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ブルース・リーから岡村靖幸まで!偏愛オーダーニットでファンを増殖する「編み物☆堀ノ内」の“狂い編み”ヒストリー

FREENANCE 編み物☆堀ノ内

「編み物☆堀ノ内」こと堀ノ内達也さんは、主に1980〜90年代の(少なからずカルト的な)著名人やレコードジャケット、映画のワンシーンなどをモチーフにしたアイコニックなニット作品を発表してきました。INU、横山やすし、ディヴァイン、岡村靖幸、マイケル・ジャクソンなどのセーターを目にしたことのある方も多いでしょう。

家庭用編み機を使った(初めは完全手編み)1点モノはユーモアと味わいでじわじわと認知度を上げ、「これを編んでほしい」というオーダーが舞い込み始めます。今や展覧会&パーソナルオーダー会での受注は1年待ち、海外からも続々オーダーが集まる人気。メディコム・トイとのコラボでブランド「KNIT GANG COUNCIL」も展開しています。

20年以上にわたりフリーランスのグラフィックデザイナーとして仕事をしてきた堀ノ内さんは、いったい何がきっかけで編み物に行き着いたのか。どのようにそれをビジネス化し、どうやって回しているのか。『狂い咲きサンダーロード』ならぬ、「狂い編みサンダーニット」のストーリーに迫ります。

profile
堀ノ内達也(ほりのうち たつや)
桑沢デザイン研究所を卒業後、グラフィックデザイナーとして活動。2012年より「編み物☆堀ノ内」名義で編み物作家としても活動を始める。2018年にはメディコム・トイとのニットブランド「KNIT GANG COUNCIL」も始動。
https://www.amimono.tokyo/
https://www.instagram.com/amimono_horinouchi/
https://twitter.com/Amimono_Hori

窮地から編み物作家の道へ

2022年3月25日(金)〜4月3日(日)まで
福岡で開催された展示会のフライヤー

編み物を始める前はどんなデザインをやっていらしたんですか?

学校を出た後、すぐデザイン事務所に勤めて、20代後半にはフリーランスになったんですが、当時はCDのジャケットデザインもけっこうやっていました。2000年代後半から音楽業界がだんだん元気がなくなってくると、教科書や会社案内、医療系の冊子などの堅いほうに行ったんですけど、フリーランスなのでどうしても仕事に波があるんですよ。このオフィスは学生時代の友達と3人で共有していて、とりあえず毎日来るんですけど、仕事がないとヒマじゃないですか(笑)。「一日ネット見てても仕方ないし、何かやらないとな」と思って、いろいろ考えていたことのひとつが編み物だったんです。40代の後半ぐらいですかね。

ということは最初から仕事にするつもりで?

ある程度は考えていました。とりあえず手芸雑誌とか『一日でできる編み物』みたいな本を図書館でいっぱい借りてきて読んだんですけど、さっぱり編めなくて(笑)。そもそも手の動きがわかんないんですよ。

これはダメだなと思って一回あきらめかけていたんですけど、橋本治先生のこの本(『男の編み物 橋本治の手トリ足トリ』1983年)を、昔から知ってはいましたけど、あらためてヤフオクで入手したんです。作品が載っているだけじゃなくてハウツー本にもなっているんですが、このハウツーが実によくできていて、これで編めるようになったんですよ、僕。

手芸本じゃなく、橋本治さんのおかげで!

そうなんです。頭のいい人は教え方も上手なんですよね。「あ、こういうことなのか!」と思って、まず普通に編めるようになったんです。まずプレーンのセーターを2着ほど編み上げて、「でも絵は無理だよな……いや、でもこれはやらなくちゃ」と一念発起しまして、最初に編んだのがZINE(『肖像編み物』)にも載せたブルース・リーのベストです。(写真を見せながら)袖がないのは、力尽きてしまって袖を作る元気がなかったからです(笑)。

何日ぐらいかかりましたか?

手編みだったので、2~3カ月はかかったと思います。仕事しながらちょこちょこ毎日やって。次に横山やすしさんを編んで、それから三億円事件の容疑者、松田聖子さん、クラフトワーク。この5着を編み上げて、手編みでは仕事にならないと悟りました。とにかく時間がかかりすぎて……。編んだ物をSNSに上げたらそこそこ反響があったので、もっと制作の効率を上げたら、仕事になる可能性はあるかも?と思ったんですけど。

光明が見えたと思ったらいきなりピンチだったんですね。

1着に2〜3カ月もかかっていたら値段がつけられない、これは仕事にならないと頭を抱えました。そこに家庭用の編み機というものがあるということを聞きつけて、さっそく入手したんです。

初めは無地のところだけ編み機を使って、絵の部分は手編みしていたんですけど、結局いちばん時間がかかるのはそこなんですよね。なんとかできないかと思って、編み機の使い方を教えてくれる千葉のカルチャースクールに、奥さま方に混ざって半年ぐらい通いました(笑)。最初は先生に「こんな複雑な絵柄は無理」って言われて「終わった……」と思っていたんですが、いろいろ教わっているうちに、根気さえ発揮すればできるということに気がついたんです。

グラフィックデザイナーであることが強みに

まず元になる写真なり絵なりをドット絵というか設計図みたいなものに落とし込む作業が必要だと思うんですが……。

製図ですね。僕はグラフィックデザイナーなので、PhotoshopとIllustratorがあれば製図はできるなって前から気づいていたんです。製図ができれば、技術さえ習得すれば原理的には編めるじゃないですか。これが初期の製図です(横山やすしのものを見せる)。写真通りの色数は無理なので絵柄を省略していくんですけど、デザイナーだったらたぶん普通にできると思います。そこは僕の強みだったかもしれないですね。

僕が初めて拝見した堀ノ内さんの作品が、INU(※)の『メシ喰うな!』のジャケットを編んだものだったと思います。

※町田康が町田町蔵を名乗っていたころ組んでいたパンクバンド。『メシ喰うな!』は1981年にリリースした唯一のスタジオアルバム。

戌年のとき(2018年)に自分で編んだのを子供に着せて年賀状にしていたんですよ。「面白いね」と言われて、その後メディコム・トイさんと組んでから、あらためて商品化してくれました。だから2種類あるんです。

これはインパクトがあります。モチーフの選び方は?

単純に自分の趣味です(笑)。オーダーで作るときはお客さまに言われた通りに作りますけど、ZINEの後半に載っている作品は自分の好きな人と、編んでインパクトのある人という感じですね。

趣味に世代が出ていますね。シド・ヴィシャス、ディーヴォ、クラウス・ノミなど、70〜80年代のパンク、ニューウェイブ系の人物が多くて。

「面白いね」って声をかけてくださるのは同世代の方が多いですね。もちろんフォトジェニックな人も選んでいます。例えばジェームス・ブラウンは、僕は大好きなんですけど、編み物にするとあんまりフォトジェニックじゃないから選ばない、みたいな。

ZINEを作られたのは去年の10月ですよね。

うちの奥さんが雑誌の編集者で、都築響一さんとお付き合いがあったので『ロードサイダーズ・ウィークリー』っていう都築さんのメルマガに売り込んで、セーターをオーダーしてくださった人たちのインタビューを連載させていただいたんです。それをZINE用にコンパクトにまとめたのがこのチャプター1ですね。

軌道に乗ったのはいつぐらいからですか?

それはもう全然最近です。2、3年前じゃないですかね。

徐々に認知度が上がっていった感じでしょうか。

SNSがなかったらこんなに広がらなかったと思います。昔だったら、ギャラリーで個展をやったり、雑誌の人に働きかけて「書いてもらえませんか?」とかやっていたりしたと思うんです。今の時代にちょうど合っていたんじゃないですかね。

岡村靖幸のグッズ制作が転機に

現実にあるものをモチーフにされることが多いと思いますが、デザインから手がけるということはなさるんでしょうか?

それは僕も最初すごく考えました。結局、人の似顔絵描いてるだけなのかな?みたいな(笑)。やり始めたころは「俺はグラフィックデザイナーなんだぞ」っていう気持ちもあったので、オリジナルの絵柄とかも作ってみたんですけど、面白くないんですよ、全然。すてきな柄とか色ってすでに世の中にいくらでもあるし、仮にすてきなデザインのニットを作っても、グッチとかミッソーニみたいな世界的なニットブランドにあなた勝てますか? 絶対無理でしょ?って思っちゃって。違うところで勝負しないと全然ダメだと思って、みんなに見てもらうには、ただ綺麗な色合いや柄を編むのではなく、編み物ではあり得ない緻密さで、モチーフを写実的に表現するのはどうか?と思いつきました。あまりに面倒くさいから誰もやらない。だから勝ち目があるかも?と。

あれは大きかったな、ということはありましたか?

2017年に岡村靖幸さんがツアーグッズのセーターを作らせてくださったことですかね。特にお金が入ったとかそういうことではないんですけど、周囲の理解が進みました(笑)。それまでは、うちの奥さんにもここにいる他の2人にも「何やってんの?」っていう目で見られていたんです。口に出しては言わないですけど、「そんなのでお金になるの? バイトすれば?」みたいな(笑)。こういうことをやるには家族の同意も必要じゃないですか。うちは子供も2人いるので。

友人も岡村さんのセーターを通して堀ノ内さんを知ったと言っていました。

そういう方が多いです。岡村さんはチェック魔らしくて、見つけて面白いと思ってくださったみたいです。その後も中村達也さんのブランド(GAVIAL)とコラボでセーターを作ったりしていたんですけど、そうこうするうちにメディコム・トイさんからお声がけいただきまして。

今はメディコム・トイさんとやっているKNIT GANG COUNCILというニットブランドと、自分で作ったものをWebサイトで販売したりお店に卸して置いてもらったりしているのと、あとオーダーメイド。この3つですね。

オーダーメイドは大変でしょう。作るのに時間がかかるし。

来週、福岡でパーソナルオーダー会(すでに終了)をやるんですけど、オーダー会ってスケジュールが先々まで決まっているんですよ。だけど次のをやるときに前回受けたやつが全然終わっていなくて、受けるときから「すみません、1年待ちでお願いいたします」みたいな(笑)。最近、さっきお話しした千葉の編み物の先生たちが無地のところや組み立てを手伝ってくださるようになって、ちょっとだけスピードアップしたんですけど、絵の部分は僕じゃないとできないので、どんなに頑張っても1カ月に4着ぐらいが限界ですね。溜まっていっちゃう一方です。

お話を聞いていると「これを仕事にしないといけない」「回していけるようにしないといけない」というテーマ設定がプロですね。

心としては背水の陣ですよ。今はグラフィックデザインの仕事は全収入の10%もないぐらいですから、編み物をやってなかったらもうここにはいられなかったと思うんです(笑)。別の仕事をしようにも、僕は20代のころからデザインしかやっていないので、これはなんとかしなきゃいけないぞ、と。始めたときから切羽詰まっているので、楽しく編むとかいう感じは全然なかったです。

よくある話としては、趣味で楽しみながら編んでいたら存外に好評で、声をかけられるままにやっていたら偶然ビジネスになってしまって……みたいな。

それとは真逆ですね(笑)。目を血走らせているのは今も同じです。「なんとか納期に間に合わせなきゃ」って。なのでいっさい飲みに行かなくなりました(笑)。

製図の段階で顔の部分をもう少し単純化すれば、他の人にもできるようになりそうな気もしますが……。

もっと省略しようと思えばできるんですよ。でも、自分の作品ならいいけど、オーダーをいただいてクォリティを下げることはできないじゃないですか。たぶんこういうの(ZINEの表紙のシド・ヴィシャスを指さして)を求められていると思うので。

手の届く範囲で、着実に実績を重ねる

どんなオーダーが多いですか?

ご自分が思い入れのあるものをセーターにして着たいって方がすごく多いですね。ワンちゃんとかネコちゃんとか、好きなミュージシャンとか、亡くなったお父さんの遺影とか、ありとあらゆるものがあります。「これ編むの?」っていうのもいっぱいありますけど、ご本人にとってはすごく大事な人だったりものだったりするんですよね。

みなさん喜ばれるでしょう。

「わー!」っておっしゃるのは、「こんな面倒くさいことやったの!」という気持ち込みだと思うんです。「(笑)」というか。そういう部分も多少、求められているんじゃないですかね。

お忙しいとは思いますが、今はビジネスとしては順調ですか?

決して裕福ではないですけど、ちょっと安定してきました。

グラフィックデザイナーとしての将来が見えなくなってきたときに見つけた編み物という活路、前人未到なのでは……。

僕もまさか自分でやるとは思っていませんでしたからね。なんでここまでやれたのか、自分でもわかんないんですよ。もともとそんなに根気があるほうでもないし、以前は雑巾ひとつ縫えなかったのに。不思議です。あと、こんなに広がっているのも、運がいいとしか思えないです。

今後どうしていきたいと考えていらっしゃいますか?

特にビジョンとかないんですよね。コラボにしても成り行きで進んでいるだけでこっちから動いたわけでもないし、何かひとつ作ってみて反応を見て「あ、需要がないわけじゃないんだ」と思ってどんどんアイテムを増やしていくみたいな感じなので。何だろうな……海外でやってみたい、くらいですかね。

まぁビジョンを持っていてもその通りには行かないし、そもそもそんなに壮大なことは考えていないので(笑)。今やっていることが少しずつ、いい感じになってくれたらいいな、ぐらいです。あんまりビジネスビジネスしているとかっこ悪いというか、手の届く範囲でやりたいという気持ちがありますね。

もののよさだけで成り立っているのは理想的なんじゃないですか。

とにかくありがたいに尽きます。始めたころは、このオフィスでは、僕以外の2人はめちゃくちゃ働いていて、僕は一日中ひとりで編み物していて、すっごくきまりが悪かったんです。いたたまれなくて近所の漫画喫茶の個室でやっていました(笑)。家でもできないし。それを思えば、今はなんとすばらしいことかって感じですよ。「お願いします」って言われること自体がありがたいですから。


撮影/須合知也@tomoya_sugo

執筆者profile
高岡洋詞
神奈川県横浜市生まれ。日本三景・天橋立のそばで育ち、大学進学とともに上京。『ミュージック・マガジン』編集部を経て、現在はフリー編集者/ライターとして活動中。
https://twitter.com/tapiocahiroshi
https://www.tapiocahiroshi.com/
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