちゃ楽しいですね。やっぱり自分がデザインしたものが立体物になるっていうのが、嬉しい。
以前、テレビ朝日の特番で昔話を題材にした番組があったときに、セットの相談をされたんですけど、昔話だから真ん中にバカでかい桃を置いて、その葉っぱに演者が座ってるのはどうですかって提案したら採用されて、バカでかい桃を作ってもらったんです。そこから2年くらい後に『テレビ千鳥』でセットの打ち合わせに行ったときに美術担当の方が「以前、バカなやつがいて3メートルくらいの桃を作らされた」って愚痴ってて「それ、僕です」「お前か!」って(笑)。
セットの場合、ご自身だけで完結するわけではなく、他人の手が入ることになりますが、出来栄えがイメージと違うななど思ったことはありますか?
例えば、タイトルのロゴとかオープニングは100%自分が納得するように作りますけど、セットの場合はお邪魔している感覚なんです。なんか1番おいしいところを取ってしまって申し訳ありませんみたいな気持ちだし、立体物になってテンションが上がるってことのほうが先行しますね。それに、作られている方の技術もスゴいんで、これどうなの?みたいになったことはないですね。
そういえば、『さよなら!アローン会』というNHKの番組でもセットの相談をしていただいたんで、こういうのはどうですかねってラフの絵を描いたんです。そしたら、それが立体物になっていて、すげえ、こんなことできるんだって驚きました。普通だとラフからちゃんとデザインにして、それを立体にするんですけど、手描きのラフからちゃんと作ってくれて、あれは驚きました。
打ち合わせはどんなふうにされるんですか?
本当に人それぞれですね。例えば藤井さんはある程度、ご自身の中でこういうイメージ、こういった色でっていうのがハッキリされているので、それを自分で解釈して広げるみたいなことなんですけど、イチからどうすればいいかみたいなことも割と多いです。
だから、その場合、こういう番組のコンセプトだから、こういうアイテムとかモチーフを使ったらどうでしょう、とか、こういう色合いは?とか探っていきます。そういうのは、スクールカウンセラーを目指して入った大学の心理の授業が、ほんの少しは役立っているかも知れないですね。

デザイン案は、基本的には3種類出して、それぞれに色違いを数パターン出す感じです。A案、B案、C案をつくるんですけど、A案ができたら、そのA案を倒すB案を作るんです。自分の中でA案と戦わせる。そのあとのC案は、喩えが難しいんですが、普通に倒すんじゃなくて、魔法で倒す。「武力 vs 武力 vs 魔法」みたいな。
昔は、それこそ自分が気に入った案みたいなのがあったんですけど、自分が気に入った案が通らなくてテンションが下がるのってなんか気持ち悪いなって。全部自分が出してるのにハズレがあるのって変じゃないですか。だから今は、どの案が通っても良い、自分の中でどれもかわいくなるように作ってます。
視聴者の方から褒められても否定されても、その反響によって、自分のテンションが上がったり、下がったりすることはあまりないですが、やっぱり反応してもらうことは嬉しいです。『水曜日のダウンタウン』のオープニングとかでも、ここに気づいてくれたんだ!っていうのはありますね。
使っているツールにこだわりは?
こだわりというか、普通にAdobeのIllustrator、Photoshop、AfterEffectsを使っています。あと、iPadのProcreateがあるかないかでまったく違いますね。昔はラフ案を紙に描いて、スキャンしてパソコンに取り込んで……みたいな工程を踏まなきゃいけなかったんで、その必要がないProcreateはありがたいです。
今後やっていきたい分野の仕事はありますか?
たくさんありますね。ひとつは、大きなイベントのデザインをやりたいです。あと、基本的に自分の仕事は受け仕事じゃないですか。本当に楽しいことばかりやらせてもらえて嬉しいんですけど、自分で発信する仕事もやっていったほうがバランスがいいのかなって思うので、細々とやっているYouTubeをもう少し頑張りたい。
自分がデザインを勉強し始めた頃って、とても堅苦しいなって感じたんです。ポイントがこうで……、とか、ピクセルが……、とか。そういう技術的なことというよりも、もっと感覚的にやっていてすごい楽しいことだよっていうのを伝えられたらと思っています。出身中学で講義とかもしてみたい。本当にまだまだやりたいことがいっぱいありますね。
撮影/中野賢太(@_kentanakano)
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