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自分の「好き」に立ち返る

ただ、商業誌のマンガ編集もしている身から言わせてもらうと、アマチュアからプロになれたからといって、劇的に状況が良くなるわけでもないと思うんですよね。変な話、趣味でやっていたほうが稼げたりする場合もありますし、〆切もなく自由にできますし。
大人になってそういった事情も知ったのですが、やっぱり「マンガ家になりたい」という子どもの頃のキラキラした夢を叶えたくて。正直自分の画力では無理なんじゃないかとは思っていて、でもズルズル挑戦せずに夢を持ち続けるよりは、2年頑張ってダメならスパッと諦めることでけじめをつけて医者に集中できるんじゃないかと思ったんですよね。
ただ、その時期はギリシャ神話からも離れてましたし、どうすればいいのかわからなくて、最初の3カ月ぐらいは、とりあえず遊んでいたんですよ(笑)。医者時代にはできなかったネイルをやってみたり、旅行に行ってみたり。でも2年しか猶予はないんだから、さすがに遊んでばかりはいられないと、とりあえず夏のコミティア(オリジナル作品のみの同人誌即売会)の出張編集部(商業編集者に作品の講評を受けられる場)に、マンガの体をしたオリジナル作品を持って行ったんです。
それで一応担当さんがついてくださったんですけど、まったく上手くいかなかったんですよ! ある程度絵も描けるしコマも割れるけど、肝心の描きたいものだったり熱意みたいなのが伝わらないって。最終的には「やっぱり君はもっと絵を頑張ったほうがいいね」って言われて、その時かなり気持ちが追い詰められていてケンカ別れのような形になってしまい、でも言われたこと自体はもっともだと思ったのでその足でデッサン教室とマンガの背景講座に申し込みに行きました。おかげで初めて絵を習い学ぶことが多かったので、今ではその方に感謝しています。
その後は別の出張編集部に持ち込んで、でも、そこでついてくださった編集さんとも上手くいかず。デビューできる見通しも立たずドン底まで落ち込んでマンガ家になることも諦めかけていたときに、ギリシャ神話のことを思い出したんです。商業作家になれないとしてもマンガを描くことを嫌いになりたくなくて、ただ自分の気持ちのままにギリシャ神話を描こうと今のSNSのアカウントを作って、友達の勧めで「#ゆかいな神統記」のタグを付けて投稿し始めたら、『月刊コミックZERO-SUM』の担当さんが声をかけてくださったんですよ。
それでエジプト神話をモチーフにした『災禍の神は願わない』で商業デビューされたんですね。
はい。ギリシャ神話に関しては、その時点で自分の設定だったりキャラクターデザインが出来てしまっていたので、これをそのまま連載に持ってくのは難しいと、エジプト神話も好きだったのでそちらでイチから一緒に作品を作って連載を目指すことになったんです。
それで何度かネームを出したんですけど、3回くらいボツを喰らっているうちに、約束だった2年の期限が目前に迫ってしまって。病院のほうからも「そろそろ復帰しませんか?」と話が来ていたので、これはもうダメかなと諦めて人事の先生に会いに行ったんです。それで「じゃあ、4月からパートで復帰します」と約束をしたら、その夜に「連載が決まりました」って電話がかかってきたんですよ!
ええ! なんてドラマチックな!
もうビックリして、どうしようかと。それで「春から仕事を復帰する話をしてきちゃったんですけど」と伝えたら、担当さんが「両方やったほうががいいです」と言ってくださったんです。やっぱりマンガ家一本でやっていくのって最初は厳しいから、パートでやれるならそのほうがいいと。それで4月から病院に復帰して、6月からは連載も始まって……という二足のわらじ状態が、そのあと4年ほど続きましたね。

初連載が終わってからも、同じ編集部で『ふつつかな悪女ではございますが ~雛宮蝶鼠とりかえ伝~』のコミカライズが始まりましたし、いろんな編集部さんからお声がけもいただくようになって。ただ、やっぱりどこも「ギリシャ神話はちょっと…」という感じだった中、唯一「ギリシャ神話でもいいですよ」とおっしゃってくださったのが『Nemuki+』さんだったんです。
じゃあ『ゆかいな神統記』の神々と設定は使いつつ、ストーリーは改めてイチから考えましょう……ということで始まった連載が『落ちぶれゼウスと奴隷の子』なんですね。
『落ちぶれゼウスと奴隷の子』も読ませていただきましたが、ゼウスが人間の少年の中に封印されているという設定が斬新すぎて、いったいどこから生まれた発想なんだろう?と驚きました。
そこに関しては、担当編集さんから「ギリシャ神話をやってもいいけれど、主人公は人間にしてほしい」という条件があったんです。ただ、私の中ではギリシャ神話の神々って結構冷たいというか、人間のことをまったく同等に見ていないんですね。
だから、ただの人間である主人公がどんなに活躍したとしてもギリシャの神々が一目置く……みたいな話はにはできなくて、じゃあ、どうすれば神々が注目するような人間にできるだろう?と考えてこの設定なら引っかからずに描けるなと。
なるほど。でも、その編集さんの気持ちはすごくよくわかります。主人公を神にしてしまうと、人間である読者は感情移入が難しくなってしまいますから。
そうなんです。今まではひたすら大好きな神々を見上げる創作でしたが、自分と同じ人間を入れたことによって、神話の知識だけではなく、古代ギリシャの実際の歴史や風俗を調べたり、専門家の方に取材したりするのも新たな楽しみでした。もともと興味はあるとはいえ世界史の素養があるわけでもないですし、歴史上の人物や史実をどうフィクションに落とし込むのか? どこまでならやっていいのか?という塩梅は難しかったですね。
その連載がある程度続いたところで、今度は『月刊コミックビーム』の編集さんから『ゆかいな神統記』を単行本にまとめませんか?というお話をいただいたんです。だから『ゆかいな神統記』自体はずっとやってきていたんですけど、本になるまではかなり時間がかかっているんですよ。
ちなみに『ゆかいな神統記』には、神話の物語をマンガ仕立てで解説したものと、神々のキャラクターを借りた二次創作がありますが、ネタって尽きたりはしません?
尽きないですね。私が描いているのは神々の話の中でもほんの一部ですし、英雄の話はあまり描いていないんですよ。それこそヘラクレスやペルセウス、オデュッセウス、アキレウスなど魅力的な英雄がたくさんいて、さらに星座のエピソードもまだほとんど触れてません。
二次創作のほうも温めているネタがたくさんありますし、フッとネタが浮かんだり、読者の方が「こんなエピソードを見たい」と言ってくださったりもするので、全然ネタが尽きる感じはないですね。
ストレスを感じたら、とにかく「離れる」

現在は再び休職されて、マンガ家一本でやられているということですが、やはり仕事が増えたことで医者を続けるのは難しいという判断になったんでしょうか。
仕事量が増えたことに加えてメンタルですね。いくらパートとはいえ、やっぱり患者さんのことって頭のどこかにずっとあって。「あの患者さん、最近来ないけどどうしたんだろうな?」とか「あの患者さん、薬の効果は出たかな?」とか考えちゃって、それと並行して連載が二つになった分、考えることも増えて心に余裕がなくなってきちゃったんです。
もちろん、すごく悩みました。次に医者から離れたら戻れないような気がして。私が辛そうなのを見ている友達は「いや、もうマンガ一本でいいじゃん」って言ってくれるけど、やっぱり親は「医者はやめないでほしい」って言うし。担当さんたちにとっても責任の重い話だから、どなたも決定的なことは言わないんですよね。自分で決めるしかないのはわかってるんですが難しくて。
困り果ててとうとう占い師さんにまで見てもらったら「あと1年やってみなさい」って言われて、実際1年やってみたら「あ、これは本当に無理だな」って思えたんです。たぶん、さらに1年続けたら潰れちゃうなと感じたんで「半年後にやめます」と伝えて、ある程度余裕を持って引き継ぎや患者さんへの挨拶などした上でやめました。それが2年くらい前の話ですね。
マンガ一本にして、やっぱり楽になりました?
患者さんに対する責任がなくなったという意味では楽になりましたが、やっぱり医者というのは自分にとって大きな柱だったから、それがなくなったことによる不安はありますね。なので、最初の半年くらいは精神的にも不安定で、原稿がなかなか進まなかったりもしました。今はなんとか立ち直りましたが。
ただ、3月に出た『落ちぶれゼウスと奴隷の子』5巻の最後のほうを連載で描いていたときに、さすがにいっぱいいっぱいになってしまって。物語の大事な場面にさしかかっているのもあって、これはクオリティを維持するためにも一回休まなきゃいけないなと、半年休載をいただきました。

それまで『ふつつかな悪女ではございますが』と合わせて連載2本で月産60ページを超えていて、それに加えて『#ゆかいな神統記』を週1ペースでSNSに投稿していたのが限界だったようで。
月産60ページは、なかなかハードですよ! それにマンガ家さんって密室での孤独な作業になりがちですから、ただでさえ心身にダメージを受けやすい職業だと思うんです。そこでのリフレッシュ方法だったり、メンタルバランスの保ち方へのアドバイスを、それこそ医学的見地からいただけるとありがたいのですが。
私の場合、自分で「これはマズいな」と思ったら、医者の友達とLINEで問答をしてます。自分の悩みを言語化して、それに対して医学的な見地からの反応をもらう……というやりとりをしていくことで、今の自分の状態を俯瞰視できて落ち着けるんですよね。これをお互いやってる感じです。それ以外ならありきたりですが外に出るか、無理矢理にでも早寝早起きするか。気分が滅入ってる時って生活リズムが崩れている場合も多いです。
ストレスを感じたらそこから離れるのが重要です。ストレスを忘れる取り組みをしてみたり物理的に距離を置いたり。外に出るのが辛ければ、アニメや映画を観るとか、なんでもいいので自分が楽にできることをするのがいいのかなと思います。規則正しい生活にも気をつけて。もちろんあんまり辛い時は医療に頼ってください。
ともすると「離れる」って現実逃避のようにも感じますが、やっていいんですね。
いいんです! もう、どんどん離れたほうがいい。
例えば会社員の方でも、本当に職場が辛かったら病院に行ってみて、療養が必要と判断されれば診断書をもらって休職することも可能ですし、そこまでじゃなかったとしても仕事外の時間では気兼ねなく好きなことをやるとか、休日は仕事の携帯を置いてどこかに出かけるとかして、仕事から精神的、物理的に離れることができると、かなりメンタルにはいいんじゃないかなって思います。
ありがとうございます。そういった医者としての知見や経験を、将来的には作品に活かしていこうという想いもあったりしますか?
無くは無いですけど、あまりにも自分の現実すぎて、今のところ現代を舞台にした医療をエンタメとして見ることが、まったくできないんですよ。もう現場を2年離れているので、もしかしたら医者をエンタメとして見れる日が、いつか来るのかもしれませんけど、自分の中での優先順位は現状それほど高くない……という。
優先順位ということで言うと、実は『ゆかいな神統記』って単行本に載せているようなコミカルで明るいテイストのものばかりでなく、結構暗くてシリアスな長編もあるので、それを本にまとめたいというのが今の一番の野望なんです。こちらはこちらでありがたいことに熱いファンの方々もいらっしゃって、今回「単行本に入っていなくて残念」という声もいただいたんですね。ただ、長編なので一部だけ載せるよりはちゃんとそれだけでまとめたいのと、老若男女問わず気軽に読めるものにしたかったので、単行本に入れることはできなかったんですよ。
あとは、もちろん『ふつつかな悪女ではございますが』のほうも新章が始まったりアニメ化が決まったりと楽しいことがたくさんあるので、コミカライズ担当としてできることを精一杯やっていきたいです。
それにしても、ここまで自分の「好き」を貫いて、結果を出されているというのは素晴らしいですね。本当に頭が下がります。
逆に、好きじゃないことはできないんですよ。納得できないことを我慢してやり続けるということができないので、むしろ「こうするしかなかった」んですよね。

撮影/中野賢太(@_kentanakano)
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