なぜ殺し屋を続けるのか、その答えは?

なるほど。例えば「こういう恋愛物をやってみたい」的なビジョンはありますか?
恋愛物といっても、たいてい何か隠された事実があるとか、結局サスペンス的な感じになっているものが多いじゃないですか。なので、ただただ恋愛をするだけの話を大阪で撮るとか、おもろいんちゃうかな?と。
例えば『花束みたいな恋をした』は別れのエモーショナルがある映画ですけど、あれの前半だけをやるとか。ホンマに、ただ付き合って、結婚して、別れもなく、幸せになる話とか。そんなん撮れたら素敵やなとは思います。
人間って、何かを乗り越えて解決することにカタルシスや爽快感を感じてしまうから、どうしても何らかの障壁が盛り込まれたストーリーが求められがちではありますよね。
僕、中学の頃はひねくれてたんで、カタルスアンチアンチ、萌えアンチでもあったんですよ。昔は本当に意味のわからない「なんじゃこりゃ?」っていう映画を好んで観てましたし、なんとか、いろんなことを考えてみたいです。まぁ、恋愛物やるようになっても『国岡』(のシリーズ)は続けますけど。
そう断言できる理由は何なんでしょう?
企業のお金で作品を作ると、著作権が保持できないですし、どうしても自由にやることができないんですよね。その点『国岡』は完全に自由が利きますし、だから本当はもっとカジュアルに、週1とかでコンテンツを届けるのが理想なんです。
『ドラえもん』はテレビで毎週やってるけど、年1で気合の入れた劇場版もやるっていう、そんな感じでやれたらベスト。本当は配信とか縦型動画とかもやりたくて、でも、今はちょっと忙しくてできてないんですよね。もし、身体がもうひとつあったら、そっちは『国岡』に全ベットしたい。
それぐらい『最強殺し屋伝説国岡』のシリーズに愛着があるということですよね。
そうですね。簡単に撮れるし、俳優陣との関係性も近いし。河原町でピストル持って歩いてるのが面白いっていう、もう、それだけで続けていられるんですよね。
そのうち国岡にポテンシャルを感じなくなったり、国岡に誰も興味を持たなくなれば終わりでしょうけど、まだまだ発展途上なキャラクターなんで限界は感じてない。だから、成長させすぎないっていうことが重要なのかもしれないですね。『クレヨンしんちゃん』みたいな長寿キャラにするには。

ちなみに今作には「なぜ殺し屋を続けるのか?」というキャッチフレーズが付いていますが、その答えって監督の中では何なんでしょう?
刑事だったら市民のヒーローに成り得るので“レスキュー”が理由になるでしょうけど、殺し屋って肯定されるべき職業では絶対にないじゃないですか。だから、別に悪い奴を倒すためだとか、人の笑顔を守るためとかではない。
それを考えると、やっぱり「隣の人間と一緒にいるため」しかないんですよね。それはドラマ版の『ベイビーわるきゅーれ』でもやったんですけど、もう1回「誰にも邪魔されず、楽しかった青春をお前と続けたい」っていう、悪い意味ではなくホモソーシャルな感じで描いたのが今回の『フレイムユニオン』なのかなと。
先日出版された『阪元裕吾監督&脚本作品2016-2025 コンプリートブック』のあとがきにも「仲いいやつらと馬鹿やってるのが楽しい」と書かれていて、それと同じような台詞が『フレイムユニオン』の劇中にも出てきますもんね。
だから、あの台詞は後から追加で入れたんですよ。僕の気持ちを、そのまんま入れたかったんですよね。当時、実は真中役の松本が「俳優を辞める」とかって言い出して、それに対する「辞めないでほしい」という気持ちから生まれたシーンでもあります。
過去には『必殺仕事人シリーズ』のように、殺しにヒロイズムを見出した作品もありましたが、そういうことでもなく、あくまでも一人間としての普遍的な想いがベースになっていると。
でも『必殺仕事人』も「俺らは地獄に行くしかない」みたいな感じだったので、その地獄にどう行くか?みたいな話も、いつか書けたらいいかもしれませんね。『こち亀』(こちら葛飾区亀有公園前派出所)でも、両津勘吉が地獄に行ったりしてるから、ああいうノリで地獄編……うん、やりましょう。
そうなると、死んだ後でも話が続けられますしね(笑)。ちなみに、この『フレイムユニオン』というタイトルは、どこから付けられたんですか?
そこは僕が付けたというより、みんなで考えたんです。前作のタイトルが『Green Bullet(グリーンバレット)』だったから、僕と伊能さんとキングレコードの戦略チーム全員で、ひたすらカタカナを出し合って組み合わせて。
最初は真中の父親との確執を表すのに「ライオット(=暴動)」とかが候補にあがっていて、この『フレイムユニオン』も当初はその反逆心が燃え上がっている的な意味合いで付けたんですけど、最終的に真中と国岡の友情、燃え上がる絆みたいな意味が後からついてきましたね。
親への反逆というのは、昨今、スポットを当てられがちなテーマである気がします。
2018年に『ファミリー☆ウォーズ』を作ったときは、まだ毒親ブームじゃなかったですが、急激に増えてきましたよね。だから、もっと救いようのない毒親にもできたんですが、結局『ロッキー』みたいにしようということになったので、嫌な奴だけどリスペクトを残すことにしました。たぶん父親を殺したほうがSNSでは喜ばれるんでしょうけど、そこは媚びずに。
そもそもドンパチやってるシーンはふんだんにありますが、作品内でそんなに人は死んでないですよね。
殺し屋なのに『国岡』はメインキャラが死なないんですよ。『ベイビーわるきゅーれ』は全員死んで、ちさまひ(髙石あかり演じる“ちさと”と、伊澤彩織が演じる“まひろ”の殺し屋コンビ)の後ろに死体の山が積み上がっていくイメージなのに。親子の確執や感情も、そこまでもつれず、サラッと終わるっていう。なんか、そこが面白いんです。
『国岡』シリーズは、必ず戻ってこられる場所

ところで本筋とは関係ないんですが、どうしてもひとつ気になることがあって。最初に国岡と真中が敵と戦うシーンがあって、その後、数カ月経った設定で物語が始まるじゃないですか。で、冒頭の戦闘シーンでは国岡は長髪なのに、数カ月後にはバッサリ髪を切っていますよね。これは何か意味があるんでしょうか?
それ、逆なんです。実はオープニングは最近になって追加で撮影したシーンで、そのとき、伊能さんが髪を伸ばしてたっていうだけなんですよ。だから、そのへんは伊能さんに聞かないとわからない。国岡について僕は何の演出もしてないので、彼は好きな服を着て、好きな髪形で、好きな銃を持って、撮影現場にやってくるだけなんです。
ええ!? じゃあ、衣装や小道具を用意することもなく?
伊能さんに関しては、そうです。彼はスタイリングも自分でやってるんで、僕のほうから「じゃあ、これ着て」とか一度もやったことがない。アクションも本人がアクション監督と打ち合わせて手を決めているので、本当に自由にやってもらってますね。
シリーズを通して国岡の体がどんどん大きくなっていってるのも、例えばボクシングをしてたりとか、身体を鍛えることへの興味が本人にあるからなんです。
最初に「被写体ありきで作品を作っている」とおっしゃっていましたが、まさに伊能さんという被写体自身から国岡というキャラは生まれているんですね。
そうですね。国岡の台詞にしても「こんなこと言わんやろ」みたいなのはお互いに共有してますし、そこはツーカーでやってます。だから撮影で揉めたりケンカしたりってことも、全然ないですね。
今回の脚本だって、実は別の人間が書くはずだったところ、急に無理になったんで僕が3日ぐらいで書いたんですよ。それでも何も言ってこなかったですし。
お話をうかがっていると、阪元監督の作品の中でも『国岡』シリーズは、やはり立ち位置の違う作品なんですね。
本当にそうですね。ライフワークみたいなもので、どこか別のところに行っても必ず戻ってこられる場所みたいになればいいなと。それこそ外資で撮るようになったり、興行収入ランキングとかに入るような映画を撮るようになっても「また、コイツは『国岡』をやるのか」って言われるようになったら一番面白い。
そういう監督って、あんまりいないじゃないですか。300館埋める大作を撮ってるか、ミニシアター系かで二分化されている気がするんで、両方をやれる存在になれればいいなと。お客さんと交流してわいわい楽しくやりながら、ある程度制作費を回収できる作品を作れるのが理想ですね。
それってフリーランスとして、理想的な仕事の仕方であるように感じます。きちんとオファーされた仕事で成果を出しつつ、その一方で、自分が好きなことも我儘にやるという。
いや、本当にそうだと思います。だから、みんながそうあってほしいですよね。どっちかだけだと、きっと潰れちゃう。だから本も書きたいし、配信もやりたいし。
僕、映画監督という職業を、もっと身近で気楽に目指せるものにしたいというのは、ずっと考えているんですよ。映画監督ってモデルケースが見えなくて、年収とか印税とかもわからないじゃないですか。大学時代は「とにかく食えない」とかっていう悲しい話しか流れてこなかったし、芸能人とか小説家よりもベールに包まれていて、何をしているのかわからない。でも、夢はありますということだけは言っておきたいです。
興行収入の10位以内に入ったことなくても全然食えてますし、深夜ドラマの監督でも「こんなにもらえるんだ! 今年、全然生きていけるじゃん!」っていう程度のギャランティはもらえています……ということは書いておいてください。僕は今、幸せです。
ちなみに、どういう人が映画監督に向いてると思いますか?
それは難しいですね! マンガ家とかと話すと自分の世界観を持ってる人が多くて、ミュージシャンやアーティスト、俳優とかもそうですよね。
でも、監督ってコミュ力もいるし、最初に言ったように体力もいる。もちろんセンスも必要だし、全部いるんですよ! 朝5時半に起きてひたすら撮影している日もあれば、ずっとパソコンに向かって編集しなきゃいけないときもあるし、脚本を書かなきゃいけないときもあって、それぞれに必要な能力がまったく違う。
台詞を思いつく能力と朝5時半に起きる能力という、まったく真逆のものを求められるんですよね。だから、狭き門であることには変わりない。その点、僕はたまたま何でもちょっとずつできる人間で、たまたま健康体でいられたのが幸運だったんです。
ただ、最近は妊娠中でも撮影現場に入れるシステムだったりが進んでいるので、より幅広い人たちが参加できるようになれば良いなとは思っています。最近だと『ラストマイル』、『TOKYO MER~走る緊急救命室~』、『グランメゾン★東京』とか、ヒット作を手掛けている才能と実績のある女性監督も多くいらっしゃるので、そこは無視したらいけないですよね。
映画監督ってアーティスティックなイメージがありましたけれど、思いのほかマルチプレイヤーであることが求められるんですね。何かひとつの分野に突出した才能やこだわりがあると、逆にダメなのかもしれない。
そういう人だと、たぶん現場が崩壊するんですよ。プロデューサーや照明さん、美術さんといったスタッフと円滑にコミュニケーションを取れる人であることが必須なんで、言いたいことをそのままストレートに言えなかったりもするし、めんどくさいことは多いですね。ただ、良くも悪くも常に役者を、人を見る仕事なので、そこは一番やりがいのあるところです。だから人を好きになれる仕事だと思いますよ……嫌いにもなりますけど(笑)。

撮影/中野賢太(@_kentanakano)
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