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建築は、人を動かし社会を変える。建築家ユニット・手塚貴晴+手塚由比の初エッセイ集『いのちの建築』インタビュー

OECD(経済開発協力機構)とUNESCOにより世界で最も優れた学校に選ばれた「ふじようちえん」をはじめ、北九州の複合型社会福祉施設「希望のまち」、小児がんの子どもたちのための「チャイルド・ケモ・ハウス」、ヒマラヤの奥地に建つ孤児院「ジャムセイ・ガッツァ(Jhamtse Gatsal)」など、さまざまなプロジェクトに携わる建築家ユニットの手塚貴晴+手塚由比(手塚建築研究所)が、初エッセイ集『いのちの建築』(河出書房新社)を発表しました。

“命とはつながり”であるという信念のもと、建築を通して広がっていく人と人のつながり、そこから生まれるエピソードを収めた本書は、建築の常識と概念、そして建築家のイメージを打ち壊すもの。本書の発刊に至った経緯と、そこに凝縮された哲学をじっくり伺いました。

profile
手塚貴晴(てづかたかはる)
1964年東京生まれ。建築家、手塚建築研究所代表、東京都市大学教授。「ふじようちえん」「屋根の家」など多数。世界環境建築賞受賞、グッドデザイン金賞など受賞多数。

手塚由比(てづかゆい)
1969年神奈川生まれ。建築家、手塚建築研究所代表。「ふじようちえん」「屋根の家」など多数。世界環境建築賞受賞、グッドデザイン金賞など受賞多数。
http://www.tezuka-arch.com/
https://www.facebook.com/tezuka.arch/
https://www.instagram.com/tezuka_architects/

建築はモノじゃなくて出来事

手塚貴晴+手塚由比

建築家の方による著書とのことだったので、てっきり建築論のような内容なのかと想像していたら、まるで哲学書のようで驚きました。

手塚貴晴 私たち建築家は、もちろんモノを造る職業なんですけど、それによって世の中がどう変わっていくか?といったところが一番大切だと思っているんです。

よく私たちが言っているのが“建築というのはモノじゃなくて出来事である”ということで、英語だと“Architecture is not Thing, but Event”と言うんですけど。建築には社会を変える力があると、そう思うようになったんです。

なるほど。それがお2人のポリシーなんですね。

手塚貴晴 もちろん、昔からそうだったわけじゃないですよ。若いときは建築家として世に出ようとガムシャラに仕事をしていて、日本建築家協会の新人賞とか日本建築学会賞を獲ることを目標としてたんです。

だけど、いざ獲ってみると人生、何も変わらないんですよね。海外に出て、ユネスコが賞をくれても何も変わらない。変わるのは、造った建物に行って人と出会うときなんです。

例えば小児がんセンターの建築を担当したら、いきなり患児のお母さんが手を握ってきて泣き始めたり、教会を造ったときにはみんなが感動して、こっちがビックリするくらい反応してくれたりね。

希望のまちプロジェクトではホームレスの人たちと関わって、震災後の南三陸にも行っていろんなことに関わるうちに、建築というのは単なる建設屋じゃないということを、人生を通して学んだんですよ。

手塚由比 建築した建物自体の美しさも大事だけれど、それよりも、そこにまつわる人々の生活だったり、社会や街をどう変えられるのか? それを使う人を幸せにできるか?ということの方が重要であると。リアルな体験を積み重ねることで、それを強く実感してきたんです。

手塚由比

北九州の希望のまちプロジェクトや、ヒマラヤの孤児院ジャムセイ・ガッツァなど、そういった建築にまつわる出会いのエピソードが本書では数多く綴られていますが、手塚さんに依頼される方々ってスケールの大きな方々ばかりじゃありません?

手塚由比 そう。普通じゃない。

手塚貴晴 ふじようちえんの加藤(積一)園長先生にしても、東八幡キリスト教会の奥田(知志)牧師にしても、ジャムセイ・ガッツァのロブサン(・プンツォク)にしてもね、みんな偉人なんです。そんな普通は会えない人たちと出会えるから、建築家って面白いんですよね。

ただ、そういう人たちって、一歩間違うと……とも思うんですよ。加藤園長先生にしてみても、奥田牧師にしてみても「私はこれから山を動かします!」的な、とんでもないことを平気で言うんです。

当然、それを理解する人ってあんまりいなくて、自分の思いが伝わらないから怒りに震えたりもする。だけど、建築っていう土壌があると“ここに着地すればいいんだ”って気がついてくれるんですよ。だから、私たちと仕事をするうちに、みんな、どんどん化けていくんです。

むしろ、そんな建築の力の使い方を知っているお2人だからこそ、普通でない人々が依頼をしてくるのでは?という気もします。

手塚由比 確かにクライアントの方々は、私たちが造っている建物を見て、何か社会を変えるものを感じて依頼してくださるらしくて。

建築を単なるモノではなく、自分が目的を達成するためのものと捉えて、建築の力を信じてくださってる方が来てくださってるなというのは思います。

例えば、私たちが20年以上前に手がけた「屋根の家」も、施主の奥さんがもともと心理学の勉強をしていて――。

手塚貴晴 屋根の家を建ててからカウンセリングを始めるようになって、人助けをするようになったんです。で、とある少年院に入ってる子のカウンセリングを担当した結果、その子、建築家になったんですよ。

手塚由比 最初、大工さんになりたいって言ってたらしくて、「いや、建築家の方がいいんじゃない?」って、いろいろお勧めしたら……。

手塚貴晴 建築家になったんですよ。だから最初は小さなことでも、それに反応して呼応する不思議な人たちが世の中にはいるんですよね。

自分に似合う建築を得ること『いのちの建築』執筆の経緯

手塚貴晴+手塚由比

その施主の奥様をカウンセリングの道に進ませたのが、屋根の家とも言えるんじゃないでしょうか。

手塚貴晴 そうだと思ってます。聞いた話では、ちょっとグレてる中学生の子が屋根の上に上がってきて「俺もこの家で育ったら優しい人間に育ったかもしれねえな」って言ったらしいんですよ。

同じようなことが、あさひ幼稚園でも、希望のまちでも、無数に起きていて、つまり私たち建築家は人を作ることはできないけれど、その人たちが活躍する機会を作ることができるんです。

ただ、それって建築の“モノ”だけを造っているとできない。ふじようちえんも楕円形の形状が注目されがちだけど、同じように面白い形をした建築は世の中にいっぱいあるわけですよ。

もちろん美しかったり珍しい形をしていたりすることも大切なんだけど、私たちにとって建築は巣みたいなものなんですね。建築という巣に入れていくと急に輝きだしたり、卵になって孵化して羽ばたいたりする。魔法みたいなんですよ。

手塚由比 みんな自分に似合う建築を得たときに、より力を発揮し始めるところがあって。私たちは、その人に似合う建築って何だろう?って考えて、見つけていくことをしているんですよね。

手塚貴晴 ホント人間ってね、自然の中で生きられないんですよ。そこに建築という媒体が出てきたとたん元気になるんです。 食べること、寝ること、人とコミュニケーションを取ること。それがちゃんとできていないと、どんな天才も機能しないんですよ。

手塚貴晴

そう考えると、これから加藤園長先生も奥田牧師も、もっとデカくなると思うんですね。もしかしたらノーベル賞を獲るかもしれない。そんな人たちに出会える建築って特別だなと気づいて、この経験を忘れちゃいけないなとブログを書き始めたんですよ。

なるほど。それを元に『いのちの建築』を構成されたんですね。

手塚貴晴 で、どんどん書いていくうちに、いろんな人から“これは絶対本にした方がいい”って言われるようになったんです。建築の理論を教えてる真壁(智治)先生から『いのちの建築』っていうタイトルもいただいて。

ブログは1年間で900ページくらい書いたんですけど、そこに加筆しつつ減らして、最終的に270ページにしました。私、何かに取り憑かれたように書いてしまうところがあって。

どういうことですか?

手塚貴晴 1時間で 1,000字以上は絶対に書くんで、2、3日あると5,000字、1週間あると2万字ぐらい書いちゃう。ひと月で本一冊分くらいは書いちゃうんですよ。

昔から頭の中が活字になっているので、それを書き出さないと頭の中が整理できないんですよね。自分の脳の中に収まりきらなくなっちゃうから、外付けハードディスクに移さないとダメ。

そもそも私が文章を書きたくなったきっかけが、昔、『母の友』という雑誌で“父の友”というコラムを書かせてもらったことだったんですよ。そしたら、すごい反応があって! 「また書いてください」って言われて、調子に乗って連載になっちゃったんです。

最終的に4回書いて、あと『Esquire』で1回長いのを書いたかな? そしたらいろんな文章の依頼が舞い込むようになって、書いてみると、みんな「笑える」って言ってくれるんです。そうやって人とシェアできて、反応が返ってくるのが、すごく好きで!

その経験をもっと早く得ていたら、物書きになられていたかもしれませんね。

手塚貴晴 中学生のとき、作文コンテストで賞をもらったことはあるんですよ。そしたら先生から「小説家をやったらいいよ」って言われて、ちょっとの間だけやる気になったことはありました。でも、その後すぐに正気に戻って「これは猿がおだてられて木に登ってるだけだ」とやめたんです。

そういうの、いくつかあるんですよね。ピアノも好きで始めてみたものの、才能がないことがわかってやめたり、水彩画もしばらくやってみたりとか。どれも“まぁまぁ”のレベルの中、建築だけはなんとか食えたんですよ。