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筑紫書体の魅力は、普通じゃないところ。書体デザイナー藤田重信インタビュー

筑紫書体の魅力は、普通じゃないところ。書体デザイナー藤田重信インタビュー

最初に拒否反応が出たものほどハマる

石井明朝にハマったのをきっかけに、書体デザインに開眼されたんですね。

写研の同僚並みの興味を持つのに10年かかりましたけどね。意識は芽生えてきたけど、写研はすでに明朝体をたくさんリリースしていて、いまさら「自分の考える明朝体を」と言ったところで、普通にありえないですから。

あるとき社長から文字部とのパイプ役を仰せつかって1年仕事したんですけど、デザインができないから全然面白くないわけです。そんなときに写研の文字部に3年在籍していた福岡出身の若い後輩から、「地元に帰ってフォントワークスという会社で仕事しています」って連絡がきたんです。「フォントワークスの社長は写研の文字デザインができる中堅の人が欲しいと言っている。藤田さん帰ってこんね?」と言われてね。心が動いたんです。実家を任せていた弟は家出して10年経って他県で所帯持っていたし。そろそろ親の面倒も見なきゃいけないなと。写研の社長に親事情を話して福岡に戻ってきたんですよ。そしてフォントワークスに入社したんです。当時のフォントワークスは若い会社で役員クラスで30代、社員は皆20代。とにかく空気が若々しくて自由なんですよ。「やっぱりこういう雰囲気がいいよな」と思って、俄然やる気が湧きましたね。

後から考えると、筑紫書体が世の中でどう受け止められているかというと、よくある普通の書体とは思われていないですよね(笑)。最初に出した筑紫明朝Lもちょっと異質で、本文で使えるけど、リュウミンやヒラギノみたいな「標準」を目指して作ったものとは明らかに違う。私は石井に惚れ込んだ時点で本欄(明朝)を捨てたんです。「石井のオールド! こういうのだったら絶対作りたい」と、あの時MM-OKLの魅力に開眼していなかったら、いまの自分はないでしょうね。自分で思考する書体を作りたいとは思わなかったと思います。

最初に目にしたときは違和感があるけれど、いったん魅力がわかるとどんどん引き込まれていくものがお好きなんですね。

本当に深くハマるものって、最初は「ウッ」ってなるんですよね。一時期、金魚に凝っていたんですが、金魚もね、みんなハマるのはらんちゅうだけなんです。でき物で腫れ上がったような出で立ちで尾びれがちいさく、形的に奇形に見えるんですがこれがわかってくると究極の愛らしさに変わるんですよね。そういうものに人間は一番ハマる。わかりやすくきれいなものにハマる人はいません。筑紫書体もみんな最初は「ウッ」となるんだろうなと(笑)。でも使っているうちにだんだんハマってくる人、少なくないと思いますよ。

そういうものを世に出すのは勇気が要ったのでは?

勇気も何も、まず「やっと作れる!」という喜びがメガトン級にどーんと来ていましたからね(笑)。なにしろ下積み22年ですから。実際、私がいちばんはっちゃけて作っていたのは2000年代前半ごろですけど、そのころうちの会社はかなりしんどかったんです。香港の本社を買収するのに巨額の借金をして、それまでフォントを単体で売っていたところにサブスクのLETS(※)を始めた時期ですから。

※年間定額制のデスクトップフォントの配信サービス。筑紫書体をはじめとするフォントワークスや、Monotype、イワタ、モトヤ、HOUSEI、YOONといったフォントメーカーのフォントを年間サブスクリプション方式で利用可能

筑紫明朝のリリースは2004年。ということは会社がもっとも大変な時期だったんですね。

そうです。筑紫明朝がLETSに組み込まれたのが3年目なんで、経営陣は本当に筑紫明朝に社運をかけていました。面と向かって社長に「藤田さん、時間は無制限です。その代わり絶対にいい明朝体にしてください」って言われましたから。「ただし、そういったいいものを世の中が全然欲しがっていなかったら、そのときはごめん。会社の金をみんなで分けて解散しますから」とも言われました。

文字通り、社運を背負った書体だったんですね。

以来ずっと業績は右肩上がりで、筑紫は一応、柱として貢献できましたからね。よかったなと思いましたけど、それはいまだから言えるんですよ。当時は「次はこれやんなきゃ」の連続です。ただ、筑紫オールド明朝を作り終わった2008年ごろから、ほとんど会社から指示されることもなく、自分が作りたい書体を次から次へと作れる境遇になりました。開発段階からSNSで公開したり、定期的にグラフィックデザイナーと会ったりして、これから開発したい書体の感触を自分で確かめながらね。

また、エディトリアルデザイナーさんたちと会っている時、みなさんの食いつきが良いんですよ。試作の書体組サンプルを提示すると「これ、いつ出るの!」って。「これ、いいですね」じゃないんです。「いつ出るの?」はすぐにでも欲しいってことです。それが一番の確かな答えなんです。リリースしてもはずれないと言う意味で。

筑紫Aオールド明朝 Pr6
引用:筑紫Aオールド明朝 Pr6 – LETS

自らユーザーの反応をリサーチされているんですね。

筑紫Aオールド明朝を作り終わった後にBタイプの仮名を作ったんですが、これは2010年に、祖父江慎さんが──古い築地五号系だと思うけど──ひらがなの「お」を「これいいでしょ、藤田さん」と言いながら見せてくれたのがきっかけなんですよ。左下の結びのところが開いていなくて、すごくかわいらしいイメージでね。面白いな、このまま五十音作ったらもっと面白いんじゃないかな、と思って作ったのがBオールド明朝です。強く感銘を受けた1文字があれば、それに合ったスタイルで五十音を作る。そういう作り方ができることを知りました。

筑紫Bオールド明朝 Pr6
※引用:筑紫Bオールド明朝 Pr6 – LETS

そのあと、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』(2016年6月13日放送)で取り上げられたんです。私が筑紫見出ミンのCタイプの仮名を作っていたときにSNSをディレクターが見たのがきっかけらしくて、撮影のときも「あれぐらい面白いのないですかね?」って言われたんだけど、「いま作っているのはヴィンテージ明朝のAタイプだから無理」みたいな(笑)。

筑紫Aヴィンテージ明L Pro
引用:筑紫Aヴィンテージ明L Pro – LETS

筑紫Aヴィンテージ明朝は、前からやりたかった石井のオールド、あるいは築地体の後期五号系の仮名をさらに大人っぽくしたいということで作り始めたんです。それを延々とカメラは撮り続けていましたけど、まあ、あんまり面白くないでしょ、と思っていました。それがだいたい出来上がって、祖父江さんに見せに行ったんですよ。

祖父江さんに「お茶淹れてきますから、これでも見てて」と言って見せられたのが、福沢諭吉監修の『啓蒙手習の文』。それをペラペラめくってたら、「ふ」の字がぼーんと目に入ってきたんですよ。他の字は面白くないんだけど、「ふ」だけ「何これ? いけてるぞ!」と思って。そのときも、この「ふ」に合わせて五十音作ったら絶対面白いぞ、と思ったし、番組もそこからがメインになったと思います。

筑紫Bヴィンテージ明L Pro
引用:筑紫Bヴィンテージ明L Pro – LETS

それが筑紫Bヴィンテージ明朝ですね。一方向に掃除機で吸い込まれるようなイメージです。この感じで五十音を作ればまとまるんじゃないかと思って、祖父江さんの事務所のコズフィッシュを後にして、ホテルに帰ったらすぐ作り始めました。おそらく王道じゃないんですよ、そういう作り方は。たぶん独特の作り方をしてると思います。

時代のスタイル、空気感に合っているかどうか

藤田重信

生き物っぽい躍動感がすごいですね。DTPをやっている知人が筑紫丸ゴシックが好きなんですが、「すっとしたたたずまいで、育ちがよさそうなのにワハハって大笑いする女性みたいなフォント」と、その女性の性格を細かく説明してくれるんですよ(笑)。使う人に擬人化した表現をさせるのが筑紫書体らしい気がします。

その知人の方、素晴らしく最高です! 素敵な妄想力です。感服です。私も、石井中明朝OKLのひらがなの「そ」を見たら、左に舞妓はんが、よそよそと歩いているみたいに見えるんですね。和服の人なんですよ。腰が低いから。あと「は」の字が、左側に壁があって、髪を束ねかけている女性が、膝を折って脚を右側に流しているように見える。「う」を見てると左へかなり大きく口を開けてるんです。さぞそこから美声が気持ちよく発せられているだろうと。これってそういう情景だよね、と勝手に擬人化しています。ほとんど妄想の世界にいるんですよ。

丸ゴシックは、ちょっとMM-OKL的な、線が揺らぐような感じで、骨格はキリッとした形にしているから、丸ゴでも美人さんというか、凛々しいイメージなんでしょうね。かといって、やっぱり丸ゴだから冷たい感じはなくて、おおらかで柔らかいっていう。

あれは、有山達也さんたちに「丸ゴシックが欲しい」と言われて作ったものなんです。私はそれまで丸ゴシックにはまったく興味なくて、ナール系があれば十分でしょ、と思っていたんです。1958年に生まれた石井丸ゴは、自分の中では本当にカビの生えた記憶だったし。だからいったん金属活字に戻って、その大きさを復刻するような感じで試作してみたんですが、石井丸ゴとあんまり変わらない。そこで「石井丸ゴも金属活字を踏襲して作ったんだ」と気づいたわけです。ただ石井さんの時代は昭和で、私は平成後期。その空気感の違いだと思います、デザインの違いは。昭和30年代といまのファッションモデルって全然スタイル(体型バランス)が違うでしょう。当時の石井丸ゴはそれでよかったけど、いま世に出す丸ゴは、やっぱりいまのモデルさんの体のバランスをしていなきゃダメ。現代の空気感に筑紫丸ゴは合っていたんでしょうね。

筑紫丸ゴシックは2008年、筑紫オールド明朝と同時に出しました。オールド明朝は写研にいた30歳のときから作りたかったものです。開発途上であるオールド明朝の試作品をお客さんに見せて回ったときにばんばんリクエストされたのが丸ゴシック。じゃあ同時に作って一緒にリリースしようと頑張ったんです。世に出るとオールド明朝は全然パッとしなくて、丸ゴシックは最初から火がついたような反響でした。

筑紫A丸ゴシック Std
引用:筑紫A丸ゴシック Std – LETS

でもね、5年、10年経つと「筑紫オールド明朝って至るところで見るよね」みたいになってきているので、まあ自分としては正解だったなと思っています。筑紫ゴシックも、2006年に出したときは「使えん」とか「こんなのゴシックじゃねえ」とか言われたけど、いまはしっかり多く使われてます。これでしか表現できないものがあるんですよ。私、2004年から毎年書体を必ずリリースしていますけど、当時は「外したかな?」と思っても、10年後にはいやしっかり「当たっているぞ!」と。

筑紫Aオールド明朝 Pr6
引用:筑紫Aオールド明朝 Pr6 – LETS

先日Xに《「本屋大賞ノミネート」本のコーナーがあったので見てみると面積の半分くらいは筑紫書体使用の本だった。BOOKデザイナーの方々に感謝!》と投稿されていましたね。

2021年のカドブンだったかな。ホームページを見たら木の棚にばーっと28冊の本が並んでいるんだけど、その18冊の表紙(全体の64%)に色んな筑紫書体が使ってあるんです。他の月を見たら2割とか3割とかで、それが普通なんだけど、同じシリーズでもない、バラバラの単行本で6割超え! そういう瞬間が到来する書体になっているんだと、自分でもちょっと驚きましたね。

ご自分では答えにくいかもしれませんが、筑紫書体のニーズがそれだけある理由は何だと思われますか?

なんでしょうね? 要素の1つにフトコロを閉める筑紫スタイルが、視覚上でタイトルやリードなどを雄弁に語るという特性が大きいんでしょうね。雄弁と言ってもあるときは優しくしっとりと、あるときは激しくパワフルにテキストの意味を伝えるからとも言える。2015年のアンティーク明朝以降は、漢字のフトコロをグッと絞ったんですよ。Q明朝は、明朝としてどこまで絞れるか挑戦した書体です。アンティークゴシックも含め、こんなにテキストの意味が伝わる書体は、それまで少なかったのだと思います。

自社の書体アクティベートランキングを先日調べたらQ明朝が1位でした。QはクエスチョンのQなのに(笑)。使用率の高さは幸福なことに現在進行形で続いていますね。

筑紫アンティークS明朝 Std
引用:筑紫アンティークS明朝 Std – LETS
筑紫Q明朝L Std
引用:筑紫Q明朝L Std – LETS

なんでフトコロを絞った明朝体、ゴシック体が歴史的にいままでなかったのか、ちょっと考えたことがあるんですよ。手書き文字から金属活字の時代へ替わったとき、最初の使命は、メディアとしてたくさんの情報を伝えることでした。だから、情報をたくさん載せるために文字のポイントサイズは手書きよりもはるかに小さくなるわけです。そこで、見づらくならないように文字を大きめにデザインするんですよ。だからフトコロが広くなる。手書きの楷書体よりも明朝体のほうがフトコロが広くて大きいでしょう?

それから戦後の1960年代、写植中心の時代が来たときに、ナール(NAR)が生まれて一世を風靡しちゃったんですよ。字間を詰めなくていい、パツパツなフトコロが広く大きい書体がいいね、ということになって。その後の新書体はフトコロが極端に広いのが主流になったんです。

ナール NAR
引用:ナール NAR|写研の書体|写研アーカイブ

2000年あたりから、そろそろフトコロが大きい書体一辺倒もどうかなといった時代に来ていたような気がします。アケ組みのパラパラ組みが一部で流行り始めていましたから。2010年ぐらいにはフトコロを絞った明朝体サンプルを使う方々に見せると、みなさん食いついてこられるんですよ。「これは絶対いける」と思って、2014年のオールドゴシックでややフトコロを締め、2015年のアンティーク明朝では、過去の明朝体には無いレベルでフトコロを締めたんです。

フトコロを閉めるスタイルは文字デザイナーでは、私が最初に気がついたっていうことなのかもしれません。フトコロって、横画が右肩上がりの漢字の書体(楷書や行書)は普通にかなり絞るんですよ。横画が水平の漢字の明朝体やゴシック体には、そのまんま適用できない。デザインがうまく成立しないです。じゃ、右肩上がりの漢字の明朝にしようとすると、個人が書いた手書き的なものが見えてきて途端にパブリック性が狭くなる。明朝体の漢字って、個人が普通に手書きでは書けないですね。絶対水平感の偏りのなさにパブリック性の高さが生まれてるんだと思うんですよ。これは失いたくないですからね。

自分にとっての標準、普通であることのすごさ

ご本を読むと、藤田さんのご発言に「情」という文字がたくさん出てきます。あと「うねり」とか。そういうある種アナログな感覚、人間的な温かみみたいなものを大切にされているんだと思うんですが、そういう部分と、いまおっしゃったパブリック性のバランスが絶妙ですね。

これ(手に持って示す)、『egoÍstas(エゴイスタス)』っていって、佐賀県に住まわれているカメラマン兼編集者の坂本竜男さんが作っている季刊のフリーペーパーなんですよ。この方が語ってくれたんですが、本文組を一般的な明朝体から筑紫明朝に変えたら、読者に「ゆっくり読むようになった。なんか変えた?」って言われたそうなんです。それで思い当たったんですが、筑紫書体はじっくり読まなきゃいけないような紙面の佇まいを醸し出しているんだろうなと。

「だろうな」ということは、あまりご自覚はない?

自分にとっては筑紫はいたって標準で当たり前ですからね。無自覚です。私以外の人の多くは「水や空気のようなものを作るんだ」っていうのが合言葉なんですよ。でも自分は全然違うんです。さっき「情」って言われましたけど、私は「水や空気」のその言葉、あなたの奥さまに言えますか?って思っているんです。水や空気の無機物じゃなく「人」的に文字を見たいし見せたいんです。

漢字というのは、殷の時代に人々が神と交信する甲骨文字を人間が知恵を絞って編み出したんです。そしていま、我々がデザインし、作っているわけですよ。私は文字を有機的・人的に感じたいんです。グラフィックデザイナーの戸田ツトムさんに最初「筑紫はあるところからは嫌われるよ」って言われましたからね。同じ文言でも、筑紫で組むと途端に受け取り方が変わってくるからと。

「あるところからは嫌われるよ」というのは最大のほめ言葉とも言える気がしますが……。

さっきも言いましたけど、私は本蘭明朝の美の世界は30歳で捨てたんですよ。「普通」的なスタイルのものは、他の人がやるでしょ、と(笑)。MM-OKLも、あまり平易なとこには使えないでしょ。普通のところは平易なスタイル仮名のMM-NKLでしたもんね。普通スタイルに対して少し前まで、どこか自分の中で「いや、真実は筑紫だ!」とか思っていたけど、その考えは捨てました(笑)。真実は星の数ほどあるんです。

あと普通のすごさというか、偉大とは思わないけど、力というか、量というか。それに対抗しようとしてもそりゃ無理!と最近、痛感したので。筑紫って、大なり小なり主張があり尖っているんですよ。尖っているものは普通の人に受けるんじゃないですよね。好きな人たちが熱を持って使う。それが筑紫なんだと。

最近、開発されている書体にも、そうした考え方の変化が関係しているんでしょうか。

それとはあんまり関係ないですね。いま開発中の書体は時代の変化や推移ですよ。例えばピカソだって、青の時代とか、バラ色の時代とか、キュビズムの時代とか、変わるじゃないですか。人間って、変わることのほうが自然なんじゃないですか。と私は思いますよ。

絵描きさんが絵を表現するように、私はフォントっていうもので表現しているだけで。明朝体ゴシック体だけの世界もそりゃあるのかもしれないけど。いまどういう時代かって考えたとき、この業界でモリサワさんが、写研のフォントを復活させるっていうニュースがありましたよね。ならば写研で素敵に思っていた幾つかの書体を「こうデザインしたほうがもっともっと面白いんだけど」と、筑紫流にいくつか開発中です。

それが、スーボの3倍ぐらい太いアンティーク丸ゴ-OVだったり、あるいはミンカール的な要素があるRMミンBだったり。スーシャ系デザインも作っておかなければ、と。結果として、使う方々は両方あると更に楽しいでしょうし。他にやる人がいないから私がやっています(笑)。私は写研に在籍していた人間だから、当時は何が流行っていたかとか、どういう魅力があったかとか、わかっているのでね。えっ!これ筑紫なのって感じの書体を開発していますよ。筑紫第3期に入った変化でしょうか。


写真提供 フォントワークス株式会社/株式会社パイ インターナショナル