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パンダのうんこはいい匂い? 未知の先にあるもの ― 藤岡みなみインタビュー

藤岡みなみ

肩書きは変動制?

藤岡みなみ

最近お書きになったエッセイもいくつか拝見しましたが、肩書きのお話がとても面白かったです(※)

※ ミモザマガジン 『「肩書き」に縛られない働き方。人は誰でも「スラッシュ」である。藤岡みなみ

ありがとうございます。「働き方についての連載を」とお声がけいただいて書いたものですね。

《肩書きが7つあること自体がとても自分らしいとも思う》とありましたが、僕が7つ挙げていきますので、間違っていたら言ってください。文筆家、ラジオパーソナリティ、映画プロデューサー、書店主、クリエイティブディレクター、編集者、構成作家。

構成作家はまだちょっとしかやってないので、音声ガイドディスクライバー(※)が入る時もあります。「あれ、歌は?」みたいに言われることもあって、あえて自分では言わないけどそれも入れてもいいか、っていう感じで。あとはMCとかも。変動制です。

※ 映画や舞台の音声ガイド制作者

ドキュメンタリー映画『タリナイ』(2018年)
監督:大川史織、プロデューサー:藤岡みなみ
ドキュメンタリー映画『keememej』(2021年)
監督:大川史織、プロデューサー:藤岡みなみ

7つに限定することもないですからね。藤岡みなみ&ザ・モローンズのライブを何度か拝見したことがあって、歌詞が面白いなと思っていました。

やったー! うれしい。作詞の仕事ももっとやりたい気持ちがあります。ポエムを書くのが大好きですが、それともまた違って音楽だから伝わることってありますもんね。メロディと一緒になることで、繰り返し聴くうちに言葉が染み込む感じがあったりとか。

ポエムを書いたり、エッセイを書いたり、歌詞を書いたり……。

短編小説をZINEに載せたりもしています。

先述のエッセイにも《本業でいうとやはり文筆家だ。仕事量や自分が思う魂の形としてはそう》とありました。言葉にはこだわるほうですか。

こうしてインタビューを受けても、「これは自分の言葉じゃない」と思ったらどうしてもスルーできなかったりします。インタビューはインタビュアーの方がいることが前提なのでまだいいんですけど、自分の言葉で書いた文章で「ここ、わけわかんないんで直してください」みたいなことを言われると、「うう……」ってなることもあります。「そこをわかりやすくしたら、わたしらしさ1ミリもなくなるけど大丈夫ですか?」みたいな。でも、ほとんどの場合が真っ当なご指摘だと思います。精進します。

伝わらないこと自体は仕方ないにしても、軽く扱われると「ン?」となりますよね。苦悶して出した自分なりの決定版なわけですから。

そうですね。どうしてもそこは譲れないときがありますね。そこがこだわりのポイントかもしれない。

NHK札幌放送局の『穴場ハンター』などで体験レポート的なお仕事をされた経験も、この本には生きているのかなと思いました。

いろんな場所に飛び込んでいって、「絶対この人怖いだろうな」と思った人がむちゃくちゃ優しかったりとか。足を踏み入れる前と後で印象が全然違うっていうことは、さっきお話しした転校生経験に加えて、レポーター的なお仕事を8年ぐらいやって学んだところもありますね。「いまからカメラ回してもいいですか?」と現場で自分で許可取りをしていた時期もあって、けっこう胃が痛くなる作業でしたけど、そこで鍛えられた部分もあるのかもしれない。

学生時代の子どもたちの引率やバスガイドのアルバイトのエピソードには、未経験でもやってみる勇気と度胸に感服しました。

いやいやいやいや、「イヤだなー、行きたくないなー」って思ってましたよ、行く直前は。行ってすぐやめたりもしてますし(笑)。

どこかで「ま、なんとかなるだろ」と思っているとか?

いや、あんまり思っていないんですよ、実は。めっちゃ行きたくないんです。行きたくないけど……(小声で)行く(笑)。本当に行きたくないのに、どうして行くのかわかんないです。予定を入れたときはまだ現実味がないから「絶対に超面白いぞ」って調子に乗ってて、直前に「うわ、めっちゃ行きたくない……やっぱ休みますって電話しようかな」みたいになって、「行きたくない、行きたくない」って言いながら行って、「やっぱり疎外感すごい……」って思うんだけど、最後は「でも、なんか面白かったな」ってなっちゃうんです。「行きたくない」っていう気持ちを忘れちゃうのかな。

僕も「しんどかったけど、なんだかんだでいい経験になったな」とか「話のネタができた」みたいに考えるほうなので、共感します。もし、好奇心や冒険心をそそられる一方で、ご自身のモラル的に微妙だったり、すごくリスクが大きかったりする場合はどうされますか?

行かないです(笑)。わたしはすごく警戒心が強いし、めちゃくちゃリスクを考えるので、危ないことは絶対にしないんです。まわりの人に「この人、またリスクのこと言ってる」って呆れられるぐらい。夜になると散歩もできないし。もっと危なそうな場所にも行ってみたかった気もするけど、絶対できない。

組織にいるほうがひとりだと感じる

藤岡みなみ

リスク管理も徹底されている。会社勤めのご経験はないですよね? 社会人生活=フリーランスといいますか。

ないです。2021年の秋までサンミュージックという芸能プロダクションに10年以上所属していましたが、すごく寛容にやりたいことをやらせてくれたので、ずっとインディペンデント感が強いわたしでした。いつも方向性を尊重していただきながらサポートしてもらえて本当にありがたかったです。

就職しなかったのは、わたし、組織がたぶん向いてないんです。許せないことがあると言っちゃって周囲から浮くし、そのくせ人の目を気にしすぎるし。

組織にいると関係性が固定されてしまう部分がある気がして。すべての関係が1対1でありたいっていう気持ちが強いので、「わたしはあの人のこと好きだけど、あの人はみんなに嫌われてるから距離を置かなきゃ」みたいな空気感はもう完全に無理なんです。会社に入ると人間関係を気にして仕事に集中できないと思うし、フリーランスしかできない性格かもしれないです。もちろん心地よい人間関係が構築されている会社などもたくさんあると思うのですが、そういった組織に自分が入れるかどうかもわからない。

藤岡さんは表に出るお仕事もされていますが、自己主張が強くて周囲とうまくやれないタイプというようにもあんまり見えない気がしますね。

激しい感じではないと思うんですが、自分で勝手にがんじがらめになっちゃうんですね。20代のときは「やりたいことをやるには自分が前にでなきゃ」って思い込んでいましたが、最近は裏方が好きで、むしろ前に出たくないと思うことも多くなりました。自分の作品を作るときはどうしても頑固になってしまいますが、チームワークに必要なものはまた違うじゃないですか。自分の意見のほうがよく思えたとしても、より多くの人たちが納得する案を選んだほうが総合的にプロジェクト全体がうまくいったりして。最近、そういうケースで自分の意見じゃないほうを選べたときに「みんなが喜ぶほうを選べる自分もいるんだ!」と思って快感を覚えました(笑)。

藤岡さんみたいに多角的に活躍されていると、本はここ、ラジオはここ、みたいに現場ごとに別個のチームがあって、出方になったり裏方になったり、リーダーになったりサポートに回ったりと、関係性がいろいろ変わっていくのが楽しくて、頭も活性化するのかもしれませんね。

あ、そうですね。それが安心します。1個の自分だと、何か悪いことがあったときに「自分、全部ダメ」みたいに思ってしまいますが、いろんな自分がいると、そのうちの1個で落ち込んでも「ま、一部分だし」って思えます。フリーランスはひとりっていうイメージが強いですが、わたしは学校とか組織にいるほうがひとりだって感じるかもしれないです。フリーランスとしていくつかのチームで仕事をするほうが、その場所によって違う自分もいるし、多様な人と関われるし、ひとり感が逆にないような気がします。案件によって役割や立場が変わるし、例えば「今回は優しい人でいきたい」と思ったら、人格すらもちょっと変えられるじゃないですか(笑)。

おっしゃる通りです。いまは裏方のお仕事も増えたんですね。

20代まではテレビなど表に出る仕事と執筆が6:4ぐらいの割合でしたけど、その後、新型コロナの流行や、独立したこともあって、30代になってからはほとんどが書く仕事ですね。プラス、もう名前もまったく出ないような、自分が企画してクリエイターさんにオファーして作ってもらう、みたいな仕事も増えてきました。

7つの肩書きのひとつが「編集者」ですもんね。

わりと新しいものです。難しいですね、編集って。自分があんまりバシバシ指摘されるとつらいのは知っているので、絶対にプライドを傷つけないように提案したいし。あと、いっぱいコメントを入れると仕事をした気になっちゃうんですよ。「あ、これはわたしが仕事した気になってるだけだ」と思って消したりしています(笑)。

僕も編集と執筆を両方やるので難しさには共感しますが、両方やるのはきっといいことだと思いますよ。

うん、うん。そうですよね。両方の気持ちがわかりますもんね。「むちゃくちゃ書く勉強になる!」とか思いながら編集してます。何より、いままでお世話になってきた編集者の方々の偉大さを感じてありがたみに震えてます。

ここまでお話をうかがってきて思うのは、藤岡さんはいろんなことにてんでに手を出しているように見えて、実は相互に……。

めっちゃつながってますね。

いろいろやっていることのいい面ももちろんありますが、逆に悪い面はありますか? 例えば「何をやっている人かわかりづらい」と言われるとか。

完全にそれです。「結局、何がしたいの?」みたいな感じで言われると、あまりいい気持ちはしないです。「この道ひと筋」じゃないと認められないみたいな感じが。そんなことはないと思うので最近は開き直ってますけど、確かにつかみづらいと思われているのはわかっていて、それはちょっとした弱点だなと思いつつ、「安易につかまれてたまるか」みたいなとこもありつつ。

人間って自分以外の生命体に対しては認識が雑ですよね。「藤岡みなみはこういう人」と箱に入れて認識しないと先に進めないというか。自分も無意識にやっていることだと思いますし。

認識したいんですよね。それも異文化の壁のひとつだと思います。イメージと現実は全然違うっていう。

人間って本来、多面的なものだと思いますが、いまは「わたしはこう」「あの人はこう」と旗色を鮮明にすることが求められがちですし。

なんでもかんでも「はっきりしろ」と言われますよね。わたしは間(あわい)にずっといたいタイプだと思うんです。他人のことも、つい決めつけそうになることもありますけど、なるべくジャッジしないほうがいいなって。その思いは年々、強くなってきてますね。

「わたしはこれが好きなんだな」と傾向を把握した気でいたら急に意外なものを好きになったりしますしね。自分だって平気で矛盾しちゃうんだから、他人もそうに決まっているわけで。

わたし、昔から「なんでみんな、好きな食べ物と嫌いな食べ物があるんだろう?」って思ってて。自分には嫌いな食べ物がずっとなかったんですよ。ちょっとイヤでも食べようと思えば食べられるから。でも、「絶対にトマト食べられない」みたいな人っているじゃないですか。

そういう人のことを、確固たるその人らしさがあってかっこいいなって思って、「苦手なのはザーサイかな」とかひねり出してた時期もあります。わたしは「自分はこれだ」ができないタイプなんですよね。

壁を作りたくないんですね。そう思うのは、僕も好き嫌いがないタイプだからなのかもしれませんが。

排他的な感情には危険性もあるし、そういう社会のムードに「ン?」って思うところもあってのこの本でもあります、やっぱり。でも嫌いな食べ物ぐらいだったら、ちょっとうらやましいと思うこともあります(笑)。

そう考えると『パンダのうんこはいい匂い』というのはいいタイトルですね。うんこだけれど、爽やかないい匂いがするんだよ、という。今後やってみたいことなどはありますか?

これからもどんどん書いていきますし、形にとらわれずこの世界にあってほしいものを作っていきたいです。自分の言葉で伝えることにはこだわっているので、文章とラジオは大きな柱ですね。最近はポッドキャストも頑張っているので、力を抜きたい時に聴いてもらえたら嬉しいです。