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らしくないから、決まってるから「ダメ!」の呪いを解く方法とは? はらだ有彩『ダメじゃないんじゃないんじゃない』インタビュー

FREENANCE はらだ有彩

誰が決めたのかわからないけれど、社会の中にある「なんかダメっぽいことになっている」アレコレ。でも、よくよく考えてみれば“ダメ”の根拠はほとんど無いし、そもそも物事は“ダメ”と“ダメじゃない”の二つに分けられるものではないよね? そんな思考のもと、世にはびこるレギュレーションを面白おかしく紐解き、問題提起したのが、はらだ有彩さん著の『ダメじゃないんじゃないんじゃない』です。2018年に発表した『日本のヤバい女の子』で話題を集め、会社員とフリーランスの二足の草鞋を履く彼女が提唱する、もっと自由に、そして楽に生きる方法を、本インタビューでは深堀り。あなたも“ダメ”の呪いを解いてみませんか?

profile
はらだ有彩(はらだありさ)
関西出身。テキスト、テキスタイル、イラストを作る“テキストレーター”。2018年4月に『日本のヤバい女の子』、2019年8月に続編となる『日本のヤバい女の子 静かなる抵抗』(ともに柏書房/2021年に『覚醒編』『抵抗編』として角川文庫から文庫化)を刊行。デモニッシュな女の子のためのファッションブランド「mon.you.moyo」代表。Webメディアなどでエッセイ・小説を連載中。
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元々あった、根拠の無い“ダメ”

本作『ダメじゃないんじゃないんじゃない』で、社会で“ダメ”とされていることにフォーカスを当てようと思われたのは、なぜだったんでしょう?

やっぱり私は人間、特に女性にまつわるレギュレーションを無効化するとか、「意外と根拠の無い縛りなんじゃない?」って我に返るような活動を、ずっとやっていきたいんですよね。レギュレーションって言うとややこしく聞こえますけど、言い換えるなら“人の在り方を規定するルール”というか。知らぬ間に決まってるルールとか、「こうあるべし」みたいな暗黙の了解ってあるじゃないですか。

ああ。掲載されているものから例を取れば、例えば「男の子が化粧をしたらダメ」とか。

でも、それって全部外圧からきたもので、例えば生まれてから無人島でずーっと一人で生きていたら、きっと何もダメじゃないと思うんですよ。全裸で歩いていても、化粧をしても、お風呂に入らなくても。それが生まれて何十年、下手したら数年の間に「化粧は女がするもの」みたいな外圧を少しずつ摂取して、「これはダメなことなんだ」って納得させられちゃうんですよね。外部が押し付ける“ダメ”を内面化させられてしまうというか。

なるほど。世の中に蔓延る、そういったものに異を唱えていきたかったと。

はい。女性にまつわるレギュレーションって、結局のところ男性にまつわるレギュレーションにも繋がってますし、ルールを押し付けられる側は色々でも、押し付ける側の根底には同じ考え方が横たわってるんじゃないかなと。それで世の中全般のレギュレーションを面白く、ふざけながら一回疑ってみようと。

そもそもレギュレーションだとか「〇か×か」という二元論的な区分けって人間が後付けで作ったものだから、全ての人に当てはまらなくて当然ですよね。自分が元々立っていた場所に急に謎の柵が出てきて、「アナタはみ出てますよ!」って言われている感じなんですよね。そこに生きている人間のために柵を作ったはずなのに、作ってみたら柵の方が大事になっちゃった、みたいな。

本書の最後のほうに「社会と人類、どっちがどっちに合わせるか?」という話が出てきますが、結局これまでって人類が社会に合わせる――つまり、勝手に出てきた柵に合わせて無理やり移動するという非人間的なシステムでやってきたんだと思うんですよ。それが、ようやく「この柵は絶対的なものじゃない」とか「〇と×の間もある」っていうことに人類が気づき始めて。もっと実際に生きている人間の心を尊重しようと、今、ようやく時代が変わってきた気はします。

まさに、それが書きたかったことなんです。ニュースを見ていると毎日新鮮な「私たちを縛る“ダメ”」が現れて嫌な気分になったりすると思うんですが、“ダメ”は最近になって増えてきたわけではなく、元々無数にあって。でも“ダメ”と言われていることに気づいていなければ、縛られながらも「それが普通なんだよね」と受け入れてしまって、体感としてはその方が楽だったりする。でも、いくら楽でも縛られてることに変わりはない。最近になって「こんなにも根拠の無い“ダメ”が世の中にあったんだ!」っていうことに、ようやく私たちが気づいて、それを「嫌だ」と自覚し始めただけなんですよね。

きっと昔から気づいていた人はいたんでしょうけど、声が小さすぎて無かったことにされていたのが、今は同時に大勢の人が気づいたり、その気づきを拡散できるようになった。おかげで柵を作っている“エラい人たち”もさすがに無視できなくなってきたわけで、だから「この柵めっちゃ邪魔なとこにありますよ!」と、「おかしい」と感じたことにはちゃんと怒って、声の実績を積んでいくのが大切なんです。

ただ、怒るってしんどいし、声を上げ続けるにはエネルギーが要るじゃないですか。

そうなんです。「おかしい」と思ったことに怒ろうとすると、それも、特に女性の取り扱われ方の「おかしさ」について女性が怒ろうとすると、よく「まぁまぁ、そうカッカせずに」みたいに宥められることがあるんですけど。宥めている方はその「おかしさ」で困ることがないから、楽しく気楽にいられるわけですよね。そりゃ怒ってる方だって、できるなら楽しく、ふざけて生きていたいですよ! でも、怒らざるを得ないことが現に発生しているから、しんどかろうが楽しかろうが、「怒らされ」ざるを得ない。もう、持久力を持ってキレ続けるしかない。どれだけ長くキレ続けて実績を積んでいくかという話になってくる。だから、50メートル走を全力疾走するように怒る合間に、ちょっとスキップを挟むような感覚でふざけながら怒って、息抜きをすることで自分のエネルギーを温存し、長く声を上げ続けていけるようにしたかったんです。

時代の価値観を信じすぎないこと

個人的に厄介だなと思うのが、従来の“ダメ”を受容している側って、実は本当に「これはダメなもの」と納得しているわけではなく、「自分のときはダメだったのに」という想いから、その“ダメ”を撤回できないケースが多いことなんですよね。それを認めてしまったら、“ダメ”に殉じて生きてきた自分の人生そのものが否定されてしまうという恐怖があるんだろうなと。

ホントにそうだと思います。自分が我慢して失わされてきたものが大きいから、すごく損しているような気にさせられてしまう。でも実は、「我慢した側と、我慢するのはおかしい!と声を上げる側の戦い」ということにしておけば、我慢させている側にとって一番都合がいい。例えば、「現代の妊婦さんの一番の敵は、一世代前の妊婦さんである」ということにしておけば、「現代の妊婦さんは怠け者で、一世代前の妊婦さんは心が狭いなあw」と対立を当事者だけに限定して、「出産や育児にまったくコミットしていなかった存在(多くの場合は夫)」を透明化できるじゃないですか。透明化して、ふざけながら高みの見物をしていられる。

ええ。その最も罪深い構造に、今、ようやくメスが入れられ始めているなとは感じます。

メスが入れられるということは、時代の提示してくる“ダメ”の価値観なんて水物で、信じすぎるのは危ういってことですよね。2008年に出した初めての本『日本のヤバい女の子』の中で昔話の“おかめ”の話を取り上げたんですけど、これは夫の仕事のミスを自分の知恵でカバーしたのに、「男が女に助けられるなんて恥だ」っていう当時の社会的外圧を受け入れたおかめが、自分で命を絶ってしまうという話です。だけど今となっては、死の必然性はどうしてもしっくりこないものになってますよね。

おかめだって「自分が死んだのに、現代を生きている女性が死ななくていいのはずるい!」なんて言わないだろうし、そんなこと言わせてしまったとしたらそれこそやりきれない。そんな連鎖は、どこかで断ち切らないといけない。“ダメ”の基準なんて時代で変わるものだから、自分たちの世代で真に受けずにいられたら、次の世代にも「私のときはダメだったのに」って“ダメ”を強いる側にならずに済む。

連鎖が続くと“ダメ”という抑圧を受け入れた側と反抗する側という、結局は被害者同士で争うことになりますからね。

“ダメ”か“ダメじゃない”の二項対立になると、そのルールを強いられた者同志の対立にもなるし、「YESかNOか」という単純な問題になってしまう。だから私は「え……ていうか、YESかどうかは即答できなくても、とりあえずダメではなくないですか?」っていう隙間を探る考え方をしていきたいんです。世間では“ダメ”って言われているけれど、私はそうは思わない、なぜなら……っていう強い落としどころをそれぞれに見つけて、「うわあ、そうか、これってダメなんだ……!」って信じてしまって行動できなくなることだけは回避していきたい。肩の力を抜いて、時にはふざけることで長く走り続けて、“ダメ”が消える未来まで生き延びてキレ続けたいんです。

とはいえ、“ふざける”をテーマに声を上げることってリスクもあると思います。例えば、「まぁまぁ落ち着いて」と宥める側に迎合しているように見えてしまうことは絶対に避けたい。ふざけることって“楽しそうにふるまう”とか“いつも笑顔でいる”とか“感じよく話す”っていう、特に若い女性に求められがちな行動と一見似ているけど、そういう楽しいことを、他人のためじゃなくて、自分のためにやるものとして取り戻したいんですよ。自分で自分の気持ちを楽にするために「ふざける怒り方」を試してみて、また気合を入れて怒るための英気を養うっていう感じですね。


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