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R-1グランプリ決勝進出を果たし、社会人15年目にして“コントができるフリーランス”へ。お笑い芸人・どくさいスイッチ企画が目指すパラレルキャリア

R-1グランプリ決勝進出を果たし、社会人15年目にして“コントができるフリーランス”へ。お笑い芸人・どくさいスイッチ企画が目指すパラレルキャリア

20年余の歴史を誇るピン芸コンクール『R-1グランプリ』の決勝に、2024年、史上初めてアマチュア芸人として進出して大きな話題となった、どくさいスイッチ企画さん。名門・大阪大学で学生落語を極めながら、卒業してからは会社員として経理畑を歩み、コロナ禍を機に学生時代から灯していたお笑いへの情熱を開花させて、今回の偉業を果たされました。決勝では4位という結果を残し、この5月にはついに大阪から上京。

夢と現実を叶えるために自身の能力を冷静に分析した結果、現在は“コントができるフリーランス”として活動し、お笑い一本ではなく「トータルで食っていきたい」と語る理由と真意、そしてリアルな“先の見えなさ”について深堀りさせていただきました。

profile
どくさいスイッチ企画(ドクサイスイッチキカク)
“どくさいスイッチ企画”は主に一人コントを上演する際の名義。大学時代は落語研究会に所属し、2010年には全日本学生落語選手権の最優秀賞にあたる「策伝大賞」を“銀杏亭魚折(イチョウテイウォーリー)”名義で受賞。卒業後は会社勤めと並行しながら、創作落語と一人コントを中心に活動する。2024年には『R-1グランプリ』決勝に進出。アマチュアでのファイナリストは同大会史上初となる。以降は“コントができるフリーランス”として、拠点を関東へと移す。
https://x.com/dsatwalle
https://www.youtube.com/@walleityoutei
https://note.com/waaallleee/

辞めても解決しなかった

プロフィールやXを拝見すると、意外なことに激しい音楽がお好きだそうですね。最近はヴィジュアル系も聞かれていると知って、ちょっと驚きました。

僕、もともとハードコアやデスメタルが好きで、それをやっている日本のバンドを探すとヴィジュアル系になるんですよ。MUCCとかメリーとかに始まり、最近のバンドだとDEVILOOFとかJILUKAとか。あと、大阪に住んでいたのもあって、大阪拠点の甘い暴力とかはライブの出囃子で曲を使ってましたね。

割と闇深い、正統派のヴィジュアル系バンドがお好きなんですね。

しかも最近、どんどん激しい方に偏っていってるんです。グラインドコアとかハードコア、デスメタルとか。僕、もともと叙情系ハードコアを聞いていてENDZWECKとかすごく好きだったんですけど、そこからだんだんメロディーが抜けていって、どんどん速くてうるさい系の音楽に傾きつつありますね。バイオリズムが今、ソッチに振れていて……僕、会社を辞めたら全部解決するって思っていたんですよ。

つまり、辞めたのに解決しなかった。

うん、こんなに悩んでいるのは会社員だからなんだと思っていたけれど、いざフリーランスになって、やりたかったお笑いをメインでやり始めても、やっぱりイライラするんですよ。腹立つこともいっぱいあるし、そうなったときにMUCCの「絶望」とか「大嫌い」とか聞きたくなるんですよね。

会社を辞めて、今年の5月には関東に出てきて。すべてのしがらみや理不尽から解放されたはずなのに、何にそんなにイライラしてしまうんでしょう?

わからない。でも、たぶん“先の見えなさ”が原因ですね。歳を取って、若い頃に比べたら丸くなっていたのに、生活が変わったことで元に戻ったのかもしれない。おかげでコッチに出てきてから、中古CD300枚ぐらい買ってますよ。それこそ15年前に買ってたCDを買い戻したりしていて、もう、関東にこんなにブックオフがあるのが悪い! 

11歳までは神奈川にいたんですけど、そこから神戸に引っ越し、大学入学とともに大阪に出て、18年大阪にいたから、もう関東は全然知らない町ですね。やっぱり関西とは全然違う。

むしろ11歳で関東から関西へ越されたときのほうが、衝撃は大きかったんじゃありません?

大きかったですね。うち両親が関西人で、2人とも私を怒るときだけ関西弁だったから、全員怒っているように聞こえたんです。それは今もそうですね。関西弁をしゃべってる年上の人は全員怒っているように見えるんで、会社に入ってからは特にしんどかった。

でも、大阪のお笑いはすごく好きだったんです。お笑いで使われる関西弁は怖くなかったし、僕が中学生の頃だとチュートリアルさん、ブラックマヨネーズさん、フットボールアワーさん、ますだおかださんとか、錚々たるメンツが活躍されていて。ちょうどbaseよしもとという吉本の劇場もできて、そこに若手の芸人さんがいっぱい出ていたから、これは見に行かんとダメだろう! 見に行きたい!ってことで大阪大学に進んで、大阪で一人暮らしを始めたんです。

1人でもやれるかも。じゃあ、やるか

ただ、大学進学後に始められたのはお笑いではなく、落語だったんですよね。

いや、もともとはお笑いをやりたかったんですよ。ただ、当時は大学にお笑いサークルというものが全然なくて、それ系のサークルは落語研究会しかなかったんです。だから、とりあえず落研に入ってそこで相方を見つけて、2人とも阪大の漫才師ってことでNSCとか入れたらいいな、オーディションとか受けれたらいいな……って思ってたんですけど、それだけの熱量を持ってる人がいなくて! もちろん、みんな落語は真剣にやってるし、面白いんですよ。でも、あくまでも趣味なんです。

まぁ、当時はお笑いをやりたければ、高卒でNSC(吉本総合芸能学院)に入るのが普通の時代だったので、大学に入ってからNSCに行くというのはレアケースだったんですよね。ただ、大学に行かずにNSCという選択肢は僕にはなかったんですよ。家庭環境もそうだったし、高校が進学校で周りもみんな大学に行くのは当たり前だったので、大学に行く以外の選択肢はちょっと思い当たりませんでした。

環境の影響が大きいのはわかります。結果、大学の4年間は相方を見つけることもできず、むしろ落語にのめりこんでいったとか。

はい。これはいろんな人に言ってるんですけど、落語って1人でできるんでメチャクチャ面白いんですよ! もともとコンビのお笑いしか見ていなくて、お笑いって2人じゃないとできないと思い込んでいたのが、落語は1人で笑いを取れるし、長い時間舞台に出られるし、すべっても見てもらえるし。それで落語の方にどんどんハマっていって……。

大学4年生のときに「策伝大賞(全日本学生落語大賞)」を受賞するまでに至ったと。ちなみに「どくさいスイッチ企画」という芸名も大学時代につけられたそうですが、これは落語のときの高座名とは、また別ですよね?

そうです。絶対に相方を見つけなきゃいけない!って思っていたのが、落語のおかげで「1人でできるじゃない」になり、「1人でもやれるかも」「じゃあ、1人でやるか」になって、ドラえもんのひみつ道具から名前をもらったんです。で、どくさいスイッチ企画の名義でコントの公演も打つようになったんですけど、それは本当に友達とかの身内に見せるだけのもので、プロに行こうとは全然考えてなかったんですね。社会人になって2011年からは、年に1回だけ「どくさいスイッチ企画」を名乗ってR-1グランプリにも出たんですけど、特に準備とかもしてないから2014年は1回戦で落ちたんです。もう、これはアカン!ってなって、そこからはずっと社会人落語をやってました。

ではコントではなく、学生大会で優勝した落語の方でプロを目指そうという気持ちもなかったんですか?

なかったですね。策伝大賞で優勝したのが4年生の2月で、もう内定もいただいていたし、それを蹴るのも申し訳ないじゃないですか。1年働いて落語家になろうか?みたいなこともフワッと考えつつ、結局タイミングを失ったまま働き続けることになりました。

それに落語をやるのは好きでも、そんなに寄席を見に行ってるわけでもなかったし、 落語家さんの名前や演目に詳しいわけでもない。そもそも僕の落語の勝ち方って、みんながプロの落語を高いレベルで再現しているなか、1人だけコントみたいなことをしてる感じだったんです。いわば戦略勝ちみたいなもので、1人だけ別の競技をやってるような感覚だったから、落語で勝ったという手ごたえはなかったんですよね。

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