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映画監督は、人を好きになれる仕事。阪元裕吾『フレイムユニオン 最強殺し屋伝説国岡[私闘編]』インタビュー

映画監督は、人を好きになれる仕事。阪元裕吾『フレイムユニオン 最強殺し屋伝説国岡[私闘編]』インタビュー

ネムルバカ』や『ベイビーわるきゅーれ』などのアクションやコメディ映画で知られる若き鬼才・阪元裕吾監督。2025年10月10日(金)公開の『フレイムユニオン 最強殺し屋伝説国岡[私闘編]』は、殺し屋・国岡昌幸の日常を追って2021年から発表されているモキュメンタリ―作品『最強殺し屋伝説国岡』の最新作です。

アクション、バイオレンス作品を得意としつつ、昨今ではテレビドラマの監督も手掛け、幅広いジャンルへの意欲を見せている阪元監督が「ライフワークにしたい」と語る本シリーズにこだわる理由とは? そこにはフリーランスならば絶対に知っておきたい“理想的な働き方”へのヒントが隠されていました。

profile
阪元裕吾(さかもとゆうご)
1996年1月18日生まれ、大阪府出身。大学在学中に『べー。』で残酷学生映画祭2016グランプリ、『ハングマンズ・ノット』でカナザワ映画祭2017の期待の新人監督賞を受賞。髙石あかり、伊澤彩織のダブル主演作「ベイビーわるきゅーれ」シリーズが大きな評判を呼ぶ。その他主な監督作に『最強殺し屋伝説国岡[完全版]』『黄龍の村』『グリーンバレット』『ネムルバカ』、脚本提供作品に『ゴーストキラー』など。MV監督作品にクリープハイプ『青梅』など。
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「伊能さんがピストル持って、河原町を歩いてるだけで映画になる」

まずは、映画監督という知られざる職業のベールを紐解いていきたいのですが、普段の睡眠時間ってどれぐらいだったりします?

撮影中かそうでないかで、だいぶ変わりますね。普段は7、8時間ぐらい寝ようとしてますが、撮影になると4時間くらいかな。実写ドラマや映画は、朝6時から夜10時まで撮影するようなスケジュールが普通だったりするので。

それ、視聴者からしても不思議なんですよね。ミュージックビデオしかり、なぜ映像の撮影ってスケジュールがやたらハードなんだろうかと。

映画しかりドラマしかり、実写はそういうシステムを先人たちが作ってしまったんですよね。睡眠を削って良いものを作ろう……という、悪い言い方をすれば“昭和の働き方”が残ってしまっている。どこの業界もそういうのはあると思いますが。

枠と納品の決まっているドラマは特にそうで、それこそ役者さんの中には本当に過酷なスケジュールをこなしている方もいらっしゃいますね。ただ、僕、学生時代は演劇部だったのもあって、スパルタなやり方に慣れてるんです。だからギリギリ体力と精神力がもつんじゃないのかな。

そういったシステムがナンセンスとか、時代遅れだとは思いません?

どうなんですかね? 確かに、聞くところによるとタイとかの海外は全然違うみたいです。日本人みたいにキビキビ動く文化があんまりないから、ゆっくり撮ってて気づいたら15時間くらい経ってるって。

僕は結構せっかちなんで、そういう現場だったら、たぶんイライラしちゃう。映像ってストーリーの順番通りに撮っていくわけじゃないから、前後が把握できてないまま撮るときもあるし、1日脳味噌フル回転させてアドレナリン出っぱなしの状態だったりするんですよ。だから、そんな余裕のある現場だと眠くなったりしそう。

今、アドレナリンという言葉が出てきましたが、阪元さんの作品を拝見していると、湧き出る情熱というか、やむにやまれぬアドレナリンのようなものを感じるんです。今回の『フレイムユニオン 最強殺し屋伝説国岡[私闘編]』(以下『フレイムユニオン』)は『最強殺し屋伝説国岡』シリーズの最新作ですが、例えば、このシリーズを最初に撮り始めたきっかけって何だったんでしょう?

僕って“無”から生み出せる人間じゃないんですよね。ずっと被写体ありきの作品作りをしてきたんで、これも最初は(国岡昌幸役の)伊能(昌幸)さんがピストル持って、京都の繁華街である河原町を歩いてるだけで映画になるんじゃないだろうか?と思ったからなんです。突っ立っているだけで映画になってしまうような気概というか、雰囲気を感じたんですよね。

ただ、伊能さんとの出会いは監督と俳優としてではなく、大学の同級生としてなんですよね? だから当時、伊能さんは一般人だったわけで。

そうです。でも、俳優とそこらへんの人間の差って、別にないですからね。当時から「面白い人間を撮ろう」という考えしかなかったんで、バイト先の友達とか高校生の同級生に出てもらったりしてたんですよ。で、俳優やろうとしてる子って、(真中卓也役の)松本(卓也)みたいなイケメンが多いなか、伊能さんは日本人っぽい顔立ちで、筋トレをしてて、ボクシングや殺陣もできて銃も扱える。そういうスキルがいろいろあったのもデカかったですね。

日常と共感を持ち合わせたアクション映画

そこから殺し屋を主人公にした物語が生まれてきた、と。ただ、いわゆるアクションやハードな側面だけを映すのではなく、殺し屋の日常が描かれているのが興味深いなと思ったんです。国岡と真中との友情だったり絆も描写されていて、特に前半は「国岡って聖人すぎでは?」と驚きました。どんなに真中に迷惑かけられても絶対に見捨てないじゃないですか。

そう。なぜ、こんなに“いい奴”になってしまったのか。でも、そこもあんまり説明はしないようにしました。今回に関して言うと、国岡ってドラマのない主人公なんですよね。

手塚治虫の『ブラック・ジャック』とかもそういう回が多いじゃないですか。主役はブラック・ジャックでもストーリー自体は依頼人の話になっているように、基本『フレイムユニオン』も真中の話でしかないんですよね。

だから、アクション物であると同時に人間ドラマなんですよね。殺し屋という特異な存在であっても我々と同じ人間であるという、そこを描くのはこだわりだったんでしょうか?

そうですね。日本のアクション映画って平成の一時期、進化が止まってしまったんですよね。一方で僕は『リンダ リンダ リンダ』とかも好きやったし、最近だと『愛がなんだ』とかもめっちゃヒットしてたじゃないですか。じゃあ、これは何がおもろいんや?ってことを考えると、やっぱり共感なんですよね。日常と、共感と、あとは女性に刺さるっていうのが大事やなって。じゃあ、そういったアクション映画があってもええんちゃうかな?って思ったんです。

それこそ『犬猿(けんえん)』っていう兄弟4人でケンカする映画を観たときに、なんでこれ、全員がショットガンなり拳銃なりを持って戦い出さへんねんやろ?って不思議になったんですよ。僕の感覚やったら4人で殺し合うのに、日本だとやらない。じゃあ、これで殺し合いさせれば唯一無二の映画になるだろう……っていう感覚に、『フレイムユニオン』は一番近いかもしれないです。それこそウーバーやってたら、運んでた荷物が拳銃だったとか。

日本の映画って『進撃の巨人』みたいに話自体のスケールをデカくしようとするけれど、お金がないんだから、小さい話を大きいスケールで描くしかないと思っています。 韓国映画とか、メッチャちっちゃい話をスケールでかくやるんで、日本映画も本当はそうあるべきじゃないかなとは思いますね。

ガパオライスと銃を間違えて配達するっていう、あの展開にはワクワクしましたね。日常に完全に溶け込んでるからこそ「もしかしたらあるかもしれない」って思えますし。

あのシーンは上野で撮っているんですけど、「河原町でピストル持って歩いてる」の次は、「上野で殺し屋がチャリで走ってる」をやりたかったんですよね。そういうフェチ的なものがあった。

ただ、日本人は他人に生活リズムを崩されることを極端に嫌う国民性もあってか、東京はロケ撮影がすごく難しいんですよね。『ベイビーわるきゅーれ』でも駅前で、ちょろっと撮るのが限界でした。ハリウッドとかだと『スパイダーマン』の撮影で、最近もスパイディがビルからクレーンでぶら下がってたらしいんですよ。それを、みんなが喜んで見てたっていう、そんなこと日本じゃなかなか考えづらいと思います。

もし、自由に撮影できるとしたら、撮ってみたい町ってあります?

大阪ですかね。大阪に帰って、大阪で暮らしながら、大阪で撮りたい。恋愛物とかいいんじゃないですかね。

アクションではなく?

結局、アクションって金をかけたら良いものが撮れるんで、予算のレースみたいになってしまうのが面白くないんですよね。脚本を書いたり編集しているときには、自分の中から「ええから、もうアクションせえや」っていう観客の声が聞こえてくるし、だから前半の上野のくだりとか酒飲むくだりとか、かなりカットしたんですよ。

僕は結構好きなシーンだったんですけど、やっぱり観客から時間と2,000円くらいのチケット代をいただくからには、伊能さんのアクションだったりっていう見世物的なノリは担保しないといけない。そういったアクションと自分が見せたいもののバランスがどんどん難しくなっていってるんですね。

『ベイビーわるきゅーれ』にせよ、1作目なら好きなようにやれたけど、2作、3作と続くうちに観客の目も肥えてくるから、どんどんアクションのレベルを上げていくしかなくなってる。となると、自分がやりたい「ちっちゃい話」とどう折り合いをつけるかという戦いになる。