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ナイトスクープ初代探偵が京大の教壇に立つ。越前屋俵太の教える『想定外を楽しむ方法』とは

越前屋俵太

通行人にシャンプー、行く先々で川や海に落ちる、動物にインタビュー、世界各地でコケる──。越前屋俵太さんは1980~90年代に『OH!たけし』『探偵!ナイトスクープ』『世界・ふしぎ発見!』など多くの番組で活躍し、日本民間放送連盟賞娯楽部門最優秀賞を2度にわたり受賞。「テレビ界の異端児」と称されました。

ひとりで街に飛び出し、通行人を巻き込んでユニークな笑いを生み出してきた俵太さんですが、2000年代には芸能活動を休止して山にこもり、書家・俵越山として復帰。現在は本名の谷雅徳として、関西大学、和歌山大学、高知大学、京都芸術大学などで教鞭を執り、京都大学の「変人講座」ディレクターも務めています。

お笑い芸人やタレントとは明らかに違う、ふわふわとした「異物感」は視聴者にも伝わっていましたが、それもそのはず、俵太さんは売れっ子時代も大手プロダクションに所属せず、フリーランスの「一匹狼」としてテレビ・芸能界で孤軍奮闘していたのです。

肩書きを嫌い、群れることを嫌い、ひたすら「越前屋俵太」の面白さを追い求めてきた俵太さん。その経験をもとに、学生にどんなことを教えているのでしょうか?

profile
越前屋俵太(えちぜんや ひょうた)
京都市生まれ。関西大学在籍中にテレビ番組作りに参加し『探偵!ナイトスクープ』の立ち上げから関わり、初代探偵も務める。企画制作した番組が日本民間放送連盟賞娯楽部門最優秀賞を2度にわたり受賞。カンヌ国際広告祭では自身が出演した大阪市「たばこのポイ捨て防止キャンペーンCM」が日本人初金の獅子賞に輝く。
現在は、関西大学総合情報学部“非常識”講師、和歌山大学観光学部非常勤講師、京都芸術大学客員教授、京大「変人講座」ディレクター兼ナビゲーター、高知大学希望創発センター客員教授、京都外国語大学非常勤講師等を務め、コメンテーターとして朝日放送『キャスト』出演中。
https://twitter.com/echizenya_hyota
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肩書きは「越前屋俵太」

コメディアン、テレビプロデューサー、書家、大学教員などなど、いくつもの顔をお持ちの俵太さんですが、ご自身の本業を何と捉えていますか?

昔から肩書きには困ってましたね。いまは大学で教えてる時間が長いから大学教員って言ってますけど、いまだに「タレントさんなんですか? 芸人さんなんですか?」とか言われます。「んー、そういうことじゃないんですけどね」って言ったら「パフォーマーですか?」「うーん」とか言ってね。京大の元総長の山極壽一さんと話してたら「ところで君の本業は一体何なの?」って突然聞かれて、説明するのが面倒くさくなって、思わず「越前屋俵太です」って言ったら、あっさり「あ、そう」っておっしゃってましたね。

名前が肩書き。フリーランスの鑑ですね。

人は何にでも名前をつけて呼びたがりますよね。名前をつけることでカテゴライズしたがる。名前が決まってないと不安だから、安心したいから付けたがる。でもそれは違うんだよと。例えば、「机」って決めるから机にしか見えないけど、考えようによっちゃあ椅子にもベッドにもなるわけで。だから学生には「“わたしはこうだ”って決めると安心するけど、決めちゃうとつまらないよ」って言ってます。

フリーランスには親御さんもフリーだったり商売人だったり、いわゆる勤め人ではない方が多いんですが、俵太さんのお家は?

親父は銀行員でした。昭和9年生まれだから、終戦直後に子供だった世代ですね。当時はまだ高度経済成長より前で、みんな生きていくのに必死の時代。しかも親父の生まれは京都の丹波町っていう田舎町だし、職業の選択肢なんかない。とにかく堅いから、つぶれないからって理由で銀行に勤めて、それなりに頑張って支店長になって、成績の悪いところに配属されては立て直し、っていうのを繰り返してたようです。

優秀だったんですね。

大学時代、自分の将来を巡って言い合いになったことがあってね。僕はテレビの世界で自分のしたいことをしたかった。親としては当然「そんなもんで食っていけると思ってるのか!」ってなりますよね。そこで僕は「一生懸命働いて育ててくれたことには感謝してる。だからこそ親父ができなかった“本当にしたいこと”をやる」って言いました。若気の至りだけど、それが親孝行だと本気で思ってた。そう考えてみると、親父がサラリーマンだったからこそ、あえてこういう生き方を選んだのかもしれないですね。

でも、俵太さんがテレビの世界に入られたのは、言葉は悪いけれど「はずみ」みたいな感じだったんですよね。

はずみです(笑)。「みんなと一緒はイヤだ」ということだけですね。努力って言葉は嫌いだったしね。世の中のことを何も知らないからできたんでしょうね。いまは何をするにもまずネットで検索するでしょ。食べログとかインスタを見て調べて、いいとわかってるとこに行って、みんなと同じことして帰ってくる。特にそれがつまらないとも思ってない。それしか知らないからね。僕らの時代は情報が少ないからとにかく行き当たりばったりで、いいにしろ悪いにしろ常に想定外だった。それがおもしろいんだよ、ということをいま大学で教えてるわけです。

ご著書『想定外を楽しむ方法』(2017年、KADOKAWA)を読んで、昔テレビで拝見していた若き日の俵太さんのご活躍を思い出しました。街に飛び込んで、出会った人との間に起こる「想定外」から笑いを生んでいく。ハプニング満載で楽しかったです。

最初は頭で「ここをこうしたら面白くなる」って考えるんですよ。それで面白いのはわかってるけど、想像したことしか起こらない。街を相手にしてると、すべてが不確定要素だらけなんです。何か面白いことが起こるんじゃないかと、ある程度は仕掛けるんだけど、リアクションは必ず予測を超えてくる。だったら予測しないほうがいいなって思って、ネタがないまま街に出始めたわけ。そうするとね、交差点の歩道橋が突如「競技場」に見えてくるんだよね。

(笑)。交差点をぐるっと囲む歩道橋ですね。

そしたら、そこで3人1組の4チームでリレーをやろうと思いついた。取りあえず人を集めて、バトンがないから海苔巻きを買ってきて、それ持ってもらって一斉にスタート。ゴールインしたら海苔巻きの中身が全部出てしまってるんですよ(笑)。全部その場の即興です。僕らが無理やりやらせたんじゃなくて、みんなで「テレビに出れるごっこ」で遊んでたんです。テレビは選ばれた人しか出れないもんだ、っていう常識を僕は打ち破りたかった。「みんなでアホなことしてテレビ出ようぜ」ってアジってた。若者というより馬鹿者のリーダーだった。

ゴミを頭に載せて「おう、やってるか 」

街に注目したのは、予算がなくてセットが組めなかったから。いつも言ってるんだけど、もし僕が東京でやってたら、ああはなってなかったと思う。制作のおじさん連中はギャラの安い若手芸人を使おうとする。僕は「街の“おもろい”おっさんをテレビに出したほうが面白いんじゃないか」っていう仮説を立てて企画するんだけど、誰も理解しないわけですよ。あまりにも熱心に言うもんだから、「だったら自分でやってみろ」って言われて、わけわからずに自分でやったら当たっちゃっただけなんです。

まだ何者でもない若者に「やってみろ」と言う上司もすごいですね。

その人はのちに『探偵!ナイトスクープ』を作った制作会社の社長をしてましたけど、やっぱり普通じゃなかったね。彼がいなかったら僕は出てないし、現にみんな「あんなやつなんで出すんだ」って言ってたぐらいですから。芸能界って既得権益の世界だから、出演枠は限られてるし、談合してる人たちがいっぱいいるわけで。それにも僕は腹が立ったんですよ。他と一緒はイヤな自分と、業界に対するアンチテーゼ。ある意味パンクです。「俵太さんロックですよね」ってよく言われるけど、ロックは僕から言わしたら商業主義ですよ。パンクは反体制だから、なかなか業界に馴染まなかった。

音楽もお詳しいんですか?

詳しくはないけど、イギリスのロンドンに行った時のことです。『ナイトスクープ』やり出したころかな。日本人が誰もいないアンダーグラウンドのクラブに行って、モヒカンの連中がたむろってるのを見て「うわー、本場ロンドンパンクだ」って思って見てたら、今度は店にスキンヘッズ軍団が入ってきた。その親分みたいなやつがモヒカンみたいな頭してるから「なんで?」と思って、よく見たらそれは毛じゃなくて、丸刈り頭に、なんと! 乾電池を接着剤でつけてた。

乾電池ですか!

「なるほどパンクってのはいかにまわりをビビらすかということなんだな」とわかって、そうなるとモヒカンやスキンヘッズじゃダメで、頭に乾電池つけるぐらいの根性がないと勝てないんだと思ってたら、また誰か入ってきたんですよ。みんな一斉にそっちを見て、モヒカンとスキンヘッズの集団が、モーゼの海割り伝説みたいになって。どう考えても、そいつがいちばんやばいやつでしょ。どんな格好してたかというとね、忘れもしない。電化製品の段ボール箱に入ってるでっかい発泡スチロールあるじゃない。あれをどっかで拾ってきて、パキッて割って頭にパコッてはめて、トラロープのようなものでくくってるんですよ。

なんでそんな格好を……(笑)。

理由はわからないけどそこにいたやつらが全員注目して「おおおっ」ってなった。モヒカンのグループを束ねるのも、スキンヘッズ軍団を作って電池を頭にくっつけてリーダーになるのも別にやりたいとも思わなかったんだけど、来る途中に落ちていたゴミを適当に頭に載せて、「おう、やってるかおまえら!」みたいに堂々と現れる。「ああ、これだったら俺にもできる」って思った。そこで僕の生きる道が決まりました。

『ナイトスクープ』の鶏口牛後の着ぐるみはパンクだったんですね(笑)。

そのときは「世界を笑わせたい」と思って、10カ国ぐらい旅して世界中で転んだりしてたね。自分は何がしたいのか、いろいろ考えるんですよ。吉本とかに入ってるやつは「売れたい」とか「金持ちになりたい」とか、わかりやすいわけ。僕はそうじゃなかったから、必死に考えて、思いついたのが「世界を笑わせたい」。9.11のときメディアを通して世界が同時に悲しんだじゃないですか。世界が同時に悲しむんじゃなくて、一瞬でもいいから全世界を同時に笑わせられたら、間違いなくノーベルお笑い平和賞は俺のものだと(笑)。問題は、せっかく作っても見せるメディアが当時はなかったこと。CNNがあったから、記者になってレポートして最後に転ぶっていうのも考えたけど、CNNの記者になるのは大変だからね(笑)。

「面白いことを思いついてやってみる」ということだけを武器に、テレビ界、芸能界とひとりで渡り合っていたわけですね。

初めは渡り合う気はなくて、「面白いことを考える」だけで生きていきたいって思ったんですよ。1等になりたかったのは間違いない。ただ吉本に入ってそこのルールで競争するのはイヤだったから、誰もやってないことをやればそこで1等になれると思ったわけ。それで勝手にルールを決めてやってたんだけど、どれだけ「1等や」って言っても、比較しようがないから人は認めない(笑)。売れるとか金を儲けるっていうのは、それとはまったく別のことなんだよね。僕はそっちはどうでもよかったから。ただ、業界に入ってひどい実態を見ていくにつれ……漫画の見すぎなんだろうね。『男大空』とか『俺の空』とか本宮ひろしの世界、漫画だと主人公がひとりで巨悪に挑んで最後に勝つじゃない。あれに感化されて、気持ちだけで向かっていってました。マジでガチでしたね。

色んな人に「そんなに世の中甘くないよ」って言われたし、自分でもわかってたんですけど、でも、行けないんですよね、そっち側には。それを容認して芸能村に入るのはかっこ悪いと思ってた。だからパンクなんでしょうね。

仮説を立てて、実験して実証していく

いまのYouTuberを見て共感されたりしますか?

共感っていうか、うらやましいですね。勝手にできる環境があるから。教えてる大学で昔の映像を見せると、全員が「先生は元祖YouTuberですね」って言いますね。あと「いまだったらコンプライアンスがきつくてできない。当時はいい時代だったんですね」とか言うんですけど、僕はいつも「それは違う」って反論してます。間違いなく、当時もやってはいけなかった(笑)。だって人の頭をいきなりシャンプーしたりとか、山手線のつり革で体操やったりしてたんですから

そりゃそうですね(笑)。

YouTubeはGoogleに買収される前が好きだったんですよ。そのうち広告を入れるようになって、いまはテレビとおんなじ構造になってしまってる。ただ、テレビは枠が決まってるから既得権益の世界だけど、YouTubeはやったもん勝ちというのが違うよね。発表の場が増えると面白さも多様化するから。僕が若いころはテレビしかなかったし、吉本しかなかった。やることも漫才やコントだけ。「面白いことってほんまにそれだけなんだろうか? 他にもあるんじゃないのか?」って、いつも面白いことを探してましたね。いまは表現できる場所が多いから、すごくいい時代だなぁと思いますね。

俵太さんの街ロケは、声をかけるときの態度がいつも「あの、すいません。初めまして」と丁寧だったのがとても印象に残っています。

テレビはいまだに偉そうな感じで街でロケしてますけど、僕は基本的には街中でロケをすることに対しては、本来は撮影させてもらっているわけだから、謙虚であるべきだという思いはずっとありました。ほとんどのテレビ屋さんは「一般人をテレビに出してやってる」って考えてる人が多いんだけど、それは違うんです。協力してもらってるんだから。相手をリスペクトしないといけない。たとえば芸人さんが街中で素人さんに向かってフレンドリーを装ってタメ口で話しかけるシーンがよくあるけど、僕はあんまり好きじゃない。相手がどんな人でもキチンと礼節はわきまえるべきだと。それは僕の中でのルールでした。その人の一瞬をお借りして、こっちは笑いをとるわけだからそこはキチンとしないといけない。僕が始めた頃は素人が素人をいじってると馬鹿にされてた街ロケも、今や市民権を得たし、中には一般人をいじって何百万ももらってる売れっ子芸人さんもいるはずですが、僕にはできないですね。

なぜですか?

だっておかしいでしょ。その人と一緒に笑いを作ってるのに、相手は一般人だからタダで、自分だけ高額なギャラをもらうっていうのは絶対におかしいですよ。僕にしても最初は1回5000円ぐらいだったから、別にいいだろうってやってたけど、売れてくるとギャラが上がってくるじゃないですか。「こんなことでこんなにもらっていいのかな」って思ってたのは、たぶん日本中で僕だけだったんじゃないかな。

街の人々を「相方」あるいは「共演者」と見なしていたんですね。

僕はそうでした。芸人さんたちはネタだと思ってる。街の人を使って自分のおもろしさを見せたいわけ。僕は街の人たちが主役であってほしいと思ってるから、考え方が真逆なんだよね。僕はタレントじゃなくてディレクターだったから、出演者のよさを出してあげるのが仕事だと思ってました。芸人さんは「俺がおもろいんや、俺を見てくれ」。その違いです。

テレビ局の人間は、僕がやりたかった何が起こるかわからない街ロケはイヤがってましたよ。やっぱりみんなサラリーマンだから、面白い映像が撮れなかったときのことを考える。でもそれは違うんだよ。撮れる撮れないじゃなくて、クリエイションってそういうことだから。最初から面白いとわかってたら面白くない。「面白いかもしれない」と仮説を立てて、実験して実証していくわけですよ。僕がいまなんで京大にいるかっていうと、大学の教授がやってる研究と構造が全く一緒なんですよ。最初に偶然出会った京都大学の教授たちは、こともあろうに全員僕のファンでした(笑)。「京大の常識は世間の非常識」っていうそうです。僕はテレビ業界では非常識人間とみなされていたけど、京大ではウェルカムだった。

京大って東大とはまた違いますもんね。

違いますね。前総長の山極さんが言うには、東大は知識の蓄積を重んじる。どれだけ自分が知ってるかを競い合う。ところが京大は、お互い手ぶらでしゃべって「それええな」とどんどんアドリブでお互いクリエイションを起こしていく。ディベート方式とダイアログ方式の違いなんだそうです。そういう意味では、僕は理論武装なんかしたことない。全部出たとこ勝負です。

俵太さんはインタビューするときも相手のことを調べないそうですね。

何も知らないと相手には失礼なんだけど、インタビューって必ずそれを見たり聞いたり読んだりする人がいるわけじゃないですか。知らない人もいるわけだから、そういう人を引き込むためには、自分が知ってたらわかったことにしてスルーしてしまうからダメなんだよ。ソクラテス式問答法でいう「無知の知」だよね。自分は知ってる、自分はできるって思ったらその時点で終わってしまう。知らないことは財産なんですよ。でもいまの教育は知らないことはダメだってことになってるでしょ。クイズ王とかみたいに知ってる人がテレビで称賛されて、知らない人は「俺はあかん」って思うよね。これがそもそも間違いであるということを僕は大学で教えてるんです。ほとんどの先生はそんなことは考えてないけど、大学の中にも当然わかってる先生もいて、そういう人たちといろんな話をしています。先生も15年やってると、大学の仕組みが見えてきますよね。

共にひとりで「together & alone」

15年もやっていると教え子たちもたくさん社会に出ているでしょう。

教え子やばいね。びっくりしますよ。「どうやってカメラ回すんですか?」って言ってたやつが「いまユニクロのコマーシャル撮ってます」「ウソやん!」とか(笑)。就活に悩んでるって言うから、「逆に“あなたはなぜこの会社にいるんですか?”って面接で聞いたれ!」って言ってたら本当に社長面接でそれをやって内定を取ったり。

教え子が活躍してくれるのはうれしいですね。

普通に単位とって普通にいいとこに就職したい、っていうやつが悪いわけではないけど、やっぱり普通と違うことを応援したいんですよ。応援するっていっても一緒に飲んでしゃべるぐらいだけどね。僕は学生の悩みを聞くだけじゃなくて自分のこともしゃべるんだけど、そういう先生はあんまりいないから記憶に残る子は残るみたいで。

のべ7000〜8000人に教えたことになるからね。ちょっとかっこよく言うと、テレビもラジオもレギュラーなくなったけど、毎週400人相手にライブやってたんですよね。三つの学校で教えてたら3本レギュラーがあるようなもんだし、テレビはやりきって終わりだけど、一回一回、ライブが終わるごとにレポートが上がってくるし。ギャラは安いけど(笑)。色んな企画をパクられて悔しかった思い出をつい授業中にボヤいたら「先生はファーストペンギンです。そのことを誇りに思って堂々と教えてほしい」って言われたこともあります。

ちゃんと伝わっているんですね。

期末テストの採点中に泣いたことも一回あります。僕はいつも「自分のやりたいことをやれ」って言ってるんですよ。「俺はやってえらい目に遭ったけど、後悔してへんから」と。そしたらある女の子のレポートに、「とても刺激的なお話でした。わたしは親が引いてくれた線路の上を歩くものだとずっと本気で思っていました。なぜなら苦労して育ててくれたのを知っているからです。父が好きなバイクを売って学費の足しにしてくれたのも全部見てきました。だから線路の上を歩くのが親孝行だと本当に信じていたんです。でも先生のお話を聞いて、つらくなるぐらい心が揺れました」って書いてあったんですよ。

「本当はわたしにはやりたいことがありました。先生のお話でその気持ちに火がついてしまい、怒られるのを覚悟して両親に“金融に行けって言われてそうするつもりだったけど、本当は企画の仕事がしたい”と言ったんです。怒られるかなと思ったら、“だったらお父さんとお母さんは応援するから頑張りなさい”と言われました。“どういうこと?”と聞いたら、“将来どうするのか聞いたときに、おまえがわからないと言ったから、だったら金融がいいと言っただけで、自分の意思があるのなら全面的に応援する”と言ってくれたんです。先生、本当にありがとうございました。先生に会えてよかった」って書いてあるんですよ。読んでたら涙が出てきてね。いまもしゃべってたら泣けてくるけど(笑)。

聞いているだけで目頭が熱くなります。

あと、いろいろ言われましたね。「おもんなくてテレビやめたやつが大学で教えてんのか」とか「昔の自慢話」をしてるとか、そんなこと言われると、当然へこんだりもするんですが、それでも伝えたいことを伝えようと思ってやってると、中には本気で受け止めてくれる子供たちもいるんですよ。テレビの世界にいた時からは想像できない世界を経験させてもらっています。大学で教えるってことはほんとうにすごい仕事です。手は抜けない、と思います。

すてきなお話でした。最後に、学生ではありませんがフリーランスで頑張る社会人たちにメッセージをお願いします。

「組織が嫌いだからフリー」っていうのはあんまりよくないと思うんですよ。かといって、自分の実力がわからないまま組織に寄りかかって生きるのもよくない。やれるだけやって、自分の限界を知って「これは無理だ」ってなって、初めて本当に人と一緒にやろうっていう気持ちになれると思うんですよね。「共にひとりで」「together & alone」ってよく言ってるんだけど、大切なのは自分の信念であって、立場がフリーランスであろうと会社員であろうと、みんなが心の状態としてフリーであってほしい。

僕は「一匹狼」に憧れてて、自分にもそう言い聞かせてきたんですが、本当は心の底では、やはり仲間がいたほうがいいなあと思ってたんです。でも、皆から「俵太さんフリーでかっこいいっすね」って言われるもんだから「当たり前やないか」って、必死で意地張ってたんですね。ところが、芸能の仕事をやめて山にこもってたときにスカパーの『ナショナル・ジオグラフィック』でたまたま狼の特集があって、なに気なく見てたら冒頭にいきなり「狼は群れでしか生きられない動物です」って「なんだそりゃ」(笑)。一匹狼って群れからはぐれてしまった狼のことだったんですよ。「はよ言うてくれや! それ知ってたら一人でなんかやってへん! オオカミなんかに憧れへんやんけ!」って話です。でもちょっと気になったので、調べていったら、ほとんどの生き物は群れを作るのに、実は一匹だけ群れを作らない動物がいたんです。というわけで、それを知ってからは「一匹狼」を返上して「一匹オランウータン」と名乗ってます!(笑)

執筆者profile
高岡洋詞
神奈川県横浜市生まれ。日本三景・天橋立のそばで育ち、大学進学とともに上京。『ミュージック・マガジン』編集部を経て、現在はフリー編集者/ライターとして活動中。
https://twitter.com/tapiocahiroshi
https://www.tapiocahiroshi.com/
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