努力は楽しくないけど、努力してる自分は嫌いじゃない

では、終電さんの最終的な目標は、しんどい努力をしなくても済む社会を作ることなんでしょうか?
思想としてはそういう方向ではあるんですけど、別に私は活動家ではないので。あくまでも物書きとしてやっていきたいし、認められたいので、今作もあくまでも個人的なことを書いたエッセイというのが大前提です。
もちろん社会的なことも意識して書いてはいますけど、背負えない役割は背負いたくないですから。私のケースを論文とか学術系の書籍とかに引用してもらって、もっと社会的な活動をしている人たちがそういう役割を背負ってくれたらいいなっていう。
ちなみに、なぜこの社会は人に我慢や努力を強いる形態になってしまっているんだと思います?
労働においての我慢や努力という話だと、現代の日本の働き方って、一昔前の家事育児を担う妻がいる男性の働き方が、いまだに基準になっていると思うんですね。なのに、一人暮らしで家事もしながら働いてる人だったり、そもそも男性に比べて体力のない女性とかも、みんなその基準に合わせようとしちゃってるから、キャパ的にキツくなってしまう人が多いってことじゃないですか。
だとすると、今の日本社会では、ほぼ全員がキャパオーバーなのでは? キャパオーバーを感じない人も、結局は配偶者だったり親だったり、サポートしてくれる人がいるというだけの話で。
そうですね。社会全体で見たら、やっぱりどこかにしわ寄せが来ているんだとは思います。

そういった意味でも、この社会は変わらなければいけないんでしょうね。ちなみに、これまでに経験されてきた虚弱エピソードの中で、最も辛かったことって何ですか?
筋肉がつかないことですかね。子どもの頃から明らかに筋肉が少なくて、筋トレとか食事管理とかをやっても、健康とされる基準値には全然届かない。
ただ、それが体質なのか、筋トレのやり方が悪いのか、もしくは筋肉の分解が速いのか、理由がわからなくて。何年努力しても報われないのが辛くて、それでたまに泣いてます。
ただ、筋肉がないから膝に来て、その痛みに耐えかねて健康になるための行動に目覚めたわけじゃないですか。そう考えると、筋肉がなかったから以前よりも健康的な生活が送れるようになったと言えるのかもしれませんよ。
ああ、そうですね。本当に運動とか嫌いでほとんどしてこなかったのが、膝を痛めて歩けないところまで追い込まれると、さすがにやるしかなかったっていう。そこまで追い込まれないと、私は本当に努力できないんですよ。
だから部活とかもやったことなかったし。自分で“やろう”と決めたことも、すぐにやめてばかりだったので、本当に努力ってしたことがなかったんです。膝を痛めて、健康に目覚めるまでは。
でも、本当ならば、そんな努力をしなくても生きていける社会の方が理想だと。
そうですね。努力しても、別に楽しくないんで。
じゃあ、努力できる自分になれたことも、特に良かったとは思っていない?
あ、それは思ってます。仕方なくいろんなことを続けていくうちに、継続する力自体がついた感覚があって。例えば、noteのメンバーシップを2024年の2月から始めて、今も一応続けることができているのも、昔だったらあり得なかったことなんです。
そうやって健康とは関係のないところでも継続する力を発揮できるようになったのは良かったですし、努力自体は楽しくないですけど、努力してる自分は嫌いではない。1年ちょっと前に始めたジョギングも続けられているので、やっぱり努力して良かったなとは思いますね。
時に報われなくて泣いてしまうことがあっても?
うん。総合的に見ると、まったく報われてないわけじゃないですからね。昔より健康になっているのは確かなので。
自分の居場所を作ることは自信になる

では、少し健康になった今の生活の中で、終電さんが一番楽しみにしていることって何ですか?
インテリアとか。やっぱり自分が“好きだ”と思える部屋って、メンタルにいいんだってことに最近気づいてきたんです。もちろんお金はかけられないですけど、地道にリサイクルショップとかで家具を集めてきて、結果的には“帰りたい”と思える部屋になったので。
居心地のいい空間を作っていくことが楽しいし、自分で自分の居場所を作ることができたのが嬉しいですね。
終電さんにとって“居場所”というのは、ひとつのポイントかもしれませんね。
そうですね。 もちろん、他人が作った何かしらの場所とかコミュニティに入って居場所ができるのも良いことですけど、部屋という自分の居場所を自分で作ったことが嬉しいというか、自信になるというか。
だから、それも自分の身体を自分で作るということに繋がっているのかもしれないなと最近思います。
虚弱な自分の身体を、なんとか自分自身でマネジメントして、コントロールしていくことに対する喜びというのは、本書を読んでいても感じました。そうやって自分の身体は自分のものなんだという実感を持つことが、終電さんにとっては大事なことなのかなと。
はい。それをいろんな努力を通して知ったというか。それが自分への信頼っていうことなのかなと。ただ、20代のうちから50代くらいの不調を感じているので、本当に50代になったらどうなるんだろう?っていう怖さは、すごくあります。
では、現時点での終電さんの未来予想図って、どんな感じですか? だいたい何歳くらいで寿命が尽きそうだと考えてます?
50歳ぐらい。そうなると残りの人生は20年で、でも、きっと最後の10年は頭も身体も使い物にならない状態になる気がするから、実質的には10年ぐらいという覚悟で生きてます。
10年! 普通の30歳なら残り50年くらいは考えるところなのに、その短さに悲しさや辛さは感じないんですか?
いや、感じてます。それに、あと10年とはいっても、やっぱり体力がないと時間もなくなるので、普通の人よりも短くなるんですよ。実質たぶん3年くらい。
その3年でやっておきたいことは?
やっぱり文章を書いて残したいです。子どもの頃から、自分が生きた証を後世に残したいとはずっと考えてました。
あまりにも人生が辛かったので、「こんな辛い思いをしたのに死んだら忘れ去られていくんだ」と思うと耐え難くて。誰かにわかってほしいという気持ちが強くて、小学生の頃から「これを自伝本に書くとしたら」ってイメージしながら行動していたんです。
自分の生きた証を残すために、子孫を残す道もあるわけですけれど、そっちにはいかないんですね。
子どもだと語り継いでもらわないといけないじゃないですか。それをしてもらったところで、その一族だけで終わってしまうのでは、この苦しみは割に合わない。
あと、子どもの頃から本当に子どもに興味が持てなかったので、もっと確実に生きた証を残せる方法を考えると、自伝本だなと。
お話をうかがっていると、終電さんは“報われたい”というお気持ちが強いのかもしれませんね。
まあ、そうですね。“報われない”という思いがずっとあったので、より多くの人にわかってほしいという気持ちは強いです。
自分を大事にするということ

では、いずれは自伝本を出版するのが目標でしょうか?
自伝という名目で出すのは相当の有名人じゃないと無理なので、何らかのテーマごとに本を出していって、それが後世に残るかもしれないという希望は持っていたいです。
芸術全般そうですけど、死後に評価されることもなくはないじゃないですか。なので、まずは場面緘黙症で 1冊出したいとは、ずっと考えてますね。
まだまだ知名度が低い障害だし、本来喋れるのに喋らないっていうのは、確かに他人からしたら謎なんで、今もわかってもらえていない人が多いんだろうなと。発症率も高くなく、喋ることに限らず自己表現全般が苦手な人が多いので、ビジネス的に言えばブルーオーシャン(未開拓市場)でもあるし、それを表に出すのは自分の使命だとも思ってます。
自己表現の苦手な人が多い障害であるなら、なおのこと文章の書ける自分が率先して実状を伝えていかなければいけないということですね。その他に書いてみたいテーマは?
さっき言った部屋作りだったり、健康という話題も含めて、暮らしエッセイ的なものも書きたいなと。
部屋の中なんて誰にも見られないものだから、外に着て出ていくファッションのほうを昔は重視していたんですけど、誰にも見られない自分だけの場所だからこそ大事なんだということに、今は気づいたんです。
自分が一番長くいる場所を心地よくすることが、自分を心地よくすることにつながりますもんね。それは、つまり自分自身を大事にすることでもある。
そうですね。自分を大事にするということを、私は今でもよくわかっていないし、そういう意識で何かをしたこともほとんどないんですけど。
でも、健康を大事にすることで、自分を大事にするということが、だんだんわかってきたような気がします。

そうやって自分を大事にした結果、いつか健康体が手に入るかもしれないですよ。
確かに、昔はセルフネグレクト的な部分もあったんですね。 20代前半の頃とか部屋も汚いし、食事もちゃんとしないし。自分しか見ない、食べないんだったら、キチンとする意味もないという考えだったんです。
今でも部屋を綺麗にしたり、ちゃんと食事を摂ることがメンタルにいいのか?って言われると……正直よくわからない。
でも、この本にも書いたように、めんどくさいけど自分のためだけに食事を作るのはメンタルにいいんだってことに気づき始めたので、それが自分を大事にすることにもつながっているというのは、なんか、わかってきたかもしれないです。
他の誰でもない、自分1人のためだけに何かをしてあげるというのは、とても贅沢なことだけれど、まず、最初に人間がしなければいけないことなのかもしれないですね。
そう思います。最初からするのは難しいかもしれないけど、自分のためだけだからこそ、大事だったんだなって思います。
ただ、先ほど「エゴサをする」っておっしゃってたじゃないですか。それって自分を大事にすることとは、おそらく対極の行為じゃありません?
エゴサは仕事だと思ってやってるんですよ。何年か前に電気グルーヴの石野卓球さんが「表現者ならアンケートだと思ってエゴサすべき」っておっしゃっていたのに感銘を受けて、それ以来エゴサしてます。
なるほど。表現者は真に自分のやりたいようにすべきで他人の意見なんて聞く必要はないという考えと、それで食っている以上は聞かなければいけないという考え、どちらが正しいのかは永遠のテーマですよね。
だから理想としては、誰かが代わりにエゴサして、見るべき意見だけを私に渡してほしいですね。的外れな批判とか悪口とかはいらないので、好意的な意見と真っ当な批判だけ見たいです。それが一番メンタルにも良いし、より良い表現をしていくためにもベストなんじゃないかなと思うんですよ(笑)。

撮影/中野賢太(@_kentanakano)
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